翌日、正午を少し回った頃、休日の街は人で溢れ返っていた。少々苦手なタイプの若者たちが、大声で笑いながら闊歩している。信号が赤になっても横断歩道を渡る人がいて、クラクションが鳴り響く。雑然とした街並み。情報量の多さにクラクラして、俺はスマホに目を落とした。
結局昨夜は、卯月ちゃんとは寝る前に3分くらい話しただけだった。死ぬほど眠いから感想はまた明日と言われて、今日を迎えている。今日は午前中、ピンチェの打ち合わせがあり、夕方からニュージェネの仕事があるらしい。その間の数時間だけ会えるというので、こうして待っている。
昨日の今日で無理はしなくていいと言ったら、いつものように怒られた。
「どうしてそういうことを言うんですか? 会いたくないんですか?」
「いや、すごく会いたいけど、卯月ちゃんが疲れないかと思って」
「疲れません。むしろ回復しますから、どんどん会ってください」
死ぬほど嬉しいお言葉に甘えて、よく待ち合わせるベンチに座っている。まだ時間がだいぶあるので、ツイッターを開いてみた。水野のアカウントを見てみると、早速大暗黒と繋がって昨日の話をしていた。正確には話していたのは昨夜のことで、そこに元々のメンバーも混ざってワイワイやっていた。
俺は拍子抜けしたような安心したような、よくわからない気分になって、肺に溜まった空気を吐き出した。昨日一緒にライブを観たことで、何か特別な仲間になったような気持ちでいたが、蓋を開けてみたら、水野や大暗黒がたくさん持っているドルオタ仲間の一人に過ぎなかった。ましてや俺は、ツイッターでアイドルクラスタとは絡んでいないので、この輪には入らない。わざわざ個別にLINEをしてくることもないだろう。
それならそれでいい。卯月ちゃんに無用な心配をかけずに済む。オフ会も流れてくれて構わない。3人でやるのなら行っても構わないが、もし他の人も呼ぶのなら遠慮したい。俺は彼らのように仲間を増やすことに喜びを感じないのだ。
アプリを落として顔を上げると、向こうで見たことのある女の子と、チャラそうな二人組の男が歩いていた。昨日の今日で見間違えるわけがない。響子ちゃんだ。
俺は思わず腰を上げた。駆け出そうとして、すぐに思い留まる。
響子ちゃんとあの二人はどういう関係なのだろう。例えば俺が卯月ちゃんと歩いているのを誰かに邪魔されたら、とても迷惑だ。もしあの3人が何らかの知り合いだったら、ここでいきなり声をかけたら、俺はただの「街でアイドルを見かけて話しかけた厄介なファン」になってしまう。
響子ちゃんに困っている様子はない。だが、一緒にいる二人はどう見ても素朴な響子ちゃんのイメージと合わないし、卯月ちゃんが俺と会うのに指定した時間より早く、響子ちゃんが誰かと待ち合わせをしたのは考えにくい。
俺は迷った。別にナンパだったとしても放っておけばいいのだが、昨日のみくちゃんの話が引っかかる。ナンパだとして、響子ちゃんがあの笑顔を見せているなら、あの二人はかなりのやり手だ。助けなければ響子ちゃんが悲しい思いをするかもしれない。
響子ちゃんがあそこにいるなら、仕事はもう終わったということだ。卯月ちゃんに連絡を取ってみるのも手だが、そうこうしている内に響子ちゃんは随分向こうに行ってしまった。俺は覚悟を決めて走り出した。卯月ちゃんの友達は放っておけない。本当に勘違いなら、もう二度とピンチェのライブのアフターイベントに参加できなくなるが、別に響子ちゃんに嫌われること自体はまったく構わない。
「響子ちゃん!」
追いついて声をかけると、3人が足を止めて振り返った。男たちが何か言うより先に、響子ちゃんが首を傾げる。
「はい。えっと……」
「響子ちゃん、その人たちは?」
まだ知り合いである可能性も考えて慎重に尋ねる。男の一人が薄ら笑いを浮かべて、俺と響子ちゃんの間に割って入った。
「いやいやいやいや、先に君、誰? 君の名は?」
「お前、それウケるわ!」
もう一人がケラケラ笑う。何も面白くない。むしろ怖くて仕方ないが、こんな往来でいきなり殴られることはないだろう。
「響子ちゃんの知り合いだけど」
眉間に皺を寄せて答えると、響子ちゃんが首を傾げた。
「知り合いでした?」
空気を読んでくれ! 心の中で叫んだが、どうにもならない。男たちが笑った。
「ほら、響子ちゃん、知らないって。君が一方的に知ってるって怖くない?」
「もしかして、ストーカー的な? それヤバイわ。ヤバイって!」
男たちが品のない笑いを浮かべる。どう見ても響子ちゃんと古くからの知り合いという感じではないが、響子ちゃんからしたらこの男たちも俺も同じ部類なのだろう。名前を知っている時点でファンだと気付いてほしいが、この勢いの中で多くは求められない。
「えっと、昨日の握手会でオムライスイベントをお願いした者です」
男たちを無視して真っ直ぐ響子ちゃんの目を見つめると、あのトークは印象に残っていたのか、響子ちゃんが大きく目を開けて嬉しそうに手を打った。
「ああ、思い出しました! 昨日はありがとうございました」
「それはいいから。で、この人たちは?」
改めて男たちを睨んだが、こういう邪魔にも慣れているようで、まるで動じることなく馬鹿にした笑みを浮かべた。
「道を聞いてただけだって」
「じゃあ、俺も一緒に行くよ」
「なあ君、空気読めって。わかるだろ?」
男の一人が響子ちゃんに背を向けたまま、険しい顔で睨みつけてきた。そのまま肩を掴んできて、思わず怯む。
正直、喧嘩になったら勝てない。所詮俺など、力なき一介のドルオタに過ぎない。
すがるように響子ちゃんを見たら、響子ちゃんはふんわりと笑った。
「大丈夫です! すぐそこですから!」
「ほら、響子ちゃんもこう言ってるから、君はもう帰ろうな? な?」
軽く押されてよろめいた。これはもうダメだ。最後には武力の前に屈するのだと諦めかけたら、ポケットでスマホが震えた。取り出して見ると、ホームに卯月ちゃんの名前が表示されていて、俺は一瞬で決断して応答ボタンを押した。
『あー、○○さん?』
呑気な声がする。続きを遮って言った。
「卯月ちゃん、事情は後で話すから、響子ちゃんに俺についてくるよう言って」
それだけ言って、スマホを響子ちゃんに押し付けた。もうこれしかない。関係を知られることでどうなるかはわからないが、響子ちゃんをこの男たちと行かせるわけにはいかない。
響子ちゃんは反射的にスマホを耳に当てて、驚いたように声を上げた。
「あれ? 卯月ちゃん? えっ? どうして?」
卯月ちゃんの声は聞こえないが、響子ちゃんはしばらく頷いたりしてから、スマホを押さえて困った顔をした。
「えっと、ごめんなさい。この人、私の大事な友達の知り合いで、友達がこの人と一緒に来いって言ってるので、失礼させてください」
「いやいや、タイミング良すぎでしょ」
男が遮ろうとするが、俺は気にせず響子ちゃんの手を取った。
「この子と同じ事務所の子で、さっきまで一緒に仕事してたんだよ。悪いけど他を当たってくれ。事務所と揉めたくないなら、この子はやめておけ。女は他にもたくさんいるだろ。素人の!」
つまらない正義感ではない。他の女なら好きにしてくれて構わない。ただ、この子は面倒だからやめておけ。
そういうニュアンスがようやく伝わったようで、響子ちゃんの手を引いてその場を離れたら、男たちは諦めたように舌打ちをして去っていった。
心臓がものすごく速く打っている。響子ちゃんの手を握る手の平が汗まみれだが、全部俺の汗だろう。まだ通話中になっているスマホを受け取って耳に当てた。
「卯月ちゃん?」
『あー、良かった。なんだか怖い感じでしたけど、どうしたんですか?』
「響子ちゃんがナンパされてて助けた。とりあえずこのまま合流するね」
『わかりました』
通話を終了して、スマホをポケットに突っ込む。響子ちゃんを見ると、怯えたように俺を見上げていて、俺は手を放して呼吸を落ち着けた。
先に響子ちゃんが口を開いた。
「えっと、ありがとうございました。あの人たち、ナンパだったんですね?」
「うん。お礼はいいよ。強引なことしてごめん」
「いえ。私、てっきり困ってる人たちなのかと思って」
響子ちゃんが眉根を寄せて、可愛らしく唇を尖らせた。ようやく善意を利用されたと気が付いたらしい。
「あまり知らない人を信用しない方がいい。見たことがあるファンも含めて」
「○○さんは信用しても大丈夫ですか?」
響子ちゃんが不安そうに俺を見上げた。初めて名前を呼ばれた気がしたが、そういえば名乗っていなかった。さっきの電話で卯月ちゃんが教えたのだろう。
「俺はわかんないけど、卯月ちゃんのことは信用していいと思う」
「じゃあ、その卯月ちゃんがついて行けって言った人なので、信用します!」
そう言って、響子ちゃんは安心したように息をついた。にっこりと笑顔を浮かべて、人が通れるくらい離れていた距離を詰める。知らない場所で兄に付き従う妹のようだ。
待ち合わせのベンチに戻ったが、卯月ちゃんはまだ来ていなかった。先ほどの電話は、遅れるという連絡だったのかもしれない。
他の人が座っていたので、ガードレールに並んでもたれる。人が来たので少し詰めると、腕が触れ合った。ドキドキしたのは、可愛いアイドルが隣にいるからか、それともこんなところを卯月ちゃんに見られたら、また怒られるという恐怖か。
「私、あれからオムライスイベントについて考えたんですよ」
響子ちゃんが明るい声でそう言って、ちらりと俺を見た。視線につられるように隣を見ると、すぐ近くに響子ちゃんの顔があって思わず息をのんだ。響子ちゃんは気にした様子もなく続けた。
「私がたくさんオムライスを作って、ファンのみんなに振る舞うのはどうでしょう」
「いいんじゃない? 響子ちゃんのオムライスが食べれるなら、ひと口でも嬉しいよ」
「たくさん作って、5人くらいしか来なかったらどうしましょうね」
「その時は、5人でテーブルを囲んで食べよう」
「そういうのもいいですね」
淡々とそう答えた響子ちゃんは、少しだけ硬い表情をしていた。じっと見つめると、響子ちゃんは情けなく眉をゆがめて笑った。
「昨日のライブもたくさん人が来てくれましたけど、もし私一人だったら何人来てくれるだろうって、怖くなっちゃって」
意外な告白だった。デビューしていきなりあれだけ歌って踊れて、堂々と先輩二人と話ができる響子ちゃんが、そういう悩みを持っているとは思わなかった。そっとため息をついて、響子ちゃんが胸の前で両手の指を絡めた。
「ピンクチェックスクールは、私には少し大きすぎた気がします」
「ニュージェネの最初のイベントは、通行人を除いたらたぶんファンはひと桁だった。アイドルが3人もいたのに」
懐かしい記憶を引っ張り出してそう伝えると、響子ちゃんは驚いたように眉を上げた。
ショッピングモールの小さなイベント会場だった。346プロからシンデレラプロジェクトでデビューする3人組ということで、それなりに宣伝もされていたが、彼女たちを目当てに来た人は両手で数えられる程度だった。
「最初から人気のある人と組んでデビューするっていうのは、いいことでしょうか。それとも、悪いことでしょうか」
「それは俺にはわからないけど、もし卯月ちゃんと一緒じゃなかったら、俺はたぶん響子ちゃんを知らないままだった」
向こうに卯月ちゃんが見えたので、ガードレールから背中を離した。今日は元々卯月ちゃんとライブの話をするつもりだった。こうなった今、中途半端に響子ちゃんを帰すわけにはいかない。せっかくなので、時間があるなら付き合ってもらおう。
卯月ちゃんが俺たちに気が付いて、手を振って走ってくる。響子ちゃんも嬉しそうに笑って手を振った。