アスタリスクのハロウィンイベントは10月最後の週末。東京のあちらこちらでハロウィンのイベントが開催され、特に渋谷は今年も厳戒態勢だ。いつからこんなにも日本にハロウィンという文化が浸透したのかはわからないが、少なくとも俺は意識したことがない。今年は彼女がいるが、特段何かするつもりはなかった。むしろ今日のライブが二人の思い出になりそうだ。
会場はオールスタンディングのライブハウスで、キャパは400人。チケットは完売らしいが、並んでいる人数を見る限り、400人いっぱいまで詰め込むことはなさそうである。
早く着いたので、せっかくなので物販の列に並んでみた。タオルやらマグカップやらスマホケースやらあるが、ペンライトを忘れたのでみくちゃんのピンクと李衣菜ちゃんのブルーのライトを買い、今回のイベントのパンフレットも手に取った。商品と一緒に握手券がもらえたが、これはさすがに使わずに封印だろう。
開場時間まで暇なので、会場の近くの階段に座ってパンフレットを読むことにした。オールスタンディングなので、すでに並んでいる人も多いが、俺は初めから一番後ろから眺めるつもりだったので急がなかった。
パンフレットは二人の写真とプロフィール、それに手書きのメッセージが載っていた。改めてみくちゃんの写真を眺めると、やはり可愛い。李衣菜ちゃんももちろん可愛いが、あの子は動いている時の方が魅力的だ。みくちゃんはグラビア向きかもしれない。おっぱいも大きいし。
すぐ前に座っている二人組が、同じようにパンフレットを見ながらデュフデュフ笑っていた。アニメグッズのトートバッグに缶バッジをたくさんつけた方が、握手会の時にあれを聞きたい、これを話したいと、興奮した様子で話している。前のライブではどうだった、ラジオ番組でこう言っていたと、なかなかの猛者のようだ。
笑い方はともかく、その憧れはよくわかる。俺も卯月ちゃんの出るあらゆるイベントを見に行き、ネットラジオを聴き、雑誌は2冊ずつ買っている。担当が違えば微笑ましく眺められる。
隣の男はシンデレラガールズのチーム推しらしく、主に相槌を打っているだけだが、時々ツボに入ったように早口でまくし立てる。それに缶バッジが然り然りと頷いて、話は途切れることなく続いている。
知らない話ばかりだったので、それを片耳で聴きながら、スマホを取り出してLINEを起動した。トーク履歴の2番目に李衣菜ちゃん、3番目にみくちゃんの名前が並んでいる。もちろん一番上は卯月ちゃんで、これだけ見るとまるでプロデューサーかアイドル仲間のようだ。
不思議な巡り合わせだが、卯月ちゃんと付き合い始めた以上、卯月ちゃんの友達と知り合うのは必然なのかもしれない。もちろん、二人の中で俺は卯月ちゃんの従兄弟のお兄さんでしかないが、みくちゃんが本当にそう思っているかは正直よくわからない。初めて会った日、みくちゃんは俺と卯月ちゃんがカフェでケーキを食べさせ合っているバカップルぶりを目撃している。従兄弟同士ですることではない。もしかしたら、あの一件から卯月ちゃんとどこか距離が出来てしまったのを、従兄弟ということで手打ちにしたのかもしれない。
開場までまだ1時間以上あったので、卯月ちゃんにLINEしてみたが、既読すらつかなかった。誰かといる時はスマホを見ないというのは、彼氏の俺としては有り難いことである。仕方なく、周囲のオタクトークを聴きながら、これまでのアスタリスクの二人の活動を検索しながら時間を潰した。
開場時間を迎えると、ファンが続々と中に入っていく。適当に列に並ぶと、卯月ちゃんからメッセージが飛んできていた。
『さっき階段に座ってましたね! 話しかけたかったけど、今日は我慢です!』
どうやら見られていたらしい。俺は少しだけ笑って会場に入った。
ドリンクはトイレに行きたくなるから、終わってから飲むことにして、会場最後方の壁際をキープする。ステージまで距離があるが、まあいい場所は二人のファンに譲ろう。ステージは幕が下りて中が見えなくなっている。この会場には卯月ちゃんのライブでも来たことがあるが、幕が下りているのは初めて見た。
開場から開演までさらに1時間。入るのに20分ほどかかったとは言え、まだまだたっぷりある時間をどう潰そうか考えていると、少し離れた壁際に、女の子の三人組がやってきた。ニュージェネの面々だ。みんな帽子をかぶったりして変装しているが、さすがに見慣れているのですぐにわかる。
あまりジロジロ見てはいけないと視線を戻そうとしたら、卯月ちゃんが先に気が付いて、ほんの微かに手を振った。そのせいというわけではないだろうが、未央ちゃんが顔を上げて、バッチリ目が合う。俺は小さく会釈をして、舞台の方に目をやった。
その時、まったく想定していない──恐らく卯月ちゃんも考えていなかっただろうことが起きた。
「あれー、○○さんじゃん!」
未央ちゃんが驚いたような楽しそうな声を上げてこっちに来たのだ。俺は思わず目を丸くしてたじろいだ。
もちろん、未央ちゃんとも凛ちゃんとも面識がある。卯月ちゃんの単推しではあるが、メンバー全員と握手できるイベントはたくさんあるし、駆け出しの頃は二人ともよく話をした。サインももらったことがあるし、名前も何度も呼ばれている。
それにしてもだ。二人にとって、俺はただのファンでしかない。もちろん、卯月ちゃんの従兄弟のお兄さんでもなく、ただの追っかけの一人に過ぎない。その俺に話しかけてくるとは、少しファンサービスが過ぎるというもの。むしろ注意したいくらいの焦りを覚えながら顔を上げると、卯月ちゃんが実に困ったように、乾いた笑みを浮かべていた。
未央ちゃんが隣に立って明るく笑いかけてきたので、俺は諦めて頭を下げた。
「名前、覚えていてもらって嬉しいっす」
極めて社交辞令でそう言うと、未央ちゃんはいたずらな目で俺を見上げた。
「当たり前じゃん! ○○さんは特別だからね!」
どこかで聞いたことのあるセリフだが、卯月ちゃんの「特別」とはまったく違う意味だろう。聞きもしないのに未央ちゃんが続けた。
「いやさー、しまむー推しなのはわかるし、そういうファンもたくさんいるけど、デビューした時から来てくれてて、あそこまでまったく私としぶりんに興味がない人って、実に珍しい」
これは暗に嫌みを言われているのだろうか。困ったように後の二人を見ると、凛ちゃんも納得顔で頷いていた。俺は慌てて手を振った。
「いや、そんなことないっすよ。もうメロメロっす」
「いいねー、そのテキトーな感じ!」
「未央ちゃん、ファンに話しかけても大丈夫なの?」
「○○さんはファンじゃないでしょ」
「俺、怒られてる?」
「からかってる」
あははと笑って、俺の隣の壁に背中をつけた。どうやらここに居座るつもりらしい。未央ちゃんの隣に凛ちゃん、一番端に卯月ちゃんが立っている。卯月ちゃんはともかく、凛ちゃんは居心地が悪いのではないかと思ったら、予想に反して興味深そうに話しかけてきた。
「それにしても、珍しいね。卯月の出ないイベントに来るなんて。とうとう他の子にも興味が出たの?」
どこか揶揄するような口調。それを卯月ちゃんの目の前で聞くというのは、どういう心算なのかと思ったが、あまり考えていないのだろう。俺が二人を大して何とも思っていない以上に、二人も俺のことを何とも思っていない。
未央ちゃんがわざとらしく腕を組んで、大きく何度も頷いた。
「お目当てはみくにゃんかな。キュートアイドル好きそうだしね」
「未央ちゃんも凛ちゃんも可愛いよ」
「いいねー、そのテキトーなフォロー!」
何がウケたのか、未央ちゃんが笑いながら俺の背中を叩く。このスキンシップはまずいのではないかと、チラリと横目で卯月ちゃんの様子を窺うと、愛しの彼女はなんとも言えない顔で俺を見つめていた。怒っているわけではなく、ひたすら状況に困惑しているようだ。
「それで、やっぱりみくなの? なんか、○○さんは李衣菜って感じじゃない」
「目当てって言うか、みくちゃんが自分たちの『Halloween Code』を聴かないのは人生の損失だから、見に来いって」
「へぇー。みく、やる曲を言ったんだ。ラジオか何か?」
凛ちゃんが驚いたように眉を上げる。完全に失言だったが、俺が口を開くより先に未央ちゃんが言った。
「そっかー。人生の損失だとか言えば、来てくれる人もいるんだ。私もポジパのラジオで使おうかな」
どうやら無事に切り抜けられたらしい。俺はホッと胸を撫で下ろしつつ、何やらしたり顔の未央ちゃんに聞いてみた。
「ポジパって何? 新しいユニット?」
「えっ!? それも知らないの!? どんなけ私に興味がないの!?」
未央ちゃんが大げさに頭を抱えて首を振った。さすがにまずかったかと思ったが、未央ちゃんはまったく気にした様子もなく、芝居がかった調子で卯月ちゃんの腕を掴んだ。
「ちょっとしまむー、何か言ってやってよ!」
未央ちゃんにすがりつかれて、卯月ちゃんが俺を見る。先程から一言も喋っていないのは、距離感を掴みかねているのだろう。未央ちゃんは自分のファンではないから俺に話しかけた。俺は卯月ちゃんのファンなので、卯月ちゃんが喋るのはファンサービスになってしまう。
「ポジパはポジティブパッションっていう、未央ちゃんと茜ちゃんと藍子ちゃんのユニットです」
極めて事務的な口調でそう言って、スッと視線を逸らせる。俺はもう少し突っ込んで聞きたかったが、今ここで話すとボロが出そうだったのでやめておいた。
会話が不自然に途切れたせいか、一瞬微妙な空気が流れた。俺と卯月ちゃんは何とも思っていないが、事情を知らない二人には、卯月ちゃんの対応はひどく冷たく映ったはずだ。フォローするように凛ちゃんが口を開いた。
「それにしても、みくのラジオとか聴くんだね。ちょっと妬けるなぁ。私たちには微塵も興味を持ってくれないのに」
「二人ともすっごい好きっす」
極めていい加減にそう切り返す。正直なところ、みくちゃんにも李衣菜ちゃんにも大して興味はないのだが、それを主張するより、みんな大好きということにした方がましだろう。
未央ちゃんがプッと噴き出してお腹を抱えた。
「本っ当にテキトーだよね! でも知らなかったよ。○○さん、面白いね! 握手会だと時間が短くてあんまり話せないしね」
「考えてみると、ニュージェネのデビューの時から来てくれてるのに、こうして雑談するのは初めてだよね。いつも来てくれてありがとう」
そう言って、凛ちゃんが妙に神妙な顔で俺を見る。相変わらず真面目な子だと思いながら、「どういたしまして」と答えると、未央ちゃんが目に涙を浮かべて笑った。
「偉そうだし! すごいよ、キミ! 本当に全然、私たちがしまむーと同じアイドルだっていう目で見てないよね!」
「そんなことないっす。緊張してヤバイっす」
「テキトー! ウケるし!」
未央ちゃんがゲラゲラ笑って、それを凛ちゃんが呆れたように見つめている。よくわからないが、未央ちゃんにキミ呼ばわりされたのは、距離が縮まった証だろう。もちろん、それが俺と卯月ちゃんにとっていいことかはわからないが。
恐る恐る顔を上げると、卯月ちゃんは壁にもたれたまま、何やら難しそうな顔でステージを見つめていた。凛とした横顔。何を考えているのかはよくわからなかったが、嫉妬の類で怒っているわけではない……と信じたい。