楽屋に戻るという響子ちゃんと別れて、急いで会場に戻ると、すでに4人目のアイドルがステージで歌っていた。正確な時間はわからないが、響子ちゃんと30分は欧米式のハグをしていたことになる。思い出すと体が熱くなるので、ブンブンと頭を振って追いやった。
後半4番手は持田亜里沙さん。21歳というから、後半は前半と違って、トリの中野有香ちゃんまで年齢順を維持する並びにはなっていない。
ライブも気になるが、それよりも長々と放置してしまった友達だ。ライブの邪魔にならないようにそれとなく移動しながら探すと、みくちゃんは壁際に立ってライブを眺めていた。怒っているのは確実なので、すぐに話が出来るよう、ライブが終わるのを待ってから話しかけると、案の定みくちゃんは不機嫌そうに俺を睨んだ。
「おーそーいー」
「面目ない」
何の言い訳もできないので素直に謝ると、みくちゃんは半眼で俺の顔を覗き込んだ。
「貸し2にゃ」
「ご随意に」
「ショッピングの後は、オシャレなお店で美味しいものが食べたいにゃー」
みくちゃんが広げた指を胸の前で合わせて、いたずらっぽい目で俺を見た。せっかく会いに来てくれたのに、理由も告げずに1時間以上も放置したのだ。しかも理由も聞かずに収めようとしてくれている。物で解決できるなら安いものだ。
「みくちゃんが気に入りそうな店を探してご馳走するよ」
「やったにゃ!」
みくちゃんが嬉しそうに声を弾ませる。その子供のような反応にほっと息を吐きつつ、改めて放置してしまったことを謝ると、みくちゃんは笑いながら首を振った。
「お友達と見てたから平気にゃ」
なんだそれは。だったら貸しにしなくてもいいじゃないかと抗議しようとしたが、みくちゃんの指につられるように顔を上げて、俺は完全に言葉を失った。
男性物のキャップをかぶって立っていたのは、紛れもなく自分の彼女だった。壁にもたれて腕を組んだまま、ちらりと目だけで俺を見上げる。
「みくちゃんとショッピングの後、オシャレなレストランですか。いいですね」
終わった。何やら得意気に胸を張っているみくちゃんを放置して、俺は卯月ちゃんの隣に移動した。澄ました表情で俺に冷たい視線を送る卯月ちゃんに、俺はひと呼吸置いて尋ねた。
「撮影の仕事は?」
「終わったので駆け付けてきました。でも、お邪魔だったみたいですね」
「言ってくれたら良かったのに」
「まさか、急に来られたらまずいようなことをしているとは思わなかったので」
そう言って、卯月ちゃんがふんっとそっぽを向いた。怒っている振りをしているのか、それとも冗談に見せかけて本当に怒っているのか、判別がつかない。いつもなら表情と声音でわかるのだが、今は冷静ではなかった。ただでさえ最悪の状況なのに、この後さらに響子ちゃんのことを話さなくてはいけないと思うと、絶望しかない。
みくちゃんが亜里沙さんに挨拶に行くと言って席を外したので、俺は卯月ちゃんの隣の壁に背を預けた。真っ直ぐステージを見つめたまま、卯月ちゃんが低い声で言った。
「どこに行ってたんですか?」
「後で話す。出てもいいけど」
「その気持ちだけでいいです。来たばかりだし、有香ちゃんのライブまで見ていきたいです」
俺は無言で頷いて目を閉じた。後半5番手は相原雪乃ちゃん。俺の興味の年齢幅を超えてはいるが、プロフィールを見て少し気になっていた。有香ちゃんを除く後半の5人の中では一番楽しみにしていたが、もはやそれどころではなくなってしまった。
これからどうしたものか。頭を悩ませていると、卯月ちゃんが俺の人差し指に自分の人差し指を絡めて、可愛らしく唇を尖らせた。
「ライブを楽しんでください」
「卯月ちゃんが来たなら、もう俺が全力で見る必要はないだろ?」
ついそう口走ると、卯月ちゃんは露骨に眉をひそめた。
「それは舞台に立つアイドルに失礼じゃないですか?」
その通りだ。俺自身、雪乃ちゃんのライブは楽しみにしていたのに、よくわからないことを言ってしまった。しかし、謝る気になれなかったので深くため息をつくと、卯月ちゃんは指を離してステージに目をやった。沈黙が重い。
アナウンスとともにフロアが暗くなる。卯月ちゃんは戻って来たみくちゃんと楽しそうに話していたが、雪乃ちゃんがステージに上がると拍手を送った。
ライブは楽しかったが、卯月ちゃんとの15センチほどの隙間に流れる空気は最悪だった。これはもう無理だ。今日響子ちゃんの話をしたら、完全に破局してしまう。かと言って、日にちを置くのも悪手だ。いっそ響子ちゃんに言われた通り秘密にして、墓まで持って行った方がいいだろうか。
最後の休憩の間に頭を抱えていると、卯月ちゃんが呆れたようにため息をついた。
「有香ちゃんのライブは集中してください。絶対に面白いですから」
「そんな気分じゃない。俺、外で待ってるよ」
背中を浮かせると、卯月ちゃんが俺の手を掴んだ。
「機嫌が悪いのは、会っていた誰かのせいですか?」
「いや、卯月ちゃんが怒ってるからだけど」
「それなら誤解です。私は○○さんがいつもと全然違うから困惑してるだけで、何も怒っていません」
きっぱりとそう言って、不安そうに俺を見つめる。隣でみくちゃんが、怪訝な顔で首を傾げた。
「喧嘩してるにゃ?」
「俺はそのつもりだったけど」
そう言いながら卯月ちゃんを見つめると、卯月ちゃんはいつものいたずらな微笑みを浮かべて言った。
「怒っていません。今のところは」
俺は脱力するように息を吐いて、再び壁に背中を預けた。卯月ちゃんの言う通り、おかしいのは俺の方だ。今日はもう何も考えられない。
テキトーにペンライトを振っていると、みくちゃんが不思議そうに俺を見つめた。
「○○チャン、疲れてるにゃ。会った時はすごく元気だったのに」
「今日はもう俺のことは忘れてくれ。卯月ちゃんに会いに来たってことで」
「卯月ちゃんと会ったのは偶然だから。○○チャン、二次会も開かれないなら貸し3だからね?」
「じゃあ、貸し3で」
元々、ライブが終わったら場所を移動して、前半の感想を話しながらご飯にする予定でいた。そういうメールをしていたのがすごく昔のことに思える。今ここに卯月ちゃんがいる以上、卯月ちゃんと過ごす以上のプランはない。響子ちゃんとのことがなければ3人でライブの感想会をすれば良かったが、今日はそういう気分ではなくなってしまった。
「○○チャンは、みくのことが嫌いになったにゃ」
みくちゃんがふてくされたように頬を膨らませたので、俺は静かに首を振って、そっと肩に手を乗せた。
「そんなことはない。愛してるよ、みく」
いつものノリでそう言ったら、卯月ちゃんがステージを見つめたまま呟いた。
「愛してる……」
怖い。ただただ怖い。
改めてフロアを見ると、今日一番の人の入りだった。満員というほどではないが、通り抜けができるようなスペースはない。ざわざわとうるさい話し声が、フロアが暗くなるとともに熱狂的な歓声に変わった。
有香ちゃんを生で見るのは初めてだ。俺もいささか緊張しながらステージに目を向けると、髪を縛った小さな女の子が、それはそれはもう可愛らしいヒラヒラの衣装で登場した。
まったく衣装に似合わない真剣な表情でステージの中央まで来ると、試合でも始めるように一礼する。実に神妙な空気だったが、かかった曲は可愛さ全開の『Kawaii make MY day!』だった。ピンチェでも定番曲になっているが、元々有香ちゃんたちの持ち歌だ。
それを実に可愛らしく歌ってから、拍手に答えるように手を振った。
「未だにこんな衣装でこんな曲を歌うと、壮絶に白けさせてるんじゃないかって不安になります。大丈夫ですか?」
有香ちゃんの声に、地鳴りのような野太い声が上がった。実際に大して違和感はないのだが、きっと空手一筋だった本人的には落ち着かないのだろう。囁くようにそう言うと、みくちゃんがくすっと笑った。
「ギャップを売りにしてるつもりだけど、見てる方からは普通に可愛いアイドルにゃ」
俺は大きく頷いた。もしかしたら、その本人の意識の差が一番可愛いポイントなのかもしれない。
「1曲目は『kawaii make my day!』を歌いました。いきなりこれを歌ってしまったので、後からゆかりちゃんが登場するサプライズで何を歌うんだって思った人もいると思いますけど、そんなサプライズはありません。ありませんよ?」
念を押すようにそう言うと、客席から笑いが零れた。いかにもサプライズがあるような口ぶりに、俺も思わず手を叩いたが、隣で卯月ちゃんが「ないですよ」と苦笑いを浮かべた。
「だって、前半の人に悪いじゃないですか」
「今のでたぶんみんな、期待しちゃったと思う」
「罪な子ですね」
なるほど、面白い。愛海ちゃんや琴歌ちゃんの時にも思ったが、本当に346プロには色々な個性のアイドルが所属している。
それからの曲もトークも、明らかにゆかりちゃんを除く10人とは格の違うパフォーマンスを披露して、ライブは盛況の内に幕を閉じた。結局サプライズはもちろん、アンコールもなかったが、これから他のアイドル同様、サイン会があるので仕方がない。ゾロゾロとフロアを出て行くファンを眺めていると、みくちゃんがずいっと身を乗り出して俺の顔を覗き込んだ。
「○○チャン、少しは元気になったにゃ?」
「ああ、うん。ライブ、楽しかったよ」
「それならいいけど」
みくちゃんが何やら複雑な顔をしたが、それ以上何も言わずに誰もいないステージに目を向けた。そんなみくちゃんを、卯月ちゃんがじっと見つめている。こういう時の卯月ちゃんは、本当に何を考えているのかわからない。俺に対してはともかく、みくちゃんに対して悪いことは考えていないだろう。そう願いたい。
会場はまだ熱気に包まれている。有香ちゃんのサイン会は少し気になったが、今はそんな状況ではない。ひとまずほたるちゃんから始まった長い1日を思い返して、俺は力尽きるように息を吐いた。