大学の学園祭というものに縁のある人生ではなかった。
アイドルオタというほどオタク趣味に傾向しているつもりはないが、かと言って情熱だとか青春だとか、そういう対極の集団に属していたわけでもなかった。
気の合う数人の仲間とだらだら過ごし、夢や目標もなく、その日その日を思うままに生きていた。それは今でも変わっていない。キラキラした瞳でアイドル活動を頑張っている卯月ちゃんを尊敬しているし、全力で応援しているが、それに感化されて自分も何か頑張ろうというつもりはまったくない。
所詮俺はその程度の平凡な人間であり、今でも卯月ちゃんが俺のどこが好きなのかまったくわからない。卯月ちゃんの愛情を疑っているのではなく、自分に魅力を感じられないだけだ。
ともかくそういうわけで、△△大学の学園祭は、俺の人生で初めて参加する学園祭になる。どんなものかとサイトをチェックすると、パンフレットのPDFとともに、企画がずらりと並んでいた。
メインステージにサブステージ、体育館でのタイムテーブルは、バンド演奏やらショーやらダンス企画で埋まっている。模擬店やクラブ活動の発表、チャリティーバザーにちびっこ企画などもあるらしい。高校の文化祭と違い、後夜祭まであって時間も長い。
見ていてまったくワクワクしないので、やはり俺の性には合わないようだ。ただ、もし卯月ちゃんと回れるのなら、色々な企画が輝いて見える。要するに、何を見るかではなく、誰と見るかなのかもしれない。
もちろん、残念ながら、卯月ちゃんと回ることはできない。目玉ゲストの一人だし、ライブが終わってからも俺と一緒にいられる時間はないだろう。仮にあったとしても、卯月ちゃんのファンの集まっている学園祭を、二人で回ることなどできるはずがない。結局、ライブだけを見る前提で、その30分前くらいに着くように家を出ることにした。
当日は見事な秋晴れだった。雨の少ない季節ではあるが、メインステージは屋外なので、ひとまず天気に感謝する。朝の内に卯月ちゃんに予定をメールすると、なるべく早く来るよう返事が来た。
早く行ったところで卯月ちゃんが相手してくれるわけではないのだが、電車の事故や遅延を心配しているのだろう。参加者の多くがグループで楽しんでいる空間に、一人で佇むのはとても心が折れるので、適度な時間に行こうと家でのんびりしていると、昼の少し前に卯月ちゃんから電話があった。
呑気に出ると、俺が「もしもし」と言い終わらない内に、卯月ちゃんが焦った様子で喋り始めた。
『○○さん、まだ家ですか!?』
「そうだけど、どうしたの?」
卯月ちゃんがこんなにも慌てるのは珍しい。交通情報は確認していて、会場に辿り着けないことはなさそうだが、卯月ちゃんの方で何か問題が起きたのだろうか。
姿勢を正して耳を傾けると、卯月ちゃんは潜めた声で早口に言った。
『あの、来る前に私の家に寄れませんか?』
一瞬何を言われたのかわからなかった。言葉自体は鮮明に聞き取れたのだが、俺が卯月ちゃんの家に行くというシチュエーションが想像できない。何度も近くまで送って場所は知っているが、もちろん中に入ったことはなく、ご両親に挨拶をしたこともない。
「えっと、とりあえず落ち着いて。何がどうしたの?」
自分に言い聞かせるようにそう言って、大きく深呼吸する。卯月ちゃんも同じように長く息を吐いたが、声に漂う悲壮感は先程までと変わらなかった。
『今日のMCで使う大切なものを部屋に忘れてきてしまいました。それを取ってきてほしいんです』
「ちょっと待って。それなら初めから家の人に持って来てもらった方が早くない? 俺が家の人と会うのも、なんていうかリスキーな気もするし」
『家に誰かいるならそうします。今日は誰もいないんです!』
「えっと、それじゃあ、俺、どのみち家に入れない」
『庭の倉庫にスペアキーがあります。それを使って……』
「ちょっと待って! ちょっと待って!」
何か不穏な話になってきたので、慌てて止めた。誰もいない家に一人で入ることなどできないし、スペアキーの場所など知りたくもない。もちろん俺は盗みなど働かないし、卯月ちゃんもそんなことは考えていないだろうが、もしもこの先何かあった時に、俺が疑われる可能性がある。そう伝えると、卯月ちゃんはもどかしそうに言った。
『場所を教えたなんてパパにもママにも言いませんし、○○さんが望むなら、キーボックスの暗証番号は後から変えてもいいです』
「それにしても、もし誰か帰って来たら……」
『絶対に誰も来ません。パパもママも夜まで帰りません。信じてください!』
卯月ちゃんが声を潜めながら、語気を強くする。別に信じていないわけではない。疑っているのは卯月ちゃんの正気だけだ。
俺は時計を見た。今から卯月ちゃんの家に寄ると、イベントのスタートに間に合わない可能性が高い。そう伝えると、卯月ちゃんはこうしている時間すら惜しいように声を荒くした。
『大丈夫です。MCのどこかで間に合えば問題ありません』
「いや、俺がスタートから見られなくなるっていう話だけど」
『それは……』
急に卯月ちゃんがトーンダウンする。焦りのあまり、そこには気が回らなかったらしい。
わざわざ家まで来てイベントに参加してほしいと願ったのだ。俺が間に合わなくなるのは、卯月ちゃんも望むところではないだろう。
スマホの向こうで逡巡する気配がする。やがて、苦渋の決断だと言わんばかりに、卯月ちゃんが重たく息を吐いた。
『仕方ありません。○○さんにスタートから見てもらえないのは残念ですけど、どうしても取ってきてほしいんです』
「待って。俺だってスタートから見たいんだけど。俺の気持ちは?」
『○○さん、そもそも来るつもりなかったじゃないですか』
「今さらそれを言う? 誰かスタッフの人に走ってもらったらいいじゃん」
つい強い口調で言い返すと、卯月ちゃんもイライラするように乱暴に言葉を吐いた。
『スタッフさんに、一人で私の家に上がれって言うんですか? ○○さんだから信用して頼んでるんですよ?』
「信用してくれるのは嬉しいけど、土台無茶な話だから。諦めて」
『私がこんなに頼んでるのに、どうしてそんな意地悪なことを言うんですか? みんなで今日のライブのために作った、お揃いのブレスレットなんです!』
「そんな大事なもの、どうして忘れるんだよ!」
『忘れたものはしょうがないじゃないですか! 今、そんなこと怒らないでくださいよ! 私が一番落ち込んでるのに!』
「また次のイベントで披露したら?」
『響子ちゃんのデビューイベントなんです! ピンチェのデビューイベントなんです! ○○さんしか頼れないんです。お願いします……お願い……』
卯月ちゃんが嗚咽を漏らして言葉を詰まらせる。声だけでも卯月ちゃんがぼろぼろ泣いているのがわかって、俺はヒートアップしていたのがスッと冷めた。泣くのは反則だ。島村卯月にここまで懇願されて、突っぱねることなどできるはずがない。
「わかった。寄るから。時間がもったいないから、通話切るよ? LINEで鍵とかブレスレットのこと教えて」
返事を待たずに通話を切った。涙声で礼など言われたらたまったものではない。散々拒否した上、嫌々行くのだ。感謝されるような行動ではない。
服は着替えていたので、財布とスマホを持って家を飛び出す。秋とはいえ、天気が良くて走ると汗をかく程度には暑い。
時刻表を確認して、丁度いいタイミングで電車に飛び乗った。スマホを見ると、卯月ちゃんからLINEが来ていた。
『ありがとうございます。無理言ってごめんなさい。今度必ずお礼はしますから、よろしくお願いします』
そんな言葉から始まり、庭への入り方、倉庫の開け方、スペアキーの場所と、ボックスの暗証番号、卯月ちゃんの部屋の場所、最後にブレスレットの置き場所と形状が細かく書かれていた。
お礼がしてほしくて行くわけではないが、今度またエッチなことをしてもらおう。泣かせておいてあれだが、それくらい頼んでも罰は当たるまい。
駅で人をかき分けながら電車を乗り換え、卯月ちゃんの家へ急ぐ。あまり全力ダッシュして、余所様の家の庭でゼェゼェ息を切らすわけにはいかないので、最寄駅からはほどほどに走った。走りながら、自分は島村家の人間であると自分に言い聞かせる。万が一近所の人に声をかけられても、自然に嘘がつけるよう自己暗示をかける。
幸いにもその必要はなかった。卯月ちゃんに言われた通りに庭に入り、倉庫を開けてスペアキーのボックスを開けた。ここの暗証番号だけは本当に変えておいてほしいが、卯月ちゃんがそれを突然親に頼むのも、それはそれで怪しまれるから難しいところだ。
家の鍵を開けて中に入ると、あまり色々考えずに卯月ちゃんの部屋に向かった。いつかお呼ばれしたいと思っていたが、まさか本人が不在で、泥棒のように侵入することになるとは想像もしなかった。
家の中の静寂がひどく怖い。両親は絶対に帰らないと言っていたが、もし万が一母親が帰って来たら、本当に色々と終わってしまう。もちろん、その時はLINEを見せてわかってもらうしかないが、その後は親公認の仲になるか、別れさせられるかのどちらかになるだろう。
卯月ちゃんの部屋に入る。ピンクやオレンジ色の多い暖色系のコーディネートで、ふんわりと卯月ちゃんの香りがした。左の壁にはニュージェネのポスターが貼ってあり、勉強机の上にはコルクボードに何枚か写真が貼られていた。
中に入って写真を見ると、アイドル仲間と撮ったものばかりで、当然俺との写真は1枚もなかった。
右手の棚には雑誌が押し込まれ、その下には収納ボックスが並んでいた。何気なく一つ引っ張り出すと、見たことのある服が綺麗に畳んで仕舞ってあった。
下着もどこかにあるだろうか。1つずつボックスを引くと、すぐに下着類の収納されているボックスに行き着いた。パンツを1枚手に取って広げたところで、何かとても良くないことをしている気持ちが心を覆った。
どうにかそれを押し殺して、しばらく卯月ちゃんの下着を堪能してから、言われていたブレスレットを手に取った。幅の広い金属製のブレスレットで、白とピンクのチェック柄の、厚手の生地が埋められている。UZUKIと名前が刺繍されていて、美穂ちゃんと響子ちゃんも同じものを持っているのが容易に想像がついた。
「どうしてこれを忘れるかなぁ」
呆れながら、ボディバッグに突っ込む。ふと見ると、机の上に「Diary」と書かれた厚手の日記帳が、いかにも俺に見てほしそうに置かれていた。
適当に開いて見ると、手紙で見慣れた卯月ちゃんの文字が詰まっていた。
『**月**日 学校の後、ダンスレッスン。ようやく手と足のリズムが揃ってきた。成長を感じる』
『**月**日 美穂ちゃんとお茶をする。30分くらい、美穂ちゃんがくまモン愛を喋り続けていた』
『**月**日 ボイトレ。最近トレーニングでしか歌っていないから、久しぶりにカラオケに行きたい』
『**月**日 凛ちゃんのおうちに寄る。お部屋にお花を飾りたいけど、新しいことを始める余裕がない』
1つ1つは短いが、星やらハートやらがカラフルに散りばめられている。
CINDERELLA PARTY!の日の日記を開くと、あのビッグイベントすら、他と変わらない分量で淡々と書かれていた。
『**月**日 ライブ本番。緊張したけど上手くできたと思う。次のニュージェネのライブも楽しみ』
シンプルに1行。きっとこの日記帳はそういうポリシーなのだろう。下手にたくさん書くと飽きも早く来るものだ。
そろそろ学園祭に行かなくてはと思ったが、どうしても気になったので、一緒に海に行った日を開いてみた。
『**月**日 海水浴。すごく楽しかった。着替えは忘れないようにしたい。浮かれているとすぐに忘れ物をする』
残念ながら、その反省は生きていないようだ。バッグに入れたブレスレットを思い出しながらページをめくる。
俺がテンパった初デートの日も、やはりシンプルだった。
『**月**日 智絵里ちゃんの言っていた切り絵展とか、みくちゃんの言っていたカフェに行く。充実した一日だった』
やはり、ボードの写真だけでなく、この日記の中にも、俺のことは一文字も出て来ない。
これ以上はいけないと思いながら、初めてエッチした日の日記も読んでみた。
『**月**日 ようやく問題が解決した。やっぱり私からも動かないとダメだなと思った。反省』
ピラピラとその前の方にも目を通すと、俺と疎遠になっていた時間を随分悩んでいたのが伝わってきた。もっとも、すべて「問題」の二文字に集約され、具体的には書かれていなかった。
最後に、すべての始まりの日、卯月ちゃんと偶然街で出会ったあの日の日記を開く。
『**月**日 素敵な春色のワンピースと出会った。一生の宝物にしたい。似合うのは後数年だと思うけど』
やはり、まるで別世界の物語でも見ているかのように、俺の名前は一文字も書かれていなかった。