どんなに楽しい時間も、いつかは終わってしまう。
それでも、次にまた新しい楽しみを見つけて、それに向かって歩いて行く。
人生はそれの繰り返しだ。
すっかり暗くなってなお、夜の街は汗ばむ陽気に包まれていた。
感極まって過呼吸で倒れそうな水野に、一緒に二次会に行こうと誘われたが、丁重に断った。水野は詳しいし、ヤツの話に興味が無いわけではなかったが、他の知り合いも来るらしかったし、一人で感傷に耽りたい思いもあった。元々俺は昔から一人で参加していて、今日がイレギュラーだっただけだ。
駅前のベンチに座って、星の見えない明るい夜空を見上げる。目を閉じると、煌びやかなステージと、それ以上に輝いていたアイドルたちの姿が浮かんだ。
卯月ちゃんは最高に可愛かった。しばらくそのまま数十分前の記憶に浸り、おもむろにスマホを取り出した。写真フォルダを開き、彼女の写真をスワイプで送る。本当に同一人物なのだろうか。たくさんのファンに声援を送られる、遠い遠い特別な人。俺は暗い客席の、小さな光の1つに過ぎない。
釣り合いとか、そんなものを考えたら元々付き合える立場ではない。みんなの卯月ちゃん。それを、俺が独り占めしてしまってもいいのだろうか。
もやもやして、それを吐き出すように深くため息をつくと、スマホが震えてメッセージが表示された。
『連絡:日にちが変わるまでは起きていてください』
卯月ちゃんからだ。随分シンプルなメッセージだが、これは要するに、今日の内に少しでもライブの話がしたいということだろう。
恐らく電話だと思うが、もしも会える時間が取れるなら、俺も家に帰らずに、ここか渋谷近郊で待機していた方が良いだろう。ただ、電話なら部屋にいた方が落ち着いて話ができる。
『家に帰らない方がいい?』
短いメッセージを送ってみたが、しばらく待っても既読にはならなかった。大きなライブが終わったばかりで、それどころではないのだろう。むしろ、1通だけでも送ってくれたことに感謝したい。
まだ19時前。さすがに一緒に食事の流れにはならないと考え、一人で夕飯を済ませた。それから喫茶店でコーヒーを飲みながら時間を潰す。
スマホで何か読もうと思ったが、ライブの記憶を別のもので上書きしたくなかったので、イヤホンでシンデレラプロジェクトの曲を聴きながら、卯月ちゃんの写真を眺めて過ごした。
21時になっても既読はつかなかった。もしかしたらこのままずっと、日が変わるぎりぎりまで何の連絡もないかもしれない。それでも、どうせ帰ったところでやることはないし、少しでも卯月ちゃんに会える可能性があるのなら、そうしやすい状況を作っておきたい。
一度店を変えようと思って席を立つと、スマホが震えた。メッセージの返事かと思ったらコールだった。通話ボタンを押しながら店を出る。
「もしもし」
『ああ、○○さん。LINE、ごめんなさい。返せなくて』
「全然平気。今日はお疲れ様」
『はい。まだ外ですか? どこにいますか?』
がやがやする周囲の音で、家にいないことは伝わったようだ。今いる場所を伝えると、待ち合わせに少し離れた駅を指定された。ここからだと15分くらいだろうか。いつの間にかライブ会場から移動していたらしい。
『とりあえず、合流しましょう』
弾んだ声でそれだけ言って、卯月ちゃんは通話を切った。急いでいたというより、どうせ会うのなら電話で話す必要はないという判断だろう。
電車に乗って駆けつけると、卯月ちゃんの方が先に着いていた。無地のトップスに膝上ほどの短パン。地味な靴。意図的にダサくしているのではないかと思うような、似合わない帽子。ステージの上の綺麗な衣装とは対照的だ。
もっとも、俺を見つけて手を振る笑顔は紛れもなくアイドル島村卯月のそれで、俺は改めて幸せを噛みしめながら駆け寄った。
「遅くなった」
「まったく。こんなにカワイイボクを待たせるなんて、○○さんはホント、ダメな人ですね!」
卯月ちゃんがそう言って、偉そうに腰に手を当てた。思わず真顔になって見下ろすと、卯月ちゃんは可愛らしく小首を傾げて俺を見上げた。
「今の、輿水幸子ちゃんの真似ですけど、知りませんか?」
「知らない。346のアイドル?」
「そうです。自称、世界で一番カワイイアイドルです」
「世界で一番可愛いの?」
「個人的には、プロダクションの中学生の中では一番可愛いと思います。でも、もちろん莉嘉ちゃんの方が可愛いと思う人もたくさんいると思います」
なるほど。俺は世界で一番卯月ちゃんが可愛いと思っているが、シンデレラプロジェクトの中で一番人気があるのは蘭子ちゃんだというから、好みは人それぞれだ。
「これからどうする? いつもの喫茶店に行くにはちょっと時間が遅いから、公園でも行く?」
地面に置かれた荷物を持ちながら聞くと、卯月ちゃんはにこにこしたまま即答した。
「○○さんの家に行きましょう」
「えっ?」
思わぬ選択肢に驚いて顔を上げると、卯月ちゃんは実に嬉しそうに声を弾ませた。
「○○さんの部屋で、今日のライブの話がしたいです」
上機嫌だ。普段から可愛いが、今日の笑顔はSSRクラスである。
もちろん、飛び上がるほど嬉しい提案だったが、ここから俺の家まで30分はかかる。今からでは家にいられる時間は短いし、終電までに卯月ちゃんを家に送れるかわからない。送れたとしても、俺の帰りの電車は確実にない。
冷静にそう伝えると、卯月ちゃんはいたずらっぽく笑って首を振った。
「今日はいいんです。完璧に根回しできました」
「泊まれるってこと?」
「はい。すごく頑張ったから褒めてください」
卯月ちゃんは俺の手をぎゅっと握って、大きな瞳で俺を見上げた。
いまいちその幸せが実感できず、夢の中にいるようにぼんやりしていると、卯月ちゃんが俺の手を引いて歩き始めた。
「あらゆる人に対して、『お友達』の家に泊まることになっています。ライブの後だし、パパやママにもまったく追及されませんでした」
「今日を狙ってたの?」
「はい。だいぶ前から決めてたんですけど、ぎりぎりまでどうなるかわからないから話さずにいました。別にサプライズというわけではないです」
恐らくそうなのだろう。俺も楽しみにしていたから、ぬか喜びさせてはいけないと配慮したのだ。
もっとも、俺の方に用事があったらどうするつもりだったのだろう。気にはなったが、結果として大丈夫だったので口にはしなかった。時々あまり考えずに突っ走る若さが眩しい。
もう遅い時間なのに混雑したホームで電車を待つ。喧騒が大きいせいか、卯月ちゃんはあまり口を開かなかった。まだメイクを落としていない横顔は、可愛さよりも美しさが引き立っていた。すっかりいつもの逢瀬になっているが、確かに卯月ちゃんは数時間前まで大きなホールのステージにいて、俺は客席でペンライトを振っていたのだ。
電車に乗ると、運よく並んで座ることができた。卯月ちゃんが耳元に顔を寄せて口を開いた。
「ライブ、どうでした?」
「良かったよ。話したいことがいっぱいあるけど、何から話そう」
「総合的に」
ざっくりな表現に、思わず苦笑した。卯月ちゃんの話は家に帰ってからじっくりしたいので、反省点から先に述べる。
「予習不足は感じたかな。『Tulip』もその前の曲も知らなかったし」
「ラブデスから3曲、ニュージェネのメンバー歌ってませんしね」
「ラブデスっていうと、智絵里ちゃんと李衣菜ちゃんって仲がいいの? 『エンジェルドリーム』でも一緒だよね」
ふと思い出したので聞いてみる。卯月ちゃんはうーんと首をひねった。
「どうでしょう。ユニットと仲の良さはあんまり関係ないと思いますけど、あの二人は仲良しだと思います。たまにみくちゃんが嫉妬してます」
「もっとメンバーのことも予習しておけばって思ったよ。ユニットが違う杏ちゃんときらりちゃんが二人で歌ってたのも、俺には謎だったし。卯月ちゃんにもよく言われるけど、他の子にも興味を持った方が楽しめるかもだな。総合的に」
思い返すと、今日卯月ちゃんがいなかったシーンも楽しめたのは、水野のおかげという気がする。だからと言って、他のファンと積極的に交流したいとは思わないし、できるだけ自分で予習をして臨みたい。
返事がなかったのでちらりと隣を見ると、卯月ちゃんはよくわからない顔で俺を見つめていた。目が合うと唇を開き、明るい声で言った。
「みりあちゃんはどうでした?」
「ん? ああ、すごかったよ。凸レーションのライブも見てみたくなった」
「そうですか。あの子の『Romantic Now』は必見です。そろそろニュージェネのライブにもゲストで来てほしいと思ってるんですけど、『Yes! Party Time!!』でくらいしか絡みがなくて、今日やっちゃったから、また当分ないかもしれません」
「『Yes! Party Time!!』っていうと、卯月ちゃん、いきなりセンターだったね」
「はい。今回、結構美味しいところをもらえた気がします。『Take me☆Take you』もセンターでしたし」
「あれで俺は、泣きそうになった。卯月ちゃんの成長を感じたよ」
「お父さんみたいですね」
卯月ちゃんが呆れたように肩をすくめる。
自宅の最寄り駅で降りると、街の喧騒とは打って変わって、静けさに包まれていた。帰路につく人たちが足早に去っていく。
俺たちも並んで歩き始めた。こうして一緒に帰るのは、海に遊びに行った時以来だ。少しだけ海の時の話をしてから、思わせぶりだった『Treasure☆』がセットリストになかったことに言及すると、卯月ちゃんは可笑しそうに顔を綻ばせた。
「私、やるなんて言ってませんよ?」
「やりそうな感じだったけど」
「いつかやれたらいいなっていう私の希望です。セトリはどうでした?」
「すごく俺得だったよ。『BEYOND THE STARLIGHT』は元々聴きたいって思ってた上に、卯月ちゃんも参加してて嬉しかったし。ああ、そういえばずっとこっち見てた曲か」
ふと思い出して呟くと、卯月ちゃんは大きく頷いた。
「気付いてくれてたならよかったです。ちゃんと座席の位置を確認しておいた甲斐がありました」
「隣のヤツが喜んでたよ」
「勘違いさせちゃいましたね」
卯月ちゃんが悪意なくばっさり斬り捨てる。俺は水野に同情しながら、冗談っぽくたしなめた。
「一応みんなのアイドルなんだから」
「あの曲は○○さんだけのために歌いました」
悪びれずに答える。身にあまる光栄なので、それ以上の言及は止めておいた。
家に着くと、卯月ちゃんは前回に引き続き「ただいま」と言ってくれた。猛烈に抱きしめたい衝動をどうにか堪えて中に入ると、荷物を下ろしてから卯月ちゃんがすり寄ってきた。
ぎゅっと抱きしめ合って、唇を重ねる。柔らかくて火照った体、化粧品と汗の匂い。卯月ちゃんがいつもより強く俺の背中を引き寄せて、積極的に舌を絡ませてくる。戦地から戻った兵士は性欲が強くなると聞いたことがあるが、その類だろうか。押し付けられるおっぱいの感触が気持ちいい。
そういえば、日中は暑かった上、ライブでも汗をかいてそのままだ。先にシャワーを浴びようと言ったが、あっさり却下された。
「私も入ってないから大丈夫です」
一体何が大丈夫なのか。まったくわからないが、卯月ちゃんがそれでいいと言うのなら、俺は一向に構わない。
帰宅してからエアコンすら入れていない部屋の中は暑く、触れ合う肌が汗でベタベタした。まるでサウナだ。服を脱いで床の上に転がって、むさぼるようにキスをする。擦れ合う下腹部の感触だけでイッてしまいそうになる。
「今日は15秒に挑戦ですか?」
いたずらっぽく卯月ちゃんが笑う。
「いや、もうイキそう」
「えーっ!?」
結局そのままぐいぐい押し付けてお腹の上に放出すると、卯月ちゃんはわざとらしく大きく首を横に振った。
「私はすごくがっかりです」
「2回目からが本番だから!」
「じゃあ今日はこれくらいにして、お風呂に入って寝ましょう」
「そうしよう」
冗談に乗っかると、卯月ちゃんが不満げに唇を尖らせた。死ぬほど可愛い。
そんなこんなでライブの後の卯月ちゃんをじっくりと味わい尽くした後、汗を拭ってようやくエアコンを入れた。心地良い冷気が、むわっとした蒸気の籠もる部屋を浄化していく。
一緒にお風呂に入る提案をすると、卯月ちゃんはメイクを落とすのは見せたくないと言って、色々な女の子グッズを持って一人でお風呂場へ行ってしまった。見たことがないのでわからないが、そういうものなのだと納得して汗だくのまま寝転がる。
目を閉じると睡魔が押し寄せてきた。さすがに疲れた。卯月ちゃんは平気なのだろうか。絶対に客席の自分よりも何倍も疲れているはずだが、そんな素振りを一切見せない。
ライブ中も緊張した様子はなかったし、始終余裕だったのだろうか。そんなことも後から聞いてみようと思いながらうとうとしていると、そのまま寝てしまったようで、卯月ちゃんに揺り起こされた。
目を開けると、Tシャツ姿の卯月ちゃんがにこにこして座っていた。濡れた髪の毛が色っぽい。元々すっぴんは見慣れているが、やはりメイクをしていなくてもとても可愛い。
「ぐっすりでしたね」
「卯月ちゃんは疲れてないの?」
「麻痺してるだけだと思います。髪を乾かすので、その間にお風呂に入ってきてください。お布団の中でライブの話をしましょう」
まるで俺が卯月ちゃんの部屋にいるような口ぶりだ。それくらい居心地良く感じてくれているのなら嬉しい。言われるままシャワーを浴びて、今日一日の汗と疲れを洗い流す。
歯も磨いてから部屋に戻ると、卯月ちゃんは鏡を立てて何やら顔に塗っていた。化粧水だとか乳液だとかその手のものだろうか。生憎まったく知識がないのでわからないが、「可愛い」を維持するのも大変なようだ。
「そういうの、大人しかしないのかと思った」
言いながら隣に座る。否定する意図はなかったが、そういうニュアンスになってはいなかっただろうか。
不安になったが、大丈夫なようだった。卯月ちゃんは何やら肌に馴染ませながら言った。
「やった方がいいってみんなが言ってるから、なんとなくやってます。詳しくはないです」
「誰かに教えてもらうの?」
「菜々ちゃんとか、親切だし、詳しいし、丁寧に教えてくれます。○○さんもやってあげましょうか?」
卯月ちゃんがいたずらっぽく笑う。あまり興味はなかったが、全身から好奇心が漲っていたので大人しくお願いした。
向かい合って座って、手に取った化粧水を塗ってくれる。スチームがどうとか、パックがどうとか、コットンがどうとか、色々教えてくれるが、興味がないせいかどうも頭に入ってこない。
とりあえず卯月ちゃんの手が気持ち良くて、目の前の笑顔が可愛かったので良しとした。
一通り終わると、なんだか肌がぷるぷるするような気がした。俺の肌はともかく、卯月ちゃんの日常生活が垣間見えて、それが嬉しかった。