その後、アスタリスクの二人から逃げ出すのは見事に失敗し、模擬店のカフェでCINDERELLA PARTY!の個人的な感想を語らされた。
生きた心地がしなかったが、考えてみれば99.999%以上のファンが、したくてもできないことである。あの日卯月ちゃんと街で出会い、一緒にご飯を食べた時、人生でこれ以上幸せなことはないと感じた。今の状況はまさにあの時と同じで、みくちゃんや李衣菜ちゃんのファンには、あの日の俺が感じたような奇跡の時間なのだろう。
生憎俺は、二人を可愛いとは思うし、こうして知り合えたことで親近感も沸いたが、ファンと呼べるほど興味はなく、淡々と会話していた。逆にそれが良かったのか、変な警戒心を持たれることもなく、カフェの後も連れ回されて、結局夕方まで△△大学の学園祭を堪能することになった。
別れ際に李衣菜ちゃんからチケットを渡された。
「これ、次の私たちのイベントのチケット。卯月ちゃんも来てくれるって言ってたから、よかったら一緒に来てよ」
「っていうか、絶対来るにゃ。ハロウィン企画で、みくと李衣菜ちゃんの『Halloween Code』を聴かないのは人生の損失だから!」
そう言って、みくちゃんもいかにもまだ15歳らしい、無邪気な微笑みを浮かべた。初めて会った時の冷たい瞳が嘘のようだ。心を許せば、こんなふうに笑うのだろう。
もちろんそれは、俺を卯月ちゃんの親戚だと思っているからであって、俺の人間性が認められたわけではない。そもそもほとんど見せていないし、みくちゃんも李衣菜ちゃんも、一人の人間としての俺には興味がないだろう。
今日のことは確実に卯月ちゃんの耳に入るから、早いところ自分から打ち明けよう。二人の背中に手を振りながら、内心で深くため息をついた。
二人はもちろん、卯月ちゃんの彼氏を引っ張り回したとは思っていない。「従兄弟のお兄さん、いい人だね」くらいの軽いタッチで卯月ちゃんに話すだろう。俺にはそれを止めることはできないし、そうすべきではない。この誤解は救われる部分もあるが、難しい面もある。
まあ、その辺は卯月ちゃんが上手くやってくれるだろう。とりあえず言い出しっぺに丸投げすることにしてスマホを見ると、その本人からLINEが来ていた。
『美穂ちゃんと響子ちゃんと打ち上げをした後、お話がしたいです。別れ話ではないです』
時刻を見ると、1時間前だった。丁度二人と一緒に、体育館でロックなダンスを見ていた頃だ。
『返事遅くなった。大丈夫。いつもの場所でいい?』
メッセージを返して、とりあえず△△大学を後にする。少なくとも、この近くで会うという選択肢はない。
なかなか既読がつかなかったが、それはお互い様だ。結局CINDERELLA PARTY!の時のように、既読がつくことなく夜になって、直接電話がかかってきた。
『お返事できなくてごめんなさい。今打ち上げが終わりました!』
夜の8時。声に少し疲れが見えたが、大丈夫だろうか。
「まだ外にいるけど、どうしよう。いつものカフェにする?」
『○○さんが大丈夫なら、泊まりに行けます。用意は何もないですけど、打ち上げで盛り上がって346の寮に行くって言えば、たぶん平気です』
思わぬ提案だった。前に一度泊まりに来てくれて、次はもう高校を卒業するまでないのではないかとさえ思っていたが、俺が思う以上に卯月ちゃんは泊まりたがっていて、常に機会を窺ってくれているらしい。
「もちろん、大歓迎だよ。ありがとう」
『今どこですか? 前みたいに、まず合流しますか?』
場所を伝えて、先に合流することにする。大荷物でやってきた卯月ちゃんは、地味なパーカーを着ていた。下もスカートではないし、なかなか珍しいラフな格好である。
合流してすぐに、卯月ちゃんはお礼を言ってきた。
「今日はブレスレット、ありがとうございました。助かりました」
「いや、散々ごねた上で行ったやつだから、礼を言われるようなことじゃない」
「でも行ってくれましたから。すんなり行ってもらうより、あれでよかったと思います。私、無意識に○○さんは私の言うことはなんでも聞いてくれるって思ってました」
「最近はそうでもない」
「私に冷めてきたんですね」
「違うから!」
思わず声を大きくすると、卯月ちゃんは楽しそうに笑った。冷めてはいないが、慣れてきたのは確かだ。大好きなのは変わっていないが、こうして並んで歩くのは奇跡ではなく、自然なことになってきた。もっとも、今日に限って言えば、また一緒に寝られるかと思うと心臓が破裂しそうなほど速く打っている。
電車に乗ると、卯月ちゃんが顔を近付けてきて、ひそひそ話をするように言った。
「私の部屋、どうでしたか? あんまり眺めていませんか?」
どうやら興味があるらしい。じっくり眺めるような時間はなく、印象に残っているのはパンツと日記帳だけだが、どちらも話題には出しづらい。
すぐに出てきたと言おうと思ったが、ふと思い直した。せっかく卯月ちゃんが話題に出してくれたのだ。日記の話を振ってみたらどうか。せっかくこれから楽しいお泊まりだから、リスクは冒したくないが、この機会を逃したらもう二度と日記の話は聞けなくなる。
「あんまり見てないけど、机にあった日記帳は少し……」
「そうですか。別に大したこと、書いてなかったですよね?」
特に気にした様子もなく、卯月ちゃんが平然とそう言った。見られたことも気にしていないようだ。
「うん。俺のことが一文字も書いてなかった」
「そうですね。○○さんが見たみたいに、パパやママも開いちゃうかもしれないから」
悩んでいたのがばかばかしくなるくらい、あっさりと卯月ちゃんがそう言った。俺が唖然としていると、卯月ちゃんは俺が考えていたことに気が付いたらしく、わざとらしくポンと手を打った。
「○○さんのことが書いてないから、落ち込んだというわけですね?」
「えっと、まあ、そう」
「それは昔、私が○○さんのツイッターを見ていた時に、まったく私の話が出て来なくて寂しい思いをしていたのに似てますね」
懐かしい話を持ち出して、卯月ちゃんがふふっと可愛らしく笑った。それから俺を慰めるように、優しい声で希望を与えてくれる。
「○○さんと会った日は、赤色で星のマークが描いてあります。気付きませんでした?」
「色んな色で色々描いてあるのは見てわかったけど……。あれ全部に意味があるの?」
「ありません。赤色の星マークだけです。後は全部、そのカモフラージュです」
嬉しそうに卯月ちゃんが微笑む。つまり、あの日記帳には俺と会った日が全部記録されていたのだ。俺はそれに気付かずに一人で落ち込んでいた。気付けなかったことにさらに落ち込むと、卯月ちゃんが穏やかに言った。
「気付けないくらいで丁度いいんです。私だって、『今日は公園で胸を触られた。恥ずかしかったけどドキドキした』とか書きたいですけど、深刻な家族会議が開催されるリスクは極力冒したくありません」
冗談っぽくそう言って、一人でウケたように笑った。とりあえず俺が外で胸を触ると、恥ずかしいけどドキドキするらしい。
明るい話をしながら最寄駅で降りる。静かな夜の住宅街を歩き始めると、卯月ちゃんが急に声のトーンを落とした。
「ところで○○さん、今日、みくちゃんと手を握ってませんでしたか?」
「えっ? 握ってないけど」
「そういう嘘をついちゃいますか。そうですか。それはとても残念です」
卯月ちゃんが大げさにため息をつく。一体この子は何を言っているのだろうと怪訝に思い、今日のことを振り返ってようやく理解した。俺が二人のもとから離れようとした時に、みくちゃんが手を掴んだことを言っているのだ。
「あれは、二人から逃げようとしたらみくちゃんに掴まって」
「はい。まあ、そんなことだろうとは思いました」
どうやら、今日みくちゃんと李衣菜ちゃんが来ていたのは最初から知っていたらしく、そのみくちゃんがブレスレットを持ってきたとスタッフの人から知らされて、ステージから見たらしい。それが丁度、俺がみくちゃんに捕まっていた時だったようだ。
「ずーっと二人と一緒にいましたね。可愛いアイドルに囲まれて、幸せでしたか?」
「後から卯月ちゃんに怒られないか、気が気じゃなかったよ」
「私が見ていて残念でしたね。見ていなかったら楽しめたのに」
「そういうのじゃないから」
すぐに否定したが、卯月ちゃんの見ていないところで3時間以上二人と学園祭を回ったことが話しづらくなってしまった。いっそその内みくちゃんが話すまで黙っていようかとも思ったが、大抵こういうのは悪いように伝わるので自分から話すことにした。
「ライブの後、みくちゃんと李衣菜ちゃんから、CINDERELLA PARTY!の感想を聞かせろって言われて、3時間くらい拘束されてた」
「3時間も感想を話してたんですか?」
卯月ちゃんがきょとんとする。彼女の卯月ちゃんとすらそんなに話していないのに、何をそんなに話していたのかと聞かれて、俺は軽く手を振った。
「いや、感想は1時間くらいだったけど、後は学園祭に引っ張り回されてた」
「…………」
卯月ちゃんがすっと顔から微笑みを消して、どことなく不愉快そうに俺を見つめた。周囲の温度が3度ほど下がったのを感じて、俺は慌てて首を振った。
「違うから。卯月ちゃんが考えてるようなものじゃないから」
「私のお友達と楽しく学園祭を回っていたということですね?」
「二人の中で、俺は完全に卯月ちゃんの従兄弟のお兄さんになってて。今度のライブに卯月ちゃんと一緒に来いって、チケットをもらった」
「私の従兄弟のお兄さんだと、どうして一緒に楽しく学園祭を回るんですか? 意味がわかりません」
「いや、だから、別に卯月ちゃんの彼氏を連れ回してるっていう意識はなかったんだと思うっていう話」
「今、○○さんの話をしています。二人が誘うのはしょうがないけど、どうして○○さんは断らなかったんですか?」
言われてはっとなる。
どうしてと言われても、場の空気もあって、特に断るという選択肢はなかった。俺は二人のことをなんとも思っていないし、二人が一緒に遊びたいと言うなら、まあ付き合ってやるかと簡単に考えていた。
もしかしたら、気持ちがなくてもその行動は、卯月ちゃんの中で浮気に分類されるのだろうか。思わず青ざめると、卯月ちゃんは小さく笑って俺の手を握った。
「冗談です。大体状況はわかりました。付き合ってるってバレなかったのはいいですけど、ちょっと対策を考えないといけませんね」
一瞬何のことかわからなかったが、話はもう学園祭から、今後のことに移っているようだ。俺の懸念は完璧に共有されている。この先のことはもちろん考えなくてはいけないが、今日のことはもういいのだろうか。
念のため聞いてみると、卯月ちゃんはいたずらっぽく俺を見上げた。
「今のところは大丈夫です。でも、後でもやもやするかもしれませんから、今日はたっぷり可愛がってください」
飛び切り可愛い笑顔でそう言って、ギュッと腕を組んでくる。柔らかなおっぱいが二の腕に押し付けられて気持ちがいい。家に帰るのが待ち遠しい。
俺がドキドキしていると、卯月ちゃんが耳元に顔を寄せて囁いた。
「今日、衣装があります。夜だから歌えないけど、もし○○さんが着てほしかったら、ブレスレットのお礼に着てあげてもいいですよ?」
「よし、走って帰ろう!」
1秒でそう言うと、卯月ちゃんが可笑しそうに微笑んだ。
長い長い一日だった。昼前に電話で喧嘩になって卯月ちゃんを泣かせたのが、遠い昔に感じる。
学園祭と友達のこと、ブレスレットのこと、日記帳のこと、みくちゃんたちのこと。細かいすれ違いや喧嘩が続いたが、関係はまるで揺らいでいない。
だいぶ仲が安定してきた。もちろん、新しい問題も色々発生してきているが、それらも二人で乗り越えて行こう。
家に着いてドアを開ける。
「ただいま」
そう言ってはにかむ卯月ちゃんは、やっぱり世界で一番可愛かった。
─ 完 ─