ビルに囲まれた狭い空は、相変わらず灰色の雲に覆われていた。もっとも、今日は空を見上げている余裕などない。ジッと卯月ちゃんを見つめていると、卯月ちゃんが恥ずかしそうにしながら、可愛らしく頬を膨らませた。
「そのガン見はなんですか?」
「目に焼き付けておこうと思って」
「別れ際の空港じゃないんですから。何をしますか?」
プランはなんでもない街遊びである。カラオケ、ボウリング、ビリヤード、ダーツ、ショッピング。卯月ちゃんが興味があれば、エアホッケーでも卓球でもバッティングセンターでもなんでも構わない。
せっかく朝早いから、なるべく昼になったら混みそうなところに行きたいが、カラオケ以外はどれも混みそうにない。しいて挙げるならボウリングだろうか。
カラオケは口にせずにそんな話をすると、卯月ちゃんは少しだけ考えるように視線を彷徨わせてから、様子を窺うように言った。
「○○さんは、カラオケはあんまり好きじゃないんですか? もちろん、ゲームセンターで一日遊んでも全然構いませんが、街遊びといえばカラオケかなって思って」
もちろん、俺も真っ先にカラオケを思い浮かべたが、プロに歌わせていいものか、半年以上付き合ってなお自分の中で答えが出ていない。ただ、みくちゃんが友達枠だから変な遠慮はするなと言っていたのと同じで、彼氏として会っている時にそれを意識するのは、逆に失礼な気がしないでもない。
「カラオケもいいね。歌いたい?」
自然な調子で聞いてみたが、考えは全部バレているだろう。先程の質問も、すべてわかった上でしたように思える。
卯月ちゃんはどこかホッとしたように笑って頷いた。
「そうですね。○○さんの歌も聴いてみたいです。コールしか聴いたことがないので」
「じゃあ、確実に混むカラオケを最初にしようか」
動揺を隠しながら、卯月ちゃんを近くのカラオケ店に導く。あの憧れのアイドル島村卯月の歌を独り占めできる幸せもすごいが、その卯月ちゃんの前で歌うという緊張感も只事ではない。
「卯月ちゃんが歌ってるのを、ずっと聴いていようかな」
さらっと提案したら、秒で却下された。
他にも色々やりたいので2時間だけにして、ドリンクを持って部屋に入る。卯月ちゃんがリモコンのディスプレイを触りながら言った。
「何か歌ってほしい曲はありますか?」
「卯月ちゃんの歌いたい曲でいいよ。もちろん、346の曲だったら歓喜して喜ぶ!」
咄嗟にそう言うと、卯月ちゃんはくすっと笑った。
「重言ってやつですね。じゃあ、美穂ちゃんのにしようかな」
そう言いながら、『Naked Romance』を入れる。美穂ちゃんのソロ曲で、まだピンチェを組む前から、卯月ちゃんも何度かステージで歌ったことがある。
聴き馴染みのあるイントロ。卯月ちゃんが左手でマイクを持って、右手で振りを付けながら歌う。
あの卯月ちゃんが、目の前で俺だけのために歌ってくれている。もちろん、別に俺のために歌っているわけではないだろうが、ただただ幸せで陶然としていると、卯月ちゃんがサビを歌った後、怒ったように言った。
「『ワン・ツー』入れてくださいよ!」
「息をするのも忘れてた」
「2番の『奇跡かも!』はお願いしますね」
「いや、それは恥ずかしすぎる」
2番は『ワン・ツー』を控えめに入れて、卯月ちゃんの歌声を堪能する。曲が終わると、俺は胸に拳を当てて、目を閉じて背もたれに体を預けた。
「幸せだ。最高のクリスマスプレゼントをありがとう」
「いえ、プレゼント、ちゃんとありますから!」
卯月ちゃんが焦ったようにバッグを指差した。お互い、プレゼントに言及したのはこれが初めてだ。俺のくだらない冗談のせいで、卯月ちゃんにプレゼントの話をさせてしまった。
さらっと流してリモコンを渡す。
「どんどん歌ってね」
「1曲交替です。さあ、○○さんの番です」
「何か適当な男性曲を……」
「346の曲だったら歓喜して喜びます」
卯月ちゃんがにっこり笑う。悪魔の微笑みだ。
追い詰められた。無難な男性曲を歌ってお茶を濁そうと思っていたが、本職の人間に持ち歌を歌わせてしまった以上、その要望は無下にはできない。
諦めて『Nation Blue』を入れると、卯月ちゃんが感嘆の声を漏らした。
「いい選曲ですね。私としては、キュート曲を期待しましたが」
「それは死ぬ」
キーを変えさせてもらい、無難に歌い切る。卯月ちゃんは小さく拍手しながら、少しだけ残念そうに言った。
「普通に上手に歌えるんですね。何かもっとこう、ちょっと期待してたのに」
「何をだよ」
「さあ。次はキュート曲を歌ってください」
楽しそうに俺をからかいながら、卯月ちゃんは『おねだりShall We~?』を選曲した。みくちゃんのソロ曲だが、記憶している限り、卯月ちゃんがこれをステージで歌ったことは一度もない。
「○○さんが大好きなみくちゃんの曲を歌ってあげますね」
「歌えるの? 結構難しいよね」
「雰囲気OKで」
敷居を下げることを言いながらも、歌い始めたら普通に上手だった。明らかに何度も歌っている。
それにしても、いかにも媚びた調子のアイドル曲で、普通の女の子が挑戦したら場が白けて終わりそうだが、卯月ちゃんは一線を画していた。それが何か、上手く言葉にできないが、やはりアイドルということだろう。
「俺もう、死んでもいい」
ソファの上に転がると、卯月ちゃんが俺の肩にグリグリとマイクを押し付けた。
「死なないでください。可愛いキュート曲をお願いします」
仕方がないので、開き直って『Happy×2 Days』を入れると、卯月ちゃんが大きく頷いてもう一つのマイクを取った。
「特別に杏ちゃんのパートを歌ってあげますね」
卯月ちゃんも入ってくれるならと、原曲キーのまま、オクターブ下で歌う。Bメロで卯月ちゃんが杏ちゃんの真似しながら歌うのが死ぬほど可愛かった。
そして、サビをユニゾンで歌う。楽しい。女の子と二人でカラオケということ自体初めてなのに、こうして二人で一緒に歌って、しかもそれがステージでこの曲も何度も歌っているアイドル本人である。
卯月ちゃんは2番の杏ちゃんパートも完璧に歌い上げた。ニュージェネで歌う時は、杏ちゃんのパートは未央ちゃんが歌うことが多いが、やはり全員がどのパートも歌えるのだろう。
時速5キロから上手く歌えなかったので卯月ちゃんに任せて、最後をまたユニゾンで歌う。
曲が終わって、俺がもう少しで昇天という心地で座っていると、卯月ちゃんが俺のすぐ隣に座ってリモコンを取った。
「二人で歌うの、楽しいですね。後で私の曲と『お願い!シンデレラ』も歌ってください」
にこにこしながら、『Rockin' Emotion』を入れる。これも歌っているのを聴いたことがない。カッコイイ卯月ちゃんも最高だった。ステージで歌ったことがある曲よりも、今後歌う可能性のある曲の方が、ありがたみが強いかもしれない。
それからも、お互いに346の曲を歌い合いながら、あっと言う間に2時間が過ぎた。もう、一日中カラオケでもいいくらい満足な時間だったが、346の曲も減ってきたし、延長はせずに店を出る。
天気は相変わらずだったが、もう今なら槍でも降らない限り問題ない。隣で卯月ちゃんが組んだ両手を伸ばしてから、笑顔で俺を見上げた。
「次はどうしますか?」
時間はちょうど12時で、早めのランチにしてもいいが、それほどお腹が空いていない。ただ、遅くするとせっかくのディナーに差し支える。
ご飯に関して意見を求めると、卯月ちゃんはお腹に手を当てながら首を振った。
「別に食べなくていいですよ? 超高層ビルの素敵なレストランの高級ディナーに全力で備えたいです」
「高層ビルのレストランから、超高層ビルの素敵なレストランに格上げされてるんだけど」
「ワイングラスを片手に、夜景を眺めながら将来について語り合います」
「少なくとも今日はないな。卯月ちゃん、ワイン飲んだことあるの?」
なんとなく聞いてみると、卯月ちゃんはいたずらっぽく笑った。
「内緒です」
「いや、ダメだろ、未成年!」
完全にからかわれている。
ひとまずランチはパスの方針が立ったので、改めて次にすることを考える。カラオケに行く前に話していたラインナップを並べながら、ふと卯月ちゃんが所望していた『二人きりでライブの感想とかゆっくりお話しできる時間』を思い出した。
カフェで結構ライブの話はしてしまったが、あの希望はまだ有効なのだろうか。電話している時は気楽に聞けばいいと思ったが、いざ会ってみると、面と向かって聞くのは躊躇われた。
急に口ごもったせいか、卯月ちゃんが不思議そうに首を傾げた。
「どうかしました?」
「いや、今のラインナップ以外にも、卯月ちゃんがしたいことがあれば最優先でしてもいいよ?」
「私、ダーツもビリヤードも一度もしたことがないので、教えてくれたら嬉しいです」
「その二つならダーツの方が混むけど、ビリヤードの方が台数が少ないから、ビリヤードかな」
呟きながら、卯月ちゃんの手を取って歩き始める。その手をキュッと握って、卯月ちゃんが蠱惑の微笑みで俺を見上げた。
「でも、○○さんがしたいことがあれば、最優先でしてもいいですよ? もしかして、したいけど言い出しにくいこととかありませんか?」
ゾクッとした。卯月ちゃんは完全に俺の心を見透かしたように笑っている。
いや、もしかしたら、したいのは俺だけではないのかもしれない。もし今俺がそのことを考えていなかったとしても、卯月ちゃんは同じセリフを言った気がする。
「ホテル、行く?」
意を決して尋ねると、卯月ちゃんは驚いた様子もなく頷いた。
「はい」