ひとまずエントリーを済ませると、併設のカフェに入った。受付とグッズ売り場は混雑しているが、カフェは席を選べるほど空いていた。理由は単純で、値段が高いからだが、席がなくなったり、店内で食べ歩きをされるくらいなら、お金を出せる人だけゆっくり座ってもらおうということなのだろう。
卯月ちゃんがカフェラテに口をつけてから、少しだけ身を乗り出して微笑んだ。
「それにしても、○○さん、その髪型は似合いませんね」
くすっと声を立てて笑う。一体誰のせいでこんな髪形をしているのかと文句を言いたいが、変装が必要な理由はもっともだったので責められない。むしろ感謝すべきだが、どうせならデートしている最中に気が付いてほしかった。
「みくちゃんにもからかわれたよ。そこまで変なら、変装は成功だろう」
「まあ、そうかもしれませんね。私たちは普段の○○さんを知ってるから違和感があるだけで、知らなければ普通なのかもしれません」
もっともらしいことを言って、卯月ちゃんが一人で頷いた。俺はそれ以上何も言わずに、静かにカップを手に取った。女三人寄ればなんとやら、この組み合わせで俺が発言をする必要はないだろう。むしろ、考えれば考えるほど、ここに自分が存在する必要性を感じない。嬉しくないと言えば嘘になるが、卯月ちゃんにリスクを指摘されてからは、人目が気になって落ち着かない。
「そういえば、卯月ちゃんは昨日も○○チャンと遊んでたの? みくがメールした時、一緒にいたんだよね?」
みくちゃんが何気なく尋ねる。単なる世間話のようだが、下手に口を開くとボロが出そうだったので、無言で卯月ちゃんを見ると、卯月ちゃんは俺をちらりとも見ずに頷いた。
「そうですね。カラオケに行きました。後は、ダーツにも連れて行ってもらいました。初めてやりましたけど、楽しかったです」
「ダーツかー。みくもやったことない」
みくちゃんの呟きに、響子ちゃんも同意するように頷いた。あまり女子高生がやる遊びではないと思うし、不思議ではない。
「今日ゲームの後、時間があったら行ってもいいかもですね。正直なところ、今日はこの後のことは何も考えていません」
卯月ちゃんがあっけらかんと言い放つ。おい主催者と心の中で突っ込んだが、デートでもないし、別にどこかでお茶しながらお喋りができれば、この子たちは満足なのだろう。実際、卯月ちゃんの告白に、みくちゃんも響子ちゃんも驚いたそぶりを見せなかった。
「二日続けて遊ぶなんて、本当に仲良しだね。まあ、あーんしてたくらいだし」
みくちゃんが不穏なことを言って、意地悪く目を細めた。懐かしい話だ。もっとも、初めて会った時のような敵意はなく、単に冷やかしているだけである。あの時はまさか、みくちゃんとこんなにも仲良くなるとは思っていなかった。
「率直なところ、今日は俺はいなくてもよかった気はしてる。俺は嬉しいけど、邪魔じゃない?」
ストレートに尋ねてみる。企画してくれた卯月ちゃんの前でこういう質問は良くないかもしれないが、どうも卯月ちゃんの都合に二人を巻き込んでいる気がする。
気を悪くしていないか、恐る恐る卯月ちゃんの顔色を窺うと、特に気にした様子もなく、優雅にカフェラテを楽しんでいた。
響子ちゃんがキャラクターもののソーダを飲みながら、思わぬ一言を口にした。
「今日は元々、私がお願いしたんです。さすがにクリスマスプレゼントを来年渡すのもって思って」
「えっ?」
思わず声を上げると、卯月ちゃんがくすっと笑って、勝ち誇ったように表情を明るくした。
「実はそうなんです。でも、私が遊びたかったのも本当だから、別にわざわざ言わなくてもいいかなって」
楽しそうな卯月ちゃんの声を聴きながら、俺は頭の中で状況を整理した。
今日の企画の発端が卯月ちゃんではないというのは、まったくの誤算である。俺がみくちゃんや響子ちゃんと遊ぶことを、彼女である卯月ちゃんが快く思うはずがない。ただ、卯月ちゃんは気にしていないと言うし、実際にこうして遊びを企画したのであれば、その言葉も本当だと思えた。
だが、響子ちゃんに言われたから企画したとなれば、話は別だ。随分前に、ライブでたまには凛ちゃんや未央ちゃんも見ろと言われて、その通りにしたら後から怒られた。あの頃とは仲が違うが、卯月ちゃんの言葉を真に受けるのが危険という認識は変わっていない。
改めて卯月ちゃんの様子を窺うと、いつも通りのんびりした穏やかな表情で、みくちゃんと響子ちゃんと喋っていた。卯月ちゃんの言動には、いつだって裏はない。ただ、気分によって意見が変わるだけだ。今日は昨日に引き続き機嫌が良さそうなので、このまま大人しく3人の保護者役を務めれば大丈夫だろうか。
そんなことを考えていたら、周囲から一番聞きたくなかった一言が飛んできた。
「あれ、卯月ちゃんじゃね?」
「ほんとだ。一緒にいるの、みくちゃんじゃん」
あっさりだった。俺は顔が上げられず、目だけで同じテーブルの仲間を見ると、卯月ちゃんは可愛らしく手を振って応え、みくちゃんはわざとらしくフンとそっぽを向いていた。塩対応に見えるが、みくちゃんなりのサービスなのだろう。2回目に会った時、プライベートで話しかけるのはマナー違反だと怒られたが、それは別に俺に対してだけではない。ただ、本当に無視したり嫌そうにするのが、自分にとってもメリットがないことを、みくちゃんはよくわかっている。結果、生意気キャットモードで対応しているのだ。
見られていると思うと、手にじっとりと汗が滲んだ。もし俺が逆の立場なら、卯月ちゃんと一緒にいる男は誰だろうと思う。プロデューサーではないことは確かだ。ファンの多くは卯月ちゃんとみくちゃんのプロデューサーを認知している。
346の関係者だと思ってもらえたら嬉しいが、そういう格好はしていない。いっそスーツでも着れ来ればよかったと思ったが、後の祭りだ。
幸いにも開始時間のアナウンスがあったので、俺たちは席を立った。トレイを返却口に返すと、響子ちゃんが心配そうに俺を見上げた。
「大丈夫ですか?」
「あんまり。人生で、誰かに見られた経験がない」
「堂々としていてください。人が多いことがわかっていて、卯月ちゃんがこのイベントを選んだんですから、きっと大丈夫ですよ!」
「いや、あの子は何も考えてない」
だからこそ、夜中に慌てたようにメールが飛んできたのだ。俺がそう断言すると、響子ちゃんは苦笑いを浮かべた。まだ付き合いは短いが、卯月ちゃんとは同じユニットで、時々お泊まりもしている間柄である。あの子が結構テキトーなことを、よくわかっている。
3人の一歩後ろを歩いて、ビル内の会場に向かう。謎解きゲームにはそれぞれコンセプトがあるが、Masque:Radeの謎解きゲームは、彼女たちのプロデューサーになって、ライブを成功に導こうというものだった。
これはなかなか興味深いコンセプトである。俺たちファンはただアイドルを応援するだけで、プロデュースすることなど考えていない。卯月ちゃんと付き合い始めてからもう半年以上過ごしているが、未だに彼女のプロデューサーがどんな仕事をしているのかよく知らない。
列に並んで、順番を待つ。数組ずつブースに案内されて、説明と一緒にゲームで使うアイテムが渡されるらしい。
「みくちゃんは、寝食を共にしてる李衣菜ちゃんから、何か聞いてるの?」
隣に並ぶみくちゃんに小声で聞くと、みくちゃんは俺の耳元に顔を寄せて、手を添えて囁いた。
「何も聞いてないし、寝食も共にしてないにゃ」
「今日のことは?」
「言ってない。急だったし、後でびっくりさせようと思って」
「なるほど。じゃあ俺も何も言わない方がいいな」
「みくの名前さえ出さなかったら、言っていいよ。李衣菜ちゃんも、○○チャンとメールしたいと思うよ?」
それはどうだろう。俺の方からアイドルの女の子にメールをするのは、やはりルール違反のような気がしてなるべく控えているが、友達枠にいるのなら、逆にその遠慮がそっけなく見えてしまっているかもしれない。
丁度Masque:Radeの宣伝ポスターが壁に貼ってあったので、スマホで写真を撮って、「なう」と添えてメールをしてみた。どう考えても馴れ馴れしいと思うが、まあ何もせずに嫌われるより、何かして嫌われた方がましだろう。
俺がポスターを眺めていると、響子ちゃんが振り返ってポスターを指差した。
「○○さんは、誰がタイプですか?」
実に気楽に、答えにくい質問をしてくる。卯月ちゃんがにこにこしながら俺を見るが、目が笑っていないように感じるのは俺の気のせいだろうか。
「李衣菜ちゃんとは交流があるから、贔屓してるよ」
無難に答えたが、女の子の好奇心を満たすには不十分だったらしい。響子ちゃんが意地悪な微笑みを浮かべて俺を見上げた。
「見た目のタイプでは? みんな可愛いとか、そういうのは要りません」
響子ちゃんの追及に、卯月ちゃんがくすっと笑う。一体何が楽しいのかよくわからないが、笑ってくれるならからかわれるくらいは構わない。
「美穂ちゃんかな」
「髪の短い子が好きですか?」
「まず圧倒的に卯月ちゃんが好きだっていう大前提で聞いてもらえると有り難い」
それがブレると面倒なことになりそうだったので、力強く訴えると、響子ちゃんが可笑しそうに頬を緩めた。
「熱々ですね」
「あーんしてたくらいだし」
みくちゃんがむふふと笑う。どうしてもそのネタでいじりたいらしい。内心ビクビクするが、卯月ちゃんは悠然と微笑んでいる。本当に、この余裕は一体どこから来るのだろう。
ようやく順番が来て、ブースに通された。自分たち以外は男ばかりだ。Masque:Radeは女性のファンも多く、今日もちらほらと目にしているが、偶然自分たちの前後が男だけになってしまった。しかも、正体に気付かれているような視線を感じたので、俺は微妙に彼女たちから距離を置いて立った。
ブースの中は事務所のような作りになっていて、スタッフの女性が進め方の説明をしてくれた。まずLINEを登録して、そこに解いた謎の答えを入れると、先に進める仕組みになっているらしい。ストーリーもLINE上で動画が配信されて、それで展開していくようだ。時々このブースに戻ってくることもあるらしい。
もらった名刺に名前を書いて、カードケースに入れて首から提げる。近隣の店と提携しており、これがあることで出入りできるらしい。卯月ちゃんたちがみんな平仮名で本名を書いていたので、俺もそれに倣った。俺を知っているメンツには、蘇我鯨という変なハンドルネームで通っているので、いっそ本名の方が匿名性が高いだろう。
「わくわくしますね」
ブースから出ると、卯月ちゃんが笑顔でそう言って、もらったプラ製のバッグに手を入れた。中には両面印刷のプロデュースシートが入っていて、5人の写真と一緒にプロフィールが書かれている。他に、QRコードもプリントされていて、ここからLINEを登録するらしい。
どこか落ち着いた場所で広げたいが、フロアはとても混雑している。記入用のテーブルの隅が空いていたので、4人でそこに固まって、プロデュースシートを広げた。卯月ちゃんと腕が密着していて、別の意味でドキドキする。
「この、ちひろさんって実在するの?」
QRコードと一緒に描かれたイラストの女性を指差すと、みくちゃんがLINEにQRコードを読ませながら頷いた。
「346のアシスタントさんにゃ。アシスタントって言っても、ほとんど全員の状況を把握してるから、特定の子しか見てないプロデューサーよりすごい人だよ」
「へー。顔出しはNG的な?」
イラストは若い女性だが、実際は剛腕なおばちゃんなのかもしれない。そう思ったら、思考が顔に出ていたのか、卯月ちゃんが咎めるように言った。
「イラスト通りの人ですよ。Masque:Radeをプロデュースするのに、他の女性の写真が要りますか?」
もっともだ。QRコードを読み取り、表示されたちひろさんを友達に追加する。もちろん本人ではなく、ゲーム用のプログラムである。
追加と同時に動画が1つ配信された。事前にイヤホンが要るという情報は注意書きで読んでみんなに展開しておいたので、それぞれスマホに差して動画を再生する。
事務所のような場所で、私服の5人が集まって話をしている。どうやらとあるアイドルフェスティバルに、急遽代打での参加が決まったものの、何の準備もできていないので、みんなで力を合わせて必要なものを用意しようという趣旨らしい。
動画撮影や告知、衣装、ステージの演出などを決めていくのだが、動画の中で加蓮ちゃんとまゆちゃんが、一番目立つポジションに自分こそがと対立し始めた。どんどん雰囲気が悪化して、これから一緒にライブを頑張ろうという空気ではなくなっていく。
二人のことはよく知らないが、おろおろしている智絵里ちゃんが可愛い。芝居を見ているようでなかなか面白いのだが、これは動画観賞会ではない。美穂ちゃんが仲裁するように二人に割って入った。
「じゃあ、演出はプロデューサーさんに任せましょう。恨みっこなしで」
「それでいいですよ? プロデューサーさん、もちろんまゆを選んでくれますよね?」
熱っぽい口調で、まゆちゃんがとろんだ視線をカメラに向ける。なるほど、前に水野がまゆちゃんはプロデューサーラブだと言っていたが、こういうコンテンツを作ることからして、それはもう公式の事実らしい。それでも応援するファンはすごいと思うが、何か特別な文化があるのかもしれない。
結局、プロデューサー、つまり俺たちからプロの人にお願いして演出を決めることになった。キーワードが与えられて、最初の動画が終わる。進み方は理解した。
「これ、面白いですね。美穂ちゃん、こんなの撮ってたんだ」
響子ちゃんが片側のイヤホンを外して微笑む。みくちゃんが李衣菜ちゃんから何も聞いていなかったように、美穂ちゃんもピンチェの二人に何も言っていなかったらしい。サプライズなのか、仕事のことはアイドル仲間にも口外してはいけないのかはわからない。
俺はすぐに先ほどのキーワードを打ち込もうとしたが、女の子たちは動画のことをキャイキャイと話し始めた。これは進行に時間がかかりそうだが、今日は特にこの後に予定もないし、ゆっくりでもいいだろう。目的は交流であって、謎解きはその道具に過ぎない。
俺はやれやれと肩をすくめて、アイドル3人の話が終わるのを待つことにした。