奥まった場所にあるいつもの喫茶店。俺と卯月ちゃんがよく利用する店だが、今日は響子ちゃんも一緒である。
若者の多い街である。卯月ちゃん一人でも気付かれるリスクが高いのに、響子ちゃんまで一緒となると、ファミレスや人気のカフェには入りづらい。響子ちゃんはまだデビューしたばかりでほとんど知られていないが、やはり他の女の子とはオーラが違う。スカウトされた理由もわかるし、先ほどのナンパ師たちも女の子を見る目は確かなようだ。
「まあ、別に3人なら見つかっても問題ない気もしますけどね」
注文を済ませてから、卯月ちゃんが明るく笑った。俺のことはいつも通り、従兄弟のお兄さんで仲が良くて甘えているという説明がされ、響子ちゃんも納得していた。寮でみくちゃんと仲が良いと言っていたので、いずれ俺のことは話題に上るだろう。整合性の取れない嘘はつくべきではない。
「それにしても、さっきの電話は驚きました。ドラマの撮影かと思っちゃいました」
卯月ちゃんがふふっと笑って、響子ちゃんが唇を尖らせた。
「笑い事じゃないですよ。ピンチだったんですから」
「いや、全然危機感がなかった。すぐそこだから大丈夫って言われた時、俺は深く絶望した」
無念そうに首を振ったが、響子ちゃんは悪びれずに笑った。
「危ないところでしたね!」
「危機感を持って!」
「次はもう大丈夫ですよ! 誰にも道は教えません!」
「それは極端だから!」
二人であははと笑うと、卯月ちゃんにそれはそれは冷たい目で睨まれた。この流れで嫉妬するのは勘弁してほしい。
「でも、みくちゃんにも気を付けろって言われてるし、もう少し人を疑わないとダメですね」
「みんないい人だったら、世界は平和になるのにね」
卯月ちゃんがよくわからないことを言って、響子ちゃんが大きく頷いた。
二人の危険な人談議を聞いていたら、注文したパスタが運ばれてきた。卯月ちゃんがカルボナーラをフォークに巻いて口に入れる。美味しそうに頬張ってから本題を切り出した。
「それで、昨日のライブはどうでした? いつも通り、率直なところを聞かせてください」
今日の趣旨は響子ちゃんにも伝えてあって、興味深そうに身を乗り出した。昨日みくちゃんも言っていたが、アイドル本人が直接客席側の意見を聞ける機会は少ない。もちろん、他のアイドルのライブに行くことはできるが、自分たちのステージを生で見ることはできない。
「良かったよ。ニュージェネでやったことのない曲も色々聴けたし。『ツインテールの風』とか『冬空プレシャス』とか」
「『冬空プレシャス』は私も意外でした。美穂ちゃんも参加してないし。でも、346の冬の定番曲って感じがします。他に『Frost』っていう曲があるんですけど、ちょっとピンチェのイメージと違って」
「今回、振りが少なかったのは、やっぱり響子ちゃんへの配慮?」
「響子ちゃんだけじゃなくて、私も初めての曲が多くて、クオリティを上げられないっていう判断です」
情けない顔でそう言って、響子ちゃんと顔を見合わせる。確かに、響子ちゃんがデビューして、卯月ちゃんはすっかり先輩という立ち位置だが、元々ダンスは得意ではなく、今でもニュージェネのライブで時々振りを間違えている。
1曲ずつ振り返っていると時間がかかるので、昨日みくちゃんに聞かれた内容をまとめて話すと、二人はうんうんと真面目な顔で頷いた。最後に卯月ちゃんが驚いたように言った。
「すごいですね。○○さん、私が聞きたいことを全部的確に教えてくれましたね」
嬉しそうに手を合わせる。それから少しだけはにかみながら、俺の顔を見て目を細めた。
「さては、だいぶ私のことがわかってきましたね?」
「あっ、いや、昨日みくちゃんに聞かれた内容を話しただけ……」
余計なことを言った。卯月ちゃんがそれはそれは冷めた眼差しを投げてきたので、俺は慌てて手を振った。
「いや、違う。もう卯月ちゃんのことならなんでもわかる!」
「みくちゃんと、楽しそうですね」
「楽しくなかった! 尋問だった!」
強く否定したが、卯月ちゃんは「ふーん」と疑うような目で俺を睨んだ。隣で響子ちゃんが楽しそうに顔を綻ばせる。
「二人とも面白いですね! ○○さん、みくちゃんとも友達なんですね!」
「都合よく使われてるだけ」
「じゃあ、私も都合よく使いますね! 私のオムライス、食べてくださいね!」
響子ちゃんが誤解を招く発言をして、案の定卯月ちゃんがそれはそれは白々しい微笑みを浮かべた。
「響子ちゃんのオムライスを、食べる……?」
もうダメだ。卯月ちゃんとの関係はこれまでだと頭を抱えると、響子ちゃんがわざとなのか能天気なのか、「はい!」と満面の笑みで頷いた。
パスタがなくなると、満を持して昨日のライブで一番ファンが困惑した事態について切り出した。つまり、卯月ちゃんと美穂ちゃん、それぞれ独自に発展したコールの文化が融合した結果、ファンが大混乱した件である。ステージ上ではどうだったか聞くと、卯月ちゃんは困ったように微笑んだ。
「あー、それですか」
ちらりと響子ちゃんを見て、二人で苦笑いを浮かべる。やはりステージにもファンの動揺は伝わっていて、後から話題に出たのだろう。
「あれは、色んなアイドルにユニットを組ませる、346プロの文化みたいなものです」
「よくあるの?」
「らしいです。私はまだシンデレラプロジェクトからほとんど出たことがないからわかりませんけど、美穂ちゃんがそう言ってました。だんだんファンの中で折り合いがついていって、その内新しいピンチェの文化が出来上がるんです」
確かに、昨日のライブについて検索したら、一部でコールをどうするかという議論がなされていた。俺はニュージェネの文化を作ってきた側なので気にしたことがなかったし、できればそれを貫きたかったが、大暗黒が言っていた通り、郷に入ってはなんとやらである。ピンチェのライブに乗るためには周りの情報を集めなくてはいけないし、そのためには水野や大暗黒との交流も必要なのかもしれない。
そう伝えると、卯月ちゃんは難しい顔でジュースのグラスを傾けた。隣で響子ちゃんが、「ファン同士の交流っていいですよね!」と明るく笑ったが、俺と卯月ちゃんの中では、それは良くないのだ。それについてはまた響子ちゃんのいないところで話そう。目で語って頷き合う。
響子ちゃんの前でできる話は大体したので、せっかくなので響子ちゃんの話を聞こうと、先ほどの話をそれとなく振ってみた。もし卯月ちゃんに聞かれたくなかったら悪いので、ニュアンスで伝えたが、響子ちゃんは困ったように笑いながら切り出した。
「さっき少しだけ○○さんに話してたんですけど、あんなにもたくさんのファンのいる二人と一緒にデビューしたのは、良かったのかなって。『あいつ、なんだよ感』ないですか?」
響子ちゃんがそう言うと、卯月ちゃんは驚いたように目を丸くした。
「全然ないよ! 響子ちゃん、そんなこと考えてたの!?」
「昨日そう思ったんです。握手会でも話すのに困ってた人がたくさんいたし、やっぱり私のソロ曲は盛り上がらなかったし、なんか、いいのかなって」
「全然いいよ!」
焦ったように卯月ちゃんが声を上げる。卯月ちゃんは響子ちゃんを可愛がっているし、本当に友達だと思っている。それは普段の卯月ちゃんとの会話から伝わってくる。
響子ちゃんも、それを疑っているわけではないと首を横に振った。
「卯月ちゃんも美穂ちゃんも大好きだし、一緒にいられて嬉しいです。友達だって思ってます。ただ、ユニットとしては、私も卯月ちゃんみたいに、みんなスタートからの方が良かったのかなって」
響子ちゃんの言葉に、卯月ちゃんは困った顔をした。響子ちゃんはピンチェでデビューして良かった。100%そう思っているが、どう言えばそれが伝えられるのか迷っているのだろう。助言を求めるように見られたので、客観的な意見を言ってみた。
「まずは知ってもらうのが大事だと思うよ。響子ちゃんは実力的にも問題ないし、あれで良かったと思う」
「そうです。私や凛ちゃんや未央ちゃんは、ちょっと遠回りしたなって思うし。もちろん、楽しかったからいいんだけど……」
卯月ちゃんが俺の意見に賛同して、言葉を切って眉をひそめた。それから、不思議そうに顔を覗き込む響子ちゃんに、ため息混じりに言った。
「デビューしたばかりの頃のファンはもうほとんど残ってなくて。有名じゃないアイドルを応援するのって、ちょっと違う目的のことも多くて、人気が出るといなくなっちゃうケースも多いんです。だから、それなら最初から大きなライブに放り込まれるのも、いいんじゃないかって思います」
響子ちゃんはあまり理解できなかったのか、難しそうに首をひねった。
耳の痛い話である。要するに、ファンが少ない方が認知されやすいから応援するのだ。ファンが増えたら離れていく。認知されることを目的にアイドルを応援するのは、一般的には褒められた行為ではない。
俺はどちらかというと認知勢だ。昨日、美穂ちゃんと響子ちゃんのどちらがいいか大暗黒に聞かれた時、ファンの少ない響子ちゃんの方がいいと思った。それが一部では嫌われる考え方なのはわかっている。だから今まで、他のファンと交流してこなかったのだ。
またその辺りのことは、その内卯月ちゃんやみくちゃんに説明してもらおう。
「たくさん知ってもらった後、人気が出るかは自分次第だよ。どうせ悩むなら、このチャンスをどう生かすかを考えた方がいい。少なくとも俺は、昨日のライブで響子ちゃんのことが好きになったよ」
励ますようにそう言うと、響子ちゃんは嬉しそうに大きく頷いた。隣で卯月ちゃんが、それはそれは冷淡な眼差しで俺を見つめていた。空気を読んでいただけるとありがたいのだが……。
そろそろ時間だと言って店を出た。別れ際に響子ちゃんが、「みくちゃんが交換したなら私も」と連絡先を欲しがったので、渋々LINEを交換した。無用な火種は作りたくないが、これだけ仲良く話しておきながら、ここで断るという選択肢はない。
案の定、響子ちゃんと別れた後、卯月ちゃんが今にも別れを切り出しそうな顔で言った。
「どんどん私のアイドル仲間のIDが増えていきますね」
「まあ、卯月ちゃんの従兄弟だから」
視線を逸らして、誤魔化すように口笛を吹いた。卯月ちゃんは大きくため息をついてから、変装するように髪の毛を束ねて、眼鏡をかけて帽子をかぶった。
本当はまだ30分くらい時間がある。少しくらい二人きりになりたかったので、早めに店を出たのだ。
大通りから離れるようにさらに奥へ歩いていき、公園に足を踏み入れる。適当なベンチに座ると、手を繋いでぼんやりと空を見上げた。
昨日のライブのことは話し足りないし、水野と大暗黒についても相談しなくてはいけない。みくちゃんの件も弁明しないといけない。卯月ちゃんの方でも、話したいことがたくさんあるだろう。けれど、今は時間がない。それらはこれからまた追々話していけばいいだろう。
「今日は、響子ちゃんを助けてくれて、ありがとうございました」
ぽつりと卯月ちゃんがそう言って、微笑みながら俺の肩に頭を乗せた。俺は苦笑しながら、少しだけ卯月ちゃんに体重を預けた。
「カッコイイもんじゃなかったよ。殴られないかビクビクしてたし」
「私が助けられたかったです」
「ピンチになったら助けるけど、そんな機会はないことを願ってるよ」
疲れたように息をつくと、卯月ちゃんはくすっと笑った。
それからしばらく、二人で無言で座っていた。ちらりと目だけで様子を窺うと、卯月ちゃんは何やら考えるようにぼんやりと向こうを見つめていた。
「何か悩み事があったら言ってね。ちゃんと言葉にしないと、大抵の場合、悪い方にいく」
静かにそう告げると、卯月ちゃんはいたずらっぽく笑った。
「そうですね。特に○○さんはそういう傾向があります」
「そうかも」
ハロウィンイベントの後、もうライブに行くのをやめようかと提案したら、卯月ちゃんに呆れられた。今でも、俺はライブに行かない方がいいのではないかと度々考えるが、卯月ちゃんはそれを望んでいない。俺も、卯月ちゃんのライブは見たい。
「我慢はしてますよ。でも、今がベストです。悩んでるのが私だけじゃないことはわかってるし、○○さんの愛も疑っていません」
芯のある声で言われて、隣を見たらいきなり唇を塞がれた。向こうでは子供も遊んでいる、人通りのある公園で、大胆なことをする。呆れながら軽く抱き寄せて、少しだけ舌を絡めあった。
顔を離すと、卯月ちゃんが嬉しそうに微笑んだ。やはりどう考えても一番可愛い。誰よりも一番可愛い。
「じゃあ、文句だけでも言って。怒ってくれてもいい。とにかく、言いたいことを言ってほしい」
もう一度、真剣な目でそう伝えると、卯月ちゃんは大きく頷いた。
「わかりました。じゃあ、みくちゃんとちょっと仲良くし過ぎだと思います。さっきも、響子ちゃんに好きだとか、そこまで言わなくていいんじゃないかって思いました。しかも彼女の目の前で! でも、それがベストです。やめろってことではないです」
「そうそう、そんなふうに」
思わず苦笑いを浮かべると、卯月ちゃんも楽しそうに笑った。
そろそろタイムリミットが迫ってきたので、駅に向かって歩き出した。卯月ちゃんが繋いだ手を振りながら、明るい声で言った。
「さっきは冗談で睨みましたけど、みくちゃんの話を聞いても、響子ちゃんの話を聞いても、全然平気でした。これは成長ですね?」
「俺に飽きてきたんだな」
「そうかもしれませんね。もうダメですね、私たち」
卯月ちゃんがふふっと笑う。あまり嫉妬しなかったのは、関係の成熟もあるだろうが、卯月ちゃんが見聞きできる範囲で交流しているからだろう。見てもらえれば、俺が彼女たちに、恋愛的に興味がないことはわかってもらえる。もっとも、可愛い女の子たちだから、ついドキドキしてしまう。それにはついては怒ってくれていい。
「水野と大暗黒の話はまたするよ。俺も相談したいし」
「わかりました。また電話しますね。私も全然話し足りません。そろそろまた、デートもしたいです」
「いつでも大歓迎だよ。時間が取れそうな時は言って」
「はい!」
駅でもう一度口づけをして別れた。
改札をくぐって、卯月ちゃんが大きく手を振る。それを笑顔で見送ってから、スマホを取り出した。
水野に大暗黒に響子ちゃん。卯月ちゃんと二人だけだった世界に、どんどん仲間が増えていく。卯月ちゃんのファンもどんどん増えていく。その変化を受け入れながら、俺たちもより良い方向に付き合い方を変えていかなくてはいけない。二人で前向きにそんな話をする時間も楽しい。
今別れたばかりだが、早くまた会いたい。デートもしたい。ライブも見たいし、ラジオも聴きたい。抱きしめたいし、キスもしたい。
間違いなく、今がベストだ。だけど、明日のベストは今日よりもっと良くできる。そんな気がする。
─ 完 ─