ライブの後は、346プロのイベントでは恒例の握手会が開催される。物販の購入金額に応じて握手券がもらえるのだが、今回は1枚で3人全員と握手できる。そうしなければ、デビューしたばかりの響子ちゃんの列だけ少なくなってしまうし、全員と握手することで響子ちゃんを知ってもらう意図もある。
もっとも、ファンとしては興味のない子とも握手することになり、どうしてもそっけない態度になってしまうこともある。そもそもオタクはコミュニケーション能力が低いのだ。それは俺も例外ではなく、ニュージェネのライブでは今でも未央ちゃんや凛ちゃんと何を話していいかわからないし、今回も美穂ちゃんや響子ちゃんと何を話そうか緊張している。
大暗黒も水野も握手券を持っていたので、ライブの感想を話しながら列に並んだ。大暗黒は美穂ちゃんのライブも行ったことがあるようで、あまり戸惑わなかったと言った。
「最初の『パステルピンク』で、これは美穂ちゃんのライブなんだと悟りました。もちろん、卯月ちゃん推しですが、郷に入っては郷に従えって言葉もあるし」
「でも、せめてシンデレラの曲くらいは、卯月ちゃんサイドのノリが良かったっす。美穂ちゃんのファンを否定するわけではないけど」
「大暗黒みたいに、どっちも知っていればいいけど、大体みんな片方しか知らなかったりするし、難しいんだろうな」
悩ましげに腕を組むと、二人が深く頷いた。
そんなふうに意見を交換していると、やがて握手会が始まった。順番が来て、最初に大暗黒が荷物を置いてステージに上がる。堂々としたものだ。
「初めまして! 自分、大暗黒と言います!」
最初に名乗る。新鮮だった。なんとなく、ファンがたくさんいるアイドルに名乗るのは恥ずかしい。俺はデビューしたての卯月ちゃんにすら自分から名乗っておらず、未央ちゃんにも凛ちゃんにも、卯月ちゃん経由で名前が知られたくらいである。
「あっ、もしかして、ラジオにお便りをくれる大暗黒さんですか?」
美穂ちゃんが笑顔で応じた。なるほど、先に名前を認知してもらう作戦か。考えてみたら、俺も卯月ちゃんに手紙を書いていて、先に名前を覚えてもらっていた。常套手段かもしれない。
20秒ほどで大暗黒が剥がされて、次に俺が美穂ちゃんの前に押し出された。小さなテーブルを挟んで間近で見た美穂ちゃんは、神々しいまでに可愛かった。それに、小柄なのに風格があり、圧されるようなオーラがあった。俺はなんだか頭が真っ白になって、手を差し出しながらよくわからないことを口走った。
「あの、ライブ、どうでしたか?」
美穂ちゃんが一瞬目を丸くして、ぷっと噴きながら俺の手を握った。すべすべしていて、柔らかくて温かい。恥ずかしくて目を逸らしそうになるのをグッと堪えて、美穂ちゃんの顔を真っ直ぐ見つめた。美穂ちゃんは俺の目を見つめ返して、可笑しそうに頬を緩めた。
「それは私の台詞です。でも、みんなのおかげで、楽しかったよ!」
「それは良かったです! 次のライブも楽しんでもらえるよう、頑張ります!」
「だから逆だから。えっと、お名前は……」
「あっ、○○です!」
「○○さんは、ピンチェのライブは初めて?」
「学園祭は行きました。美穂ちゃんのソロライブにも行ってみたいです!」
「ありがとう。待ってるね!」
スタッフに剥がされる俺に、美穂ちゃんがひらひらと手を振った。
失敗した。完全に失敗した。まったくわけのわからないことを口走った上、ライブに行ってみたいなどと、心にもないことを言ってしまった。もちろん、興味がないわけではないのだが、卯月ちゃん以外のアイドルをどれくらい追いかけるかは、熟考を要する。
ひとまず考えるのは後にして、響子ちゃんと向かい合った。ふんわりした優しい眼差し。力強い個性は感じなかったが、見ているだけでほっとするような子だった。卯月ちゃんと美穂ちゃんより学年は下だが、それを感じさせない落ち着きがある。もっとも、顔立ちは年相応に幼い。
「ライブ、すごく良かったです」
心を落ち着けて伝えると、響子ちゃんが両手で俺の手を包み込んで微笑んだ。
「ありがとうございます!」
しっとりと濡れた手の平にドキドキするが、響子ちゃんの汗ではなく、大暗黒の汗かもしれない。ここでライブの話をすると印象に残らないので、とりあえず料理のネタを振ってみた。
「響子ちゃん、オムライスを作るのが得意だって見ました」
「そうです! 寮でもみんなに美味しいって言われます!」
「今度是非、オムライスイベントやってください。俺、きっと参加するんで!」
「オムライスイベント、とは……?」
響子ちゃんが真顔で俺を見上げる。俺も内容までは考えていなかったので、どうしようかと思ったが、幸いにもそこで引き剥がされた。最後に「きっとお願いします!」と会釈すると、響子ちゃんも「考えてみます!」と明るく笑った。
テーブルを離れて、大きく一つ息をつく。緊張するのはここまでだ。ようやく大本命にして自分の彼女である卯月ちゃんの前に立つと、卯月ちゃんはいたずらっぽく笑って俺を見上げた。
「こんにちは、蘇我さん」
「誰だよそれ」
自然と握手する。卯月ちゃんがくすっと笑った。
「さっき、大暗黒さんが、蘇我さんと宿り木さんと仲良くなったって言ってました」
「あいつ、貴重な20秒で、俺の話なんかしたのか」
「まあ、常連ですしね。またライブの感想聞かせてくださいね」
「了解」
剥がされる前に手を放して背中を向ける。ステージを降りてから振り返ると、水野が興奮した様子で卯月ちゃんと喋っていた。
荷物を取ると、大暗黒が鼻の穴を大きくしてやってきた。
「いやー、美穂ちゃんも響子ちゃんも天使でしたね! 蘇我さんはどっちがタイプですか?」
当然一番は卯月ちゃんという前提の質問だろう。率直なところ、可愛いと思ったのも話したいと思ったのも美穂ちゃんだったが、推したいと思えたのは響子ちゃんだった。理由は簡単だ。響子ちゃんの方がファンが少なくて、認知が得られそうだからだ。
これは良くない発想である。随分前に卯月ちゃんが、人気が出るとファンがいなくなることを悲しんでいた。知られたいというのは仲良くなりたいと同義である。アイドルが手の届く存在だと、心のどこかでそう思ってしまっている裏返しだ。やはり俺は、あまり良いファンではない。
敢えて美穂ちゃんだと答えると、大暗黒は5回ほど大きく首を縦に振った。
「わかります。俺、名前を知ってもらえていました。変なハンドルにしてよかったです!」
「なんで大暗黒なんだ?」
「心がピュアなんで、せめてハンドルだけでもブラックにしようかと思って」
「自分で言うのか」
こいつは変なヤツだ。まあ、自ら大暗黒と名乗る男が、真っ当であるはずがない。心は確かにピュアそうだが。
水野も戻ってきたので、3人で会場を後にした。水野が大暗黒と連絡先を交換し始めたので、俺も流れでLINEのIDを教えた。あまり交流する気はないが、こんなものはどうせ形式的なもので、日常的にやり取りをすることはないだろう。
打ち上げに行きそうな空気になったが、水野が用があるからと言って解散になった。もっとも、話し足りなかったようで、今度是非オフ会をやろうと提案して、大暗黒は首を5回ほど振って賛同の意を示していた。俺もひとまず頷いておいた。
この先彼らとどう付き合っていくか。これについても真面目に考えなくてはいけない。そもそも卯月ちゃんは、俺が他のファンと交流することを嫌がっている。ファン同士で他のアイドルの話をしていたり、他のアイドルのライブに誘われてそのまま帰って来なくなったり、そういうことがたくさんあって、俺にだけはそうなって欲しくないと言っていた。
もちろん、水野や大暗黒と知り合ったからといって、俺はツイッターで絡むつもりもなければ、彼らと一緒に他のアイドルのライブに行く気もない。それでも、卯月ちゃんがどう思うかは別問題だ。
無視するのは簡単だ。会場でも話さなければいいし、連絡先も消してしまえばいい。ただ、こうなった今、今日水野に話しかけられたように、これから彼らとは卯月ちゃんのイベントやライブの会場で頻繁に顔を合わせるだろう。ぎくしゃくしてお互いに卯月ちゃんのイベントに行くのが嫌になってしまったら元も子もないし、卯月ちゃんもそんなことは望んでいないはずだ。
それならいっそ、彼らとは仲良くなって、彼ら自身や他のアイドルのことを教えてもらった方がいいかもしれない。
これについては、素直に卯月ちゃんに相談した方がいいだろう。今日大暗黒が余計なことを言ったせいで、俺が彼らと親しくなったことが知られてしまった。元より隠すつもりはないが、今日のことと俺の考えを全部話した上で、卯月ちゃんの意見を聞こう。
ため息をつくと、ポケットの中でスマホが震えた。二人の内のどちらかかと思ったら、ホーム画面にはみくちゃんの名前が表示されていた。早く感想が聞きたいから、ライブが終わったら電話が欲しいと書いてある。俺は思わず渋面になった。
苦手や嫌いということはまったくない。むしろ、根は真面目なところや、ライブではキャラを作っているところ、ツンとしているが心を開くと懐いてくれるところが、とても可愛く思える。それに、なんだかんだと慕ってくれるのも嬉しいし、こうしてメッセージをくれるのも悪い気はしない。
ただ、この交流が卯月ちゃんとの関係にどう影響を及ぼすかを考えると、少なくともプラスではないだろう。むしろ、みくちゃんはハニートラップで俺を離間の計にはめようとしているのではないかとさえ感じる。俺はまったくみくちゃんを恋愛対象として見ていないが、これも卯月ちゃんがどう感じるかは別問題だ。
しかし、距離を置くことは卯月ちゃん本人から止められている。みくちゃんは恐らく俺と卯月ちゃんの関係に気が付いているから、むしろ仲良くなって認めてもらった方がいいというのが、ハロウィンイベントの後に卯月ちゃんの出した結論である。それが本当にいいのかは、俺にはよくわからない。
電話をかけると、3コールでみくちゃんが出た。
『もしもし、○○チャン?』
いつからそんな親しげな呼び方になったのだろう。呆れながら頷いた。
「そう。ライブが終わったから、仰せのままに電話してみた。今暇なの?」
『今日はオフだから』
「オフなら、ライブに来ればよかったのに」
不思議に思ってそう言うと、みくちゃんは明らかに言葉に詰まったように「うっ……」と唸ってから、低い声で言った。
『本当はオフじゃなかった』
「どっちだよ」
『さっきまでお仕事で、今オフになったの! ライブどうだった?』
「良かったよ。みくちゃんなら、直接卯月たちに聞いた方が早いんじゃ……」
『それはもちろん聞くけど、お客さんの声が知りたいの!』
もっともな意見である。卯月ちゃんもよく、客席側の声を聞きたがる。もちろん、リプやメールなどで感想はたくさん届くが、そこには良いことしか書かれていない。卯月ちゃんが求めているのは悪いことも含めたファンの本音で、それはみくちゃんも同じだった。
会場の雰囲気やセットリスト、ライブの構成や歌っていた本人たちのことを、質問に答える形で話していく。前に卯月ちゃんがみくちゃんたちのハロウィンイベントを仕事の視点で見ていたように、みくちゃんも今後の参考にするように聞いていた。純粋にライブの話がしたいだけのようで、内心でほっと息をつく。本気で疑っていたわけではないが、ハニートラップではなさそうだ。
『そういえば、響子ちゃんはどうだった?』
「響子ちゃん? どうして?」
あまり二人の接点を見出せず、不思議に思って聞くと、スピーカーの向こうでみくちゃんが得意げに頷いた。
『そりゃ、仲良しだから。同じ寮に住んでて、同じ学年で、同じキュートアイドルだからね』
「向こうもみくちゃんを仲良しだと思ってる?」
『ケンカ売ってる?』
みくちゃんが不敵に笑う。さすが関西人というべきか、軽口が叩けるのは話しやすくて有り難い。
ライブを振り返ると、今日は16曲歌われたが、そのほとんどを響子ちゃんは1から覚えたことになる。さすがに振り付けはだいぶ簡素化されたり、振り付け無しで歌われた曲もあったが、歌は上手だったし堂々としていた。トークも面白かったし、先輩二人と一緒にいても物怖じした様子はまったくなかった。
そう伝えてから、逆に寮でのことを聞くと、みくちゃんは「んー」と可愛らしく声を出してから言った。
『ご飯は美味しいけど、お魚を勧めてくるのはやめてほしい』
「みく、魚、食べろ」
『イヤ。後は、田舎から出てきたせいか、ちょっと純粋すぎるのが不安。アイドルになったのも、Pチャン……響子ちゃんのPチャンがナンパみたいなスカウトをしてついてきたみたいだし、そういうのはもっと警戒した方がいいって思うな』
心配そうな声がスピーカーから聞こえた。強引なスカウトだったようだが、結果としてこうして大手の事務所からデビューできて、本人も楽しそうに歌っていたし、才能もあるのだから、プロデューサーの目は確かだったのだろう。
そんなことをずっと話していたら、通話時間が1時間を超えた。
『こんなに話すなら、会いに行けばよかった。でも、おかげでだいぶわかった』
満足そうにみくちゃんが言う。無料通話なので金銭的には問題ないが、ずっとスマホを持って喋り続けるのは大変だった。もっとも、会いに来られても困ってしまうが。そもそも卯月ちゃんと二人で喫茶店でケーキを食べていて、アイドルやファンのことを考えろと忠告したのはみくちゃんである。
「そういえば、今日は語尾が猫じゃなかったな」
最後にずっと違和感があったことを聞いてみると、みくちゃんはなんでもないように平然と言った。
『今日はオフだから。学校だと普通に喋ってるのと同じ』
なるほど。それは喜ぶべきかはわからないが、個人的には作ったキャラよりも自然なみくちゃんの方が可愛いと思う。あくまで個人の感想としてそう伝えると、みくちゃんは怒るかと思ったら、何やら恥ずかしそうにぽつりと呟いた。
『うん。ありがとう』
「いや、猫を否定するなっていう反応を期待したんだけど」
『別に……。とにかく今日はありがとう。またお話ししようね』
「ライブに行ったら感想を話すよ」
『うん。バイバイ』
プツッと通話が終了される。スマホをポケットに突っ込むと、ドッと疲れてぐったりとベンチの背もたれに寄りかかった。卯月ちゃんも長電話が好きだが、1時間以上も話すことなどそうはない。
しばらくぼんやりと空を仰いでから、改めてLINEを確認したが、卯月ちゃんからのメッセージはなかった。今日はピンチェで打ち上げと反省会をするから、会えないし遅くなるという話は朝の時点でもらっていた。
『今日はお疲れ様。今夜でもいいし、疲れてたら後日でもいいし、また今日の話をしよう』
メッセージを飛ばしてしばらく待ったが、既読はつかなかった。
再びスマホをしまって立ち上がった。今日は疲れた。水野との再会に大暗黒との出会い。今のみくちゃんとの会話。ライブは全力だったし、ヘトヘトだ。
それでも、楽しかった。早く卯月ちゃんと話したい。昔は卯月ちゃんといる時が一番緊張していたが、今は卯月ちゃんといる時が一番落ち着く。
ライブの光景を思い出しながら帰路につく。ようやく一人で落ち着いてライブを振り返ることができる。仲間との交流も悪くないが、やはりこの時間は大事にしたいものだ。