めずらしく晴れた冬の街は、買い物客の雑踏であふれていた。
高級百貨店や、高層ホテルが立ち並ぶ繁華街。
午後の陽光が、幸せそうな人々を特別に照らし、浮かび上がらせるように。
そんな中、『九尾』は道ゆく人々の注目を、自分が少なからず集めていることに自意識過剰のレベルではなく気付いている。
カップル――カップル――家族連れ――またカップル。
様々な人々が自分を見て、いわくありげに、また思わせぶりに、
目くばせ。
ヒソヒソと笑顔で耳打ち。
微笑――あるいはニラみつけるような敵意。
道をゆきながら、ショー・ウィンドーを歩みを止めずに、ナルっていると思われないよう横目を使い、注意深く『九尾』は
一級航界士候補生の重苦しい一装制服。
おまけに腰には、意味不明な装飾した短剣。
さらに黄色に黒字な《公用》の腕章がダメ押し。
これが、雲海降下調査を数日中に控えた候補生の、特別に外出を許可された格好だった。もし、この姿でヘタに映画館やコンビニでも入ろうものなら、ヒマをもてあました年金生活者が加入し、生きがいとしている『税金の無駄
また――手をつないだ同年代ぐらいのカップルとすれ違う。
黒ずくめな自分とは、あらゆる意味で対照的に……。
ひととき、彼らの注目とヒソヒソ声を浴びて。
なにか自分の居場所を間違えているような――そんな気配。
いつかの色街を思いだすが、きょうの方が闇のヴェールが無いぶん、いたたまれない。
ハァっ、とため息。しかし、胸の重さは少しも減らなかった。
――早いとこ用を済ますか……。
彼は足どりを急がせた。
もし――雲海探査から無事帰投することができたら、次の日がクリスマス・イヴになる計算だ。ゲンをかついで、自分も誰かに贈り物の準備をしようと考えた『九尾』だった。
つまり――是が非でも、帰って来たくなる理由。
俗世間と自分とをつなぎとめる、強固なアンカーが欲しかった。
もしかしたら、それが
そんな想いで『九尾』は雑踏に流されながら、「今日」と言う自分にとってはもしかして残り少ないかもしれない貴重な日の午後を歩いている。
規模の大きなリニア・トラム用ロータリーの隅に、見たことがある古ぼけた軽ワゴンが駐まっていた。屋根につけたスピーカーを使い、車の
「見よ――ついにそのときは来た!
深き
その時になり慌てふためかぬよう、悔い改めなさい。行いを改めなさい。
神は
男の連呼するキーワード。
軽ワゴンに貼られた『神は見ている』というスローガンに、彼は先日のある光景を思い出し、胃に冷ややかな痛みを覚える。
-・-・-・-・-・-・
“技能審査”から護衛機に囲まれ、ヘロヘロの態で帰投したあの日。
滑走路の灯りが、まるで温かいものに包まれたときのように、全身をつつむが(イヤイヤ最後が肝心)と気を引きしめ、ズシン、と接地してホッと一息。
タイヤの滑走音が、崩れ落ちるほどに有難かった。
――かえってきた……。
機体を停止させたあと、しばらく身体はスイッチひとつ、動かせなかったのを覚えている。
しかし、いつまでも滑走路を塞いでいても仕方ないので残存電力を使いモーターを駆動し、駐機スペースまで
コクピットを外から開けられ、乱暴に機外へと引きずり出されるや、ただちに手錠をはめられた『九尾』は身柄を拘束され、
何かで
あるいは自分の血で書いたようなスローガン。
そんなものが、独房のあちこちに。
・万事象の
・聖戦を戦い抜き!
・打倒!物質主義!拝金主義!
・
ウワサに聞く拷問のことを想い、消されない白々とした照明のなか、とうてい納得できないまま一晩中を
そこで二泊三日というあいだ、数えきれないほどの検査、あるいは埋設されたバイオ・プラント除去などの手術。三日目の夕方にようやく釈放されると、両側を護衛で挟まれ、タクシーで懐かしのマンション寮に軟禁されたのだ。
連行される最中、あるいは移送中の車内で『九尾』は、自分がこのような扱いを受ける理由をさんざん尋ねたのだが、いずれも黒メガネの頑強な沈黙に突き当たるばかりで、その理不尽さに彼は憤慨したものだったが。
見覚えのあるマンションがタクシーの窓から見えたとき、彼は長い旅からようやく戻ってきたような感慨を味わう。
裏口から滑り出て、月を見上げた
なにか大冒険がはじまる予感に、あの時は胸を躍らせたものだが、現実は予感をはるかに越えたものとなってしまった……。
『九尾』はタクシーのビニール・シートで太ももをコスり、心ならずも性的な
――こんな事になるって知ってたら……外出なんてしなかったろうな。
ながい髪を掻きあげようとして、もうそんなものは無いことに気づくと、初めてうすく苦笑を浮かべる。
両ひざを上品にそろえ、優雅に車から降りて空を見上げても、今日の
左右を相変わらず
古いカーペットの匂い。
まばらで貧相なシャンデリア。
大量生産的なデザインの長ソファー。
ひとめで模造とわかる背の高い観葉植物。
初めて見たときは、高級そうに感じたマンションのエントランス・フロアも、『Maison d'or』のビェルシカ勤務で目が
部屋に入れられ、外側から鍵をかけられて独りとなった彼は、ジェット・バスの準備をしたあと湯の溜まるあいだ、あの日のように全裸となり同じ鏡で確認する。
まだ――どことなしに残る子宮の
チ○ポがずいぶん小さくなり、体つきもいくぶん丸みを帯びて。
とくに尻からももの辺りにかけては、ムッチリ具合が色濃くのこる。
顔つきも、ルージュを刷いたらさぞかし映えるだろうと思われるほどに。
いま目の前の鏡に立っているのは、さまざまな思惑の波に
鏡の中、
甘いさざなみが、全身を
-・-・-・-・-・-・
演説をしていた男が小休止にはいり、汚い軽ワゴンの中で弁当を食べだしたのを機に、『九尾』はその場をはなれ、近くの高級百貨店に入った。
ムワッとした香水くさい暖房にむかえられ、一階の化粧品売り場を見渡しながら、吹き抜けのエスカレーターをのぼる。
階層を断ちわり、各階の断層が一望に開けた光景から目につくのは、やはりカップルや、よそ行きの恰好をした子供連れの家族。
総じて、しあわせそうな空間にあって、自分の
(あ、航界士の候補生だ)
(いやぁん、KAWAII!――超美形~)
(女の子?……男装してる?)
(どっちかな。公務中?だってサ。なにしてるンだろ)
エスカレーターですれ違う、女子大生ともみえる一団がヒソヒソとはしゃぎながら過ぎて行った。
複雑な気持ちで、彼は声が遠ざかるのを背中で
彼は婦人用の高級サロン・フロアで降りると、ふと
天井の電飾や様々な反射。
そぞろ歩きに行き交う客が
その奥には、女性用の華やかなイブニング・ドレスを背景にバッグ、小物、宝飾品が並べられて。
ディスプレイの壁には、着飾ったモデルがファッション・ショーでフラッシュを浴びつつ、キャット・ウォークを征く大判の写真が飾られている。
ガラスという存在を介し、それらと二重写しとなる、第一装制服すがたの
否応なく、彼の脳裏に“イツホクの店”で受けた“洗礼”がフラッシュバックする。
ビェルシカとしての
七つのヴェールの舞い。
客の財布を緩めるための
――あるいは。
緊縛された女体に受けた甘美な教え。
拘束衣装を纏わされ、注入された快楽洗脳。
――さらには。
華やかな大皿上に料理と共に盛り付けられ、ソース・サーバーにされた苦痛。
次々と
正直、まだいくらかの不安が残る。
中央医療センターのアクティブ脱洗脳プログラムによって、異性倒錯的な欲求――つまり結婚したい
淫らな衣装をまとい、衆目を浴びたい衝動。
女体化調教され、同性にレズの手ほどきをうけて蹂躙される妄想。
さらには、ガチムチの兄貴たちや美少年の群れから
突き出される幾本ものオチ○ポを、嬉々としてノドの奥まで呑みこむ情景。
あるいは包皮を除かれた
はては大型動物に“アツ――”される
――だけど……。
こうして高級百貨店にきて、ウィンドウ奥に飾られるモデルの等身大写真を見た時、ふと
注目を浴び、フラッシュを
あるいは、彼女が身にまといひけらかす高級品にたいしての
ともすれば、自分がいまだ
帰寮してシャワーを浴びた時の、驚くほど湯をはじいたキメの細かい肌。
その肌が、みるみるサクラ色に
「七つのヴェールの舞い」で浴びた注目と賞賛。
自分の身体に対する欲望と駆けひき。
――ウッカリすると……。
それは甘美な幻想をともない、彼の
まるで自分のうちにが「ギュスターヴ・モロー」の絵画に観られる、詩人たちの血を吸い、美しく咲きほこる画面中央の女性のように、あわれな男の犠牲で美貌をいや増す本物のクルチザン
だから、そんなおりに、
「閣下――なにかお探しですか?」
と話しかけられて、彼が文字通りピョン、と飛び上がったのは無理なからぬことだった。
胸を
「プレゼントで、お困りですか?」
彼は当初の目的を思いだす。
「実は――そうなんです」
とっさに『九尾』は
「時間がないので、こうしてコッソリ公務の合間に……ね?」
まぁ、と婦人店員は彼の
「お手伝いしますよ?オバさんに任せて!それでどんな品が――
言葉が、声も含めてふつうに
これで少女のままの声や、言葉使いであったとしたら、完全にボクっ
彼は婦人店員をコンシェルジュ扱いにして、ブランド物の宝飾エリアをめぐり、例のピンク・ダイヤなども見せびらかしつつ、さんざん比較検討したあげくに趣味の良い小品をひとつ選んだ。
その金額を払うことに同意した『九尾』に、婦人店員はもちろん、いつのまにか彼の風情に惹かれ、周りをとりかこんで品定めに同行、助言をしていた一般客のギャラリーたちも驚く。
――540ギニー。
タネを明かせば、なんと言うことはない。
あと数日で、金など要らなくなってしまうかもしれないのだ。
ここが最後の使い時、というところだった。
ほぼ全財産をはたき、店員たちの最敬礼に送られ、またギャラリーたちからメルアドの交換や、
一日の喧騒のなごりをのこす空気。
ヒトの生きる脈動と生気。
『九尾』は、複雑な航界士用の腕時計をチラ見する。
目的の場所に行くには――まだすこし早かった。