東京ソラマチは人でごった返している。
卯月ちゃんしか見ていなくて──正確には卯月ちゃんのことすらろくに見えていなかったのだが、どのフロアも幸せそうな笑顔で溢れていた。
俺たちもその一組になるはずだったのにと、心の中でため息をついたが、隣を歩いている卯月ちゃんは楽しそうにキョロキョロと店内を眺めていた。
このままソラマチでショッピングでもするのだろうか。どこへ行くのか聞いていいものか迷っていると、それを察したのか卯月ちゃんが俺を見上げて言った。
「原宿に戻ります」
「原宿? 何かあるの?」
「キリエテンです」
聞き慣れない単語が「切り絵展」であると気が付くまで、少し時間がかかった。
地下に降りて地下鉄に乗り込む。あまり混んでおらず、また二人で並んで座れた。切り絵に興味があるのか尋ねると、音がうるさいからか、卯月ちゃんがドキドキするほど顔を寄せて答えた。
「あんまり無いです」
「無いのかよ!」
「智絵里ちゃんが良かったって言ってたから、ちょっと行ってみようと思って」
珍しい名前が出た。俺が一瞬怪訝な顔をしたせいか、卯月ちゃんが念のためという感じで聞いてきた。
「智絵里ちゃん、わかりますか?」
「もちろん」
「よかったです。○○さん、本当に私にしか興味がなさそうだから」
それは間違いではないので、否定はしなかった。
緒方智絵里はシンデレラプロジェクトの一員で、卯月ちゃんがニュージェネレーションズというユニットで活動しているように、智絵里ちゃんはキャンディアイランドというユニットで活動している。
もちろん、卯月ちゃんと共演したことも何度もあるし、生で見たこともあった。
「確か、前に智絵里ちゃんの曲を歌ってたよね」
まだ持ち歌が少ない卯月ちゃんたちは、他の子の歌を歌うことも多い。記憶が確かなら、智絵里ちゃんの曲も歌っていたはずだ。
卯月ちゃんはよくできた子供を褒めるように、大きく頷いた。
「はい。『cherry*merry*cherry』ですね」
そう言って、小声でサビを歌いながらひらひらと小さく手だけで振りを再現した。たったそれだけで、俺は胸にライブの時の熱気が込み上げてきた。
隣にいるのは、確かにあの島村卯月なのだ。二人でいる時は歌ったり踊ったりしないので、時々忘れそうになるが、紛れもなくキラキラしたステージで何百というファンを熱狂させるアイドルなのだ。
俺がぽかんとしていると、卯月ちゃんが何度か瞬きをして首を傾げた。
「どうかしました?」
「いや、アイドルみたいだったから」
「アイドルですから!」
大袈裟に反応して、頬を膨らませる。それから当たり前のように俺の手を握って、思い出したように言った。
「そういえば、あの時ニュージェネのライブだったんですけど、あの曲を歌った時、何人かが四つ葉のクローバーを作ってくれて、ちょっと驚きました」
「四つ葉のクローバー?」
意味がわからずに聞き返すと、緑のペンライト4本で作る、智絵里ちゃん用の応援だと教えてくれた。
ニュージェネレーションズの3人には緑のペンライトは使わないが、最近はボタンで色を変えられるタイプが主流なので、本数さえあれば実現できる。もっとも、卯月ちゃんしか見ていない俺は、そんな応援があることすら知らなかったが。
そう独白すると、卯月ちゃんが呆れたように肩をすくめた。
「○○さん、ステージで私しか見てませんもんね。たまには共演してる子たちも見てあげてください」
「おかしいなぁ。デジャヴかなぁ。前に同じようなことを言われて、その通りにしたら随分怒られた覚えがあるんだけど」
俺がわざとらしく反論すると、卯月ちゃんはまるで気にした様子もなく、しれっと答えた。
「あれは私の機嫌が悪かっただけだから、気にしないでください」
「気にするから! あんなに不貞腐れた卯月ちゃんは初めて見た」
「○○さんにだけ見せる、特別な私です」
「それは喜ぶところなの!?」
俺が驚いて顔を覗き込むと、卯月ちゃんは可笑しそうに目を細めた。
そんなふうに、いつものように雑談しながら原宿に戻ると、雨は上がっていた。スマホで場所を検索している卯月ちゃんを眺めながら、相合傘というものをしてみたかったなぁと思った刹那、いつの間にか空以上に心が晴れていることに気が付いた。これもアイドル島村卯月の笑顔の力だろうか。
「こっちみたいですね」
ちらりと俺を見てから、導くように歩き始める。原宿という場所は、オタクの俺には縁遠いのだが、卯月ちゃんは日常的に来るのか、単に地図を見ているせいか、迷うことなく細い路地を歩いて行く。
キョロキョロしていると、卯月ちゃんがくすっと笑った。
「○○さん、原宿は不慣れですか?」
「初めてかもしれない」
率直に答えると、卯月ちゃんはいたずらっぽい目で俺を見た。
「迷わないようについて来てくださいね? 迷子にならないように手を繋ぎましょうか?」
お姉さんっぽく振る舞うのが好きなのだろうか。素直に手を繋がせてもらおうとも思ったが、人が多くて邪魔になりそうだったのでやめておいた。
10分ほど歩くと小さな画廊に到着した。知り合いでもいなければ入りづらい雰囲気だったが、卯月ちゃんは平然と扉を開けた。意外と度胸が据わっているようだ。もちろん、そうでもなければ、百人千人の前で歌うことなど出来るはずもないが。
受付の人に挨拶をすると、名前を書くよう促された。卯月ちゃんが目で訴えるように俺を見たので、言いたいことを察して、代表で名前を記入した。
中は思った以上に広く、白い壁に額に入れられた切り絵が何点も展示されていた。正直なところ、あまり期待していなかったのだが、繊細に切り抜かれた動物や風景は圧巻で、その芸術性に思わず感嘆の息を漏らした。
「すごいな」
「すごいですね」
卯月ちゃんも目を丸くしながら、食い入るように見つめる。そして小さな声でぽそりと呟いた。
「実はあんまり期待してなかったんですけど、来てよかったです」
自分から連れてきておいてそれかと、思わず突っ込みたくなったが、そういう茶目っ気も可愛かったので許した。
切り絵は平面のものしかないかと思ったら、鶴や花、カラフルな立方体、中に光を入れたライトや影絵など、様々なものがあった。
暗い部屋に展示された、オレンジ色に光る切り絵のライトを見つめながら、卯月ちゃんが言った。
「こういうの、部屋にどうですかねぇ」
土台のライトの上に多面体の切り絵スタンド。淡く浮かび上がる花柄は綺麗で、卯月ちゃんの部屋には似合いそうだった。とは言え、卯月ちゃんの部屋を見たことはないが。
素直にそう伝えると、卯月ちゃんは楽しそうに微笑んだ。
「○○さんの部屋にですよ」
「いや、どう考えても俺の部屋には合わないだろ。卯月ちゃんの部屋はどんな感じなの?」
「普通です。これは似合わないかも」
「すごく綺麗そう」
「それは幻想ですね。○○さんを呼ぶ時は、幻滅されないように事前にちゃんと片付けておきます」
どうせなら、散らかっているリアルな部屋を見てみたい気もしたが、いずれにせよ俺が卯月ちゃんの部屋に行く機会などないだろう。
そう思ってさらりと流したせいか、卯月ちゃんは不満げに俺を見上げた。
「あんまり私の部屋に興味なさそうですね」
「いや、すごくあるけど」
即答すると、卯月ちゃんは少し唇をすぼめて、恥ずかしそうに視線を逸らせた。
「なかなかないですけど、両親がいない時があったら呼びますね。私だけ部屋に上げてもらって不公平だし」
俺は前に卯月ちゃんが部屋に来た日のことを思い出して、思わず込み上げた邪な気持ちをどうにか追い出した。
もちろん結局卯月ちゃんとそういうことをしたのはあれっきりだが、もし卯月ちゃんの部屋に上げてもらえたら、またさせてもらえるのだろうか。
まったく不公平ではないので、いつでも俺の部屋に来てくれていいのだが、逆にそれが目的だと思われるのが怖くて、あれから一度も誘っていない。
じっと卯月ちゃんを見つめていると、卯月ちゃんは拗ねたように可愛らしく俺を睨んだ。
「なんですか? 恥ずかしいです」
「いや、可愛いなと思って」
生ぬるい空気になったので、またぷらぷらと歩きながら展示を眺める。
初めてキスをした後、卯月ちゃんはそのことに一切触れなかった。けれど、実際には毎日のように思い出していたという。
あの日のことも、同じように思い出しているのだろうか。
卯月ちゃんは智絵里ちゃんの話をしながら、楽しそうに切り絵を眺めている。相変わらず何を考えているのかよくわからないが、そうであったら嬉しいなと思った。