東京都内の座席数500のホールに、自分と同じくらいの若者が集まっている。案内の電光掲示には『シンデレラのクリスマス』と書かれていて、ホールの入口にはさらにその詳細の書かれた看板が置かれている。
第1部 凸レーション 開場10:00 開演11:00
第2部 ラブライカ 開場13:30 開演14:30
第3部 ニュージェネレーションズ 開場17:00 開演18:00
完全入れ替え制だがチケットは共通で、座席はあるが自由席という珍しい形式イベントだ。飛行機のオーバーブッキングのようなことにならないよう、チケットは恐らく500枚しか売られていないだろうから、各回それなりに空席が出るだろう。
俺自身、みくちゃんとの約束がなければラブライカのライブはパスして、昼食と3部のために並ぼうと思っていたし、逆にニュージェネに興味のないファンもいるだろう。もっとも、なかなか強気の値段設定だったこともあり、朝から夜まで通しで観るファンも少なくないと思われる。
9時半頃会場に着くと、すでに百人以上が列を作っていた。物販は会場の外で行われ、公演中を含めて3ユニットすべてのグッズが常時売られている。この方式だと、夜にニュージェネのライブだけ観に来るファンはグッズが完売している可能性が高くなるので、どうしても欲しい人は朝から来る必要がある。
俺はすでに列に並んでいるはずの大暗黒を探そうと思ったが、断念した。LINEで連絡を取ってもいいが、列に入れてもらうわけでもないし、どうせ夜は忘年会で一緒になる。それに、これからみくちゃんと会おうというのに、みくちゃん推しの大暗黒と会うのは得策ではない。
グッズの案内を見たら、クリスマス衣装の卯月ちゃんのブロマイドを買う必要性を感じたので、列に並んだ。保存用、観賞用、使用用に3枚は欲しい。水野にグッズの案内の写真を送り付け、何か欲しいものはあるか聞いてみると、しばらくしてすでに大暗黒に頼んであるから大丈夫だと返事が来た。
その大暗黒からは、もう会場にいるかとメールが来たので、グッズに並んでいるから凸レーションのライブは後ろから見ると送っておいた。
何を優先するか、なかなか悩ましいイベントである。俺の場合、ニュージェネのライブは最前列で観たいので、ラブライカのライブは途中で切り上げてでも列に並びたいが、そうするのが正解なのかさっぱりわからない。
グッズに並んでいる内に開場し、列が動き出した。10人ずつくらい区切って中に入れているようだ。席の確保ができないよう、前の方は詰めて座らされるのだろう。500人は埋まらないので、30分もしたらその制限は解除されるはずだ。敢えて後ろで静かに観たいファンもいる。
卯月ちゃんのブロマイドを3枚と、他にいくつかニュージェネのグッズを買ってブースを離れると、みくちゃんから指定された場所に急いだ。すでに待ち合わせ時間を過ぎていたが、グッズの列に並んでいることは送ってあったので、みくちゃんは特に気にした様子もなく笑顔で手を振った。
「○○チャン、おはよう!」
「おはよ」
もこもこした服に薄いマフラー、眼鏡をかけてマスクをしているのはなかなかに怪しいが、季節柄マスクをしている人は多いのでそこまで違和感はない。
隣にいる響子ちゃんは髪の毛を編んでいる以外に変装はしていないが、まだ知名度が低いのでそんなに心配ないのだろう。ピンチェのファンも多いから気付く人もいるだろうが、出演者でもないし、気付かれたところで問題になることもない。ここはアイドル仲間がいてもおかしくない場所だし、ファンが多い分、迷惑な行為は牽制される。
「久しぶり。よく空いてたね」
軽いノリで声をかけると、響子ちゃんは柔らかくはにかんだ。
「はい。私、まだピンチェしかユニットがなくて、卯月ちゃんも美穂ちゃんもいないと、お仕事がありません」
「これからこれから。なんか意外な組み合わせだけど、寮では仲良しなの?」
「美穂ちゃんの次に長く一緒にいます。年も同じだし」
「そっか。でもみくちゃんは、豆腐ハンバーグの存在が許せない心の狭い女の子だけど、それは大丈夫なの?」
冗談でそう言うと、みくちゃんが「んにゃーっ!」と奇声を上げて俺の腕を掴んだ。
「余計なことは言わなくていいの!」
「みくちゃん、豆腐ハンバーグはダメだった?」
「そんなことないにゃ! 普通のハンバーグと比べると物足りないって話を、○○チャンが大げさに言っただけ! この人はこうやってみくをいじめて喜んでるの!」
「そうなんですか?」
響子ちゃんが不安そうに俺を見上げる。相変わらず素直な子だ。
「みくちゃんをからかうのが面白いのは否定しない」
「それはちょっとわかります!」
「わからなくていいにゃ!」
みくちゃんが顔を赤くして、響子ちゃんがくすくすと笑った。なるほど、確かに仲が良さそうだ。
雑談をしながら会場の中に入り、人の少ない後ろの方に並んで座る。奥の通路から響子ちゃん、みくちゃん、俺の順に座り、アイドルの隣に他の人が来ないようにする。スマホが震えたので、見ると卯月ちゃんからだった。
『もう会場に入りました? どこに座ってます?』
おかしなメッセージだった。シンデレラパーティーの時のように俺の場所を把握したいだけだろうが、ステージは完全入れ替え制なので、ニュージェネのライブの時は今とは違う場所にいる。
難しく考えずに座席番号を送って、スマホをポケットに突っ込む。しばらく3人で喋っていると、すぐ後ろから凍り付くような冷たい声がした。
「なるほどー。そういうことですか」
最初の1文字目で卯月ちゃんだとわかった。振り返ると、愛する彼女がそれはそれは冷たい微笑みを浮かべて立っていた。物販で売られていたのと同じパーカーを着て、なかなか可愛かったが、それを楽しむ余裕は1ミリもなかった。
「ああ、卯月ちゃん!」
みくちゃんと響子ちゃんの声が重なる。卯月ちゃんはにこにこしたまま俺の隣に座って二人に話しかけた。
「今日はこっちに来たんですね。李衣菜ちゃんはよかったんですか?」
「孤軍奮闘の卯月ちゃんの応援にゃ」
みくちゃんが偉そうに腕を組んで頷く。
「孤軍奮闘って?」
反射的に聞くと、卯月ちゃんが言った。
「今日の出演者で、キュートチームは私だけなんですよ。別にチーム戦じゃないって言ってるんですけど、みくちゃん、キュートチームに情熱を燃やしてるから」
「そう! 可愛いは正義にゃ!」
よくわからないが、とりあえず卯月ちゃんの機嫌は良さそうだ。ホッと息を吐くと、卯月ちゃんが実に白々しい微笑みを浮かべて俺を見た。
「開演前に少しお話をしようと思って来ましたけど、私、お邪魔みたいですね」
そう言って腰を浮かせる。俺は慌てて立ち上がって、自分の座っていた椅子に卯月ちゃんを押しやった。
「いいから。違うから。時間の許す限りいて!」
「はいはい。凸レーションの予習はしました?」
「みくちゃんから色々教えてもらった」
「そうですか。仲良しですね」
嫉妬を隠そうともしないこの会話は何なのか。俺が思わず頭を抱えると、響子ちゃんが楽しそうに言った。
「なんだか、独特の空気ですね」
「この子はこうやって俺をいじめて喜んでるんだよ」
「それ、さっきも聞きましたね!」
響子ちゃんが能天気に笑う。みくちゃんの方はどうかと様子を窺うと、こちらも特に訝しむことなく、卯月ちゃんと雑談を交わしていた。ここで俺と卯月ちゃんの関係を探るように見つめていたらどうしようかと思ったが、そういう心配はしなくてよさそうだ。
考えてみると、みくちゃんと卯月ちゃんと一緒になるのは、あのカフェ以来である。こうして仲良くお喋りができるようになれたのは、みくちゃんに好かれろという卯月ちゃんの方針が正しかったということだろう。もっとも、そのせいで卯月ちゃんの嫉妬心は倍増している気がするが。
「卯月、凸レーションのライブは観ていけるの?」
小声で尋ねると、卯月ちゃんは少しだけ驚いたように眉を上げてから、何やら嬉しそうに微笑んだ。
「そうしたいんですけど、30分くらいが限界なので、開演前に戻ります。途中で立つのも迷惑だし」
「それは残念」
このメンバーでライブを観るのも面白そうだったが、さすがに出演者にそんな余裕はないようだ。
そうこうしているともうじき開演だとアナウンスがあり、卯月ちゃんが静かに立ち上がった。去り際に素早く俺の耳元に顔を寄せて、手を添えて囁いた。
「会えて良かったです」
その声が安らいでいたので、俺は安堵の息をついた。今日は夜も会えないし電話もできないと言われていたから、わずかのやり取りも無理だろうと思っていた。それがこうして、顔を見て話ができたのは本当に嬉しい。
卯月ちゃんの背中を見送ってから、スマホを取り出す。電源を切る前に「俺も」と2文字送っておいた。本当にみくちゃんのことは全部冗談だったのかは気になるが、大丈夫だと信じたい。
一つ詰めて元の席に座ると、みくちゃんがペンライトを取り出して拳を握った。
「なかなかみんなのライブも来れないから、今日は全力で楽しむにゃ!」
客席が暗くなる。ライトに照らされたステージに、ブロマイドと同じサンタ衣装の3人が現れて、『Twin☆くるっ★テール』を披露する。辛うじて知っている曲だ。
狭くはない舞台の上を、3人が元気に駆け回る。なるほど、パッションチームというのも頷ける。それにしてもすごい身長差だ。
この位置からだと3人全員を見られるが、なるべくみりあちゃんを見るようにした。卯月ちゃんの話にあまりきらりちゃんと莉嘉ちゃんは出てこないので、たぶん個人的にみりあちゃんが好きなのだろう。
クリスマスステージはライブというよりは、歌とトークが半々くらいのファンイベントのような内容だった。トークや企画はきらりちゃんが進行役を務め、莉嘉ちゃんが天真爛漫に言いたいことを言い、みりあちゃんが冷静にはしゃいでいた。どう言っていいかわからないが、みりあちゃんには怖さを感じる。
「あれは全部考えて発言してるの?」
ぽそりと聞くと、みくちゃんはずいっと俺に顔を近付けて囁いた。
「たぶん、素で頭がいい」
「卯月と同じ感想だ」
チラッと横を見たら、数センチ先にみくちゃんの顔があって思わず息をのんだ。みくちゃんも恥ずかしそうに顔を赤くして、慌てて椅子に座り直した。
凸レーションのイベントは1時間半で終了した。最後は曲ではなくトークで終わり、アンコールを封殺する。
「次のラブライカのライブも楽しんで行ってねー」
莉嘉ちゃんが手を振ってステージを去ると、すぐに客席が明るくなった。今日は入れ替え制の3部構成なので、時間きっちりに進行するのだろう。
スマホの電源を入れると、何通かメールが届いた。卯月ちゃんからは、「ニュージェネのステージはもっと前で観てくださいね」と、お願いする絵文字と一緒に届いていた。「もちろん」と手短に返しておく。みくちゃんと響子ちゃんがどうするかは知らないが、このステージだけは譲れないので、二人が後ろから観るならそこで解散だ。
水野からは、朝のお礼というようにMasque:Radeの物販の情報が飛んできた。そろそろ出ようとみくちゃんに腕を引っ張られたので、気持ちだけもらっておくと投げておいた。
外に出るとまずラブライカの列を確認した。開場まで45分、開演まで2時間近くあるが、すでに列が形成されている。1部に参加したファンも押し寄せ、列は一気に長くなった。この様子だと、ニュージェネのライブも前の方で見ようと思ったら途中で抜けた方がいいかもしれないが、ライブの途中で退席するのは出演者に失礼だ。卯月ちゃんが同じことをされたら、俺は憤りすら覚える。
大暗黒から合流しようという趣旨のメールが来たので、知り合いといるから難しいと返した。みくちゃんが頬を膨らませて、わざとらしく腰に手を当てた。
「○○チャン、せっかくみくたちといるのに、スマホをいじってばっかり!」
「数少ない仲間が会場に来てるからな。むしろみくちゃんと一緒にいるために、頑張って誘いを断ってるんだよ」
偉そうに説明すると、みくちゃんはなるほどと頷いた。意外と素直だ。
お腹が空いてきたが、近くの店は混んでいるだろう。意見を求めると、響子ちゃんが持っていたバッグを可愛らしく掲げた。
「私、サンドイッチを作ってきました。○○さんも一緒にどうですか?」
「いいの?」
「3人分あるから。みくも手伝った」
会場裏の広場に場所を移し、大きな階段の端に腰掛ける。響子ちゃんが得意げにランチボックスを開けて、サンドイッチを手で渡してきた。それを受け取って頬張る。玉子がふかふかしていて味も食感も抜群だった。料理が得意というのは本当らしい。
「すごく美味しいよ。みくちゃんの分も食べたいくらい」
「はい! 食べちゃってください!」
「いや、みくの分はあげないから!」
並んでサンドイッチを食べながら、ライブの感想を語り合う。なんだかとても楽しい。友達が少ない上、特にアイドルの追っかけはずっと一人でしていたから、こんなふうに誰かと同じ時間を共有することはなかった。しかもそれが、たくさんファンのいるアイドルの女の子である。
「俺、いいのかな。響子ちゃんのサンドイッチ食べさせてもらって。みくちゃんも遊んでくれるし」
しみじみ呟くと、響子ちゃんがキョトンと首を傾げて、みくちゃんがジトッとした目で睨んできた。
「全然気にしなくていいにゃ。別に遊んであげてるつもりはないし」
「でも、明らかにファンの域を逸脱してる気がして」
「○○チャン、元々私たちのファンじゃないでしょ。友達枠だから、変な遠慮はしなくていいし、逆に有り難がって欲しくないにゃ」
わかりやすく、不機嫌そうに頬を膨らませる。
前に未央ちゃんにも同じようなことを言われた。確かに俺は二人を推しているわけではないし、みくちゃんからメールが来ても、特別な喜びはない。ただ、みくちゃんと親しくなりたくてもなれない仲間に悪いと思っただけだ。
「さっきメールしてたの、大暗黒っていうみくちゃんのファンで、今日ライブの後、飲みに行くことになってるんだよ」
なんとなく話し始めると、みくちゃんは驚いたように眉を上げた。
「そうなんだ。大暗黒チャンかー。楽しそう」
「知ってるの?」
「もちろん。昔から応援してくれるし、ラジオにもメールくれるし」
みくちゃんが嬉しそうにそう言うと、響子ちゃんも知っていると頷いた。ピンチェのライブで握手はしていたが、もしそれだけで覚えているのなら名前のインパクトだろう。
「大暗黒が知ったら卒倒しそうだなって。だから余計に、会場で鉢合わせしないようにしてた」
スマホをいじっていた理由を改めて説明すると、みくちゃんは難しそうに眉根を寄せた。
「ファンとの距離感は難しいにゃ。みくだって、○○チャンと大暗黒チャンの忘年会とか、すっごく楽しそうだなって思うし、一ファンとして一緒に参加して今日のライブの話とかしたい」
「そんなことになったら、何人かショック死しそうだな」
「だよねー。みくだって楽しそうな人とはお友達になりたいし、もっといっぱい交流したいけど、やっぱりそうもいかないし。アイドルとファンっていう関係じゃないところで会いたかった女の子もいるし、ファン同士でワイワイ楽しそうなのを見てると、アイドルって結構孤独だって思うにゃ」
そう言って、みくちゃんは深くため息をついた。卯月ちゃんもよく悩んでいるが、この子はこの子で悩み事はあるらしい。
隣で響子ちゃんが、真剣な眼差しで頷いている。まだアイドルになったばかりで、いきなりファンでいっぱいの会場で歌った響子ちゃんは、きっとまたシンデレラプロジェクトのメンバーとは別の思いを抱いているのだろう。
みくちゃんがそっと微笑んで、大人びた瞳で俺を見た。
「だから、○○チャンとお友達になれて、みくは本当に嬉しいの。ファンでもアイドル仲間でもないお友達。客席側からみくたちを応援してくれるのに、アイドルだって意識せずに付き合ってくれる人なんて、他にはいないにゃ」
熱っぽい瞳で俺を見上げて、嬉しそうに顔を綻ばせる。それは単に、俺がみくちゃんに興味がなかったから自然とそう振る舞えていただけだが、妙に好意的に解釈されている。申し訳なく思うが、今はみくちゃんをちゃんと可愛いと思っているので許して欲しい。
「俺もみくちゃんといると楽しいけど、周りがどう思うかは別問題だから、遊ぶ時は卯月とか響子ちゃんとか李衣菜ちゃんとか、他の人が一緒の方が安心だな」
あくまで他のファンのせいにして、二人では会わないとやんわりと釘を刺した。もちろん、本当は卯月ちゃんと付き合っているから、二人で会うのはまずいというだけだが、それは絶対に話せない。
「わかってるにゃ」
みくちゃんが不満そうに唇を尖らせた。二人で会いたいという意味ではなく、もっと自由に遊びたいということだろう。
静かに話を聞いていた響子ちゃんが、柔らかな笑顔を俺に向けた。
「私とも遊んでくださいね? 今日もすごく楽しいです!」
「それは喜んで」
眩しいほど真っ直ぐな瞳に、嘘をついている後ろめたさが刺激されるが、慕われるのは素直に嬉しい。ただ、果たしてこれも卯月ちゃんの予定通りなのか、それとも許容範囲をとっくに逸脱しているのか、それだけが心配だ。
卯月ちゃんが望むなら、二人まとめて切り捨てても構わない。けれど、可能なら純粋に慕ってくれるこの子たちの友達でいたいと願うのは、都合のいい我が儘だろうか。俺には難しい。