テントに戻って時間を確認したら、まだ昼を少し過ぎたところだった。最初に砂浜に降り立ってから、まだ3時間しか経っていない。こんなにも贅沢な時間を、まだこれまでの2倍も3倍も過ごせるのかと思うと、幸せすぎて怖さすら覚えた。
すぐに写真を撮りに行くかと思ったら、あまりにも暑いのでもう少し日が傾いてからにしようと言われた。善は急げと言うが、撮らせてもらえるのならいつだって構わない。
食後の運動がてら、また少しだけ泳いでから、二人でテントの中で寝転がる。風通しは良くしてあるが、汗の噴き出す暑さだ。
隣を見ると、卯月ちゃんは俯せになってスマホをいじっていた。背中のくびれからお尻の膨らみに至る曲線が神々しいほど美しかったが、今は外から丸見えなので触るのはどうにか堪えた。
何をしているのかちらりと見ると、卯月ちゃんはミュージックアプリを開いていた。何かを選曲してスマホを置く。外に迷惑にならない程度の音で流れてきたのは、聞き覚えのあるノリの良い曲だった。李衣菜ちゃんの曲だったと思うが、タイトルまでは出て来ない。
「これ、なんだっけ? 李衣菜ちゃんの曲だよね?」
「そうです。『Sparkling Girl』です」
そう答えると、卯月ちゃんは体を起こして俺の腕を取った。そのまま頭を乗せて寝転がる。いわゆる腕枕というやつだ。ずっしりする頭の重みに鼓動が速くなる。
公衆の面前でどこまで触れていいのか。恐る恐る反対の手で、軽く抱き寄せるように肩に触れると、卯月ちゃんは特に気にした様子もなく口を開いた。
「○○さん、やっぱり私以外のみんなの曲も覚えてください」
「少しはわかるよ?」
「たくさんわかってください。その方が、絶対にライブも楽しめますから」
ライブというのは、もちろん今度の夏のライブもだし、それ以外のすべてのライブのことだろう。
卯月ちゃんは今、シンデレラプロジェクトという企画の、ニュージェネレーションズというユニットで活動している。
とはいえ、ソロの曲もあるし、ニュージェネ以外のメンバーとの曲もある。今度のライブはシンデレラプロジェクトのライブだが、プロジェクト以外のメンバーと歌っている曲もある。
それは卯月ちゃん以外のメンバーも同じで、346プロ全体で見るとかなりの曲数になる。もちろん、それをすべて聴いているファンも多いが、俺は元々卯月ちゃんにしか興味がなかったこともあって、卯月ちゃんが参加している曲しか聴いていなかった。
しかし、ライブでは曲数の関係や意外性を考えて、本人がまったく参加していない曲を歌うことも多い。卯月ちゃんも、美穂ちゃんや智絵里ちゃんのソロ曲を歌ったことがあるし、枚挙にいとまがない。
「私が歌う歌もそうですけど、今度のライブは私がステージにいない時間も多いから、他のメンバーのステージも楽しんでほしいんです」
卯月ちゃんがもどかしそうに訴える。恐らくわくわくするような構成になっているが、今の俺の知識では全力で楽しめないのがわかっているのだろう。しかし、詳細は当日まで言わずにいたい。
『Sparkling Girl』の次は『絶対特権主張しますっ!』が流れた。シンデレラプロジェクトの誰も参加していない曲だが、ニュージェネのライブで卯月ちゃんたちが3人で歌ったこともある。
「今から全部はとても無理だから、予習した方がいい曲だけ教えてよ」
「すごくネタバレ感がないですか?」
「確かにそうだけど。じゃあ、シンデレラプロジェクトのメンバーにだけ絞って聴けばいい?」
「うーん。1曲だけバラしちゃうと、『Yes! Party Time!!』を歌うんですけど、あれ元は菜々ちゃんも歌ってて、私たちだけの曲じゃないんですよね」
『Yes! Party Time!!』は卯月ちゃんも参加している曲なので、CDを持っている。ニュージェネの3人に、ウサミンとみりあちゃんの5人で歌っている曲だ。その内、ウサミンはシンデレラプロジェクトのメンバーではない。
「今日少し予習して、後は適当に聴いておいてください」
『絶対特権主張しますっ!』から『ヴィーナスシンドローム』、『ステップ!』、その次の曲は知らなかったので聴くと、『Neo Beautiful Pain』という奈緒ちゃんの曲だと教えてくれた。
二人で寝転がってのんびり曲を聴きながら、卯月ちゃんがあれこれ解説してくれる。時々口ずさんだりすると、鼻歌とはいえ卯月ちゃんの歌を無料で聴かせてもらっていいのか心配になる。
一度卯月ちゃんとカラオケに行ってみたいが、切り出したことはない。相手はプロだからこそ、そういうことは頼んではいけないと思っている。
不意に、特に好きな曲はあるかと聞かれたので、『Treasure☆』だと答えた。卯月ちゃんは意外そうに俺の顔を覗き込んだ。鼻息がかかるほど近くて、相変わらずドキドキする。
「まさか最初にその曲が出てくるとは思いませんでした。通ですね」
「絶対にライブでやらなそうだしね」
「それはどうでしょうね」
卯月ちゃんがふふっと笑う。まさかあれをライブでやるのだろうか。あの曲も『Yes! Party Time!!』同様、ニュージェネ+他の2人だが、その内の一人は美嘉ちゃんで、シンデレラプロジェクトのメンバーではない。
ただ、妹がプロジェクトの一員なので、サプライズで出演して、オリジナルメンバーで『Treasure☆』をやってほしい気持ちはあるが、可能性はやはり低いだろう。
卯月ちゃんが手を伸ばして音楽を止めながら、芝居がかった調子で言った。
「わー、どうしましょう?」
時々台詞を挟む、『Treasure☆』のワンシーンだ。
「あの卯月ちゃん、死ぬほど可愛い」
「自分で聴き返すとちょっと恥ずかしいです」
卯月ちゃんはそのまま体を起こして、『Treasure☆』をかけた。座ったまま上半身だけでひらひら踊る。
咄嗟に完璧な振りができるのは、もしかして本当にライブでやるために練習しているのだろうか。
それにしても、手を伸ばせば届く距離で、あの島村卯月が俺だけのために踊ってくれている。いや、誰のためというより、踊りたいから踊っているだけなのだろうが、本当にありがたいことだ。
1曲最後まで聴くと、俺は小さく手を叩いた。卯月ちゃんは得意げに笑ってから、一度滴り落ちる汗を拭ってジュースを飲んだ。
海から戻ってきてから、1時間くらい経つだろうか。そろそろ写真を撮りに行くか聞いたら、卯月ちゃんは「そうですね」と微笑んだ。まだ十分暑い時間だが、夜まで待っても涼しくはならない。
日焼け止めを塗り直してから、テントを閉めて外に出た。スマホのカメラアプリは、最近は常に最大サイズ最高画質にしてあるが、念のため設定を確認する。
最近のスマホは本当に画質が良いが、卯月ちゃんが写真を撮られるのが好きなら、一眼レフを買って写真を趣味にするのもいいかもしれない。そう言ってみたら、卯月ちゃんは明るく頷いた。
「場所は選びますけど、いいかもしれませんね。もし買ってくれたら、いっぱい撮ってもらいます」
確かに、持っていたところで今日のようなシチュエーションでは使えないだろうし、手軽に扱えるスマホのメリットは大きい。
とりあえず他の人が写り込まないように、テントの前で1枚撮った。ディスプレイに表示された笑顔の卯月ちゃんを見ると、あの偶然出会った始まりの日を思い出す。あれからすっかり、自分のスマホの中に俺しか知らない卯月ちゃんがいるのに慣れてしまったが、今日は水着だ。改めて緊張してきた。
卯月ちゃんの方は至って普通に、後ろに手を組んでぷらぷらと歩いている。あの日も同じように見えたが、内心緊張していたという。今日はどうなのだろう。
隣に並んで聞いてみると、卯月ちゃんは驚いたように目を見開いた。
「○○さん、緊張してるんですか?」
「いや、まあ、普通に」
どうやら卯月ちゃんは緊張していないらしい。俺の反応を見て、卯月ちゃんは考えるように握った手を口元に当てた。
「私、だいぶ○○さんと一緒にいるのが当たり前になってきました」
「あっ、卯月ちゃんと一緒にいること自体に緊張してるっていうか、写真の話」
「写真ですか? それは○○さんがエッチなことばかり考えてるから緊張するんですよ」
呆れたように卯月ちゃんが息をつく。それはまったくその通りなので返す言葉もなかったが、大好きな女の子が水着姿で目の前にいて、エロいことを考えるなというのは無理というもの。
海っぽい樹だとか、夏っぽい店だとか、人気のない日陰とか、堤防に座ったりとか、色々な写真を撮って歩く。卯月ちゃんのポーズや表情が、始まりの日よりも随分洗練されていた。俺といることが当たり前になって来たと言っていたから、その影響だろうか。
だったら嬉しいなと思ったが、「最近お仕事でたくさん撮ってますからね」と身も蓋もない返事をもらった。
せっかくなので海で遊んでいるのも撮りたいと、人の少ない波打ち際でも何枚か撮った。あの日と同じようにツーショット写真も欲しいとお願いすると、卯月ちゃんは適当な海の家で気前の良さそうな店員さんを捕まえて、一緒に撮ってもらった。またプリントして飾ろう。
「今日の写真は全部ください」
テントに向かって歩きながら、卯月ちゃんが言った。開いていた写真アプリは、卯月ちゃんの水着で埋め尽くされている。
「いいけど、何十枚もあるよ?」
「はい。LINEでもらうと大変だから、メモリか何かでください。あっ、とりあえず厳選した何枚か、先にLINEでください」
「友達に送るの?」
「しませんよ。今日のことは誰にも内緒です」
いたずらっぽく、卯月ちゃんが口の前で指を立てる。内緒のこと。二人の秘密。その響きがとても心地良い。
優越感に浸っていたら、卯月ちゃんに「なんだか得意気ですね」と笑われた。
最後にテントの前で自撮りでツーショットを撮る。もういつかのように遠慮気味に触れるのではなく、しっかり肩を抱き寄せると、卯月ちゃんは嬉しそうに微笑んだ。
大好きな女の子が笑顔でいてくれる。それが何より一番嬉しかった。