プレトイ当日。スマホの音で目を覚ますと、みくちゃんから「感動で死なないように」とメッセージが来ていた。寝ぼけ眼で返事を書いていると、「また感想楽しみにしてる」という李衣菜ちゃんからのメッセージが表示された。早朝で、さすがにまだ合流しているとは思えないので、偶然だろう。
楽しむ準備は出来ていると別々に送り、布団から這い出す。彼女におはようメールを送ってみたが、すぐには既読は付かなかった。まだ寝ているのか、あるいは今日は収録の仕事があるので、とっくに起きて支度しているのか。
ライブは15時開場、16時開演なので、まだまだ時間はたっぷりある。適当に朝食を済ませて、準備をする。準備と言っても、チケットとペンライトくらいだ。去年のハロウィンイベントで買った二人のペンライトをバッグに突っ込む。
何となく響子ちゃんに今日は来ないのかとメールを送ってみた。もちろん、来るなら俺や卯月ちゃんとの関係を考えたら、連絡があるだろう。何もないということは、来ないということだ。
午前中はどうしたものかと考えていたら、卯月ちゃんから電話がかかってきた。通話ボタンをタップして出ると、スピーカーから卯月ちゃんの元気な声がした。
『おはようございます。体調はどうですか?』
「万全。そっちは?」
『元気ですね。若いので』
卯月ちゃんがふふっと笑う。俺も十分若いつもりだが、卯月ちゃんは俺を年寄り扱いするのが大好きだ。
『今日は終わったらすぐ行きますし、出来る範囲で連絡しますから、スマホ見ててくださいね?』
「もちろん」
どのみち他にやることはない。現地に着いても、ただひたすら卯月ちゃんを待ち続けるだけだ。
もし間に合わなかったら、行けなくなったら、その連絡が出来なかったら、あるいは俺が知り合いに捕まって抜け出せなくなったらなど、トラブルシューティングを再確認して通話を終えた。
さて、何をしようか。早く行ったところで知り合いに見つかる危険が増えるだけだし、いくらなんでも早すぎる。
曲の復習とセトリの予想でもしようと、スマホの346プレイリストを指で弾くと、響子ちゃんから返事が来た。今日はアイドル仲間と女子会とのこと。空いてるならプレトイに来ればよかったのにと気軽に送ると、俺の暇を察知したのか通話アプリが音を立てた。
『おはようございます』
明るく元気な声。みんな早起きだ。もしかしたら、今日ライブやイベントがある子たちの朝ご飯でも作っていたのかもしれない。そういうお母さんみが、響子ちゃんにはある。
「響子ちゃんは今日は仕事はなかったの?」
取り方にとっては少し嫌味にも聞こえる質問だったが、そういう意図で言っていないことは響子ちゃんはわかってくれる。期待通り、響子ちゃんはあははと笑った。
『まだ駆け出しですから。今日は歌鈴ちゃんとネネちゃんと星花さんの4人で女子会です!』
あまり知らないメンバーである。ネネちゃんはキュートライブに参加していたが、響子ちゃんの後だったので見ていない。
みくちゃんはどうだったか聞いたら、会っていないとのこと。俺が思うよりはみくちゃんは特別な友達というわけでもなさそうだ。そもそも響子ちゃんはCPメンバーでもないし、みくちゃんと組んでいるユニットもない。
そうであれば、それほどプレトイに顔を出す理由もないかと、そのまま女子会の話題をしようとしたら、先に響子ちゃんにメールの内容を拾われた。
『私もみくちゃんのライブ、行きたかったんですけどね。でも、行きたいイベントはたくさんあって、チケットも高いし、破産しちゃいます』
「確かに。俺もチケットが空から降ってきたら、凸レーションのライブも観に行ったかも」
今日のライブも、みくちゃんと李衣菜ちゃんが1枚ずつ持っていたチケットを、俺と卯月ちゃんがもらっている。もしそれがなかったら、アスタリスクのライブを自腹で買って、キャンディアイランドのライブはパスしていただろう。
それから女子会の話や、今日のメンバーがどんなアイドルか聞いていたら、1時間以上喋っていた。お互いに時間は大丈夫だったかと慌てたが、幸いにも響子ちゃんも女子会は昼からとのこと。それに、そもそもみんな寮で一緒の仲間だから、待ち合わせも何もないらしい。
『こんなにお喋りするなら、どこかカフェでも行けばよかったですね』
響子ちゃんが声を弾ませる。気持ちはとても嬉しいが、あまり意味もなく女の子と二人で会うと卯月ちゃんに悪いし、かと言って名前も知らないアイドルの子を連れて来られても困ってしまう。
「プレトイが終わったら、またみくちゃんたちと遊ぼう」
無難な名前を持ち出すと、響子ちゃんは是非と笑った。
薄曇りの空の下、開場の1時間くらい前に会場に着いた。物販は売り切れの商品も出始めていたが、二人のマフラータオルはまだ残っていた。ニュージェネのライブでもCP全員分売られていたことを考えると、かなりの数を作ったのだろう。
タオル2本では握手会には足りなかったので、ブロマイドで金額を調整する。全10種類で、サイン入りのもあるらしいが、果たしてどうか。
列から離れて確認したが、生憎サインは入っていなかった。しかも、2枚とも同じ内容だった。ランダムなのはわかるが、せめて連続している2枚は別の写真にして欲しい。難しそうだが。
1枚は卯月ちゃんにプレゼントしよう。そう考えながら、トートバッグに押し込む。スマホを見たが、新しいメッセージはなかった。1時間くらい前に、開始30分前には着けそうという連絡があった。つまり開場後なので、握手会のチケットも手に入れた今、あまり開場近くにいる理由はない。
離れた場所に退避しようと思ったその時、あまり聞き馴染みのない声で話しかけられた。
「おお、もしや蘇我殿では?」
最近、あまりドルオタと交流していなかったこともあって、一瞬自分のことだとわからなかった。一部の間で、俺は蘇我鯨という名前で通っている。ただ、握手会でも本名を名乗っているし、本当にごく一部の間でしか使われていない。
振り返ると、見覚えのある中年の男が、俺と同じ歳くらいの若い男と、少し上くらいの女性と一緒に立っていた。中年の男は知り合いだ。ハドラーというハンドルネームで、卯月ちゃん推しである。一度飲んでいるのもあるが、卯月ちゃんが少し苦手だと言っていたのでよく覚えている。
後の二人は知らない顔だった。女性も凛ちゃん推しの叢雲ではない。
「俺、美しい牛です。牛って呼んでください」
上から下まで無地の地味な服を着た男が、爽やかに笑いながら会釈した。
「その名、聞いたことがある」
変なノリで返すと、美しい牛は「多分ラジオっすね」と笑った。
「CP箱推しで、その中でもニュージェネ推しっす」
「さらにその中では?」
「未央ちゃんかなぁ。元気でいいっす」
美しい牛が美しく笑う。明るいヤツだ。その隣で、女性が少し緊張した面持ちで口を開いた。
「あたしは津軽です。特に投稿とかはしてないけど、ツイッターは津軽でやってます」
ファッションはやや甘め。しかしメイクは薄めで、少し服に負けている。凛ちゃんを見て絶叫していた叢雲とはだいぶ違いタイプらしい。
「津軽さんは、誰推し?」
「りーなちゃんですね。なかなか味わい深い子だと思うんです」
「ほぅ。例えば?」
また変なノリで聞くと、津軽はキランと目を輝かせた。
「なんか、ずっと背伸びし続けてる感じ? 後は、顔が好みです」
なるほど。こいつもやはり少し変だ。李衣菜ちゃんがどんな子かと聞かれると、友達の俺でも表現しにくいが、確かにアイドルらしい不思議な魅力がある。
「えっと、蘇我鯨です。今も昔も卯月ちゃん一筋です」
とりあえず挨拶すると、ハドラーが炎の暗黒闘気を迸らせた。
「卯月ちゃん単推しの貴殿が、何故ここにいる! 卯月ちゃんが泣いているぞ!」
「それは確かに。かく言うハドラー殿も、卯月ちゃん推しだったはず」
同じノリで突っ込むと、ハドラーは然りと頷いた。
「好みの柔軟性が増してきた。最近はみくにゃんもいいなぁと」
「牛氏は、みくちゃんと李衣菜ちゃんなら?」
話を振ると、美しい牛は李衣菜ちゃんだと答えた。二人とも元気だが、李衣菜ちゃんの元気の方向性が合うそうだ。
とりあえず話は俺から逸れたが、完全に捕まってしまった。列に並ばなくていいか聞いたら、「急ぎはしない」とハドラーが首を振った。李衣菜ちゃん推しの津軽も同じ意見で、後ろの方からライブを楽しむつもりのようだ。それで今日は大暗黒とも合流しなかったらしい。
大暗黒は元々みくちゃん推しなので、今日は早くから列に並んでいる。朝少しだけメッセージをやり取りしたが、ハドラーに捕まった今となっては、挨拶くらいして来てもいいかもしれない。髪型はワックスで固めていつもと違う感じにして来たが、久しぶりに会ったハドラーにすらすぐにバレてしまったので、大暗黒も同じだろう。
それよりも、今はこの危機をどう脱するかだ。ハドラーは津軽を気にしながらも、俺に話しかけてくれる。俺の見立てでは、ハドラーと美しい牛だけなら、大暗黒と一緒に前の方に行っていただろう。
彼らはなかなか美人の津軽と一緒にいたいと考え、津軽は前に行きたがらなかった。もしそうであれば、俺など邪魔者でしかないが、ハドラーには知り合いを見たら話しかける社交性がある。オタク特有の連帯感と言ってもいい。大暗黒もそうだ。
もっとも、俺とて一人だったらそういうのも悪くないと思う。ただ、今日は忙しい彼女が駆け付けてくれるし、出演者からも二人で来るよう言われている。
とは言え、誰かと見ると言ったら、当然その人も一緒にと言われるし、断ればどんな相手か気になってしまうだろう。ましてや彼女だから二人きりがいいなどと言えば、解放してはもらえるだろうが、間違いなく彼らの好奇心を煽ってしまう。
ひとまず彼らと一緒に大暗黒に挨拶に行って、しばらく談笑を交わした。その隙に、卯月ちゃんに「ハドラーに捕まった。助けて」と送る。
いよいよ開場時間になると、戦場に赴く大暗黒たちを見送って、列の最後尾に並んだ。美しい牛がユニクロについて語っているのを聞きながら、どう抜け出したものか考える。彼らに嫌われるのは全然構わないし、このライブを卯月ちゃんが観に来てるのがバレるのも問題ない。問題なのは、俺と二人でいることだ。
なるほど。いつか卯月ちゃんが言っていたが、少しずつ変装が必要なのは俺の方になってきた。スマホを見ると、卯月ちゃんから返事が来ていたが、「どうすればいいですか?」と書かれていた。俺が聞きたい。
結局策がないまま順番が来て中に入った。今は美しい牛と津軽がアスタリスクの話をして、ハドラーが先日のニュージェネの話を俺に振っていた。他のファンの感想もなかなか面白いのだが、今はそのライブに出演していた子の方が大事である。
スマホが震えて、ちらっと見ると、「とりあえず着きました」と表示されていた。一旦トイレに行くと言ってフロアを出る。指定された場所に行くと、ジーンズを履いてチョイ悪なキャップを被った卯月ちゃんが壁にもたれて立っていた。
変装らしい変装ではなかったので、知り合いっぽくない動きで隣に立って、意味もなくスマホに目を落とした。隣で同じようにスマホを見ながら卯月ちゃんが少しだけ非難げに言った。
「どうするんですか?」
「このままばっくれるっていう手もあるけど、絶対探しに来るだろうし、卯月ちゃんも思ったより卯月ちゃんだった」
「美容院で髪を切ったばかりだし、男装の準備はしてたんです。○○さんをビックリさせようと思ったのに、無駄になりました」
チラリと隣を見ると、卯月ちゃんは不貞腐れたように唇を尖らせていた。怒ってはいないようだが、残念そうな表情だ。そのまま男装をして来れば良かったのにと言うと、卯月ちゃんは小さく首を横に振った。
「至近距離のハドラーさんにはバレます。だったら、男装のリージョンフォームは見せない方がいいと思って」
「リージョンフォーム……」
卯月ちゃんの言い分もわかる。気付かれないための変装なので、どうせ気付かれるのなら、そのバリエーションは明かさない方がいい。一緒に観る気がないなら、それはそれで変装の必要はない。
今回は諦めるのかと思ったら、卯月ちゃんがスマホに目を落としたまま、小さな声で言った。
「ベストではないですが、妥協案があります」