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年末まで残り数日。例年なら実家に帰って、何をするでもなくぐだぐだ過ごしているが、今年は卯月ちゃんの「たくさん一緒に過ごしましょう」という甘美な言葉に乗せられて、正月実家に帰らない選択をした。
もちろん、親からは相応の理由を述べねば許さぬと言われ、仕方なく初めての彼女ができたので浮かれていると伝えた。俺に昔から女っ気がないことは親もよく知っているので、ならば仕方ないと許された。複雑な気分だ。
3日前、卯月ちゃんの年内最後の仕事であるクリスマスライブに参戦し、昨日は二人で遅いクリスマスを過ごした。そして今日は、卯月ちゃん主催でみくちゃんと響子ちゃんと4人で遊ぶことになっている。
発端は2日前、つまりライブ翌日のこと、卯月ちゃんが電話越しにこう切り出した。
『明後日、みくちゃんと響子ちゃんと4人で遊びませんか?』
てっきり翌日のデートの話だろうと思っていた俺は、完全に不意をつかれて言葉を失った。それを気配で察知したのか、卯月ちゃんが楽しそうに笑った。
『明日はいいんです。○○さんにお任せですから。でも、私はこの冬休みを、明日だけで満足する気はありませんよ?』
それは飛び上がるほど嬉しい言葉だった。卯月ちゃんの方からも俺に会いたがってくれて、しかも自分から動いてくれる。幸せとしか言いようがなかったが、問題はその内容である。
あの卯月ちゃんが、積極的に俺をみくちゃんや響子ちゃんと会わせようというのはどういう魂胆だろうか。
みくちゃんや響子ちゃんが俺に懐いている理由を、卯月ちゃんは親や兄弟に甘えているようなものだと分析している。それ自体は俺も同感だが、だからと言って、彼女としてあまり気分の良い話ではないはずだ。
探るように尋ねると、卯月ちゃんは大して気にした様子もなく、明るい声のまま続けた。
『みんなで遊ぶのも楽しそうじゃないですか。もちろん、二人で遊ぶのも楽しみですよ?』
「卯月ちゃんは、俺が二人と仲良くするのは嫌じゃないの?」
『嫌だったら、メールや電話を許していません。それに、私も一緒にいるんですから、何も問題ありません』
きっぱりと言い切られたので、俺はそれ以上言うのをやめた。本人がいいと言っているのに、あまりしつこく追及したら、逆にやましい気持ちがあるのではないかと疑われてしまう。ライブの時、短い時間だったが4人で一緒にいて楽しかった。卯月ちゃんも同じように感じたからこその企画だろう。恐らくそれ以上の意味はない。
デートは俺に任されたので、4人で遊ぶ日のことは卯月ちゃんに委ねることにした。実際に昨日卯月ちゃんと別れて、ホテルでのことを思い出しながら床に就く直前まで、今日のことは何も心配していなかった。それが、昨夜思い出したように送られてきた1通のメールにより、にわかに雲行きが怪しくなった。
『そういえば○○さん、明日なんですけど、変装してきてください』
俺は文面を見つめながら首を傾げた。芸能人でもない、一般人の俺が変装するとはどういうことだろう。時計を見たらすでに23時を回っており、電話するには遅い時間だったが、メールでやり取りするのももどかしかったので通話ボタンをタップした。
スマホを触っていたのか、卯月ちゃんは1コールで出て、少しだけ控えめなトーンで言った。
『もしもし?』
「遅くにごめん。さっきの、何?」
『はい。デートの最中に言えたら良かったんですけど、私も今思い付いて』
「俺が変装するの?」
『そうです』
自信たっぷりに卯月ちゃんが肯定する。どうやら送り間違えでも勘違いでもないらしい。詳しく尋ねると、卯月ちゃんは申し訳なさそうに、しかしどこかいたずらっぽい口調で説明した。
『明日、346のファンの中に飛び込むので、多分私たちはバレると思うんです。私はもう、変装も要らないかなって思ってるくらいです』
「まあ、デートじゃないし、みくちゃんも響子ちゃんもいるから、バレてもそんなに問題ないと思うけど」
『はい。○○さんが彼氏だとは思われないと思います。ですが、○○さんを見たことのある私のファンがいたらどうでしょう』
ゆっくりと言い聞かせるような卯月ちゃんの言葉に、俺ははっとなった。それは考えなかった。
いつも心配しているのは、卯月ちゃんが彼氏といるところを見られないかで、俺が誰であるかは問題ではなかった。卯月ちゃんさえ気付かれなければ、たとえ俺が知り合いに見つかり、彼女がいることが知られても大した問題ではなかった。
だから明日は、卯月ちゃんの言う通り、恐らく卯月ちゃんたちのことは気付かれるだろうが、みんなでいるからそれほど心配していなかった。そこに男がいたとしても、誰かの彼氏だと思われることはまずないだろう。
だが、俺のことを知っている卯月ちゃんのファン──例えば水野や大暗黒に見られたらどうか。彼らならまだ話せばわかってくれそうだが、中途半端に俺を知っているヤツだと、卯月ちゃんが特定のファンと遊んでいたと問題になるかもしれない。
つまり俺は、「誰も見たことがなく、今後も誰も見ない男」を演じなければならない。卯月ちゃんはそういうことを言っているのだ。
意図が理解できたので、すぐに通話は終了したが、変装できるようなグッズは何も持っていなかったし、用意できるような時間でもなかった。
迎えた今日、ライブでは着ないようなオシャレ着に、髪をワックスで固めて家を出た。人の見た目は7割が髪型で決まると聞くので、これでまずバレることはないだろう。変な緊張感を覚えるが、卯月ちゃんはいつもこんな気持ちで俺と一緒にいるのだろうか。
いや、あの子は恐らくそんなに難しく考えていない。もしくは、もっと簡単に、もっと自然にそういう振る舞いができるのだろう。
今日会う3人に個別にメッセージを投げながら、会場に向かう。今日のメインは新宿某所で開催されている、Masque:Radeの謎解きゲームである。
Masque:Radeは346プロのユニットで、みくちゃんの相棒の李衣菜ちゃんや、卯月ちゃんと響子ちゃんがピンチェでユニットを組んでいる美穂ちゃんも参加している。今、人気急上昇中で、4日前に卯月ちゃんたちとは別の場所でライブをしていたが、会場は3つのユニットが出演したシンデレラプロジェクトのイベントよりも大きかった。
そのMasque:Radeのメンバーの動画が見られたり、このゲーム用に書き下ろされた新曲が聴けるとあって、会場はオタクたちでごった返していた。もちろん、通常の謎解きイベントや、他のコンテンツとのコラボ企画も同時にやっているため、大盛況である。
会場の前を素通りして、少し離れたコンビニに行くと、みくちゃんと響子ちゃんがドリンクを片手にお喋りをしていた。響子ちゃんは髪の毛を下ろしているし、みくちゃんは帽子をかぶっているが、会場に入れば誰かには気付かれるだろう。一人に気付かれれば、情報が伝播するのはあっという間だ。
「おはよう」
声をかけると、響子ちゃんは驚いたように眉を上げ、みくちゃんはジトッとした目で俺を睨んだ。
「ナンパですか? 今、友達と待ち合わせてるんで」
「それはごめん。じゃあ」
手を上げて立ち去ろうとすると、響子ちゃんが慌てたように声を上げて俺の腕を掴んだ。
「みくちゃん、○○さんですよ!」
「冗談にゃ。その髪型、どうしたの? 全然似合ってないよ?」
会って早々、失礼な子だ。みくちゃんがズイと身を乗り出して俺の髪に触れる。その距離の近さに鼓動が早くなり、軽口を叩くことができなかった。まだまだ未熟だが、こんなに可愛い女の子たちにドキドキしなくなるのも、それはそれでダメな気もする。
「卯月が変装して来いって。ほら、例えば大暗黒とかが俺とみくちゃんの両方に気が付いたら、あまり幸せな展開にはならないだろ?」
みくちゃんも認知しているオタク仲間の名前を出すと、みくちゃんは腕を組んでうーんと唸った。とてもわざとらしいポーズだが、なかなか可愛らしい。こういうあざといのが似合うのは、前川みくのアイドル性だろう。
「確かに、今日はみくたちはたぶん気付かれちゃうから、変装が必要なのは○○チャンの方だったってことだね?」
「卯月はそう言ってた」
「それは気付かなかったにゃ。で、それが○○チャンの変装?」
みくちゃんが口に手を当てて、からかうように俺を見上げる。響子ちゃんも困ったように微笑んでいるので、よほど変なのだろう。
別にそれでも構わない。大事なのは、俺が「誰も見たことがなく、今後も誰も見ない男」であることなのだ。そう訴えると、みくちゃんは大げさにため息をついた。
「それにしてももうちょっと……」
「仕方ないだろ。言われたのが、昨日の夜中だったんだよ」
「それは、結構大変でしたね」
響子ちゃんが同情的な眼差しを向ける。素直ないい子だ。みくちゃんも見習うよう言うと、みくちゃんはそれを無視して俺の首元に顔を近付けた。
「そんなことより、みくがあげたプレゼントをつけてないのはどうして? 趣味じゃなかった?」
怒ったように睨む瞳が、微かに悲しみで揺れていた。みくちゃんの言っているのは、ライブの日にもらったネックレスのことである。常識的に考えれば、もらってすぐの今日つけないのは、相手の好意に対して失礼な振る舞いだと、女性に不慣れな俺でもわかる。実際、つけようか迷ったのだが、卯月ちゃんの前でみくちゃんからのプレゼントをつけるのは、火種になりそうだったからやめておいた。
誰かに見られた時に、特徴を残さない方がいいという言い訳も考えたのだが、それだとまた次にこうして遊ぶ機会があった時に困ってしまう。そこで、卯月ちゃんの前ではつけないことを正当化するための言い訳を用意してきた。
「みくと二人だけの時につけるよ」
帽子の上からポンと頭に手を乗せて、耳元で小声で囁いた。前に二人きりでは会わないと宣言したので、何かしら怒りの反応が来ることを期待したら、みくちゃんはしばらく息を止めた後、照れたように俯いた。
「わかった」
それは予想外の反応である。もしかして、何か対応を間違えただろうか。俺が怪訝な顔で首をひねると、響子ちゃんが可笑しそうに目を細めながら、バッグからラッピングされた袋を取り出した。
「じゃあ、私も先に渡しておきます。だいぶ遅いクリスマスプレゼント」
「うん。ありがとう」
ライブの時、用意をしていなかったので、次に会った時に渡すと約束していたものである。受け取った袋は羽のように軽く、開けるとメンズのキャップが入っていた。深い山吹色で、布地はビンテージ感がある。ちょっと俺にはヤンチャすぎるが、これは響子ちゃんの趣味だろうか。それとも、俺に似合うと思ってこれを選んだのだろうか。
「男の人の帽子とか、全然わからないんですけど、どうですか?」
「どうだろう。嬉しいよ。ありがとう」
「今日、早速変装にと思ったんですけど、せっかく髪の毛セットしてありますし、ダメですよね」
響子ちゃんが実に気軽に俺の髪に触れる。どうも二人とも距離が近い気がするが、これは卯月ちゃんの分析通り、俺を家族枠で見ているからだろうか。嬉しいことではあるが、一介のドルオタには刺激が強すぎる。
固まって立ち尽くす俺に、響子ちゃんが可愛らしく微笑んだ。
「じゃあ、私の帽子も、私と二人だけの時にかぶってください」
そんなシチュエーションは起こらない。せっかくもらった帽子をかぶるなと言っているのだろうか。この子たちは、二人して俺をからかっているのかもしれない。
すぐ目の前にある響子ちゃんの髪の毛からいい香りがして、思わず呼吸が荒くなった。鼻息が顔にかかるのではと少しだけ身を引いた瞬間、背後から殺気を感じて、反射的に振り返った。
いつの間に来たのか、俺のすぐ後ろに愛する彼女が笑顔で立っていて、俺を見て白い歯を見せた。
「私のお友達と、すっかり仲良しですね」
「卯月ちゃん!」
「卯月です」
1秒で俺の言い間違いを正して、俺の隣に並んで立った。服装はいつも通りだが、髪の毛を首の後ろで縛って、肩から胸の方に流している。夏には何度か見たことがあるが、久しぶりの髪型だ。変装らしい変装はそれくらいで、昨夜言っていた通り、本当にバレるのが前提で来たらしい。
卯月ちゃんは腕時計に目をやってから、困ったように眉をゆがめた。
「私、時間通りに来たんですけど、みんな早くないですか? もしかして、私だけ違う集合時間を言われてました?」
コンビニの窓から中の時計を覗くと、確かにギリギリではあったが、遅刻はしていなかった。俺が傍観者に徹すると、みくちゃんが呆れたように肩をすくめた。
「待ち合わせ時間を指定したのは卯月ちゃんだよ?」
「そうですね」
「でも、○○チャンがこっそり、卯月ちゃんの30分前に集まろうって、みくと響子ちゃんにメールしてきたにゃ」
していない。絵に描いたような冤罪である。
俺はポンとみくちゃんの肩に手を乗せて、静かに首を振った。
「みく、嘘はいけない」
「寮にいてもやることがなかったから、早く来ただけですよ」
響子ちゃんが明るい声でそう言って、卯月ちゃんは可愛らしく唇を尖らせた。
「昨日は遅刻したし、私ももう少し早く家を出る習慣をつけた方がいいですね」
「電車が止まっても間に合う。これが基本」
みくちゃんが偉そうに指を立てると、卯月ちゃんは不思議そうに首を傾げた。
「電車が止まったら、遅刻してもしょうがなくないですか?」
「いや、その精神が間違ってるにゃ!」
考え方の相違というやつか。俺はみくちゃん寄りの考えだし、特に今日は友達もいる上、ゲームの予約もしてあるので、早く来るべきだとは思うが、こういう暢気なところも卯月ちゃんの魅力だと思う。
「とりあえず、行きましょうか」
考え方などまるで変える気がなさそうに、卯月ちゃんがにっこりと笑う。俺たちは顔を見合わせて、ただ苦笑いを浮かべる他になかった。