その後も、海で泳いだり、日陰に座って話をしたり、アイスを食べたりして楽しく過ごした。一日は十分長かったが、それでも日は西に傾き、ちらほらと帰る人たちも現れ始めた。
風も出てきて、テントが不安定になってきた頃、卯月ちゃんがぽつりと切り出した。
「私たちも、そろそろ片付けましょうか」
まだ16時を少し回ったところだった。本当は日が沈むまで一緒にいて、二人で肩を並べて夕日を眺めようと思っていたが、その提案は言葉にせずに飲み込んだ。帰ろうという卯月ちゃんを引き止めるほど、強い希望でもない。
無料のシャワーに向かって歩きながら、卯月ちゃんが自分の腕を見て悩ましげに眉をひそめた。
「やっぱり、少し焼けちゃいましたね」
改めて見ると、卯月ちゃんのほっそりとした肩や背中が随分と赤く色付いている。西日に照らされているせいではない。日焼け止めの限界だろう。
「プロデューサーさんに怒られちゃうかも」
「大丈夫なの?」
「まあ、自己責任です。顔はどうですか?」
言われてじっと見つめると、やはり頬や鼻先が赤くなっていた。そう伝えると、卯月ちゃんは諦めたようにため息をついた。
考えてみれば、これから大きなライブで人前に立つアイドルの女の子を、こんな炎天下の海岸に連れてくるべきではなかったかもしれない。なんだか申し訳なくなって謝ると、卯月ちゃんは前を向いたままむすっとした顔をした。
「そういうのはいいですから」
「あっ、うん、ごめん」
慌てて謝って隣に並ぶ。今のは気を遣い過ぎの範疇だろうか。時々卯月ちゃんが気を悪くするポイントがわからなくなるが、本気で怒っているわけではないようなので、それ以上は何も言わなかった。
少し順番を待ってからシャワーを浴びて、テントに戻ってきた。そういえば来た時に着替えを見られたから、今度は卯月ちゃんの着替えを見てやろう。わくわくしながら眺めていると、卯月ちゃんは着替えをまとめて立ち上がった。そのまま荷物を持ってテントを出る。
「更衣室に行ってきますね」
当たり前のようにそう言って、唖然としたまま立ち尽くす俺を見上げた。少し不思議そうな顔をしてから、いたずらっぽく笑う。
「残念でした?」
完全に俺の思惑は読まれている。今さら隠すことでもなかったので、素直に頷いた。
「とても」
「テントで着替えた方がいいですか?」
「俺は嬉しいけど」
それはもう、裸を見せてくださいと言っているようなものだった。卯月ちゃんはふふっと笑うと、「○○さんのエッチ」と明るい声を零した。随分機嫌が良さそうだ。
しかし、それで考え直してくれたわけではなく、そのまま更衣室の方へ行ってしまった。俺は静かに肩を落とした。
まあ、テントで裸になれなんて、いくら付き合っているとは言え、高校生の女の子に言うべきではなかった。笑ってスルーしてくれただけもよしとしよう。
中でちゃっちゃと着替えると、テントを片付けた。家で何度か練習したが、意外と苦戦しながらケースに押し込んでいると、朝と同じワンピースと麦わら帽姿で、卯月ちゃんが戻ってきた。羽織っていただけのカーディガンは、今は胸の前で留めてある。
「お待たせしました。テント、ありがとうございます」
「ううん、平気」
「更衣室で鏡を見たんですけど、思ったより焼けてますね、私」
「まあ、それは自己責任で」
「○○さんのせいです」
どっちだよ!
心の中で突っ込みつつ、荷物をまとめて手に取った。一度名残惜しげに海を振り返ってから、駅に向かって歩き始める。
隣で卯月ちゃんが、今日の感想を楽しそうに話している。それに相槌を打ちながら、ふと見下ろすと、何か違和感を覚えた。
何かわからずじっと横から卯月ちゃんを眺めていると、卯月ちゃんは話すのを止めて、怪訝そうに首を傾げた。
「どうかしましたか?」
「いや、なんだろう……。卯月ちゃん、朝と同じ?」
「はい」
少しだけ声が強張っていた。確実に朝と何かが違う。何か忘れ物はないか、じっと卯月ちゃんの服装を見つめていたら、ようやく違和感の正体に気が付いた。
ボタン留めされたガーディガンの、胸部の膨らみがいつもより小さいのだ。何気なくつついてみると、ふにょっと無抵抗な柔らかさが指先から伝わってきた。
卯月ちゃんが弾かれるように片手で胸を隠して、非難げに俺を見上げた。顔が赤いのは怒りのせいではないだろう。
「卯月ちゃん、ブラジャーは?」
周囲に聞こえないように小声で聞くと、卯月ちゃんは唇をへの字に曲げて俯いた。
「今日その、水着を着てきたから、忘れてきて……」
「下は?」
「下も……」
もじもじしながら、卯月ちゃんが上目遣いに見上げる。死ぬほど可愛い。目の前の女の子がノーパンノーブラだと意識したら、途端に興奮してきた。
それが顔に出たのか、卯月ちゃんが表情を険しくする。
「嬉しそうですね」
「そういえば、前にノーパンになってくれるって言ってたよね」
「言ってません。そういう話はしましたけど、そんなことは言ってません」
卯月ちゃんがそう強調して、可愛らしく睨んできた。なんとなく頭を撫でてから、再び並んで歩き出す。
言われてみると、卯月ちゃんはワンピースの裾を気にしたり、きょろきょろ周囲を見たりと、そわそわしている。
「見た目にはわかりませんよね?」
俺を見上げる瞳が不安げに揺れていた。もちろん、カーディガンのせいで透けてもいないし、胸の膨らみがいつもと違って見えるのは、いつもを知っている俺だけだろう。
「大丈夫だよ。下着忘れたの、いつから気付いてたの? 朝から?」
「いえ、さっき、テントの中でです。だからテントで着替えなかったのに……」
なるほど、そういうことか。合点いった。
俺からしたら、下着無しで他人のいる更衣室に行く方が恥ずかしいように思えるが、卯月ちゃん的には俺に知られる方が恥ずかしかったのだろう。
卯月ちゃんは大きくため息をついてから、懇願するように俺を見上げた。
「バレたついでなので相談なんですけど、下着ってコンビニで売ってますか?」
「どうだろう。ありそうだけど」
生憎、俺はコンビニで女性用の下着を探したことがない。
ノーパンの卯月ちゃんはひどく興奮するが、このままずっとそれを気にされても話が弾まないし、さすがに可哀想なので、駅の近くのコンビニに寄ってみた。果たして女性用の下着は売っていたのだが、店員が男性だったこともあってか、卯月ちゃんはもじもじしながらそれを俺に押しつけて来た。
「これ、買ってください。私、外で待ってますから」
「いや、でも……」
いくらなんでもそれは無理難題だと思ったが、卯月ちゃんは容赦なく切り札を叩きつけてきた。
「今朝、テントの中で、何をしましたっけ?」
「くっ……!」
弱いところを突かれて涙目で睨むと、卯月ちゃんは申し訳なさそうに両手を合わせて、逃げるようにコンビニを出て行った。
仕方がない。俺は諦めて女性用の下着を1枚手にしてレジに向かった。他にも色々買って混ぜようかと思ったが、もう無駄な抵抗はやめよう。
なんとも言えない恥辱の時間を終えて、外で袋を手渡した。卯月ちゃんは「本当にごめんなさい」と謝りながらそれを受け取って、駅のトイレで穿いて戻ってきた。もちろん、見た目にはわからないが、表情がとても穏やかだ。
「はぁ。やっぱり落ち着きます」
「水着のままじゃダメだったの?」
「それも考えたんですけど、濡れた水着を穿いてたら、電車でもお店でも座れませんよね?」
「もっともだ」
もう一度ノーブラのおっぱいをつついてから、電車に乗った。並んで座ると、卯月ちゃんは帽子を膝に置いて、ことっと俺の肩に頭を乗せた。
「疲れた?」
「少し……」
手を握って向かいの窓を眺めていると、ひと駅も行かない内に、卯月ちゃんは小さな寝息を立て始めた。髪の毛に頬を寄せると、しっとりと湿り気を帯びていた。腕にかかる重さと熱さが心地良い。
目を閉じると一気に睡魔が襲ってきた。しかし、寝るのは家でもできる。今は少しでも長く卯月ちゃんの温もりを感じていようと頑張ったが、気が付いたら神奈川県を出て、車両も人でいっぱいになっていた。
卯月ちゃんはぐっすり眠っている。いつもの駅に近付いても起きる気配がなかったので、いっそこのまま乗り過ごそうかと思ったが、そういう時間稼ぎはやめておいた。
揺り起こしてから、寝ぼけ眼の卯月ちゃんに帽子を被せて、手を引いて降りる。卯月ちゃんは一度のびをしてから小さくあくびをした。
「完全に寝てました」
「うん。途方もなく可愛かった」
「○○さん、枕度が高いですね。私の専属の枕になってください」
「それはもう、喜んで」
よくわからない会話をしながら駅を出る。都会の喧騒は、つい先程まで海でのんびりしていたのが嘘のように賑やかで忙しかった。もう夕方なのに、アスファルトの照り返しがむせるほど暑い。
まだ寝ぼけているのか、往き交う人の群れをぼんやりと眺めてから、卯月ちゃんが軽くお腹に手を当てた。
「お腹が空きました。ご飯にしますか?」
「いいよ。夜はちゃんと食べるんだっけ」
昼が安っぽいラーメンとフランクフルトだったから、夜はちゃんと食べようと話していた。当然卯月ちゃんもそれを覚えていたようだが、意外にも首を横に振った。
「ファミレスでいいです」
「どうして? お金を気にしてる?」
「いえ、荷物が多いからです。夜はそれなりに会えますし、そういうお店はまた今度にしましょう」
なるほど確かに、朝卯月ちゃんがキャンプにでも行くのかと笑ったほどの荷物を抱えて、カップル御用達のカフェや洋食屋に入るのは気が引ける。
まだ夕食には少し早いこともあってか、近くのファミレスに入るとすんなりと席に案内された。卯月ちゃんはオムライス、俺はハンバーグにライスとスープのセットを頼んでから、改めて向かい合った。
「今日、楽しかった。ありがとう」
先にお礼を言うと、卯月ちゃんははにかみながら頷いた。
「私もです。海があんなにも面白いなんて知りませんでした」
「行く相手にもよりそう」
「そうですね。○○さんとやりたいことはいっぱいあるけど、海もまた行きたいです」
それはもちろん大歓迎だった。卯月ちゃんの水着姿は雑誌の何倍も素敵だったし、なんだかんだと体にも触りまくって、思い出したらムラムラしてきた。それはまた夜に撮った写真を使わせてもらうとして、今は目の前にいる本人に集中しよう。
「9月だともう涼しいかな。ライブが終わった後の土日とか?」
「また平日に時間を作ってください」
「あんまり無茶言わないで。卯月ちゃんに頼まれたら断れないんだから」
「そうですね。言われてみると、断られたことがない気がします」
卯月ちゃんが唇に指を当てて、考えるように天井を見上げる。
実際のところはわからないが、確かに卯月ちゃんの頼みごとを断った記憶がない。昔は控えめだったが、最近の卯月ちゃんは言いたいことを言ってくる。慣れもあるかもしれないし、前にもっと甘えてほしいとお願いしたから、そうしているのかもしれない。
「○○さん、ちょっと私を甘やかしすぎじゃないですか?」
「どうだろう。卯月ちゃんがいい子だから」
「悪いことしたら、ちゃんと怒ってくれますか? 私、○○さんが色々我慢してるんじゃないかって、時々心配になります」
そう言って、卯月ちゃんは不安げに眉をゆがめた。自分の我が儘を我慢し続けて、相手が急に冷めたりしないか不安になる気持ちはわかる。
もっとも、卯月ちゃんが心配するようなことは何もなかった。我慢していることはたくさんあるが、それは卯月ちゃんを嫌いになるような類のものではなかったし、叱らないのも卯月ちゃんが叱られるようなことをしていないに過ぎない。もしも悪いことをしたら、年長者として、彼氏として、正しく叱りたいと思っている。
そう伝えると、卯月ちゃんは安心したように息を吐いた。
「じゃあ、今度悪いことしてみよっと」
怖いことを呟いて微笑む。卯月ちゃんのする「悪いこと」を脳内で思い巡らせたが、何も浮かばなかった。あまり叱りたいとは思わないが、卯月ちゃんの悪ふざけは歓迎したい。
やってきた食事をあっと言う間に平らげて、追加でパフェを注文した。名残惜しいが、今日という日はもうじき終わってしまう。ライブが終わったら可能な限り早く会って、感想会を開きたい旨申し出ると、卯月ちゃんは大きく頷いた。
「もちろんです。私もライブの話をいっぱいしたいです。今も言いたくてしょうがないことがたくさんあるから、それも聞いてほしいし」
「ライブの後は打ち上げとか行くの?」
「たぶん。でも、みんな疲れて、後日になるかもしれません」
さすがに俺も、ライブの当日に会えるとは思っていないが、電話くらいはできるだろうか。
昔、一人で卯月ちゃんを応援していた頃は、ライブやイベントの後、それを誰とも話せなくてもなんとも思わなかった。
しかし最近では、ライブやイベントの後は卯月ちゃんと電話をしたり、夜に会って喋るのが定番化している。相手が本人だからというのもあるだろうが、同じ思い出を共有する仲間と語り合いたい気持ちが、少しだけわかった。もちろん、今さらそういう仲間を作る気はないが、可能な限り早く卯月ちゃんと感想会を開きたい。
パフェを食べ終わって外に出ると、辺りは薄暗くなっていた。時計を見るとまだ19時だった。帰宅するサラリーマンで街はごった返している。そういえば今日は平日だった。
いつもならもう少し遅くまで喋っているのだが、今日は卯月ちゃんが早めに切り上げた。電車の中でもずっと寝ていたし、明日からまたレッスンの日々で、早く帰りたいのだろう。
ごねず、渋らず、引き止めず。始まりの日のことを思い出していたら、あの日と同じように卯月ちゃんが言った。
「○○さん、まだ時間は大丈夫ですか?」
「もちろん。俺は何時まででも平気」
意外に思いながら頷くと、卯月ちゃんはちらりと俺を振り返ってから、もう一度視線を通りに戻した。それから、ぽつりと呟く。
「私も今日は遅くなるって言ってあるから、まだまだ大丈夫です」
本当にあの日のようだ。しかし、卯月ちゃんが目を合わさずにそういうことを言うのは珍しい。
初めてキスをした広場に行こうと提案したら、卯月ちゃんはやはり俺に背中を向けたまま鈍い反応をした。少しだけ悩ましげに唸ってから、意を決したように振り返る。
「CUTER's、○○さんの部屋で一緒に見ませんか? 感想が聞きたいです」
呆気に取られてじっと見つめると、卯月ちゃんは恥ずかしそうに俯いた。これはつまり、そういうことだろうか。
あの雑誌の感想は、電話でも話したし、その倍以上、今日テントでくつろいでいる時にも喋った。それが口実に過ぎないのはもはや明白である。
卯月ちゃんが部屋に来たいのなら、それは願ってもないことだ。理由はあまり自分に都合の良い想像をしてはいけないが、とにかく卯月ちゃんの気が変わらない内にOKする。
「それはもちろん、喜んで」
そう答えると、卯月ちゃんは顔を上げずに、しおらしくこくりと頷いた。最近、エッチな話題でも平気でいじってくる卯月ちゃんらしからぬ反応だ。
手を繋いで駅に戻る。電車に乗っても、卯月ちゃんはあまり口を開かなかった。
アパートの最寄り駅で降りて、人気のない帰り道を二人で歩く。なんだか同棲しているみたいでくすぐったい気分になった。
「部屋に着いたら、お邪魔しますじゃなくて、ただいまって言ってみて」
軽いノリでお願いすると、卯月ちゃんは驚いたように俺を見上げてから、何も言わずに小さく頷いた。
決して居心地の悪い沈黙ではなかったが、むずむずしてしょうがないので、そのまま言葉を続けた。
「なんか、急にしおらしいね」
「いえ、その、はい。緊張して」
「それは卯月ちゃんがエッチなことばかり考えてるから緊張するんじゃない?」
ここぞとばかりに海でのお返しをしたら、卯月ちゃんは耳まで赤くして声を荒げた。
「ち、違いますよ! なんてこと言うんですか!」
「いや、冗談だから。昼のお返しだから」
慌ててなだめたが、卯月ちゃんの反応は明らかに図星のようだった。卯月ちゃん自身もそう思ったのか、緊張を解くように長い息を吐いてから、開き直ったように言った。
「○○さんのせいです。○○さんが一日中ベタベタ触るからいけないんです」
「ムラムラしたの?」
「帰りますよ?」
卯月ちゃんがスッと目を細めたので、すぐに謝った。卯月ちゃんは「まったく」とお姉さんぶった後、いつもの笑顔に戻った。
「でも、こうして二人で帰るの、なんだかいいですね」
「そうだね。いつか卯月ちゃんと一緒に暮らせたら、俺はもう死んでもいい」
「死なないでください。まずは1泊からですね」
卯月ちゃんが声を弾ませる。お泊まりの話は、俺が思う以上に楽しみにしてくれているらしい。もちろん、俺が期待するような邪な理由ではないだろうが、何にしろ嬉しいことだ。
「いっそもう、今日泊まっていったら?」
「できたらそうしたいですけどね。疲れてるし。でも、パパとママに叱られちゃいます」
「叱られたいんじゃなかったの?」
「○○さんに叱られたいだけで、パパにもママにも、お仕事でも学校でも、まったく叱られたくありません」
「それはどうも」
卯月ちゃんとの楽しくて幸せな時間。それが、実際のところいつまで続くかはわからない。相手はこれから人気になっていくアイドルで、まだ高校生で、生まれも育ちもいいお嬢様で、どう考えても俺なんかが釣り合う相手ではない。
もちろん、ずっと一緒にいたいと思っている。俺は卯月ちゃんがアイドルだから好きなわけではない。むしろこの先、卯月ちゃんがアイドルであるがゆえに生じる様々な障壁に、一介の矮小な一般人でしかない俺に乗り越えられるかの方が心配だ。
そういう悩みは、一人で抱え込まずに相談してほしいと言われた。前にみくちゃんに見つかった後のことだ。
けれど、実際に相談したら、卯月ちゃんに捨てられてしまうかもしれない。俺は、卯月ちゃんがアイドルであることの重荷になってはいけない。
ちらりと隣を見ると、卯月ちゃんが唇を尖らせていた。
「難しい顔してましたよ? またつまらないこと考えてました?」
全部お見通しらしい。すぐにわかるのは、卯月ちゃんも少なからず同じ不安を抱えているからだろうか。
「ごめん」
「そんな顔されるなら、いっそエッチな妄想でにやけられた方がましです」
ふんっとそっぽを向く。
確かに、これからエッチがしたいと間接的に言われているのに、悲観的になるのは失礼だしもったいない。幸せであればあるほど、それが失われる怖さもついて回るが、それは努力と相談と、後は少しの楽観でなんとかするしかないだろう。
「じゃあ、今日は徹底的に卯月ちゃんを味わい尽くす! それをここに宣言する!」
「最低……」
「なんで!?」
大袈裟に振り返ると、卯月ちゃんはいたずらっぽく笑った。繋いだ手が汗ばむほど熱い。
やがて前方にアパートが見えてきた。卯月ちゃんと一緒に入るのは2回目だが、1回目は修羅場だった。懐かしみながら鍵を開けて先に入る。
後に続いて卯月ちゃんがドアを閉めて、恥ずかしそう言った。
「ただいま」
その4文字の響きがあまりにも綺麗だったから、思わず荷物を放り出して抱きしめた。
卯月ちゃんが驚いた顔をしてから、力を抜いて俺の背中に手を回す。ノーブラのおっぱいが柔らかい。
今日は本当に楽しかった。次のライブも、卯月ちゃんのこれからも、そして俺たち二人の仲も、ずっと今日みたいに成功してほしい。心からそう願う。
そっとキスをして、照れながら微笑み合った。
もう少しだけ、平穏で幸せな今日を続けよう。
─ 完 ─