ブラン・ノワール組たちを喪った、運命の雲海戦。
もうあれから気の遠くなるような
――現実は……まだ半年と過ぎていないのに。
跨乗コクピットからの刺激が悩ましい。
アヌスが太めな排泄処理器具を、ズップリと
あるはずのない
片手を操縦桿からはなして、薄くなってしまった胸をまさぐる。乳首ピアス
天蓋付きのベッド。ピンクなサテンが艶やかに光沢を走らせるなか、
全身を拘束され、洗脳され、“
結婚、そして妊娠――出産。
自分の匂いのする、小さな生き物。
やわらかく、暖かく。なにより
小さな爪の生えそろった手が、自分の小指を握りしめる。
ふと、世界にデビューしたての幼子は、生意気にも
――赤ちゃんにオッパイ、あげたかったな……。
心のどこかで、そんな『
《奉天――奉天!?離陸準備よろし?》
「ウ、Oui, mon capitaine!!」
《……》
不意をつかれ、思わず大声になる。
妄想から『九尾』はいきなり現実に引き戻された。
おまけにどうしたはずみか、メス奴隷の服従文句が出る始末。
しかし“航界士・候補生”にもどった彼は、キリッ、と意識を改める。
――そう、前回はここで推力全開だった
彼は前傾姿勢にグッと力を込める。
豊満な下半身が、肉感的にシートをほおばって。
G・スーツが、そんな彼の半ば女体化した身体に
シートに備わる拘束具も緩やかにバイブしながらゲル状のアブソーバーを最大拡張。
くびれ気味のウエストとムッチリ張り出したヒップをガッチリ抑え、ピッチリとホールドする。
《――諒解。滑走・開始》
だが、彼の警戒をよそにVTOL機は事務的にスタートを告げるや、徐々に――徐々に――きわめてゆっくりと、模範的な滑走をはじめた。
モーターのような
ほどなくフワリと二機は大地をはなれ、上昇を開始する。
ゆるやかに高度をとったあとは、軽くバンクして世界を傾かせる。
陽光の鋭角な影が、ジリジリとコクピット内を移動して、なじみの気配を加速する。
しばらくぶりの飛行だった。
地面から機体が離れてゆく時の、気持ちよさ。
まるで
午後の太陽が、そんな牽引索で繋がれたニ機を祝福するように輝かせている。
――
『九尾』は実感する。
“
地平の彼方に浮かぶ首都圏のメガ高層タワー群。
少し離れたところに、
べつの位置に、
ちょうど
――思い出しちゃう……。
路地裏の下水臭さ。
キラめくネオンと扇情的なコピー。
街頭スピーカーからむなしく響く風俗店の宣伝。
艶かしいピンクの照明にうかぶ、性的な、破廉恥な衣装。
被虐の欲望に上気した肌がはこぶ、愛液と化粧。それに
思わせぶりな視線と
意識を現実にもどし、転じてコクピットの周囲をみれば、ここはそういったドロドロしたモノとは隔絶された世界だ。
悲しみも――
憎しみも――
そして望みすらもない。
生半可な人間の営みを拒絶する空間。
峻厳で、純粋で。そして永遠に
ボンヤリ呆けていると、曳航するVTOLから入電。
《こちら探査院・強攻探査師団所属SRV-Ⅳ『カロン』、只今より試験空域に移動する。機内レコードをチェック。チャート
「こちら『ポンポコ』――了解ですわ」
何気にそう応えてから気づき、
――やだ!
しかし相手方からは何の反応もない。
とうやら勘案してくれたらしかった。
そういえば『九尾』なんてコールサインを使うのは初めてのことねと思う。『成美』と応えなかっただけでも良しとしましょう、と彼は自分をムリに慰めて。
沈黙のまま、曳航索でつながれた二機は、高度を
――――――――
「――聞いたか?『ポンポコ』だと。
「カワイイ声で。いつまでも初年時の気分が抜けないらしい」
「
機内には一瞬、同意するような沈黙。
やがて周りの意思を代表するように、
「
「案ずるな。“
「西の方との手打ち、機体の廃棄、流出情報の始末、一石三鳥ですな」
「我々に口出ししてきたネイガウス上級大佐への見せしめのもある。四鳥だ」
「否、あのクソ生意気な“百合”にも、ひと泡ふかせてやれるのだから、五鳥だて」
ここでふと、隙間が生まれ、おずおずとした声が、
「あのダイヤ……作戦終了後に回収して宜しいですね?ウチの
「映像の版権は、こっちのものだよ?“
静かなしゃがれ声が、これら打算ずくな会話を圧し、
「
それに対し、いかにも太鼓もちのような甲ン高い声が応えて
「いえいえ、パウヱル次官補どのには、とても。とても」
せまい機内に響く、密やかな笑い声……。
――――――――
『九尾』は目を凝らした。
レーダーを確認。彼方に細身の戦略爆撃機が単機。
どことなく不吉なものを漂わせ、等速で移動している。
曳航役のVTOL機に連絡。
「『九尾』より『カロン』――同高度で平航する
《こちら『カロン』。今回の監督機だ。これから君には、演技2種を行ってもらう。腕がサビついていないか
そんな!と九尾は、またも涙目。
今回は“飛ぶだけ”だと聞いていたのに。
また「大人のペテン」に引っかかった予感。
――コレがあるから、探査院なんてものを完全に信用できないのよ!
思わずVTOL機に文句のひとつでも言ってやろうと思ったが、辞めた。
前回は、この起動をミスって雲海に墜ちかかったのだ。
今日、奇しくも同じ演技であるこの機動をクリヤすれば、ポイントの切り替えを通過して、同じところの堂々巡りから離脱できる……ような。
――大丈夫。
あれがキッカケになればいい、と『九尾』は
上は蒼い空。
下は一面の白い海。
前方にVTOL機。
すこし離れた位置に、4発の二重反転ペラを回す細身の高速爆撃機。
そして――自分。
世界の
目の前に浮かぶ3D計器やHUD。そんなものすら不要に思えるほどの、簡潔な、そして純粋な世界。
全神経が己を“実存”させるための本能的な緊張。
アドレナリンを放出する音まで聞こえるようで、気持ちいい。
頭が――身体中が。
スキッ、と研ぎ澄まされる感覚。
上空をぐるりと見まわした時とき、月が、はるか高空に架かっているのを見る。
――あぁ……。
角を持つ、
見慣れぬ形をした
上空に浮かんでいた二つの衛星……。
ふと、曳航役VTOL機の所属を思い出した『九尾』は仕返しとばかり、
「候補生『ポ……『九尾』より『カロン』へ!質問があります!」
《……『カロン』より『九尾』――質問を、許可する》
「質問!『第47強行偵察師団』ってご存知ですか?」
沈黙があった。やがて、
《かつて存在した、特殊偵察航界グループの一派だ……いまは存在しない》
「部隊が発展・改変されたんですか?」
また、沈黙。
そしてイヤイヤながらといった風に、返答がやってきた。
《……部隊は“消滅”した。以上だ、『九尾』》
無味乾燥に無線が途切れる。
――ちぇ、なによ。
消滅した、って何のこと?と、彼は小首を
部隊は結局どうなったのか。ワケが分からない。
このぶんでは『ホスロー』上級大佐のことなど、知っていても答えてはくれないだろう。
ナニかあるわネ?とキナ臭い気配を感じつつ、キッ、とツポレフの方を見やる。
VTOL機と、そのツポレフの交信が激しくなった気配。
おそらく違法なものだろう。“奉天”に備え付けられた後付けチックな、古風ともいえる指針付きアナライザーが反応する。
スケルチと操作ダイヤルを組み合わせれば盗聴できるのだろうが、雲海戦の前夜、あの一夜漬けで“奉天”のマニュアルを覚えた時、この機能は使わないだろうと判断して暗記をトバしたのだ――残念。
沈黙のうちに、小一時間がすぎた。
チャートでは、最大防衛識別ラインのはるか彼方まで来ている。
この先は、いくら飛行しても何もない。
白と青の、永遠の広がりがあるばかり。
ややあって『カロン』から入電。
《『カロン』より『九尾』――演習空域到達。これより曳航索を解除する》
『九尾』が
ブースターに点火してあっという間に加速・上昇し、何かに警戒するように高度と距離をとる。
《よし、『九尾』。基礎演技2種――
指令を聞き、彼は大きく一つ、深呼吸すると
とたん、おぼえのある感覚。
身体に浸み入るガラスの破片。
キシキシ・ズキズキと体内神経を
しかし――どうしたことか。
『ゾーロタ』と『シリブロ』のムチをおもえば、今回はそれもずいぶんとマイルドに思える。
「マゾヒスティックなメス」という人造の状態に変容した今、痛みは快楽に
――いいわ……イケる!
さらに
とたんに消える、ガラスのイガイガ感。
粉砕され、皮膚を内側から突き破らんばかりだった破片は、スッ、と液状化し、身体は機体と同一になった。
肉体の感覚が希薄化し、自身が浄化され――そして離脱する。
視点が幽体離脱をするように、ゆっくりと移動。
やがてガックリとうなだれ、G・スーツと自在アームでホールドされた自分の肉体を見下ろす位置に。
あんな
解脱状態で自己(エゴ)をみれば……。
――なによ!……コレ!
まるで小腸のデキ損ないを想わせる、腔腸動物めく生物。
身体一面に取り憑いて、ウネウネと蠢き、すきあらば彼の自我に食い入り、侵食しようとする。
おぞけをふるった『九尾』は、あわててパタパタと
すると――どういう具合だろうか。
小腸を思わせるその存在は、
キラキラと、
陽光の助けもあるのか、ひび割れ、剥落し、粉砕される“寄生存在”たち。
叩けば叩くほど、細かい硝子(ガラス)のホコリのように、
――いやぁっ!気持ち悪ィ!ナンなのよコレ……。
必死に自身を叩くうち、粉々となった
――畜生……こんなのがまとわりついてたのか、クソったれめ!
《『九尾』なにをしている。界面翼を展開――硬翼収納せよ》
言われて我に返った彼は、ようやくあらかた寄生小腸をはたきおとして一息ついてから、ウン、と自己をもう一段希薄化する。
周囲に認識を展開。
事象
ここら辺は事象面がおそろしいほどフラットで、なかなか
――あった!でも……モロいなこれ。
九尾は事象面のヒビにそって、自分の意識をのばす。
いってみれば、それは岩登りをするときに適当な割れ目をみつけ、そこで自分の体をホールドして浮かせようとするようなものだ。
違うのは、身体を浮かせるものが腕力や脚力ではなく、意思と認識力であるかの差に他ならない。
ヨイせ!と、もうヒトガンバり。
力みすぎて視界が赤く、頭がズキズキと痛んだ。
感覚で、界面翼が3枚しか出せていないのが――何となく分かる。
これでは巨大な“奉天”の機体を支えるにあたって、とても足りない。
――くそっ!せめて、あと一枚……。
《『カロン』より『九尾』。
――うそぉぉぉ!3枚出てると思ったのに!
いっぱいいっぱいになりながら、彼は認識力を広げようとする。
どうにか形だけでも4枚だせたところで、すでに脳疲労がMAX。
ヘロヘロな意識操作で“奉天”の硬翼を後退させ、可変翼めく動きでウィング・ベイに収納。
界面翼だけとなった機体の動きが、さらにフラフラと心もとなくなって。
――――――――
「大丈夫なのかな、コイツは……“1級”ってホントか?」
機内から、低く失笑する気配。
「なんだ?なにか――わたしは可笑しいコト言ったかね?」
「……そうか、君は“あの映像”を観ていないのだったナ」
「と、おっしゃいますと?七つのヴェールの舞いなら……」
「ちがぁう。9.10雲海戦の映像だよ」
「まぁご覧アレ、だ。面白いコトになるから」
「しかし、キミ。それでは当初の目的が……」
「大丈夫。界面翼システムには手をいれてある。
「万一にそなえ、先導機にも武装をさせておるぢゃないか」
まぁ見ていたまえ、と座を取り仕切るきわめて高齢の事務次官補は、ふたたび機外の外へまぶしそうに
――――――――
「こちら『九尾』。ただいまより規定機動を開始する」
《『カロン』諒解。機内時間1505、レコード開始……》
ふぅ、と彼は機体の外で意識体のまま、息をつく。
――よぅし……やるか!