①
「あー、空がきれいですねぇ」
「そのようで」
のんびりと呟いた言葉に、返ってくるのは
「あー、日差しが暖かいですねぇ」
「そろそろ夕暮れですが」
やはり柔和さの感じられない返事。これはどうしたものかと頭を悩ませていると、
「アルス司祭」
敢えて、であろう。自分の名を告げられる。しかも職名付きで。
「なんでしょうか、シスターサラ」
なので、相手の名前を告げ返してみた。だが彼女のきつい視線は微塵も揺るがず、
「いい加減、お認めになって下さい。
――道に、迷いましたね?」
「……そのようで」
改めて宣告された事実に、黒髪の青年――“アルス”はがっくりと肩を落とした。
空は高く、風が心地良い。ついでに街道の周りは程良く茂った林にどこまでも囲まれ、陽はもうじき沈む。そして彼等2人の目的地は、現在進行形で行方不明なのだった。
「こちらが近道だと貴方が脇道に逸れて行くから――」
「い、いや、違うんですよ」
「何がです?」
弁解しようとするも、修道服を着た女性“サラ”が視線で威圧してくる。切れ長の目から繰り出されるそれは、なかなかの威力であった。しかし根性を振り絞りその圧に耐えると、
「これはね、貴女だって悪いんですよ!」
「ほほぅ、何がでしょう?」
「まずその絹糸のような髪! 風が吹く度に靡く長い黒髪は、見ている僕を幸せな気分にしてくれます」
「はぁ」
「次にその豊満な胸! 服の上からでも分かるくらいおっきなおっぱいが横にあれば、集中できないのは当たり前!」
「へぇ」
「腰とか凄い細いのはどういうことなんです? サラってば結構な量食べますよね?」
「ほぅ」
「最後は尻ですよ! なんですかそのパツンパツンっぷり! 僕の目を捉えて離しません!
グンバツなスタイルに見合って背もスラリと高いし! もうその肢体でシスターやってるのは何かの間違いとしか!?」
「ああ、そう」
「こんなシスターサラがずっと隣を歩いている訳です! 目的地への道を忘れたからといって、誰が僕を責められるのでしょう!?」
「なるほど――それが遺言ということでよろしいですね?」
「よろしくない! よろしくないですよ!?」
慌てて後ずさる。マジだ。彼女はマジな殺意を自分に向けている。思いつく限りの賛美で褒め称えたにも関わらず、だ。
「な、何ゆえにそこまでの殺気を放ちますか……?」
「どこかの誰かさんのせいで一両日無駄に歩いたとなれば、憎悪の一つや二つ湧くでしょう」
まずい。これは下手な返答をすると己の生死に関わるだろう。
「あ、あー、シスター!! アレ見て、アレ!!」
「この期に及んでどうしました? 私は今、貴方をいかなる手段で葬るか頭を悩ませているのですが」
「いやだなぁ、そんなつまらないこと考えたってサラには何の得もありませんよ。もっと有意義なことに頭を使いましょう、僕との新婚生活とか」
「あん?」
「うわ傷つく何その顔!? 人間、つまらないって気持ちをそこまで表情に出すことができるんですね!?
――ってそうじゃなくて、あっち見て下さいよ、あっち!」
「……はぁ」
心底嫌嫌そうな顔で、サラはアルスが指さす方向を見る。すると、表情が一気に険しくなった。
「あれは――」
「そう、魔物ですよ、魔物! 僕達の騒ぎを聞きつけて寄ってきてしまったんじゃないかと!」
「ではこれも貴方のせい、と」
「あるぇ?」
一層に高まる殺気。自分は何を間違ったのだろうか。しかし考え込んでいる暇はない。今は現れた魔物――巨大な熊をなんとかしなければ。
「あの魔物はキラーベア! 長い爪で人を引き裂く恐ろしい熊です!
サラ、下がっていて下さい。僕が華麗なる武技であっという間に倒して見せま――」
「――ふんっ!!」
気合い一閃。修道女は大きく振りかぶると、“
「ブギャッ!?」
一撃で文字通り頭から潰れる魔物。血が辺りに舞い散る。キラーベアは死んだ。
「ふぅ」
黙々と返り血を拭うサラを目にして、アルスは黙り込むしかなかった。彼女が振るった武器をじっと見つめ、
「……前々から思ってたんですけどね? サラの使うモーニングスター、叩き武器と称するには無理があると思うんですよ」
それは打撃武器と呼ぶには余りにも刺々しかった。どう見ても相手を刺殺していた。ちなみに教会の教義では刃物を付いた武器を持つことは禁止されている。
「さて、些事も済んだことですし――」
「え、何ですか? 何故にその
「分かりませんか? 分からないのならばそれもいいでしょう。何れにせよすぐ理解できます」
「や、やめてぇ! いつの時代も犯罪は殺人よ!? 落ち着いて! リアルに落ち着いて! その身体に纏った殺気を今すぐ消し去って!
あ、ああ、あ、あ、あ――――ああーっ!!!? サラ!! 見て下さい!! あっち!! あっち!!」
「……何ですか、また魔物ですか」
「違いますよぉ!! ほら、あれあれ!! 家があります!!」
「おや」
見れば、林に隠れるように、こじんまりとした一軒家がそこにあった。
「――いやはや、それは災難でしたな、神父様」
「いえいえ、それ程でもありませんよー」
今、アルスの目の前にいるのは家の主である初老の男。白髪も目立つこの人物、名前をラングルというらしい。なんと奇遇なことに教会の信徒だそうで、突然訪ねてきた自分達を暖かく迎え入れてくれた。ここまで歩き通したアルスとサラにとって、実に僥倖なことである。
「それにしても、このような辺境の地まで巡礼に来られるとは。しかも馬を使わず徒歩でいらっしゃるなど、頭の下がる思いです」
「いえいえ、それ程でもありますよー」
褒められて悪い気はしない。アルスは出された茶をずずっと飲みながら、満更でもない笑みを浮かべる。
「……馬の手配、神父が忘れたのですよね」
「ご、ごほんっ」
横から来る冷徹なツッコミに息を詰まらせたりもしつつ。アルス達はしばし談笑を繰り広げ、疲れを癒した。
なんでもラングルは、この辺りで畑を耕しつつほとんど自給自足で暮らしているそうだ。生活に関わる仕事を全て自分ひとりでこなしているせいか、その体格は歳のわりにかなり良い。
「あれ、ひょっとして僕より背、高くないですか?」
「はっはっは、まだまだ若い者には負けませんよ」
背の高さに歳は関係ないのではないかと思いつつ、お年を召した男性に身長で負けたアルスはこっそりと落ち込んだ。
歓談は続く。
話はラングルの昔話にも及んだ。彼は若くして妻を亡くしており、今も夫婦の思い出が残るこの家に独り住んでいるのだとか。泣ける話だが、語るラングルの顔は悲壮さなど感じさせない、穏やかなものであった。十分納得した上で、この暮らしをしているのだろう。
そんな身の上でも彼は神の教えを忘れることなく、教義を忠実に守って生活を送っているようだ。その敬虔さは、会話の端々からも伝わってくる。
「ラングルさんは実に素晴らしい信徒ですねぇ。今日、貴方のような人に出会えたことを、神に感謝しましょう」
「もったいない言葉です、神父様。こんな場所で貴方達のような方に出会えたことこそ、神のお導き。今日はしっかりお持て成しさせて下さい」
「いやぁ、この上さらに夕餉までご馳走頂くだなんて」
「はっはっは、この辺りに宿などありませんぞ。まさか野宿でもなさるおつもりで?」
「……では、ご厚意に甘えさせて貰います。どうにも心苦しいですが」
殊勝に頭を下げるアルス。そんな彼に送られるのは、サラの冷めた視線。
「その割に、顔がにやけていますけれど」
「ご、ごほんっ」
厳しくも的を得た指摘を咳払いで誤魔化す。幸運が続くと、どうしたって表情筋が緩んでしまうものだ。決してアルスにやましい想いがあるわけでは無い。きっと無い。
すっかりと日も暮れたところで、ラングルがゆっくりと席を立った。
「さて、そろそろ夕飯の準備をせねば。少々、外しますぞ」
「では、私もお手伝いいたします」
「し、シスター!?」
思いもよらぬ申し出だったのだろう。サラの言葉に初老の男は目を見開いて驚く。
「いけません、シスター! 貴女は我が家のお客様。そんな方のお手を煩わせるなど!」
「どうかお構いなく。ここまで施しを頂いた以上、せめて私にできることはやらせて頂けませんでしょうか」
「施しなどとそんな! 神父様も何か言って下さい!」
自分にお鉢が回ってきた。アルスは一しきり首をひねって考える
「我が儘を聞いて貰えませんか。彼女はラングルさんへの恩を少しでも返したいのです。僕達は旅の身だ。次に会えるのはいつになることか分かりません」
「……そうまで仰るのならば」
不承不承ながら、頷くラングル。そんな彼に続く形で、サラも立ち上がる。そのまま共に台所へ向かう――その前に。
「ところで」
「うん? なんだい、サラ」
「神父は、どうなさるおつもりで?」
「へ? あ、僕?
うーん、僕も手伝いたいのは山々なんだけどねぇ。ほら、<礼拝の儀>があるから」
彼女の矛先を、さらっとかわす。
<礼拝の儀>とは教義で定められた儀式である。その名の通り、長い時間をかけて神へ祈りを捧げるという内容なのだが、執り行う日時は信徒によって異なるのだ。ちょうど、アルスは今日がその日だったという訳である。
「……まあ、そういうことであれば仕方がありませんね」
神の教えを持ち合いに出されると、サラも異を唱えられない。不満げな顔が隠し切れていないけれども。一方でラングルは、
「おお、神父様の<礼拝の儀>は今日だったのですね。丁度良いお部屋がありますので、支度の前にそこへご案内しましょう」
「……何から何まですみません」
儀式に使う部屋の用意までしてくれた。これには流石のアルスも恐縮してしまう。ぺこぺこと頭を下げながら、彼の後をついていくのだった。