辺りは、きわめて薄い玉虫色の薄暮だった。
機体が回転しつつ、ゆるやかにどこかへと漂流している。
手術用リニア・ストレッチャーでフワフワ運ばれるような感じ。
――『九尾』……『九尾』。
呼ばれて彼は、水面にユルユルと浮かぶように思考をハッキリさせた。
視界は機体上面に浮かんでおり、すぐわきには先輩候補生の意識が。
ホッ、とため息をつき、力のこもらない視線でRSOを見る。
――
――すこし、フラフラします。
――よくやった……よくやった。
『九尾』は、フワッと抱かれる気配。
温かみと思いやりが、自分の意識をやさしく包む。
相手から放散されるその心象にクラクラきて『成美』の心的構造がよみがえり、いっそこのまま先輩の胸でずっと眠りたいとすら考えてしまう。
安アパートで送る、貧乏でも楽しい共同生活の幻想が、一瞬。
だが、『ドラクル』の妙に落ち着いた声が現実をよびさまし、
――起発が……零号がつくる崩壊誘因ベクトルが、安全域スレスレだった。けっこう危なかったぞ。
機体の後部を見てみたまえ、と注意を向けられた『九尾』は(ウッ……)とうめく。
彗星のうしろ半分――とくに尾部は、酷いことになっていた。
空力操舵用の尾翼は完全にもぎ取られ、メイン・フレームが露出している。
推力口は脱落し、緊急用・イオン翼展開部まで裂け目が
このぶんでは界面翼に関連するアクチュエーターもダメだろう。コクピットまわりも損傷がひどく、とくに操縦席側にあっては、防弾も兼ねている強化グラス・キャノピーが一部破損している。
生ぬるい感情が一気に吹き飛んだ。
リアルな状況がヒシヒシと自覚され、肩が冷えびえとする。
そこで彼は、ある事に気づいてゾッとした。
(じゃぁ……なぜ機体は浮いているんだ?)
思考の波動を読み取った先輩候補生が、うなずく気配。
――ここは通常事象面じゃない。“Null”だよ。
――ヌル……?
はじめて聞く単語。
まわりを改めて見まわすと、玉虫色の薄暮と見えたのは、空間が微妙に発光しているせいだった。まるでオーロラがゆらめくように、さまざまな淡い色合いが均一になる途中をおもわせる色彩変化で、きわめてゆるやかに流動している。
――事象面の狭間。箱のなかで風船をいくつも
――大丈夫なんですか……ココ?
――零号ABMの結界創出が複雑系な具合に作用したんだな。通常の物理法則も、ここでは多かれ少なかれ意味をうしなうから……コクピットの時計を見たまえ。
『九尾』は前席の自分の体に近づいた。
肉体は横向きにガックリと首をたれ生気がない。しかし見あげたことに、マニューバ・デバイスは握ったままだ。
――航界士『九尾』ハ 耀腕ノ攻撃ヲ受ケマシタガ 死ンデモ 操縦桿ヲ 離シマセンデシタ、か……。
そう思いつつ、ふとメーターパネルにある機内時計のデジタル表示を見たとき、エッと目をほそめる。セコンドの数字が秒の位で行ったり来たりを繰りかえして。どういうこと?
――この“ヌル”に時間の流れはない。だからキミが心臓を止めていても、心配はない。
言われてはじめて気づき、『九尾』は内股に冷や汗の感覚。
――どうするんです!……出られるんですか!?
――あわてなさんな。
まるで今の状況を楽しんでいるかのようにおちつき、澄ましかえって。
いや――待て、と『九尾』はハッと身構えた。
相手から感じる精神波動が、さっきまでとは全然ちがう……!
ギラギラした気配が消え、まったく別人のようだ。あたかも見知らぬ他人が、先輩候補生のフリをして自分と会話しているような感覚。だが、そこから受ける印象は、あくまで透明で――おだやかだった。まるで本当に死んでしまい“魂”が清められ、俗世の
霊廟の
あたりの色彩は次第に色を失ってゆき蒼から紫へ――そして紫から藍色へと。
やがてすっかり暗くなったと思うや、彼方から航空灯を点滅させ、なにかが近づいてくる。
――センパイ!航界機です!こちらに来ます!
――ん?あぁ……そうだな。
――救援だ!助かったァ……先輩!?
――うん……。
――信号弾ですよ!モー、はやく!牽引用ケーブル、まだ射出できますよね!?
所属不明機が、だんだんと接近してくる。
意外と大きい。そして異形とも思える
だが、それが近づくにつれ、『九尾』の希望はしぼんでいった。
見たこともないような
どう考えても
――外板が!どうしたんだろう……なんなのアレ?
――たぶん、XFAーDo・335だ。
先輩候補生の感情がこもらぬ声。
虚ろな視線の気配が、それに添えられながら、
――実機を見るのは、わたしも初めてだな。第一次・事象面紛争時の試製・戦闘爆撃機だ。界面翼発生ツイン・シンクロ・ジェネレータを載せた、初めての実証機だよ。
――大戦機?うわ、あぶない!衝突ベクトルにのってる。回避!
ぶつかる!と意識をすくめたとき、相手は
『九尾』は、茫然として、なにも考えられない。
わかったろう?とそれに対し“先輩候補生”の微笑する気配。
――アレは“ヌル”やそれに類する“超越存在域”で、ごくまれに見かけるモノらしい。存在軸が、すでに“ねじれの位置”になっているので相互に干渉はできないとされる……。
――なんなんです、アレ!
“先輩の意識をした何か”は短くため息をつき、
――公式な名はない。存在も認められていない。言ってみれば航界士の残留思念……かな?ハヤい話が亡霊さ。機体はおろか
重い沈黙。やがて『九尾』はおそるおそる、
――
――強制憑依とは、また別のものだ、と思う。わたしも良くは知らない。
とかく、雲海の中ってヤツは、なんでも起こりうるのさと相手は突き放したように。
言われて九尾は先ほどの耀腕戦で自分に話しかけてきた“存在”を思い出した。
(じゃ、あのミイラ。ひょっとして……やっぱり)
ホラ、と“先輩めいたもの”は別のほうを示す。
またなにか漂う物体。こんどはかなり小さい。
――なッ……パイロット?
ひと目でおそろしいほど旧式とわかる、西洋
急に周囲の空間は暗くなってゆき、雰囲気は淒涼としたものになる。
もし肉体と同調した状態だったら、鳥肌がたっていたろう。
鎧の各部から延びるホースやバックパックは千切れ、ひしゃげている。
ヘルメットも失われ、長い金髪をザワザワとなびかせて。
顔までは確認できないが、
(それに……毛が逆立つような、この気味悪い雰囲気は……なに?)
完全な静寂の闇をパイロットだけが滑ってゆき、やがて幽冥の奥へと消えてゆく。それにつれ、雪が溶けるように周囲の明るさがもどってきて、こんどはオパールめいた乳白色のまだらな蒼が、あたりをホッとするような気配でみたした。
――航界士
――航界士
――なんだ?まだ迷っているのかね……まぁ、それもいいか。
迷うことは~若さの特権だ~迷え迷え~♪と。
相手は肉体に戻ったのだろう。
そして、どれくらいがすぎただろうか。
電子的な警報音。
機内時間が動き始めた。
前席のバイタル・システムが復活。
『九尾』の“
相手のうす気味悪さもわすれ、彼は純粋に喜びをあらわにする。
――機内時間表示!時間が――動いています!
――認識力システムを起動させたから、そりゃ動くさネ。われわれが“認識”することで世界は動く。時間も、また然り。ここは“彗星Ⅱ”という名の極小事象面だ。初歩だぞ?そんなことも忘れたか。さ、体にもどりたまえ。
正体不明な相手から言われたことにまだ警戒感があるものの、『九尾』は、
あのとき、天空に意識を消失させた西ノ宮候補生が、そんなことを言っていなかったか。
音声カムが息を吹き返す。
「マニュアルは読んでるな?こいつはコクピット自体が、極小の航界機になっている。周囲の空間を見てみろ。私には分からないが――キミなら見えるはずだ。分かるか?事象面のひずみが」
『九尾』は、あらためて周囲の空間をみわたした。
「見えるもナニも、全周、劈開面だらけですよ。色が強烈に混ざりあって歪んでるでしょ?
「そうか……私には……薄みどり一色にしか、見えない」
後席から、ありありと
ややあって、気を取り直したように、
「キミが、ピンクのイソギンチャクめいた耀腕軍団に立ち向かったときはスゴかったな。『九尾無双』の状態だったよ。まるで――」
「あの……いそぎんちゃく、ってなんです?」
「うん?……もうそんな教育課程になっているのか。教育ソフトも変わったんだな。時代だなぁ……私も歳とるわけだ」
イソギンチャクというのはだな、と先輩候補生は説明するが、そもそも“海”という概念が、彼にはピンとこない。だいたい、あの耀腕の群れはピンク色ではなく、
「そのピンクの触手に、キミが身体を犯されて、乗っ取られそうになったとき、非常の場合はスイッチを入れろと、渡されたモノを思い出してね。リモコンなんだが……」
イヤな予感に『九尾』はおもわず叫んだ。
「それ押さないでよ?絶、対、押さないでよ!それ!」
ダレに渡されたんです!!?とダチョウ倶楽部のような半狂乱に。
コクピットにGスーツごと拘束されているので後ろを向けないのがもどかしい。
「秘書官だよ。宮廷
カッ、と『九尾』の血が激しくめぐる。
まるで凍っていた血液が、ふたたび動き出したように。
心拍が上がったとたん、頭がハンマーで殴られるようにズキズキとする。
彼は眉をしかめながら、それでも春の日差しにめぐりあった心象で、
「もしかして女性秘書官?階級は――宮廷中尉!」
「さぁて?ともかく若い
あの銃撃戦を生き延びてくれた?
やっぱり降下前にみた人影は、マボロシじゃなかった?
(……やっぱり!生きてくれた!)
「ともあれ、キミが触手に弄ばれるのは、見ていられなかったから」
一転、『九尾』の中を何かが駆け抜けた。
ついで、おそるおそる彼は、
「先輩――そのとき……意識あったんですか?」
しまった!という露骨な気配が、
納骨堂のような、沈黙。
ささくれたような気まずさが、ふたりのあいだを
疑心と後悔。非難と贖罪。難詰と釈明。
形の見えない感情が、周囲の宙域と等しい変動で。
ややあって“先輩めく相手”は諦めたのか、意を決したようにあっさりと、
「あぁ、あったともさ。私は――死んだフリをしていたんだ」
つづいて開き直ったかのような口調で、
「本当のコトを言ってやろうか?怖かったんだよ、私は。あの耀腕の群れが。だからキミが戦っているあいだ、自分の翼をたたんでいたのだ」
またァ、と『九尾』は「なにタチの悪い冗談言ってんですか」というノリで、
「やめて下さいよ。
また微妙な沈黙。
「いいや……事実……そうなのだ……」
やがて後席の存在は、ようやく搾り出したような口調でつぶやいた。
まるで痛恨の一撃を受けたように、その声はかすれた印象で。
同時に
「“瑞雲の六枚刃”と呼ばれて、そんな“二つ名”に鼻高々だった『ドラクル』も、ひと皮むけば後輩を盾にする、とんでもないゲス野郎だってわけだ!!」
叩きつけるような感情。
自己嫌悪と呪詛、それに悲嘆の心象が、ないまぜに。
ふと――機体の動きに変化があった。
なにか別の流れに捕まったように、彗星はゆっくり回転をはじめる。
機体が断続的に歪み、破断するイヤな金属音。
衝撃とともに後部スラスターの一部が脱落し、どこかへと消えてゆく。
「キミには申し訳ないことをしたと思っている――
警報の電子音が二回、三回。
二人が耳をすますあいだの微妙な空白。やがて、
「最初に言っておこう。私は……さきほど死んだのだ」
言葉の重みを浸透させるためか、ふたたび“先輩候補生”は口をとざす。
空間が、碧系の色彩を強めてゆく――と、ほどなくそれは炎のような黄色に。
「いまキミの後席にいるのは、最新型の
肉体側に意識を近づけているので、相手の感情が読みとりにくい。だが、なにかマズい方向に事態が進んでいる――ような気がする。
しかし後席の“実存”が龍ノ口であることは間違いない(らしい)ことにホッとしつつ、とりあえずの時間かせぎに『九尾』は親しみを口ぶりに復活させて、
「センパイ――先輩が何を言ってるのか、わかりませんよ」
「情報逆流による進行性の脳症だ」
「え?」
「これを止めるには、いちど表層シナプスをリセットして、再構築する。つまり西ノ宮が開発したこの新型
先輩候補生は
「いまは、アタマが晴れわたった気分だ……この状態で、ちかごろの自分の行動を振り返ると
忘れもしない、『九尾』が初めて死体を間近に見た記念日だ。
「あのとき私は、キミを墜落現場につれていったな?責任ある上級生なら――ふつうやらないことだ。機体が二次爆発する危険性や、経験のない若年候補生が
「候補生の“現実”を知らせるため、ですか?」
「……ちがう」
微妙な一呼吸の間。
「キミのおびえる顔が見たかったのだ」
「……は?」
「怖がるトコロが見たかったのだよ!キミの!」
いきなり叩きつけるような勢いで、
「キミの怖がるさまを見たかったのだ!恐怖にゆがむ
ささくれだった口調が一瞬爆発したが、すぐにそれは燃え衰えて、
「“基本機動すら満足にできない初心者”が、これから私を追いぬき、知らない世界の扉を
そんな惨めなザマは
それから、またしばらくは、二人とも無言だった。
“彗星Ⅱ”が、わずかに震動を始めた。
あたかも残った力を、航界士たちのために懸命に振りしぼるかのように。
「気をつけたまえよ――『九尾』
先輩候補生は、この沈黙のあいだ何かを吹っ切ったのか、いまはサバサバした口調で、
「つねに目を見ひらき、頭を働かせているんだ。所属不明機と交戦したときの、乗機の不具合を思い出せ。世の中はキミが考えるより深くて広く、そして
「それは……“
「――そうだったな」
ニヤリとした馴染みの気配が後席から伝わる。そして、
「それから、今回の公式用探査記録のほかに、耀腕戦の顛末をパイロット側のメモリー・カートリッジに転送しておいた。ネイガウスは、知ってるな?あの人に『
一瞬、『九尾』は言いよどんでから、
「あの」
「なんだ?」
「『リヒテル』教官って――信用できるんですか?」
「ネイガウスが?なぜだ」
改めて言われると、とまどう。
しかし、あの歌劇座の小部屋で見た羆の態度は、瑞雲校で見かけるそれとはいかにも違い、傲岸不遜、独立独行、唯我独尊な雰囲気を放射して、はばからなかったのも事実なのだ。
『九尾』はちょっとふくれたように、
「あの人――本当に
「あぁ?ネイガウスは第三次・境界紛争の時に発動された「
しばしのためらい。
やがて『九尾』は、とうとう口をひらいた。
「ネイガウス……『リヒテル』って、現役の上級大佐なの、知ってました?」
一瞬の空白。
「なにを馬鹿な……うそだろう?」
相手は一笑に付したあと、『九尾』の“経験”に思い至ったのか、一転、口調を変えて。
「メゾン・ドールで会いました。探査院の、ほかのお偉いさんも居て……」
「お偉いさん、って、だれだ?」
「よく分かりません。でも宮廷官房の人が混じっていた、かも?制服組じゃない、スーツ姿のウサん臭そうな人も……」
そんな、と今度は“どうやら龍ノ口と信じて良いらしい存在”が絶句する。
「年金手帳だって、わたしに見せたんだぞ――支給口の口座残高すら」
「今回の、この作戦……そもそも初めっから、ナニかおかしいんじゃないかと」
雲海戦でもそうだ、と『九尾』は思う。
なにか、この一連の出来事が全てリンクしているような、そんな妄想すら。
龍ノ口はジッと考え込んだ。
「だとすると……すこし話は違ってくるかもしれない」
「――というと?」
「思い当たることが多すぎるんだ……」
その先を、先輩チューターは答えなかった。
『九尾』の方は、膝の抜けたヨレヨレのスーツと、かかとのすり減った革靴の足どりを頭に浮かべる。つぎに歌劇座の豪華な小部屋で見た、堂々たる威圧感をもった姿。退役して年金暮らしの背中をまるめた雰囲気など、毛ほどもない。冷酷無比な、バリバリの高級将校めいたオーラを漂わせる、まるでナタのような気配をもつ見慣れない教官。
龍ノ口と『九尾』は、それからしばらく意見を交わす。
方針がまとまると同時に、なにやら後席でゴソゴソやっていた『ドラクル』の作業も終わったらしい。畜生め、と呟きがもれ、
「やっとできた――くっそ、意外に手間ァかかったな」
「先輩?」
いくぞ、と後席から声がかかり、可聴域ギリギリの高音がしはじめた。
パイロット席の計器類が、次々と生き返ってゆく。
――あぁ……。
知らない間に張りつめていた緊張がとけてゆく。
これで助かる、と言う思い。
ほんの一時間とすこし前なのに、この初期駆動音が、みょうに懐かしく、心強い。
機内にオイルがうすくただよう気がする。
気がつけばヘルメットの強化グラスが割れていた。
ビニールの溶けるような気配は配線がショートし、皮膜でも溶けているのか。
いずれにせよ、コンソール・パネルに並ぶインジケータの賑やかさは、この悪夢のような場所から通常の空間にもどるための通行手形だ。
「いいか?『九尾』。これからキミを切り離す。歪みは見えるな?それにそって緊急自律操縦に修正を加えつつ、この“ヌル”を脱出しろ。あとはキミの感覚のまま
『九尾』は
「え?先輩は――どうするんです」
「まずキミの離脱が先だ」
彗星の発する金属音が大きくなった。
『九尾』は、リダクション・モード2まで急速移行。このさいサルコファガス型G・スーツの気持ち悪さは無視。緊急システムを使って、貧弱な翼を拡げる。
同じように
――うぅん……キミの翼は何から力を得ているのか。先ほどまでとは違って、その……。
――ボクは、自分の界面翼機動。肉眼で見たコトないです。
――凄かったぞぉ、本番でのキミの翼は。もっと自分に自信をもっていい。ただ、その翼の
分離の準備は整った。
――いいか?通常空間に出たら緊急信号を打ち上げるの忘れるな?
――諒解しました。
――いくぞ?分離用意………三、二、一、イジェクト!
ゴクン!という衝撃。
本体から切り離されると、ひずみの具合がよく見えるようになる。RSO席との“存在干渉”から自由になり、認識能力にジャマが入らなくなった為だろう。つまり――それだけ『ドラクル』の劈開面認識能力は、哀しいながら脆弱という証拠に他ならない。“力まかせ”に事象面を打ち破る強力な翼を持った代償とも言える。
“彗星Ⅱ”の機上では、そんな先輩候補生の意識が腰に手をあて、分離したコクピットを見上げていた。
機体の恐ろしいほどな損壊具合が、あらためてよく見える。これでよく助かったものだと『九尾』は怖気をふるった。彗星の強固な機体構造がなければ、二人とも助からなかったに違いない。
――先輩……分離、成功しました!次にどうすればいいですか?
――そのまま
――先輩は……?
――本機にのこる駆動関係エネルギーは、すべて前席区画にまわした。“ヌル”からのサルベージは、前例がなく不可能だ。あとはオマエの翼のまま、世界を思うように翔けてゆけ。
言われて一瞬、『九尾』は頭の中が真っ白になる。
離脱した前席ブロックが“ヌル”の中にあるわずかな力に流されはじめた。
――え?ちょっ……先輩!?
――後輩の危機に見て見ぬふりした
それは、ゆるやかな悪夢だった。
燐光に充ちる広大無辺の空間。
永遠に喪われてゆく先輩候補生の意識。
損壊した機体の上に腕を組んで仁王立ちとなり、徐々に遠ざかって。
自分は、そんな情景を目前にしながら、どうすることも出来ない……。