……とおくで、誰かが泣き叫んでいた。
身体が生暖かいゲルに包まれている。気持ち悪い。
身じろぎしようとしたとき、後ろにも太いモノをズップリと
泣きわめく声がだんだんハッキリとなる。
体のあちこちに繋がり、身体を絡めとるホースやケーブルを取ろうと、『九尾』はヌルヌルする手ざわりで充たされた暗黒の世界で苦しむ。
電子音が鳴り、身体を包むゲル自体が微振動をはじめた。
《緊急――緊急――
悪夢のような中、そんなこもった声が響いたかと思うと硬質な振動音がつたわり、いきなり身体が持ち上げられる。
ノドからズルズルと太い触手のようなモノが出てゆき、ゲホゲホとむせた。とたん、ミント臭のあるエアゾルが、喉のおくに噴霧される気配。
――おげぇ……。
呼吸が楽になり、身体がうごくように。
悲鳴はますます身近に聞こえるようになる。
目と口の周りに圧迫感。
どうやらゴーグルと給気マスクが装着されているらしい。
むしり取ろうとして、手の可動範囲がせまいことに気づく。
またもや手枷で、どこかにつながれているのだ。
身体をかがめ、手の届く範囲まで首を曲げてゴーグルとマスクをむしりとった。
――う……。
まぶしい。
耳に装着されていたデバイスも、一緒に抜けてしまったらしい。とたんに悲鳴の
「あああああああああああああ!!!!ゾーロタぁぁぁああああああああああアア!!…………………シリブロォォオオオオオオおおおおおおお!!!!」
ながい息継ぎが分かるほどの肺活量いっぱいな
なんだ?と『九尾』は力のはいらない上半身を酷使して起き上がり、多少めまいのする目をチカチカしばたくと、まず自分の状況を確認する。
透明なジェリーに充たされた、全身を格納するタイプのシリンダーから、半身を起こした姿勢。ジェリーに浸かったままの下半身には、ブルマ―型の貞操帯をハメられているのが、ゆがんだ液面ごしに分かる。アヌスと尿道の違和感は――たぶんそのせいだ。
ボディをひし形にイヤらしく
手首と足首にも、おなじ色調の紅い拘束具。
シリンダーの上半分はグラス・キャノピーのようになっており、
しかし……なんというICUだろうか。
・消毒液の臭いが満ちる空間には、3Dのバイタル・ボードが何種類も浮かんで。
(それも心電図の波形モニターだけで、両手の指をかるく超える数)
・ストレッチャーに拘束された、もだえ動く怪しげなラテックスの包みが幾つか。
・ヒト型をした「たい焼き機」めいた、車輪つき運搬具のように思えるモノ。
・改造途中と見える女性のボディが中にうっすらと
・切断した美しい腕――あるいはボディ・ジュエリーを
・声帯オルガンのパーツと見える、目を閉じた美少年の生首がならぶ棚。
・床はパンチング・メタルとなっており、その下は絶えず消毒液が流れているらしい。
すべてがサージカル・ステンレスの輝きを放つ明るさと清潔さで広い空間一面に展開されており、人体を高機能、高精度で管理している雰囲気がヒシヒシと空気を充たしている。
『九尾』は、改めて自分の周囲を確認。
左右には、おなじようなシリンダーがふたつ。
いずれも空で、中身が搬送された跡だろうか、ジェリーの流れがキラキラと床を引きずられたように続いている。
跡を目線で
金髪と――銀髪。
まるでローションまみれのようにテカる全身を、死体のように長々とのばす姿。
その2体に、黒髪の女が取りすがり、先ほどから何やら泣き叫んでいるのだ。
泣き咽ぶ女に見覚えがある。
金銀から「
ふいに、その黒髪の女が振りむき、目覚めた『九尾』に気づくといっそう声を張り上げ、彼を非難がましく指さすや、
「あぁッ!アイツよ!あの悪魔が――わたしの可愛い
白衣の一団が割れ、数名が『九尾』のところにやって来るや、ゴム手で彼の拘束を解くと、身体に挿入していた装具などを手荒に抜きはずす。
身体を
「ちきしょォォォッォッッ!
すぐ横で
記憶にあった、取り澄ましたような気品は、もはやみじんもない。
眼を三角に血走らせ、乱れた黒髪を口のはしに噛み、指をカギ状にして。
周りの制止がなければ、
黒髪の罵声をよそに、白衣のスタッフは黙々とうごいた。
首輪付きの赤いボンデージ・ハーネスとウェスト・ニッパー。手枷・足枷。それにピンヒールだけの姿となった『九尾』の身体を突きとばすような手つきで、彼の身体にまとわりついたゲルを荒々しく拭き清める。
「うぷっ!ちょっと!痛いです」
相変わらずの女声で『九尾』は抗議する。声帯の拘束も早く解いて普通の声に戻してもらわねば、と考えた。また、あの
「ホラじっとしてなさい!」
「これ以上手間かけさせないで!?」
身体を何本もの手とバスタオルで
二人は死んでいるのではなかった。
耳を澄ませてみれば、このような言葉の
『科学的に厳密に分析しようとすればするほど神は逃げてゆくこれは円周率の相互性に他ならない曲線を理解するのは微分であるがそれはあくまで微分でしかないつまり《モデルQ》は存在しない感覚こそ万能の尺度でありヒトはその感覚を上位に引き上げねばならない――※1』
『人間が機械を使用するかそれとも人間が機械を使用されるかは大きな問題ではない重要なのはどのように人間と機械のコミュニケーションが成立しどのように人間が機械の部品になるかと言う事である※2あなたは可能性や有用性について議論しているところがあなたは既に機械の中に存在しその部分を成しているあなたは機械に指を目を肛門をあるいは肝臓を差し出している――※3
『九尾』の身体を拭きつつ、バイタルのデータを取りながら周りの白衣たちが
「店主の判断は?このビェルシカ、どうするんですって?」
「なにも聞いてない。どうするんだか」
「イサドラさんにつづいて、彼女たちもか……疫病神だなコイツ」
「“
「“人形師”のほうがイイわよ。
「Negative。買い手が、すでについてる。しかも相当な競り合いで」
「うへぇ。ドコよそれ?」
「西のほうとも――奥ノ院とも」
「
「いずれにせよ、我々が関知するべきでない、はるか雲の上のハナシだ」
口々に飛び交う、決して自分に対して友好的ではない会話。
声の調子に、いちいち敵意とトゲを含んで。
――まただ……。
『九尾』は堂々めぐりの感覚に、胸をふさがれる。
今またメゾン・ドールのあやしげなICU(?)で、身体をいじられている。
果てのない、悪夢のような環状路線。
――「
「さ――どうするの?店長ンとこ連れてく?」
「しかたないよ。このエロ~いイヴニング・ドレスを着せてこいとサ」
「この
「オシリもすっかり開発されちゃってさ?イヤらしい“お道具”をズップリいれられて、アンアン言ってたもんネェ……」
白衣の人間からの、悪意を含んだことば責め。
『九尾』の頬が、カァッと熱くなり、粘着質に交わされる視線もふくめ、彼の心にグサグサと刺さる。
そのとき、この物騒な人型格納容器がならぶICUの頑丈そうな入り口を開け、入ってきた者がある。折りたたんだ大判のバスタオルと思われるものを腕にかけ、もう片方の手にはクリップ・ボード。
品の良い、整った顔立ち。
ひざ上のまでの、きわどいメイド・ドレス。
歩くたびにおまたの奥からチリチリと鈴が鳴って……。
『九尾』は目を疑う。そして何度もまばたき。
間違いない……。
全身の血が、ふたたび暖かく流れはじめる気配。
それと同時に、今まで自分の心がどれだけ冷え固まっていたか、この時にしてようやく思い知った感がある。
「――愛香!」
彼は、そう叫ぶや否や、白衣の者たちの制止をふり切り、囲みを飛び出した。
履かされたピンヒールがフラつくのも気にせず彼女のもとに駆け寄った時、愛香はフルチンで駆け寄る彼から顔を赤くしてそむけ、手にしたバスタオルをひろげ彼の前をかくす。だが『九尾』は、そんな彼女の仕草はもちろん、自分が全裸である事すら気付かない。
――愛香だ……間違いない、生きている愛香だ!
『彼女が生きている』という喜びと『自分は殺人を犯していない』という安堵。
どちらが大きいかを精査するのは、
おどろく彼女を無視し、もういちど目のまえの存在が“実物”であるのを確認すると『九尾』は涙目で、あたりをはばからず、彼女を強く抱きしめる……。
※1:珍歩意地郎
※2:ジル・ドゥルーズ『器官無き身体』より
※3:ドゥルーズ+ガタリ『アンチ・オイディプス』より
(ネタをあかせば「ゲシュタルト・スーツ」の理由付けです)
なんか哲学パートに戻ると読者諸氏の反応がニブりますねぇ……。
さ、次からまたエチーな回ですよっ!