日記を見たのは失敗だった。電車に揺られながら、もやもやした気持ちでそう思った。スマホが震えたので見てみると、先ほど送った卯月ちゃんへのブレスレット回収報告に対する返事だった。
『ありがとうございます。着いたらスタッフの誰かに渡してください』
開演まではまだまだ時間があるが、先ほど所要時間を調べたら間に合いそうになかった。会場が卯月ちゃんの家から近ければ良かったが、生憎そういう立地ではなかった。いや、俺がパンツを広げたり、日記を読んだりしていなければ、もしかしたら間に合ったのかもしれない。
パンツはともかく、日記は後悔している。あそこまで一切俺が登場しない理由を聞いてみたくて仕方ないが、日記を見たことを話すわけにはいかない。つまり、このもやもやは一人で消化するしかない。
車内が退屈だったので、バッグからブレスレットを出して、布地を指でなぞってみた。お揃いというと、未だに卯月ちゃんとペアのものを何も持っていない。あまり装飾品の類は身につけないが、今度ペアリンクでも買ってみよう。
スマホでペアリングを調べていると、△△大学の最寄り駅に着いた。改札を出たところから学生が案内をしていて、案内板と人の流れに従って大学へ向かう。
入口でパンフレットをもらうと、すぐにメインステージの場所を確認した。すでに開始時間を15分ほど回っている。到着予定時間は伝えてあるから、不安がらせることはないと思うが、俺自身が一刻も早くステージを見たい。
会場へ急ぐと、卯月ちゃんたちの歌声が聴こえてきた。曲はニュージェネのライブでも時々歌われる『STORY』だ。元々ニュージェネとTriad Primusの5人の曲で、一度だけ奈緒ちゃんと加蓮ちゃんがゲストに来てオリジナルメンバーによるステージを見たことがある。
美穂ちゃんと響子ちゃんとの『STORY』も見てみたかったが、パンツと引き換えだと思って諦めた。
ステージに着くと、丁度曲が終わったところで、歓声が上がる。想像したよりも人がたくさん見に来ていて、今から前の方に行くのはとても無理そうだった。
早いところブレスレットを渡しに行こうと思って、ふと立ち止まった。考えてみると、俺がこれを持って行くのはまずいのではないだろうか。
当然だが、卯月ちゃんのプロデューサーにもスタッフにも、俺は認知されている。あれだけ頻繁に現場に行き、握手会も欠かさずに行っているのだ。スタッフの中には、何度も俺を引き剥がした人もいる。
その俺が、卯月ちゃんの忘れ物を届けるのは、付き合っていることはともかく、少なからず個人的なやり取りがあることがバレてしまう。そのことが今後の卯月ちゃんにとって良いことをもたらす可能性は、万に一つもない。
ステージの上では、美穂ちゃんを中心に何やら楽しそうな話がされている。何かいい方法はないか、辺りを見渡すと、ステージから離れた場所に見たことのある女の子が立っていた。一度だけ会ったことのある前川みくだ。
一瞬で決断して、俺はみくちゃんのもとへ駆け寄った。スタッフにバレるより、すでに少なからず知られているみくちゃんに頼んだ方がましだ。
「みくちゃん」
そっと呼びかけると、みくちゃんは俺の方を見てから、ジトっとした目つきをした。
「オフの時に話しかけるのはマナー違反にゃ」
小声で非難してくる。俺のことを覚えているのか忘れてしまったのかはわからないが、今はどうでもよかった。バッグからブレスレットを取り出して差し出す。
「これをスタッフの誰かに渡してきてほしいんだけど。卯月に頼まれて持ってきたけど、俺が行くのはまずい気がして」
みくちゃんは表情を和らげてブレスレットを取ると、驚いた顔で俺を見上げた。
「それで遅れたの?」
「そう。家まで取って来いって言われた」
「ふーん。本当に親戚だったんだ」
どうやら俺のことは覚えていてくれたらしい。あの日、卯月ちゃんは俺のことを従兄弟だと紹介した。もちろんみくちゃんは信じていない様子だったが、家に行ったことで逆に本当に親戚だと思ったらしい。
「わかったにゃ。じゃあ、ちょっと行ってくる」
一緒に見ていたもう一人に声をかけて、すぐにステージの方へ走り出す。俺も軽く頭を下げてその場を離れようとすると、いきなり手首を掴まれた。
「せっかくだし、一緒に見ようよ。どうせ今からじゃ、前の方には行けないし」
女の子の声。帽子を被って、男っぽい格好をしていたから気付かなかったが、そこにいたのはみくちゃんの相方の多田李衣菜だった。
正直なところ、シンデレラガールズの中では興味のない一人で、実物もCINDERELLA PARTY!で初めて見た。ボーイッシュでカッコイイ系という印象だったが、至近距離で見たら、すごく可愛い顔立ちをしている。
確かにこの子もアイドルなのだと意識したら、急に緊張してきた。
「李衣菜ちゃん……」
「あっ、知っててくれたんだ! 卯月ちゃんの親戚の人なの?」
「あー、うん。CINDERELLA PARTY!の『BEYOND THE STARLIGHT』、すごく良かったです」
頭をフル回転させてその言葉を絞り出す。実のところ、李衣菜ちゃんのことはまったく見ておらず、何を歌っていたか知らないのだが、確か『BEYOND THE STARLIGHT』は卯月ちゃんと一緒に歌っていたはずだ。
違っていたらどうしようとドキドキしていたら、李衣菜ちゃんは驚いた顔をしてから嬉しそうに笑った。
「持ち歌でもないのに、よく覚えてたね! ああ、そうか。あれ、卯月ちゃんと一緒に歌ったから!」
「そう。他は……そうだ。『OωOver!!』かと思ったら『Wonder goes on!!』でびっくりした」
「ああ、あれね。ちょっと意外性を出そうと思って。智絵里ちゃんたちも『Heart Voice』歌ったし、そうやってびっくりしてもらえたら嬉しいよ」
ニカッと笑う。快活で爽快な子だ。なんだかとても惹き付けられる。卯月ちゃんしかまともに見て来なかったが、こうしてアイドル一人一人がそれぞれの個性と輝きを持っているのだと思うと、ファンの多くが色々なアイドルを推すのもわかる気がした。
「でも、こうやって客席で見てくれた人の声を直接聞くことってないから、すごく新鮮。他はどうだった?」
「えっと、色々話したいけど、卯月のステージが終わってからでもいい?」
「ああ、そうだったね。じゃあ、終わってから話そうよ!」
李衣菜ちゃんがそう言って、ステージに目をやる。ミスったと思った。もちろん、実際にはそんな展開にはならないと思うが、もしも本当にステージが終わった後、李衣菜ちゃんと話をする流れになると、また卯月ちゃんの嫉妬心を煽ってしまう。
贅沢な悩みだが、どうにかここから逃げ出そうと頭をひねると、丁度みくちゃんが戻ってきた。俺を見て半眼になる。
「まだいたにゃ?」
「あっ、ごめん。もう行くから。ブレスレット、ありがとう」
これ幸いとその場を離れようとしたら、みくちゃんにがしっと手を掴まれた。李衣菜ちゃんは手首だったが、完全に手を握られて、スベスベした指の感触に鼓動が速くなる。
「別にそういう意味じゃないから。せっかくだから一緒に見ていくにゃ。みくと李衣菜ちゃんと一緒にライブ観賞できるなんて、飛び上がって喜ぶべきにゃ」
そう言いながら、無理矢理俺を間に立たせる。隣で李衣菜ちゃんが苦笑していた。
二人の身長は同じくらいだが、卯月ちゃんより幾分低い。李衣菜ちゃんはステージでは大きい印象があったが、そんなことはなかった。小さな可愛い女子高生に挟まれて、緊張のあまり目眩がしてきた。
そわそわしていると、みくちゃんが俺のことを横目に睨んでから、何を勘違いしたのか、すっと後方を指差した。
「あそこでスタッフがビデオを撮ってるから」
「えっ? うん」
「後で卯月ちゃんと見るといいにゃ」
「あ、ありがとう」
どうやら俺がステージに近付けないことでそわそわしていると思ったらしい。そういうことではなかったが、後で見逃した分も見られるかもしれないというのは嬉しい情報だった。
改めてステージに目をやると、サイトの紹介写真と同じ並びで三人が立っていた。美穂ちゃんは背が高い印象があったが、三人の中では一番小柄だった。李衣菜ちゃんもそうだが、堂々と活躍している姿を見ると実際より大きく見える。
衣装は白のワンピースの上に、赤と黒のチェックのジャケットを羽織ったようなカッコイイものだ。いや、羽織っているのではなく、くっついているのかもしれない。いずれにせよ、ピンクのチェックかと思ったら、全然違った。
「衣装、赤いね」
なんとなく呟くと、隣で李衣菜ちゃんが明るく笑った。
「最初に、衣装が全然ピンクのチェックじゃないことをネタにしてたよ」
「だからたぶん、あのブレスレットを作ったにゃ。なんであれを忘れてくるかなぁ」
みくちゃんがぼやいて、俺も苦笑して頷いた。
「同じことを言ったら、忘れたものはしょうがないだろって怒鳴られた」
ぷっと李衣菜ちゃんが噴き出して、みくちゃんも呆れたように肩をすくめた。
少しトークを挟んでから披露されたのは、『shabon song』だった。曲は聴いたことがあるが、ニュージェネのメンバーが歌っていないこともあり、ステージで見るのは初めてだった。確か、美穂ちゃんがオリジナルメンバーだったはず。
あまり動きは大きくなく、可愛さが前面に押し出された曲だ。卯月ちゃんも響子ちゃんもそつなく踊っているが、表情や声の抑揚にまでは気が回っていない。そう感じるのは、センターが圧巻だからだろう。今まで卯月ちゃんのパフォーマンスを物足りなく感じたことはなかったが、美穂ちゃんと比べると見劣りする。オリジナルメンバーというアドバンテージもあるかもしれない。もしかしたら、先ほどの『STORY』では立場が逆になっていたかもしれない。
歌が終わると、三人がピンクチェックスクールの誕生秘話を語り始めた。もっとも、卯月ちゃんが俺に話した、Triad Primusがどうのという内容はなく、主に響子ちゃんが加入するくだりだった。
それから、響子ちゃんがとても料理が上手であることや、寮まで食べに行ったことを卯月ちゃんが紹介すると、同じ寮で暮らしている美穂ちゃんが寮生ならではのエピソードを添えた。響子ちゃんは照れたように笑っているが、気後れした様子はまったくない。
「響子ちゃんは、どんな子?」
小声で聞いてみると、みくちゃんがステージを向いたまま言った。
「家庭的で、ちょっとお節介なところもあるにゃ。ハンバーグが美味しくて、お魚料理も得意だけど、みくはお魚が苦手にゃ」
「猫なのに?」
「ニンジンが嫌いな馬だっているにゃ」
「なるほど。李衣菜ちゃんもご馳走されたことはあるの?」
「うん。時々みくの部屋に泊まりに行くんだけど、その時に数回」
「二人は仲良しなんだね」
「うん」
「そうでもないにゃ」
李衣菜ちゃんが満面の笑みで頷いたのとは対照的に、みくちゃんが真顔で否定して、李衣菜ちゃんが驚きに目を丸くするが、何も言わなかった。恐らくいつものじゃれ合いなのだろう。
ステージ上では、ピンクチェックスクールの絆のブレスレットの話がされている。先程まで俺の手の中にあったブレスレットをつけて、卯月ちゃんが嬉しそうに作った時の話をしている。
本当に、どうしてあれを忘れて来るのか。何にしろ、輝くような笑顔を見ていたら、取りに行って良かったと思った。
いよいよピンクチェックスクールの新曲が発表される。曲名の『ラブレター』がコールされると、隣でみくちゃんが得意げに笑った。
「伝説のステージになるかもだから、しっかり見ておくにゃ」
どうやらもう何度か見ているらしい。俺も括目する。
センターは美穂ちゃんだが、曲の途中で何度か入れ替わる。曲調はアップテンポな4拍子だが、途中でスローな3拍子に変わるなど、変化に富んでいる。可愛らしい歌詞にダンス。元気とキュートがこれでもかというほど凝縮された曲に、観衆から一際大きな歓声が上がった。
美穂ちゃん、卯月ちゃん、そして響子ちゃん。見事なバランスのユニットだ。卯月ちゃんの話を聞いた時に、智絵里ちゃんやかな子ちゃんを思い浮かべたが、今の『ラブレター』を見た後では、3人目は響子ちゃん以外には考えられない。むしろ、響子ちゃんを加入させるために作られたユニットとさえ思える。
ベテランと大物新人。その二人に囲まれて、卯月ちゃんも対等な輝きを放っている。相乗効果かもしれない。
曲の後はまたトークに戻り、いつの間にかステージの時間は残り10分になっていた。見始めが遅かったとはいえ、あまりにもあっと言う間だった。
ラストに2曲。先に『お願い!シンデレラ』を歌った後、最後はまさかの『EVERMORE』に、会場は異様な熱気に包まれた。俺も思わず拳を握る。
「これは考えなかった。誰か、オリジナルメンバーいたっけ?」
何気なく聞くと、みくちゃんが首を振った。
「いないにゃ」
「みくがオリジナルだよ」
李衣菜ちゃんがそう言って、隣を見るとみくちゃんが楽しそうに頬を綻ばせた。
「みくもステージで踊りたくなるにゃ」
「みくちゃんたちのステージでやったことは?」
「ないよ。二人でやる曲でもないし。私も舞台では歌ったことがない」
李衣菜ちゃんが残念そうにおどけた仕草をする。アイドルたちの中でも、やはり歌いたい曲はそれぞれにあり、歌いたいからと言って歌えるものではないらしい。
卯月ちゃんも人前で歌うのは初めてのはずだ。CDを聴いて気に入ってはいたが、ニュージェネの誰もオリジナルメンバーではないし、歌う機会は当分訪れないと思っていた。
貴重なステージが幕を閉じる。鳴り止まない拍手にひらひらと手を振っている卯月ちゃんを見ながら、俺は思わず溢れてきた涙を拭った。