その夜、嫌な夢を見た。暗い部屋でずっとスマホを手に卯月ちゃんからの連絡を待ち続けるが、とうとう来ることはなく、限界を迎えて電話をすると着信拒否されていた。
もちろん、卯月ちゃんがそんなことをするはずがないし、昨日のこともそこまで気にしてはいないだろう。単に自分自身の罪悪感がそんな夢を見せたのだ。
朝になって卯月ちゃんのツイッターを見ると、学園祭への参加の宣伝と、△△大学へのリンクが張られていた。タップして見ると、煌びやかな学園祭の宣伝ページに飛び、ゲストの一覧に卯月ちゃんの名前もあった。
ピンクチェックスクールというユニットで参加するらしい。宣伝写真のセンターは卯月ちゃんの話にもよく登場する小日向美穂。左に卯月ちゃん、右側は知らない子だった。もちろん346プロ所属の子だろうが、少なくともシンデレラガールズのメンバーではない。
詳細ページを開くと、3人の簡単なプロフィールが書かれていた。右の子は五十嵐響子といって、新人のアイドルらしい。芸能事務所がよくやる、抱き合わせ商法的なものだろうか。そんなことを卯月ちゃんに聞いたら、30年くらい口を聞いてもらえなくなりそうなので、その好奇心は封印する。
ピンクチェックスクールは響子ちゃんの加入によって新たに結成されたユニットで、今回の学園祭が初お披露目になるようだ。もちろん、ずっと卯月ちゃんを追いかけている俺が知らないのだから、それは間違いない。だからこそ、卯月ちゃんも見に来てほしかったのだろう。
その朝はいつもある卯月ちゃんからのおはようメールが来なかった。俺からも送りづらくて、その日一日ずっとメールを待っていると、だんだん朝の夢が現実に思えてきて嫌な汗が流れた。
もしかしたら本当に、卯月ちゃんはたった1回断っただけで俺を見限ったのではないだろうか。それとも、俺が自分で思うより断り方が悪くて、怒っているのかもしれない。なにせ、彼女からの誘いを断ったことがないので、その辺りはよくわからない。
電話して謝った方がいいだろうか。しかし、行けないこと以上に、何を謝ればいいのだろう。不機嫌に「もういいです」と言われたら打つ手がない。
ああ見えて卯月ちゃんは意外と我が儘だ。いや、欲求に素直と言うべきだろう。相手は17歳の女の子だし、多少の理不尽は甘んじて受けなくてはいけない。
そもそも相手はあの島村卯月である。俺がずっと追いかけて、目が合っただけで、名前を呼ばれただけで、握手会で手が触れただけで、何日も幸せになれた遠い存在だった。その卯月ちゃんに望まれたことを、俺に断る権利などあるのだろうか。慢心してはいないか。彼氏という立場に甘えて、増長しているのは自分の方ではないか。
卯月ちゃんと友達は両立できると思っている。ただ、もしもそれが叶わないのなら、どちらを選ぶかは決まっている。たったの1回断っただけで、卯月ちゃんがそれを勘違いしているのなら、俺は友達をすべて捨てても構わない。卯月ちゃんはそんな子ではないと思っているが、もしそうだったとしてもやっぱり好きだ。
いよいよ焦りがピークに達して、自分から連絡しようとスマホを取った。今朝の夢が脳裏をよぎる。本当に着信拒否されていたらどうしよう。
ボタンを押そうとした瞬間、突然スマホがブルッと震えて、俺は思わず変な声を出して仰け反った。ホームを見ると卯月ちゃんからメールが来ていて、短い文でこう書かれていた。
『今夜会えませんか? 少しお話がしたいです』
絵文字も顔文字もスタンプもないメールに、俺は卒倒しそうになった。連絡をくれたのは有り難いが、内容が不穏すぎる。
最悪の展開が頭の中を駆け巡る。話とは何か。まさか本当に別れを告げられるのではないか。
『大丈夫。いつもの場所でいい?』
既読をつけてしまったので急いで返すと、卯月ちゃんからもすぐに返事が飛んできた。
『私から行きます。駅までは迎えに来てもらえると嬉しいです』
やはり素っ気ない文章。それに、わざわざ俺の部屋まで来て話したい内容とはなんだろう。まさか昨日からの流れで、エッチがしたくてしょうがないなどという展開は有り得ない。少なからず深刻な話がしたいのだろう。
『わかった。また時間とか連絡ください』
平生を装ってメールを返す。
その後のことはあまり記憶がない。ただひたすら、卯月ちゃんから別れを告げられた時のことを考えていたら、いつに間にか夜になっていた。
謝る準備も、卯月ちゃん以外のすべてを捨てる覚悟もある。それでも結局、卯月ちゃんの気持ちが俺になければ、そんな覚悟に意味はない。別れを告げられたら大人しく身を引こう。
一度家に帰ってから、死地に向かうように駅に向かうと、卯月ちゃんは予定通りの電車で現れた。俺を見て小走りに駆けて来る。
「無理言ってごめんなさい。今日は大丈夫でしたか?」
「全然平気。夜は基本的に空いてる」
「ですね。じゃあ、行きましょう!」
明るい声でそう言って、笑顔で歩き出す。今のところ、別れ話を切り出してくるような雰囲気ではなかった。何時間も断頭台の上にいた俺は、思考がついて行かずに思わず固まった。卯月ちゃんが不思議そうな顔をする。
「どうかしましたか?」
「いや、卯月ちゃんが元気そうだから」
「はい。◯◯さんにも会えましたし」
「別れ話をしに来たわけじゃないんだよね?」
ついそう口走ると、卯月ちゃんは驚いたように眉を上げてから、呆れたように肩をすくめた。
「◯◯さん、すぐ私と別れたがりますね。破滅願望でもあるんですか?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
たじろぎながら否定すると、卯月ちゃんはやれやれと首を振った。少し前までは、この流れだと機嫌を悪くしていたが、もう慣れてしまったらしい。笑顔で軽口を叩いてくる。
「ごっこ遊びでよければ、○○さんをフッてもいいですよ?」
「あー、卯月ちゃんがどんなふうに俺を捨てるのかには興味がある」
「理由次第ですよ。少しでも早く別れたいのか、本当は嫌なのに離れ離れになるのか」
「涙目で頬を叩いてほしい」
「悪趣味ですね。ドン引きです」
卯月ちゃんがふふっと笑って口元に手を寄せる。やはり機嫌はすこぶるいいようだ。
部屋に着くと、卯月ちゃんは靴を脱いでそのまま奥に上がった。いつもだと抱き締めたりキスをしたりするが、今日はそういう空気ではない。
お茶を入れて部屋に入ると、卯月ちゃんはテーブルの上で手を組んで、壁に貼ったポスターを見つめていた。CINDERELLA PARTY!で買ったもので、シンデレラガールズのメンバー全員が写っている。
卯月ちゃんはお茶を一口飲んでから、神妙な面持ちで俺を見た。薄い唇を開いて、緊張した声で告げる。
「今日は、学園祭のステージの魅力を伝えに来ました」
「えっ? あ、うん……」
まったく予期していない言葉に、俺は思わず間抜けな顔で頷いた。卯月ちゃんは気にせずにバッグから小さな封筒を取り出して、テーブルの上に置いた。中には写真が1枚入っていて、俺に渡してくる。今朝知ったピンクチェックスクール3人の写真で、どうやらオフショットのようだ。3人が私服でピースしている。撮ったのはプロデューサーだろうか。
「それはプレゼントです。美穂ちゃんはもう知ってますよね?」
「うん。生で見たことはないけど」
「ピンチェの企画はだいぶ前からあったんですけど、3人目がなかなか決まらなかったんです。346には素敵なアイドルがたくさんいますけど、個性豊かな人が多いからユニットは難しいんです」
「智絵里ちゃんとかは? バランス良さそうだけど」
美穂ちゃんと卯月ちゃんは、346プロの分類でいうところのキュートメンバーにあたる。同じキュートメンバーで、我の強くなさそうな智絵里ちゃんなら合いそうに思う。
卯月ちゃんは静かに首を横に振った。
「シンデレラメンバーからは私だけって決まっていて、私を基準に美穂ちゃんが選ばれました」
「そっちなの? リーダーは美穂ちゃんだよね?」
驚きに声が大きくなる。卯月ちゃんは深く頷いて続けた。
「凛ちゃんのTriad Primusが成功したから、次はニュージェネのメンバーの私に別のユニットを持たせようというのが、ピンチェの発端です。ただ、リーダーは歴の長い美穂ちゃんになりました」
それは予想外だった。それだけ346プロの中で卯月ちゃんの評価が高いのだろう。
「メンバー選びで難航していたところに、響子ちゃんが加入しました。すごいですよ、響子ちゃんは」
卯月ちゃんがどこか不敵な微笑みを浮かべる。ライバル心のようなものは見えないし、かと言って負けない自信に漲っているわけでもない。勝ち負けとは別のところに存在しているようだ。
「ほんわかして見えるけど、ダンスが上手とか?」
「歌は上手ですけど、ダンスはまだこれからという感じですね。響子ちゃんはとっても家庭的で、お料理が上手です。美穂ちゃんと一緒にお呼ばれしたことがあるんですけど、すごく美味しかったです」
「料理……」
およそアイドルらしからぬ単語が飛び出して、俺は改めてもらった写真に視線を落とした。確かに、家庭的な雰囲気があって、エプロンが似合いそうだ。それでいて、3人の中で一番芯が強そうな印象もある。不思議な空気の子だ。
卯月ちゃんが少しだけ沈黙を挟んでから、圧のある声で言った。
「私のために作られたユニットの、初めてのイベントです。新曲もありますし、今まで一度も歌ったことのない歌も歌います。衣装ももちろん初披露です」
「それはとても魅力的だけど……」
俺はたじたじになって情けなく眉をゆがめた。卯月ちゃんは懇願するように、けれどどこか反論は許さないと言わんばかりに俺を見つめている。
これはずるい攻撃だ。元々俺だって行きたいのに、わざわざ家にまで来てお願いされたら断るに断れない。それに、恐らく行くと言わない限り、卯月ちゃんはいつまでも喋り続けるだろう。
バッグから新しい紙を取り出しながら、卯月ちゃんが話を続けた。
「何をするかはまだ企画中ですけど、今決まっている分だけでも話しますね。本当は現場で驚いて欲しいんですけど、来てもらえなかったら意味がないですし」
そう言いながらネタばらしをしようとする卯月ちゃんを、そっと止めた。
「もういいよ。わかった」
「来てくれるんですか?」
どこか不安げに俺の顔を覗き込む。俺はため息混じりに頷いた。
「来てほしいんだよね? 俺だって行きたいし」
「お友達は大丈夫ですか?」
「たぶん大丈夫じゃないから、友達が一人もいなくなったら責任取って」
あまり深刻にならないようにそう言うと、卯月ちゃんは嬉しそうに頷いてから、俺の方に擦り寄ってきた。そのまま俺の体を抱きしめるように胸にすがりついてくる。
「わかりました。ずーっと好きでいますから、○○さんも、ごっこ遊び以外で私のことをフラないでくださいね?」
唇を重ねて抱きしめる。柔らかな胸部が押し付けられて、すぐにズボンの中が窮屈になる。細い腰、柔らかな肌、女の子の香り。そっと髪を撫でながら、むさぼるように唇を吸い上げた。
ズボンのホックを外して横になる。スカートの中に手を忍ばせて太ももに触れると、卯月ちゃんがとどめるようにその手を取った。顔を離して、瞳を潤ませながら首を振る。
「今日はその、ダメなんです」
「ダメって?」
「つまり、生理で……」
一瞬の間。卯月ちゃんが恥ずかしそうに俯いて、ようやく俺は「女の子の日」という単語を思い出した。
「それは、ごめん……」
「いえ、別に謝らなくてもいいです」
横になったまま卯月ちゃんを上に乗せて抱きしめた。考えてみると、付き合い始めてから長いし、エッチはともかくそれなりに下着の中に手を入れている気がするが、生理という単語を聞いたのは初めての気がする。
初めてエッチをした日、思い切り中で出してしまったが、その後生理が来たかも聞いていなかった。聞いていいのかわからなかったというより、考えもしなかったというのが本当のところだ。恥ずかしながら、女性と付き合ったこともなければ縁もないので、その辺りのことがいまいちよくわからない。
例えば今、こんな時は何を言えばいいだろう。思い悩んでいると、それが空気で伝わったのか、卯月ちゃんが困ったように息を漏らした。
「私も男の人と話したことがないから扱いがわからないんですけど、女の子って、ペース的には4日か5日に1日は生理なので、あまり特別に考えなくても大丈夫ですよ?」
「それは、まあ。今まで、俺と会ってる時に一度もなかったの?」
「まさか。エッチの時はないですけど、ちょっとイチャイチャしてる時は何度か。終わりがけとかだと、まあいいかなって。私も触ってほしいし」
恥ずかしそうに卯月ちゃんがそう言って、その言葉の響きに俺は昇天しそうになった。
ずっしりと卯月ちゃんの重みを感じて、触れ合う熱さに汗が噴き出してくる。こうして卯月ちゃんを抱きしめていられるだけで、とても幸せだ。
時間の許す限りこうしていて、後でこの感触を思い出しながら一人でしよう。そんなことを考えながら背中を撫でていると、卯月ちゃんが俺の肩に顔をうずめたまま、するりと片手を俺の腹から下へ滑らせた。そのままホックを外したズボンの中に忍ばせる。
ひんやりとした指の感触が股間を刺激して、思わず息を呑むと、卯月ちゃんが頬を赤くして俺を見た。
「まあでもその、窮屈そうだし、少しだけ、来てくれるお礼をしてもいいかなって……」
自分に言い訳をするようにごにょごにょとそう言いながら、顔を近付けてくる。
キスをして抱き合いながら、改めて幸せを噛みしめた。友達との約束はどうしたものかと頭をよぎったが、せっかく卯月ちゃんがにぎにぎしてくれているのに、今はそれを考える時ではない。
ひとまず今は、可愛い彼女との時間を存分に楽しむことにした。
なお、結局友達との約束は反故にしたのだが、彼らの好きな酒を1本ずつ買って、一人一人にお詫びして回った。
結果としてその時にそれぞれ濃密な時間が取れたので、彼らとの時間はやり直すことができたのだが、いずれにせよ彼女優先の生活はまだ当分続きそうだった。
卯月ちゃんには、とにかく予定を早めに出してくれるようにお願いしたが、今回のように急に決まるものにも備えなければならない。
今回反故にした理由はうやむやにしたが、彼女を優先したことは全員にバレ、彼女の写真を見せざるを得なくなった。
なるべく変装して島村卯月に見えないものをチョイスしたが、どう見ても俺に不釣り合いな若くて可愛い子の写真を見て、口を揃えて犯罪だと罵ってきた。
実際に青少年なんとか的には完全にアウトなので反論はできなかったが、圧倒的に可愛い女の子の登場に、これなら仕方ないと納得された。とりあえず卯月ちゃんの可愛さに感謝しながら、またこいつらとも遊べたらと、悔しがっている仲間たちを見てそう思った。