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346プロが頻繁に利用するキャパ400のライブハウスは、人でごった返していた。最近ではアスタリスクのハロウィンイベントで訪れたが、あの時は完売でありながらここまでの人はいなかった。今回は限界まで詰め込むらしい。
客層は9対1以上、男である。346プロは様々な個性を持つアイドルを擁していて、中には女性ファンの多いアイドルもいるのだが、今日は見渡す限り男しかいない。キュート、クール、パッションと、346プロが便宜的に分類した3つの属性の内、純粋な可愛さに特化したキュートアイドルの3人グループ、ピンクチェックスクールのライブである。
メンバーは、最もアイドル歴が長く、経験豊富な小日向美穂。着々と実績を積み、人気上昇中の島村卯月。そして、このユニットでデビューしながら、ファーストライブで緊張した様子もなく堂々と歌っていた五十嵐響子。ファンの構成はやはり美穂ちゃんのファンが多いようで、美穂ちゃんのグッズの法被やタオル、ペンライトを持った人が多い。
開場時間を待ちながら、俺は何とも言えないむず痒さを覚えていた。卯月ちゃんをデビューの時から追いかけてきて、ライブはもちろん、イベントや公開録音にすら行けるだけ行っているにも関わらず、今日はアウェー感がすごい。いつもは同担のファンからなるべく距離を置き、にわかなファンと同一視されたくないという虚栄心から独りでいるよう努めているが、今日はつい見たことのある卯月ちゃんのファンを探してしまう。もちろん、見つけたところで話しかけたりはしないのだが、卯月ちゃんがステージから客席を見た時に、少しでも自分のファンが多ければ喜んでくれるだろうと、そんなことを考える。
そんなふうにキョロキョロしていたせいか、いきなり斜め後ろから声をかけられた。
「蘇我さんじゃないっすか!」
俺はそれを、自分のことだと認識した上で振り返ったわけではなかった。ただ、すぐ近くで自分に話しかけているような声がしたから顔を上げただけだったが、見たら俺が唯一顔と名前が一致する男が立っていた。
「水野……さん」
「水野でいいっす! なんか、呼び捨てって親しい感じがして結構好きっす」
前にCINDERELLA PARTY!というライブで知り合った、水の宿り木という変なハンドルネームの男である。本名は水野で、卯月ちゃんも認知している卯月ちゃんファンだが、一番の推しは同じプロダクションの佐久間まゆちゃんらしい。卯月ちゃんがそう言っていた。それを俺が知っていることを水野は知らないので、探るように聞いてみた。
「じゃあ水野で。久しぶりだな。今日は卯月ちゃんの応援?」
多くのファンが同時に何人ものアイドルを推している。水野が実は本命は美穂ちゃんという可能性も大いにあったが、水野は卯月ちゃんのペンライトを取り出して大きく頷いた。
「もちろんっす! 今日は圧倒的に不利な戦況ですが、声を振り絞って卯月ちゃんを応援しましょう!」
鼻の穴を大きくして、水野は拳を握った。実に暑苦しい。他の仲間はいないのか聞いたら、今日はチケット争奪戦で散り、独りでの参戦らしい。そういうことなら、同じアイドルを推す者同士、共同戦線を張るのも手かもしれない。俺は馴れ合いが好きではないし、卯月ちゃんも俺が他のファンと仲良くすることをあまり喜ばないが、会場中が美穂ちゃんのファンで埋め尽くされているよりは良いのではなかろうか。
水野から他のアイドルたちの情報を聞いていたら、開場時間が近付いてきた。連絡先を交換しようと提案され、断る理由が思い付かなかったのでQRコードを表示する。水野のLINEのアイコンはまゆちゃんになっていた。
「まゆちゃん、好きなの?」
答えを知っていながら聞いてみると、水野は首が千切れそうなほど大きく頷いた。
「最高っす。プロデューサーラブで、ファンのことなんかなんとも思ってなさそうなところが超いいっす!」
それは変な趣味だ。それにしても、卯月ちゃんのファンだと強く訴えながら、自信満々にまゆちゃんのファンだと公言する精神がわからない。
しかし、恐らくそれが普通なのだ。彼女でもあるまいし、一度に何人ものアイドルを推すのは至極当然なことで、俺のようにひたすら卯月ちゃんだけを追いかけ続けているのは少数派なのだ。もっとも、そのスタンスを変える気はないし、卯月ちゃんが自分の彼女になった今となっては、そんなことをしたら文字通り浮気になってしまう。
ライブの前に、今回は美穂ちゃんや響子ちゃんのファンに負けないよう全力で応援すると宣言したら、卯月ちゃんに呆れられた。
「みんな仲間ですから。私たちは何も競ってないですし、ファンの人たちにも仲良くなってほしいです」
それは本心なのだろう。実際に卯月ちゃんは美穂ちゃんや響子ちゃんと仲良くしているし、ラジオを聴いていてもそれは伝わってくる。ただ、ニュージェネのように全員スタートラインが同じアイドルのグループというわけではないので、どうしてもファンとしては自分の推しが一番だと主張したくなる。
特に俺の場合は、美穂ちゃんも響子ちゃんも可愛いなどと言おうものなら、また卯月ちゃんに嫉妬されてしまうだろう。卯月ちゃんの中で、ファンの俺と彼氏の俺に求めるものが正反対の内容で存在していて、どちらの方が大きいかは日によって変わる。卯月ちゃんも悪気があってそうしているわけではないので、機嫌を見ながら上手く付き合っていくしかない。
いよいよ開場時間になると、チケットの番号順に中に案内された。俺は卯月ちゃんからもらった招待券なので、いつでも入ることができたが、せっかくなので水野と一緒に会場に入った。
ドリンクチケットでペットボトルの水をもらった後、中に入って可能な限り前の方に陣取った。最前列はすでに埋まっており、後ろの方もどんどん人で詰められていく。ここから開演までの時間がいつも苦痛なのだが、今日は水野がいるので精神的に楽だった。トイレにも行けるし、荷物も見てもらえる。何より話し相手になる。
今日のライブの曲を予想していたら、隣からひょろっとした背の高い青年に話しかけられた。
「お二人は卯月ちゃん推しですか?」
見たことがある。恐らくニュージェネのライブで何度か顔を合わせているが、もちろん話したことはなかった。交流は苦手なので水野に任せると、水野はズイッと身を乗り出して大げさに頷いた。
「そうです。あっ、俺、水の宿り木です」
「自分は大暗黒です。水の宿り木さん、ツイッターでお見かけしたことがあります!」
「光栄っす! 大暗黒さんも、ラジオでちょいちょい読まれてる大暗黒さんです?」
「そうです! これはありがたい!」
嬉しそうに握手し始めた二人を見ながら、俺は思わず逃げ出したくなったが、グッと踏みとどまった。確かにラジオで何度か名前を聞いたことがあり、変な名前だと思っていたが、その本人がこうして目の前にいるのは不思議な気分だった。
名前を求められたので「蘇我鯨」だと答えると、ライブの会場で見たことがあると大暗黒が5回くらい首を縦に振った。俺が自分で思う以上に、俺の存在は知られているらしい。
「大暗黒氏は、推しは卯月ちゃんだけなんすか?」
水野が興味津々に尋ねる。卯月ちゃん推しだが本命はまゆちゃんという水野には、大暗黒が他に誰を推しているのか気になるのだろう。いや、単に他人に関心を持てるかの差かもしれない。冷たいかもしれないが、俺は大暗黒の趣味にまったく興味がない。
大暗黒はそれぞれ微妙に色の違うピンクのペンライトを3本指に挟んで、気合いを入れるように拳を握った。
「ピンチェは箱推ししようと思ってます! 後はみくにゃんです!」
「みくにゃん is ソー・キュート! ハロウィン行けなかったのが今でも悔やまれるっす!」
「ハロウィン、自分行きました! あれは円盤化して欲しいくらいだったけど、そんなこと言ってたら全ライブ円盤にしてほしくなっちゃいますね!」
「悩ましいところっす!」
オタク二人が熱く語り合う。もっとも、内容はずっと他のアイドルの話なので、なるほどツイッターで延々とこんなものを見せられたら、卯月ちゃんが落ち込むのもわかる気がする。
みくちゃんというと、今朝ピンチェのライブに行ったら感想を伝えろとLINEが来たし、話題になっているハロウィンイベントは卯月ちゃんと一緒に見ていた。大暗黒に気付かれなくてよかった。顔が広くなってくると、優越感より先に警戒心が強くなる。
二人の会話に相槌を打っていたら、いつの間にか開演時間になっていた。いつもの注意事項の後、会場が暗くなり、ピンチェの3人がステージに現れる。今日は学園祭の時と違って、衣装もピンクのチェック柄だ。
咆哮のような男たちの声。1曲目のイントロがかかる。『パステルピンクな恋』だが、オリジナルメンバーに卯月ちゃんが入っていないので、俺はつい最近知ったばかりだ。確か美穂ちゃんも入っていなかった気がする。隣で水野が早くも泣きそうな顔をしていた。目が合うと、まゆちゃんが歌っている曲だと教えてくれた。
サビや感想で聞いたことのないコールが響き渡る。覚えなくてはと隣を見ると、大暗黒はもちろん、曲を熟知している水野も口を開いていなかった。それどころか、何やら難しい顔でステージを見つめている。気にはなったが、ひとまず忘れることにした。
2曲目は『夢色ハーモニー』。元々シンデレラプロジェクトの曲なのでニュージェネのライブでもよく聴くが、ノリがいつもと違った。先ほどの水野の違和感が実感として理解できた。
会場の大多数を占める美穂ちゃんのファンが、独自の文化を持っている。そして、それがそのままピンチェのライブに持ち込まれている。このままでは、ピンチェは美穂ちゃんのファンに乗っ取られてしまうだろう。もちろん、美穂ちゃん本人にそんな気がないことはわかっているが、ライブの空気はファンが作るものだ。究極的には、集まったファン次第では、同じ内容のライブでも全員が地蔵で聴く可能性だってある。
3曲目の『Kawaii make My day!』が終わると、MCが挟まれた。3人が頷き合って、ユニット名と自己紹介をする。前回の学園祭は遠くから見ていたので、美穂ちゃんも響子ちゃんも表情がわかるほど近くで見るのは初めてだ。二人とも可愛い。
「今日は短い間ですけど、楽しんでいってください」
美穂ちゃんがにっこり笑う。背景にハートが飛んだ気がして、隣で大暗黒が変な声を漏らして体を震わせた。イッたのかもしれない。
客席から「短いのー?」と野太い声が飛ぶ。美穂ちゃんが「じゃあ、ゆっくり歌おうかな」とおどけると、客席が笑いに包まれた。なるほど、これが小日向美穂か。卯月ちゃんを見ると、いつもの笑顔で美穂ちゃんを見つめていた。
次の曲が始まる前に、水野が小声で言った。
「『夢色』では呑まれてしまいましたが、こっから巻き返しましょう!」
俺は大きく頷いた。やはり思いは同じだったようだ。『パステルピンクな恋』はニュージェネのライブで歌われたことがないのでわからないが、恐らくまゆちゃんのライブとはノリが違ったのだろう。いつもの自分たちを取り戻そうとしたが、4曲目は『ツインテールの風』という美穂ちゃんがセンターの曲で、続く『恋が咲く季節』は俺は詳しくなくてコールを打てなかった。
6曲目は346プロのキュート曲の代名詞とも言える『アタシポンコツアンドロイド』で、美穂ちゃんのファンと卯月ちゃんのファンがそれぞれ声を上げたら、コールがちぐはぐになってしまった。
「どうしたらいいんすかねぇ」
水野が難しそうに眉をひそめる。悩んでいるのは俺たち卯月ちゃんファンだけではなく、美穂ちゃんのファンも同じようだった。経験したことのないどよめきが起きている。
「キュートキュートした3曲を聴いていただきました。響子ちゃん、どうだった?」
ステージ上で卯月ちゃんが明るい声でそう言うと、響子ちゃんが元気に頷いた。
「はい。楽しかったです。『アタポン』のサビの手を回すの好きです」
「あー、あそこ可愛いよね」
「覚える振り付けがたくさんで、回路はとっくにショートしちゃいました」
「私たちは追加で数曲だけど、響子ちゃんは全部1からだもんねー」
ピンチェの3人がキャイキャイ喋る。先ほどの曲の最中の違和感など、まったく気にしていないようだが、どうなのだろう。恐らくきっと、この件は誰かが後日ラジオで質問するだろう。俺はその前に直接卯月ちゃんに聞けるので、ひとまず忘れてライブに集中することにした。とにかく今は、知っているコールを全力で打つしかない。
3人のソロ曲の後、『We're the friends!』。俺は美穂ちゃんファンのコールが間違っていると思うが、向こうは卯月ちゃんファンのコールが間違っていると感じているだろう。張り合うように声を上げて、応援にどんどん熱が入る。
MCを挟んで、『冬空プレシャス』と『君への詩』という冬っぽい2曲を歌ってから、卯月ちゃんがオリジナルメンバーに入っている『キミのそばでずっと』という、しっとりしたパートが終わる。アンコール前、最後の曲はもちろん『ラブレター』で、さすがにピンチェのオリジナル曲なのでコールは綺麗に揃った。
長い拍手の後、衣装を変えて3人がステージに立ち、これからの抱負とグッズの案内をした。アンコールは『明日また会えるよね』と『お願い!シンデレラ』。すべての曲が終わると、みんな汗だくでぐったりしていた。もしかしたら、これはこれで良いライブだったのかもしれない。近くにいた美穂ちゃんファンの集団と変な笑みを浮かべ合って、ステージに拍手を送った。
ひとまず、ピンクチェックスクール初のライブハウスのライブパートはこうして幕を閉じた。