とりあえず、まずは海に入ってみようと、波打ち際に並んで立った。一歩踏み出すと、思いの外水が冷たくて、膝より深い場所に進むのが一瞬躊躇われる。
それでも、肌が焦げるほどの暑さだ。すぐに慣れて胸まで浸かると、卯月ちゃんが隣でにっこり笑った。
「なんだか、海って感じですね!」
「そうだね」
よくわからないが、楽しそうなので良しとする。
周囲に目をやると、カップルや若者グループの他に、家族連れも多い。土日だと、もう少し家族連れの割合が増えるのだろう。
混み合っているせいか、ビーチボールで遊んでいる人はいなかった。ビーチボールは掴まって浮かぶためのものであって、投げたり打ったりするものではないのかもしれない。
女の子が浮き輪に入って、男がその端にへばりついているカップルが散見される。あれが正しいリア充のあり方だろうか。
しばらく泳いでからテントに戻った。入口は開けて風通しを良くしたまま、二人で並んで座る。バスタオルで体を拭きながら卯月ちゃんが言った。
「やっぱり浮き輪ですね。浮き輪があれば、もう少し沖の方まで行けそうですし、のんびりできそうです」
「じゃあ膨らませよう」
荷物から浮き輪を引っ張り出して初めて、空気入れを買い忘れたことに気が付いた。口で膨らませるのはあまりにも大変そうだったので、ジュースを買いがてら空気入れを探しに行くことにする。
日焼け止めを塗り直すという卯月ちゃんを置いてテントを出た。空気入れは海の家でレンタルできて、あっと言う間に膨らんだ。便利な世の中だ。あれがあるのなら、空気入れは自分で買う必要はないかもしれない。
自動販売機でジュースを買って戻ると、卯月ちゃんが浮き輪を見て目を丸くした。
「早かったですね」
「うん。自転車の空気入れみたいなのが借りれて、一瞬で膨らんだ」
「それは楽しそうですね。あっ、日焼け止め、背中に塗ってくれませんか?」
言いながら、たっぷり入ったチューブを渡してくる。依頼というより強制に近いニュアンスだが、こっちからお願いしたいくらいだし、今日は来て早々の件があるから頭が上がらない。
卯月ちゃんを膝で挟むようにして座ると、クリームを手に取ってそっと背中に触れた。ほっそりした肩に、ほっそりしたうなじ。噛み付きたくなる衝動を堪えながら塗っていると、卯月ちゃんが遊ぶように浮き輪をポンポン叩きながら言った。
「○○さんは、日焼け止めは塗らないんですか?」
「そういえば、塗ってないし、持って来てもない。どっちがいいと思う?」
「私はどっちでもいいですけど。塗るなら貸しますよ?」
困ったように卯月ちゃん。多少日に焼けていた方が好みかという質問だったが、遠回しすぎたらしい。
言い直すより先に卯月ちゃんが口を開いた。
「後から大変なことになって後悔する前に、塗っておいた方がいいかもですね。塗ってあげますよ?」
「それはありがたい」
顔だけ自分で塗ってクリームを渡すと、卯月ちゃんは向かい合うように座って、俺の手を取った。それから、自分でも濡れるような腕や肩にクリームを塗ってくれる。指の感触があまりにも気持ち良い。
卯月ちゃんが少し身を乗り出して、俺の肩を抱きしめるように背中に手を回す。そのまま肩や背中にクリームを塗ってくれるのだが、この体勢はわざとなのだろうか。そっと抱きしめると、卯月ちゃんはぎゅっと俺にしがみついて肩に顔を埋めた。
しばらくそうして抱きしめ合って、最後にキスをして体を離す。卯月ちゃんは頬を赤くして俯いた。
「○○さんのエッチ」
「お互い様だから」
「えーっ! 私は違います!」
「そうかなぁ」
浮き輪を持って再び外に出た。暑さは一層厳しくなって、もしもここが都会の屋外だったらうんざりしていたことだろう。
だがここは海だ。太陽が気持ち良いなどという暑苦しい感情が自分にもあったのかと、新鮮な気持ちに浸りながら海に入る。
他のカップルに倣って卯月ちゃんを浮き輪に入れて、俺はそれを押しながらバタバタと深いところまで移動した。泳ぎはそんなに得意ではないが、浮き輪があれば安心だ。
「沖縄とか行ってみたいですね。水、すごく綺麗なんでしょうね」
唐突に卯月ちゃんが言った。
「そうだね。青かった記憶がある」
「えっ!? 行ったことあるんですか?」
「随分前に。泳いではないけど」
「えー。いいなぁ」
俺の方を見て頬を膨らませる。顔が近い。じっと見つめていると、卯月ちゃんは恥ずかしそうに視線を逸らせた。
「その内、一緒に行きたいですね」
「そうだね」
社交辞令ではないだろうが、きっと叶わない夢。少しずつ人気が出てきて、もう卯月ちゃんが連休を取れるイメージが沸かない。もしかしたら、1泊2日でなら、どこかの土日に機会があるかもしれないが、沖縄は難しいだろう。
卯月ちゃんも同じことを思ったのか、少し寂しそうに笑ってから、いつもの笑顔を見せた。
「まずは○○さんの部屋にお泊まりからですね。今度来いって言われてますし」
「ああ、それ、覚えててくれてるんだ」
初デートの夜、別れた後にメールした内容である。すでに忘却の彼方だと思っていたので、驚いてそう呟くと、卯月ちゃんは怒ったように口をすぼめた。
「当たり前じゃないですか。私、すごく楽しみにしてるんですから」
「時間は取れそう?」
「時間は取れます。今は難しいですけど、ライブが終わったら、夕方に行って朝に帰ってくるくらいの時間は、いつでも取れます」
「じゃあ……」
「でも、パパとママを納得させられる理由が浮かびません」
なるほど。確かに泊まるには理由が要る。もちろん、俺とのことは話せないし、友達や仕事を理由にしても、その友達やプロダクションの人に口裏を合わせることができない。
そもそも、もしたとえアイドルではなかったとしても、まだ高校2年生の、しかも恐らくいいとこのお嬢様なのだ。こうして一緒に海で遊べるだけで満足しなくてはいけない。
「いつか、高校を卒業したらかな」
前にも一度こんなことがあった気がする。物分かりの良い大人を装ってそう告げると、卯月ちゃんはその時と同じ言葉を口にした。
「私はそんなに待てません」
きっぱりと言い切ってから、むすっとした顔をする。
「○○さん、もっと私と会いたがってくださいよ。いつもすぐ諦めちゃうんだから」
「面目ない」
いつだって卯月ちゃんと会いたい。なんなら同棲したいし、今すぐにでも結婚したい。それはオーバーにしても、卯月ちゃんがアイドルだから、高校生だから、色々な理由で色々なことを我慢している。そうしなくてはいけないと思っている。
あまり我慢しなくていい。ずっとそう言われ続けているが、そのバランスは難しい。自分としては、そこまで多く我慢しているつもりはないが、卯月ちゃんが物足りなく思っているのなら申し訳ないし、嬉しくもある。
軽く抱き寄せて、ぷかぷかと波に身を委ねる。周囲にも何組か遊んでいる人はいるが、浜辺の喧騒は随分遠くだ。
話が途切れたので卯月ちゃんの感触を楽しんでいたら、またムラムラしてきた。そっとお尻を撫でたら、卯月ちゃんは一瞬背筋を震わせてから俺を睨んだ。
「そういうのは我慢してください!」
「はい」
子供を叱るように言う卯月ちゃんに小さく頭を下げながら、片腕で卯月ちゃんの体を抱きしめた。どこもかしこも張りがあって、柔らかくて気持ちが良い。怒られたのを気にせずお尻を撫でていると、卯月ちゃんが小さくため息をついた。
「お昼ご飯、何食べますか?」
諦めたように話題を変える。そういえばそろそろ昼時だ。
「焼きそばとか? さっき空気入れを借りた店には、ハンバーガーとかもあったよ」
とりあえずお尻を撫でながら答えると、卯月ちゃんはそれをあまり気にしていないように会話を続けた。
「ちゃんとしたお店に行ってもいいですけど、それは夜にしましょうか。お昼はいかにも海っていう感じのものがいいですね」
「焼きそばとか?」
「焼きそば、好きなんですか?」
「他に思い付かないだけ」
あまりにも卯月ちゃんが平然としているので、水着の中に手を入れてみた。敢えて強めにお尻の肉を鷲づかみにすると、卯月ちゃんが可愛い悲鳴をあげてから身をよじった。
「もうっ! そろそろ怒りますよ?」
「ごめんなさい」
名残惜しげにお尻から手を離すと、卯月ちゃんはふんっとそっぽを向いた。あまり嫌そうには見えないのは、俺の目に変なフィルターがかかっているせいだろうか。本当に怒らせるとまずいのでそれくらいにしておいた。
もうしばらく波と戯れてからテントに戻った。軽く日焼け止めを塗り直してから、二人で海の家を見て歩く。ちょくちょく店によって趣向が違うが、結局安っぽいラーメンとフランクフルトにした。
隣の海鮮バーベキューを眺めながら食べていたら、卯月ちゃんが穏やかに笑った。
「私、こういうのも好きですよ。海っぽくていいと思います」
美味しそうにラーメンをすする卯月ちゃんがあまりにも可愛かったので、スマホでパシャっと1枚、写真を撮った。
また貴重なコレクションが増えたと、にやにやしながら写真を眺めていたら、卯月ちゃんが咄嗟に出したピースを引っ込めながら言った。
「そういえば、後で写真撮ってください。この水着、初出しなんです」
一瞬、何を言われたのかわからずに、俺は思わず目を丸くした。卯月ちゃんは逆に驚いたように身を引いた。
「な、なんですか?」
「いや、撮らせてくれるの?」
「私が撮って欲しいんです」
「それは、喜んで」
こくこくと頷くと、卯月ちゃんは「やった!」と嬉しそうにはにかんだ。どうやら、俺が撮りたい気持ちを汲んでくれているのではなく、純粋に撮って欲しいらしい。
CUTER'sの写真然り、女の子の水着写真など、つい性欲を満たすために存在すると考えてしまうが、被写体の女の子たちがみんな、そんなことを考えて撮っているはずがない。
そういえば卯月ちゃんも言っていた。エッチな目で見られるのは仕方ないが、自分は可愛い水着が着られて嬉しいと。たぶん、それ以上の深い意味はなく、ただ単に新しい水着を着た今の自分の写真が欲しいのだろう。
そう納得しかけたら、卯月ちゃんがいたずらっぽく笑って身を乗り出した。
「お礼に少しくらい、使いやすい写真も撮らせてあげますよ?」
俺は電話での失言を思い出して目を泳がせた。これも当分、からかわれるネタになりそうだ。