※この作品はR-18です。

玲瓏の翼【18禁版】   作:珍歩意地郎_四五四五

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060:師弟融和のこと、ならびに雲海降下決断のこと【BL風味版】

 

 

 

 高価な敷物(しきもの)が延べられたメゾン・ドールのサロン……。

 磨かれたような大理石(なめいし)が続く店内の来客用廊下……。

 

 そんな場所とは違い、錬成校の荒れたアスファルトの道を歩くのは、ソールの曲がりづらい舞踏用の靴(トゥ・シューズ)には辛かった。

 重機が通ったワダチの痕や、ヒビ割れ、こぶし大の石くれ。

 時として舗装(ほそう)が剥落(はくらく)し、長い距離で下の砂利や土がむき出しになっている。

 爪先立ち(ポワント)を前提とする足先を緊縛した靴であるのはもちろんのこと、襲われ、強姦(おか)される恐怖ともあいまって、足がふるえる『九尾』は何度も転びそうになる。

 

 ふり向けばリムジンの車列は、はやくも暴徒化した候補生に取り囲まれてた。

 不意に轟くSMG(サブマシンガン)の連射音。

 イツホクの護衛たちが、よせばイイのに威嚇射撃をしたらしい。

 だが米フォート・ブラッグに所属する特殊部隊・第五グループの教官直々(じきじき)に戦闘訓練を受ける上級生の面々は、たちまち黒メガネの一団を殴りたおし、銃を奪って制圧――そんな光景が、乱闘のすきまにチラッと見えて。

 

 神経接着され、ボディ・スーツで固められたパットが暴れる胸を、片腕でつぶすように揺(ゆ)れを抑(おさ)えつつ、『九尾』はコソコソと校舎の影をまわる。

 

 と――ギクリ、彼は身体を固めた。

 

 ゆくてのまがり角。

 骸骨(ガイコツ)のような影が、有名な絵画めく構図で冬の日差しに奥から伸びて……。

 輪回しの少女的な位置にいる『九尾』のこめかみから、ひとすじの汗。

 

 だが、ほかに道はない。

 覚悟を決め、おそるおそる先に進めば――何のことはない、常緑樹の木立が、そのように見えただけなのであった。

 

 ウォォ、とでも言うような雄叫(おたけ)びと暴力的な足音をたて、一群の足音が近づく。空間物理の**は死ね!だの、航界心理のクソ**はアカだ!などという、講師の名前をあげつらう者も。

 

 そのとき、はじめて分かった。

 年末考査も近いこの時期。

 

 ――みんな、この出来事に乗じてひと暴れして、ストレス発散したいだけなのネ……なんてコトかしら。

 

 いい迷惑だわ!?と思いつつサッと腰を屈め、プリプリした尻を植栽(しょくさい)に隠した。

 とたん、すぐそばを颶風(ぐふう)のように一団が走り過ぎてゆく。

 

「いたか!」

「Negative(ダメだ)!」

「遠くには行っていまい!――探せ!」

 

 時代劇の追っ手めいたことを口々に交わし、集合・離散してゆく候補生たち。

 思ったとおり、どこかノリノリな勢いで。

 

 ――捕まったら……ドウなっちゃうのかしら……。

 

 レイプ、という考えがチラリと頭に。

 

 服を破かれ、

 素肌(すはだ)を顕(あら)わにされ、

 地面に押したおされて

 脚をムリヤリ拡げられて……。

 

「いやッ!お願い!許して!――いいや妊娠だけはしてもらう――そんな……」

 

 らめぇぇぇ、などと物陰にかくれての独り芝居。

 人造乳房(オッパイ)が主張する胸をモンで。

 ジュルリと涎をたらす自分に、ふと気づく。

 

 ――ナニ考えてるのよ!ア(・)タ(・)シ(・)ったら、もう!

 

 茂みを出ようとした、その時だった。

 

 ――いけない!

 

 前方の彼方から、瞬発力のあるイヤなゾンビよろしく、一集団が校舎から爆発的にあふれ、行く手をふさいだ。

 

「いたぞぉ!」

 

 ワッ、と一群が色めき立つ。

 たちまち血走った目をした十数人の候補生たちに取り囲まれる。

 情報を聞きつけ、その数が数十人、さらに増え、囲みの輪が小さくなって……。

 

――あぁ……とうとう犯されてしまうのね。でも……見ず知らずのHENTAIに、手込めにされるくらいなら、いっそ修錬校(がっこう)のみんなにィィィィ!

 

 『九尾』を囲んだ少年らは殺気だち、血走った視線を交わしていた。

 よく聞けば、一団の中で交わされるヒソヒソ声。

 

(お前が最初にヤレよ)

(イヤだよ、恥ずかしい!おまえ、シロ)

(フざけんな!なんでボクが!!そもそも……)

 

やがて一人が意を決したか、あの!と『九尾』に詰め寄り、

 

「サインください!」

 

 ズルッ、とズッこけた『九尾』。

 そのひょうしに香しい薫りをただよわせる胸もとがチラッと見えて。

 とたん、青春の重苦しい情念をかかえて色めき立つ候補生たち。

 

「あぁッ!ズルいぞ!ボクが先だ!」

「ハァ?『九尾』“ち(・)ゃ(・)ん(・)”見つけたのオレだし!」

「まて!せっかくのお客サマに失礼だ!」

「キレイごと言ってんじゃねェェェー!」

 

 たちまち殺伐(さつばつ)としかかる一団。

 その数はだんだんと増えてゆく。

 このままでは、本当にヒン剥かれて、陵辱されそうな雰囲気。

 一人の候補生の手が、はち切れそうなブラウスにの胸にかかった。

 すぐさまその候補生は、周りから袋叩きに。

 

 と、遠くで爆音。

 

 たちまち排気音ダダ洩れなエキゾースト・ノイズが近づくと、エナメル塗装の黒いサイドカーが車体ごと瑞雲生徒の囲みを断ち割った。

 

「待て待て待てェ!――総員!そのままァ!」

 

 とたんに紛糾(ふんきゅう)する“群集化”した候補生たち。

 

「龍ッつぁん!邪魔(ジャマ)スンナ!」

「うるさいよ!いいかげんマフラーなおしてよ!」

「どけ!――目障りだ!」

 

 なかば圧倒されつつも、

 

「全員!聞け!この場はオレに仕切らせてくれ」

 

 龍ノ口の一喝。

 しかし半ばタガのはずれた生徒たちは、

 

「いまさら出てきて独り占め!?」

「ザけんな!あんたもう“瑞雲(ウチ)のチューター”じゃないだろ!」

(――殺すぞ!)

 

 これが“元・チューター”のカンに触ったらしい。

 

「ハ!?じゃ手前(てめ)ェ等(ら)は、もう“瑞雲(ずいうん)の生徒”じゃなくなるワケだな!?こんなアホ騒ぎおこしやがって!クっっソボケどもが!!尻バットどころか重営倉行きだぞ、たわけが!いったいコレを!どう落とし前つける気だ!」

 

 怒髪天をつくいきおいで、居並ぶ少年たちを睨みつけながら怒鳴る。

 

 

「……」

 

 あれだけ浮き足立ち、騒いでいた少年たちが、一気に勢いをそがれ、シュンとなる。

 

「始末書だけじゃ済まんぞ、阿呆(あほ)ども!瑞雲存亡(そんぼう)クラスの醜聞(しゅうぶん)じゃねぇか!馬鹿面ならべやがって、妄想もいい加減にしろ!」

 

 沈黙。

 ややあって、でもサ!と一団の中からオズオズと不満げな声があがり、

 

「ボクたち、なんだかこの人の踊(おど)り観ているうち、何かこう、自分を抑えきれないくらいヘンな衝動が……言葉は下品だけど、欲求(ムラムラ)してきて……」

 

 そうだそうだ、と百姓一揆の農民のように各自がヒョコヒョコうなずく。

 コイツみてくれよ、と生徒の一人が隣のヒョロがり眼鏡の首根っこを捕(つら)まえ、

 

「この二次元オンリーなコイツが、率先して飛び出したんだぜ?なんかヘンだって!おかしいッて!」

 

 ザワザワザワ――ザワザワザワ。

 再び不穏な雰囲気。

 

「いいか?野郎ども――」

 

 龍ノ口は、良くカミソリのあたったアゴをなでながら、

 

「コイツは『九尾』なんかじゃない!『成美』と言ってオレの行きつけな『メゾン・ドール』の踊り子サンだ!男がこんなに可愛くなるか!――この、フ(・)シ(・)穴(・)どもが!」

「ハァ!?龍ッつぁん“メゾン”なんか行く金ぇ、あるのかよゥ」

 

 そのとき、一団の中から反抗的な口ぶりで声があがった。

 龍ノ口は、突っかかってきた小太りの候補生をニラみ据え、

 

「あッッッたりめェだろうが!『エルジェーベトの間』だって使うぞ」

 

 すると、おそらくザハーロフの南組(ミディ)とみえるその1年生は、

 

「ウソ言ってらぁ!あんな高価(たか)いトコ。オレはパパと一緒に入ったことがあるぞ!じゃぁ『エルジェーベトの間』に架かっている大判の絵を言ってみろよ!?」

 

 鼻息荒く、この少年は龍ノ口に向かって挑みかかるように。

 しかし慌てずサワがず、この元チューターは、

 

「……あぁ、あのドラクロワの画のコトか?「サルダナパール王の最後」だ!身のホドぉわきまやがれ!包(・)茎(・)チ(・)○(・)ポ(・)が!!」

 

 ズバリ言い当てられ、この1年坊は鼻白んで沈黙する。

 これが、一団に龍ノ口の説明を保証したらしい。

 

「なんだ……『九尾』じゃないのか」

「サングラスかけてるから、分からンかった」

「俺は最初からワかってたぞ!男がこんなに可愛くなるか!」

 

 龍ノ口は腰に手をあてサイドカーの上に立ち、周りを睥睨(へいげい)しながら、

 

「どうする!もうすぐ他の連中も来る。収拾(しゅうしゅう)、つかなくなるぞ!?今ココでおとなしく去ったものには――後日オレが手配し、改めてサインを送り届けるコトとする!生徒番号、名前、所属を書いた紙を、オレのポストに入れてくれ」

 

 えぇっ!と一団から、どよめき。

 

「それホント?――ほんとにサインくれるんだよね!?」

「ウソなんかだったらイヤだよ!?」

 

 ヒナ鳥が親鳥にエサをもらおうと競って囀(さえず)るような、必死めく少年たちの叫び。

 それどころか!と、龍ノ口は愛車(サイドカー)の上で胸をそらし、

 

「サインに加え、口紅(ルージュ)を使った生(ナマ)キスマークを色紙に加えることを『成美』嬢に提案してやる!」

「!!!」

 

 童(・)貞(・)少(・)年(・)たちがクラクラするほどの、強烈な提案。

 彼等は、この刺激性の誘惑に圧倒され、目眩(めまい)いを起こしたように沈黙する……。

 

「どうだろう?『成美』ク(・)ン(・)」

「……よろしいですわ?龍ノ口さ(・)ま(・)」

 

 わぁッ!と一群から叫び声。

 「龍ッつぁん、バンザイ!」の声も。

 

 そのとき、彼方から警笛をならし、銃声と共に近づくピックアップがある。

 荷台には腕組みをして仁王立ちになる騎兵帽の男が荷台に揺られて。

 エースマンだ!と一団から戦(おのの)きの声。

 

「さぁ、散れ散れ小僧ども。尻(ケツ)バットがとんでくるぞ!」

 

「――わすれんなよ!?龍ッつあん!」

「――タノんだぜ!?」

「――ポストまだ残ってるんだよね!?」

 

 そんなことを言いながら生徒たちは八方、口々に駆け足で散ってゆく。

 彼方では、いまだに『九尾』を見つけられない生徒の群れに阻まれ、エースマンの車が立ち往生して。

 

「きゅ――『成美』、乗れ!」

「分かりましたわ、サー。きゃッ!」

 

 サイドカーの舟に『九尾』が乗るのと同時に、龍ノ口は自分が着ていた革ジャケットを彼に放るや、大きなモーションでキック・スターターを蹴りこんだ。

 

 轟然(ごうぜん)と甦るフラットツイン・エンジン。

 

 エースマンの車から逃れるように、黒いサイドカーは放たれた矢のように走り出す。

 『九尾』は舟側の座席でふしぎな安堵感に胸をひたされていた。

 まるで落ち着くべきところに、ようやく自分が落ち着いたような。

 なんだろう、と自分の胸の内を精査しようとするが、龍ノ口の荒い運転がそれをゆるさない。

 

 やがて二人を乗せたBMWは校舎のエリアを走り抜け、防爆用の土手を回り、そして離床エリアへと、矢のように走ってゆく。

 

 彼らの目の前に、スキッドマークが錯綜(さくそう)する滑走路が再び広がった。

 

「――なぁ!?」

 

 磨(みが)かれたような冬の陽光の中。

 龍ノ口が、身を切るような風圧を受けながらも、気持ちよさそうに叫ぶ。

 

「いっそこのまま――ふたりでどっか行ッちまおうか!?」

「――いいかもしれませんわねェ!?それも」

 

 『九尾』は寒さに弱くなった体を丸め、こちらも負けじと叫び返した。

 高めな女の声にされているので騒音に負けず、龍ノ口よりもよく通る。

 

「安アパートでも、借りるかァ!」

「わたしたちの……“秘密基地”ですわね!」

「どっか、給料安いが保証人のいらない仕事でも見つけて!」

「イイですわ!わたしも内職して――お手伝いします!」

 

 それは、美しい幻想だった。

 

 肉体労働で疲れ果てかえってきた自分のチューターを、夕餉のしたくをしている自分が蓋をコトつかせる鍋の様子を気にしつつ、エプロンを解きながら「お帰りなさい……」とむかえる。

 いそいそと晩酌に加えて酒肴(さかな)の仕度(したく)。

 “主人”役が風呂から上がってきた頃には、心づくしが凡(すべ)て調っているという段取り……。

 

 もちろん二人とも、そんなことが叶うはずが無いのは分かっていた。

 “大人の手”の入らない、親密な、アジール的な空間。

 実現するべくもない、ささやかな安全地帯。

 夢のまた夢な、ものがたり。

 

 そんな甘っちょろい幻想を浮かべた自分たちを嗤いとばそうと、ふたりの哄笑(たかわらい)が、排気音を圧する勢いで響いた。

 エンジンも彼等の躁病気味な上機嫌にシンクロするかのごとく、絶好調で咆(ほ)える。

 舟の前には風よけがあるが、ジャケットを『九尾』にゆずりセーター姿な龍ノ口の前には何もない。それでも彼は滑走路へ向け、なにかを吹ッ切るような勢いで、アクセルをひねり続けた。

 

「どうだァ!『成美』ィ!あいつァ、なんか言ってたかァ!?」

「アイツってェ!?」

「……『九尾』っていう――オレの一番弟子さ!」

 

 後半はテレたのか、すこし聞き取りづらくなって。

 

「とくに。なにも言ってませんでしたわ!」

「本人サ……納得してるのかなぁ!」

 

 正面から顔をそらし、龍ノ口は舟の方をチラ見する。

 

「それが……イロイロ問題があって!」

「問題!問題だってェ?……問題って、ナンだ!」

「婚約させられたりとかぁ!赤ちゃん、産まされることになったり――キャッ!気を付けて!!」

 

 スリップしたサイドカーの速度が落ちた。

 やがて彼らは、滑走路わきにあるコンクリート製の掩体壕にドロロロ……と滑り込むと、BMWのスイッチを切る。

 

 ――静寂……耳鳴り。

 

 はるか上空を、回転翼の編隊がノンビリとよぎってゆく。

 その背後。蒼空に浮かぶ月が、こちらを意味ありげに見おろして。

 逆光気味な日差しを浴び、目を細めつつ龍ノ口は、

 

「赤ん坊が――ナンだって?」

「それが……」

 

 二人はサイドカーを降り、近くにあったベンチへ向かうと、ならんで座った。

 木材が陽光に温められ、イイ感じで彼等にぬくもりを伝える。

 そこで『九尾』は、『成美』としての今までの境遇(きょうぐう)を語って聞かせる。

 

 ビェルシカ。

 パピヨン。

 市場(スーク)の糶(せり)夜会。

 調教――洗脳。

 

 龍ノ口は合間~~に「くそッ!」とか「変態どもが!」などと憤(いきどお)ってたが、

 

「――で、きゅ……いやオマエは?どうしたいんだ?」

 

 一拍の沈黙。

 やがて寂しげな横顔をみせつつ、

 

「瑞雲のコネ使って、身体に仕込まれた“お道具”を除いてもらい、メス奴隷としての洗脳進行を止めていただければと思います。これ以上イヤらしい女に、されたくは……ありませんもの」

 

 龍ノ口は暫時(しばらく)、考えていたが、それなら航界機がいいかもしれないと呟く。

 

「リダクション2に移行したとき、自己を強く想うんだ。そして自我だけになったとき、自分についている余計な不純物と思われるものを、祓(はら)いおとすのさ。物理的な脳障害のオレに比べれば、カンタン」

「ホント!?――それ、ほんとにホント?」

 

 必死に乗りだし顔を近づけてきた『九尾』相手に、なぜか龍ノ口は顔を赤らめ、エサをねだって足もとに近づく雀たちのほうを見るそぶり。

 

 ジットリとした、微妙な時間。

 ややあって、ぶっきらぼうに、

 

「本当さ。ウソなんて――つくもんか!」

「……よかった。うれしい」

 

 思わず『成美』は龍ノ口に抱きついた。

 やや、しばらくして――。

 チューターは顔を真っ赤にして弟子をやんわり引き離すと、ソッポを向いたまま、

 

「……おれの遣(や)った移行文言(コード・パス)、まだ使ってるか」

「えぇ、もちろん」

「……そう、か」

「……そうですよ?」

「ならば……佳(よ)し」

 

 静寂。

 とおくで、なにやらせわしない校内放送の声。

 落ち葉の鳴る音。

 

 彼らは、静かな満足感に包まれた。

 見つめ合ったまま、やや久しく沈黙。

 まるで不思議なエアポケットに、二人して落ちてしまったかのよう。

 

「サングラス、とれよ」

「嫌(ヤ)よ……恥ずかしい」

 

 だが、そうは言いつつも『九尾』は、ゆっくりと大ぶりのサングラスをとった。

 龍ノ口の顔が、よく見えるようになる――と、“『成美』”の胸は、急にドキドキしはじめて、自分でも抑えられない。

 

「やっぱりダメ!――恥ずかしい……」

 

 そういうや“『成美』”は借りたジャケットに顔を半分隠し、気を落ち着けるため大きく深呼吸。

 すると、どうしたことだろうか。

 ジャケットにしみついた龍ノ口の男(・)の(・)匂(・)い(・)に体がフワフワと心もとなくなり、よけいドキドキ感が増してしまう。

 

 ――あぁ、もう!ア(・)タ(・)シ(・)のバカ!……なにやってんのよ!

 

 フルフルと首をふる『九尾』。

 大振りのイヤリングが「You、抱かれちゃいなヨ」とでも言うように頬(ほお)を突いて。

 

 それを見て龍ノ口が気づかったのか“『成美』”の横顔をのぞき込み、

 

「後悔は……しないか?」

「ちょっ!やだ、近いですわ!」

 

 照れを誤魔化(ごまか)すために、ワザと突っけんどんに。そして、

 

「……やってみなくちゃ、わかりません!」

「怖くは、ないか?」

「赤ちゃん産むよりカンタンです!――たぶん」

「……そうかなぁ」

「……そうですわ」

 

 メス化洗脳で強制認識される仮想子宮が、ジンジンと疼(うず)く印象。

 履かされている紫のショーツも、だいぶ濡れてしまった気配。

 身体に注入された特殊なホルモン剤のせいか、自分でも雌(メス)の体香が発散されているのが分かった。

 

 ――ヤだ……発情の匂い、出ちゃってる。アタシ……。

 

 “『成美』”は唇を噛むが、自身ではどうにもできない。

 ふと、目の前に顔を寄せる元チューターの赤ちゃんを産む幻想すら。

 不思議と嫌悪感はなく、それどころかある種の切なさが胸をひたして。

 刷りこまれたメスの本能が、目の前の男の“お情け”を欲しがって躰に火を。

 

 瞳を見つめあうふたり。

 まるでその奥底にあるものを確かめようとするかのように絡みつかせる。

 

 ふいに、龍ノ口が激しく動き“『成美』”を抱き寄せた。

 そのまま、無言のうちに彼女を強く抱きしめる。

 驚く間もなく“『成美』”もきわめて自然に、龍ノ口の首もとに頭(こうべ)を寄せていた。

 互(かたみ)みの心音を確かめ、実(・)存(・)を確認しあうように黙(もだ)し、刻(とき)を凝固させるふたり。

 

 そこれは――清らかな光景だった。

 

 巷(ちまた)に満ち溢(あふ)れるたぐいの背徳的な欲望や、邪恋。あるいは破廉恥な要求、“薄い本”の願望や、妄想めいた愚劣さなどは微塵もなく、ただ虐(しいた)げられた者、運命に弄(もてあそ)ばれた者どうしが覚える、性別を超えた信頼と愛惜(あいせき)――それに遥(はる)か高みにまで純化された友情が、あるばかりだった。

 

 “『成美』”の耳もとで龍ノ口が囁(ささやく)く。

 

「オマエには、済まないと思っている。あるいは巻き込むべきでは――なかったのかもしれん」

 

 それを聴いた“『成美』”は、龍ノ口の胸のなかでワガママな彼女が彼氏に向かってするように、焦れたような仕草で女体化された身をゆすると、フェロモンの香気をさらに出しながら半ば怒ったような口ぶりをもって、

 

「いまさらなんです!そんなこと仰って……非道(ヒド)い方」

 

 そうは言ってみせたものの、『でもイイですわ』とすぐに態度を軟化させ、従順に――今は信じきった女の声音(こえ)で、秘めやかに寄り添(そ)うような口ぶりをもってポツリと。

 

「貴方(アナタ)の地獄に――お付き合い致します……」

 

 その答(いら)えは、ふたりの絆を、さらに強くしたようだった。

 お互いに顔を寄せ、匂いを感じ、相手の温かみを確かめ合う。

 

 冬の陽だまりの中、“ひとときの永遠”を共有するふたり。

 

 どれくらいそのままでいただろうか……。

 

 ややあって龍ノ口は“弟子”を抱(いだ)く腕を、名残惜(なごりお)しげに漸(ようや)くゆるめた。

 片足を庇(かば)いつつ、おもむろに彼はベンチを立つと、彼方に目をほそめ、

 

「それでは、いこうか?」

「……ええ」

 

 何気なく交わされた一連の会話。

 

 これが、懸案だった事案(雲海降下探査)に対する二人の共同意思であり、諦観(あきらめ)であり、最終決断だった。

 

 だが――しかし。

 

 彼等は、識(し)るべくもなかったのである。

 これがふたりを永らく呪縛する事となる、その畏(おそ)ろしき運命の端緒(はじまり)であることを。

 

 

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