それから2週間、卯月ちゃんはイベントに向けての稽古や準備が忙しくて、会うことはできなかった。
もちろん、俺から会いたいと言ったら時間を作ってくれたかもしれないが、いくらなんでもそこは空気を読むべきだったし、実際前ほど会えないことによる不安はなかった。
卯月ちゃんは相変わらずメッセージをくれたし、俺から送ることもあった。待ち受け画面は、今は卯月ちゃんが送ってくれた衣装姿の自撮り写真になっている。イメージカラーのピンクをそこかしこに散りばめた、タイトでカッコイイ衣装だ。見ているだけでイベントが楽しみになる。
イベントの当日は快晴で、飲み物が手放せない陽気だった。ニュージェネレーションズだけのイベントということもあり、客の数はそれほど多くないが、卯月ちゃんをデビューから追いかけている俺から見ると、本当に立派になったと感じる。
グッズもそれほど並ばずに購入できた。新曲のシングルも売っていたが、それは購入済みだったのでスルーする。ここで購入、もしくは持参すると、握手会でサインを入れてもらえるので、もちろんバッグには入れてきた。
ちなみに握手会はイベントに来た人全員が参加できる。ただし、入場時に1枚だけチケットが渡されて、誰か好きな一人にしか行けない。これはアイドルにとって結構残酷な方式だと思うが、幸いにも卯月ちゃん、凛ちゃん、未央ちゃんの人気はほぼ横並びなので、今回も列は均等になるだろう。もちろん、俺は卯月ちゃんである。
会場は有名なライブハウス。有名だがそれほど大きいわけではなく、たむろしている人数からするといっぱいになるだろう。俺は談笑しているファンを眺めながら、一人でスマホをいじっていた。
相変わらず、誰ともつるんでいない。元々勝手な特別感で他のファンと距離を置いていたのだが、その思いは一層強くなっている。
スマホの待ち受けを見るだけで、お前らとは違うのだという気持ちが芽生える。その優越感は決して誉められたものではないけれど、心で思うくらいは好きにさせてほしい。
やがて、列の整理が行われて、にわかに活気づいてきた。残念ながら最前列は無理な場所だが、今回はそれでよしとした。
開場時間が来て、列が動き出す。入口で握手会のチケットを受け取り、ドリンクのコインを購入する。先に引き換えてもゴミが邪魔になるだけなので、ポケットに入れて中へ。
ポジションは大体いつも真ん中にする。音響の問題ではなく、卯月ちゃんがセンターにいることが多いからだ。もっとも、ステージ上で彼女たちはよく動くし、決まったポジションがあるわけでもない。前に一度、ど真ん中の最前列を確保したら、卯月ちゃんがずっと左側にいて爆死したことがある。
今回はステージ全体がよく見える中央のやや後方寄り。何故そこにしたかというと、今回は凛ちゃんと未央ちゃんを見るためである。
前に卯月ちゃんと会った時、たまには凛ちゃんと未央ちゃんも見てほしいと言っていた。やはりグループで活動している以上、グループとしての完成度やパフォーマンスも見てほしいのだろう。
二人にはあまり興味がなかったが、それはよく知らないからで、じっくり見れば好きになるかもしれない。俺が二人のことも好きになって、そういう話題もできれば、きっと卯月ちゃんも喜んでくれるだろう。卯月ちゃんと話すネタのために見るというのは申し訳ないが、必ずプラスの発見があるはずなので許してほしい。
突っ立っているだけの長い待ち時間。ライブはいつもこの時間が苦痛なのだが、自分から積極的に単独で参加しているのだから仕方ない。
喉が渇いたが、トイレに行きたくなるといけないので、なるべく飲まずに我慢する。あまり我慢すると倒れるが、飲む分量とタイミングは経験でわかっている。
やがて、幕が開いて会場が声と音に包まれた。同じ衣装を着て現れた3人は、まず『Star!!』を歌って一気に会場のテンションはマックスに。俺もピンクのペンライトを振りながら、相変わらず卯月ちゃんばかり見つめている自分に気が付いて、凛ちゃんと未央ちゃんを見てみた。
二人ともダンスにキレがある。未央ちゃんの方がきびきびした動きだが、凛ちゃんも卯月ちゃんよりずっと上手だ。卯月ちゃんしか見ていなかったので、彼女たちはあまりダンスは得意ではないかと思っていたが、それは誤解だった。卯月ちゃんには申し訳ないが、得手不得手だろう。
凛ちゃんは無表情で歌っている。しかしそれは、卯月ちゃんより魅力がないというわけではない。ツンと澄ました眼差しが、長身で美人の凛ちゃんの魅力を引き立てている。
未央ちゃんはとにかく元気だ。卯月ちゃんとかぶるイメージがあったが、卯月ちゃんは笑顔、未央ちゃんは元気。表情豊かで、歌詞の情景を全身で表現している。
2曲目に凸レーションの『LET'S GO HAPPY!!』を披露して、意外な選曲に沸いた。
曲数が少ないので、同じプロダクションの曲を歌うこと自体はよくある。前に卯月ちゃんがソロで『Naked Romance』を歌った時は、あまりの可愛さに死にかけた。
凛ちゃんにこういう曲はどうかと思ったが、意外とノリノリで歌っていた。プロ根性というより、見た目から来る先入観があるだけで、凛ちゃん自身は色々なことに挑戦できるタイプなのだろう。
2曲終わると3人は挨拶をしてから、スタッフが持ってきた椅子に座った。会場の照明が少しだけ明るくなる。
「今日はトークショーも兼ねてるから、何かお話しますね。あっ、私たちだけ座るのもあれだから、皆さんも座ってください」
卯月ちゃんが明るく手を振ると、未央ちゃんが鮮やかに突っ込んだ。
「ここ、スタンディングだけどね」
「あっ、そっか」
会場がドッと沸く。天然なのか、台本通りなのか。
1回目のトークは、最近凛ちゃんが二足のわらじで始めたTriad Primusの話だった。
と言っても、宣伝ではない。凛ちゃんがいなくなったら、二人でどうやって活動しようと盛り上がりながら、凛ちゃんがそれに突っ込みを入れる内容で、冷静だったり慌てたりする凛ちゃんが可愛かった。
卯月ちゃんのような王道の可愛さとは違う、ギャップ萌えというやつだろうか。卯月ちゃん派の俺には、なぜ卯月ちゃんより凛ちゃんなのかと思っていたが、なるほど凛ちゃんを好きになる人が多いのも頷けた。
トークの後、『とどけ!アイドル』と『流れ星キセキ』の2曲披露する。その次は立ったままの動きのあるトークを始めた。
先ほどの曲のダンスが難しかったという内容で、未央ちゃんが実際に動きながら説明する。後の二人が全然できない情景を実践して見せ、会場が笑いに包まれる。
こうして見ると、卯月ちゃんは少しどんくさい。もっとも、それも卯月ちゃんの大きな魅力の一つである。歌もダンスもトークも演技も、全部こなせるスーパーマンでは面白くない。
トークの後は、一人一曲ずつ。それぞれの持ち歌ではなく、やはり他の人の曲を歌った。今日初めて彼女たちのライブに来た人には物足りなかったかもしれないが、常連の自分たちには最高のセトリである。
卯月ちゃんは『2nd SIDE』を披露した。カッコイイ曲なのに、卯月ちゃんが歌うと可愛らしい曲になる。そういうところも面白い。
3回目のトークは卯月ちゃんメイン。俺はここ最近の卯月ちゃんをよく知っていたので、一体どの話をするのか楽しみにしていた。しかし、卯月ちゃんが話し始めたのは、先輩アイドルの小日向美穂と遊びに行ったという、初耳の話だった。
優柔不断同士なのでレストランでの注文が全然決まらなかったとか、二人で地図を見ながら歩いていたのに道に迷ったとか、ドジ系統の話を披露して凛ちゃんと未央ちゃんに突っ込みを入れられる。
そんな卯月ちゃんの笑顔を見つめながら、俺は自分とステージ上の卯月ちゃんとの距離を感じた。背筋が冷たくなり、指先が震える。声があまり頭に入って来なくなった。
その話を初めて聞いて、どっと笑うファンたち。俺もその中の一人でしかない。胸にあった勝手な優越感が音を立てて崩れ落ちた。
元々、距離はあったのだ。卯月ちゃんが個人的にLINEをくれて、何かとても特別な存在になった気がしていたが、そんなのはただの自惚れだった。
トーク一つで大袈裟かもしれない。しかしそれは、きっかけに過ぎない。ステージでキラキラ輝く、手の届かないアイドルの女の子。俺は何か勘違いしていたのではないだろうか。
トークの後、2曲披露する。そしてアンコール1曲の後に始まる握手会。
ステージの上に作られた台に、3人が最後の曲の衣装を着たまま座る。俺は卯月ちゃんの列に並んだ。
列の長さは、少し卯月ちゃんが多い印象。ステージの上で卯月ちゃんがたくさんのファンと握手したり、談笑したりしている。
その様子を見て、俺はなんだか胸が苦しくなり、思わずギュッとシャツの胸元を掴んだ。何故かとても嫌だった。卯月ちゃんが他の男たちの手を握る姿が、その瞳に自分以外のファンが映ることが、とても嫌だった。
何故かなんて、わかっている。先ほど気が付いた勘違いが、自分の予想以上に深刻だったのだ。みんなのアイドルを自分だけのもののように感じて、他のファンと仲良くしている姿を見て嫉妬する。
最低だ。
元々昔から思っていた。身分をわきまえて盛り上がっている他のファンより、勝手にアイドルを身近な存在に感じている俺の方が、ファンとして正しくないと。
醜い片想い。男の恋心とは、どうしてこうも絵にならないのだろう。
自虐的に笑って、俺は列を離れた。
賑わいを背に、ライブハウスを出る。日は落ちてなお、空気は暑さを失っていない。
スマホを開くと、待ち受け画面で卯月ちゃんが微笑んでいた。それがじわりと滲んで、ディスプレイに涙が落ちた。
俺の短い幸せは、そうして呆気なく幕を下ろした。