※この作品はR-18です。

卯月とファンの恋物語『2』~   作:水原渉

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 画廊を出ると、晴れてはいないが雨はもう大丈夫そうな天気になっていた。

 今からなら紫陽花を見に行けなくもないが、もう一度浅草へ戻るという選択肢はなかった。

 上野寄りの自分のプランは完全に捨て去って、どこか行きたいところはないか尋ねると、卯月ちゃんはあらかじめ答えを用意していたかのように俺を導いて歩き始めた。表参道へ行くという。

「表参道も名前しか聞いたことのない場所だ。何があるの?」

 自分の行動範囲の狭さが若干恥ずかしい気もしたが、今度は卯月ちゃんも「私もあまり知りません」と前置きした上で答えた。

「みくちゃんが教えてくれたカフェがあるんです」

「みくちゃんって、前川みく? 猫の?」

「そうです。猫の」

 そう言って、自分の発言に卯月ちゃんはくすっと笑った。

 何度か卯月ちゃんと共演しているのを見たことがあるが、ネコミミをつけた元気な女の子という程度の印象しかない。あと、確かおっぱいが大きかった覚えがあるが、それを卯月ちゃんに確認するメリットは何一つなかったので黙っておいた。

 雨上がりの水たまりを避けてから、卯月ちゃんは俺の手を取った。大通りから1本入った細い路地は、人の往来が少なくて歩きやすい。

「コンセプトカフェっていうんですか? 色んな猫のぬいぐるみがたくさん置いてあるカフェを見つけたって、この前みくちゃんが言ってて、ちょっと気になってたんです」

「みくちゃんは、ぬいぐるみも好きなの?」

「猫ならなんでもいいんじゃないですか?」

 身も蓋もない言い方に、俺は思わず噴いた。珍しく皮肉でも入っているのかと思ったが、もちろん卯月ちゃんにそんな意図があるはずがなかった。

「みんな、何かしら自分のキャラを持ってて、すごいなって思います。私は何もないから」

 心底感心したように呟いて、卯月ちゃんがため息をつく。

 この子もそういうことで悩むのかと、少し意外に思った。ファンの前ではいつだって元気で明るいが、当然のように年相応の悩みもあるのだろう。

「卯月ちゃんは笑顔が可愛いよ」

 励ますように言うと、卯月ちゃんは少しだけ考える仕草をしてから、愁いを帯びた目で俺を見上げた。

「誰だって、笑えば可愛いですよ」

 どこか冷めた声の響き。

 ひょっとして怒らせてしまったかと、俺は思わず息を呑んだが、卯月ちゃんはすぐにいつもの笑顔に戻って、繋いだ手を大きく振った。

「大丈夫です。別に悩んでるわけじゃないんです。○○さん、私のことをすごい女の子だって勘違いしてるから、ちょっと弱いところも見せただけです」

 実際に、強がっているわけではないようだった。言葉通り、敢えて日頃見せない一面を出してみただけらしい。俺自身、「ありがとうございます」と言われて終わると思っていたから、そうして本音で話してくれるのは嬉しかった。

「頼りないかもしれないけど、たまには甘えてくれると嬉しいな」

 気障な台詞が口をついて出た。笑い飛ばされるかと思ったら、卯月ちゃんは大袈裟に驚いた顔をした。

「これ以上ですか!? 私、自分でもちょっとやり過ぎかなって思うくらい、甘えてるつもりなんですけど」

「そうなの?」

「たぶん。だいぶ依存してるつもりですけど、じゃあもっと委ねますから、重かったら言ってくださいね」

 冗談めかしてそう言うと、卯月ちゃんはじゃれつくように俺の肩に額を当てた。そんな仕草が途方もなく可愛くて、思わず頭を撫でようとしたが、帽子が邪魔で出来なかった。

 それからしばらく歩くと、やがて閑静な一角に緑豊かなカフェが現れた。大きな看板は尻尾がキュートな猫の形をしており、店名と思われる「La Gatta Nera」という文字がペイントされている。

 ドアの窓から中の様子が窺えたが、満席ではないようだった。中に入ると、そこかしこに猫のぬいぐるみやら置き物が雑然と並べられていた。可愛いエプロンの女性が案内してくれて、奥のテーブルに向かい合って腰かける。

 隣のテーブルとの間隔は十分広いのだが、なぜか落ち着かない。天井が低いせいだろうか。どことなく閉塞感を感じていると、卯月ちゃんが中途半端な微笑みを浮かべて呟いた。

「なるほど。こういうお店ですか」

 小さな椅子に置いてある蝶ネクタイをした茶色の猫のぬいぐるみを抱き上げて、睨めっこをするように見つめる。

 なんとなく可愛かったのでスマホを取り出すと、笑顔でVサインしてくれた。また1枚、俺だけの卯月ちゃんコレクションが増えた。

 卯月ちゃんが今が旬のマンゴーパフェを、俺はオススメらしいレアチーズケーキを注文する。店員さんを見送ってから、卯月ちゃんが口を開いた。

「○○さんは、猫は好きですか?」

 隣の大きなぬいぐるみに自分の帽子をかぶせて、満足げに頷く。俺は帽子のせいで少しくしゃっとなった卯月ちゃんの髪を見つめながら、どう答えようかしばらく逡巡した。

 正直なところ、好きでも嫌いでもないが、そう答えるのは憚られる。先に卯月ちゃんの答えを聞きたかったが、質問に質問で返すわけにもいかず、無難な言葉を並べた。

「普通に好きだと思うけど、飼いたいと思うほどじゃない」

 もし卯月ちゃんが今飼っているとか、将来的に飼いたいという話だったらどうしようと一瞬焦ったが、杞憂だった。

「私も見ているだけでいいですね。飼うと、きっと可愛いだけじゃないところも見えちゃうと思うし」

 同じですねと、優しげに微笑む。

 しかし、俺はとても笑える心地ではなかった。

 今のは、アイドルも付き合うと可愛いだけじゃないところが見えるから、見ているだけの方がいいという忠告だろうか。

 声のトーンを落として聞いてみると、卯月ちゃんは世にも驚いたように目を丸くしてから、呆れたように肩をすくめた。

「すごい深読みですね。驚いちゃいました」

「いや、なんていうか、ごめん」

「それで、可愛いだけじゃないところは見つかりましたか?」

 楽しそうに身を乗り出す。首元からちらりとピンクのブラジャーが見えて、思わず目を逸らせた。

「今のところ、あまり」

「それはダメですね。私は○○さんが思うほどいい子じゃないから、いつか幻滅されないか心配なんです」

「それはお互い様だから」

 付き合うというのは、お互いに大好きなところから始まる。だから、もっと好きになるより、知らなかった部分が見えて、嫌いになることも多いと聞く。

 幸いにも、俺はどちらかというと、どんどん卯月ちゃんは好きになっているが、逆はとてもそんな自信がない。俺は本当にどこにでもいる、平凡な一オタクに過ぎないのだ。

「私、○○さんといると楽しいですよ」

 恥ずかしそうにそう言って、卯月ちゃんは目を細めた。

 例えば、今日はどうだったのだろう。期待されたデートで何もできず、こうして卯月ちゃんに頼りきりの俺に幻滅したりしなかったのだろうか。

 聞いてみたかったが、やめておいた。そういう困らせるだけの質問をしても仕方がない。

 しばらく卯月ちゃんの学校の話を聞いていると、注文したパフェとケーキがやってきた。

 ブルーベリーのソースがかかったチーズケーキはなかなかオシャレだが、味の方はどうか。一口食べると、普通に美味しかった。感動するほどではないが、及第点だろう。

「どうですか?」

 卯月ちゃんが興味津々に聞いてきたので、いつものバカップルよろしくフォークで一口分すくって差し出した。

 それをパクッと食べて美味しそうに頬張る。

 お返しにと、長いスプーンでパフェを一口すくって、俺の方に伸ばしたところで、その声はした。

「何をしてるにゃ?」

 弾かれるように二人で同時に顔を上げると、すぐそこに、この店を卯月ちゃんに紹介した1学年下のアイドルの子が立っていた。ジト目で卯月ちゃんの顔を見てから、ちらりと俺に一瞥くれる。

 あまり意識したことはなかったが、間近で見ると研ぎ澄まされた可愛さだった。さすがはアイドル。一般人とは絶対的に異なるオーラを感じたが、今は見惚れている場合ではなかった。

「みくちゃん、今日も来てたんですね」

 平然とそう言って、卯月ちゃんはすくったパフェを自分の口に運んだ。

 俺はなんとかしなくてはと思ったが、ここで口を出すと事態が悪化しそうだったので、だんまりを決め込むことにした。情けないが、卯月ちゃんとみくちゃんの関係もよくわかっていないのに、下手なことは言えない。

「あっ、こっちは従兄弟のお兄さん。みくちゃんに教えてもらったから、早速来てみました」

 恐らく、万が一の時はそう言うと決めていたのだろう。すらすらと嘘をついて、ひらっと手の平を上に向けて俺を紹介する。

 ペコリと頭を下げた俺をじーっと見つめてから、みくちゃんは思い出したように「ああ」と手を打った。

「よく卯月ちゃんたちのステージに来てる人にゃ」

「そう。従兄弟のお兄さん」

 どうして2回言ったのか。一気に嘘くさくなったと思ったが、もちろんみくちゃんもそう感じたようで、より強い疑いの眼差しを俺に向けた。

「あー、卯月がいつもお世話になってます」

「別になってないにゃ」

 そっけない。

「それにしても、こんなところで会うなんてびっくりですね。みくちゃん、今日はお仕事は?」

 パンと小さく手を合わせて、卯月ちゃんが明るい声で言った。

 その一言で、俺は卯月ちゃんが見た目より遥かにテンパっているのだとわかった。

 そもそもこの店を紹介したのはみくちゃんだし、一緒にやるはずだった仕事が流れたのだから、仕事がないこともわかっているはず。

 みくちゃんはそれには答えず、「まあいいんだけど」と前置きしてから、誰にともなく言った。

「二人ともよく考えて。アイドルのこと、ファンのこと、チームのこと」

 卯月ちゃんの帽子をかぶった猫をポンと叩いて、みくちゃんはレジの方へ歩いて行った。

 二人で声もなく見送って、やがてみくちゃんが店を出てから、卯月ちゃんは深く息を吐いて背もたれにもたれた。

「はぁ。びっくりした」

 一体どこから見られていたのだろう。普通に考えて、チーズケーキを食べさせたところは見られていただろう。

 なんだかとてもまずいことになった気がしたが、卯月ちゃんはあまり気にしていないように笑った。

「とりあえず、食べましょう」

 にこにこしながらパフェと向かい合う。

 無理しているのだろうか。本当になんとも思っていないということはないだろう。

 俺はこのままでいいのだろうか。今と同じように卯月ちゃんと付き合っていていいのだろうか。

 動悸が収まらない。顔を上げると、卯月ちゃんが心配そうに俺を見つめていた。

 口数が減ってしまったので、空気を変えるために店を出る。湿り気を帯びた空気がまとわりついてきて、卯月ちゃんが手で髪を梳いてから帽子をかぶった。そして、少し歩いてから振り返る。

「お店、普通でしたね」

「あっ、うん」

 あまりにもいつも通りの卯月ちゃんに、俺は唖然として頷いた。卯月ちゃんはそんな俺の手を握って、にこっと笑う。

 みくちゃんお勧めの店は、俺たちにはあまり合わなかった。それでも、それもまた二人の初デートのいい思い出になるだろう。

 先ほどの件は、このままうやむやにするのだろうか。俺が何も言わないでいると、ぶらぶら歩きながら卯月ちゃんが言った。

「みくちゃんの言ったことは、気にしないでください」

「それは、難しいな」

 素直にそう答えると、卯月ちゃんは俺の手を握ったまま、少しだけ俺の肩に体重を預けた。

「じゃあ、気にしてもいいけど、一人で考えて、一人で答えを出さないでくださいね。一人で悩むなら、私に相談してください。これは二人の問題ですから」

 二人の問題。力強くそう言い切る卯月ちゃんの横顔は、無理をしているようには見えなかった。

「卯月ちゃんは気にしてないの?」

 思わず尋ねた俺に、卯月ちゃんはいたずらっぽく笑って答えた。

「色々考えてますけど、とにかく私は、○○さんと別れる気も、アイドルを辞める気もありません。あれもこれも欲しい、欲張りな今時の女子高生なんです」

 きっと、俺が思うよりずっと卯月ちゃんは俺のことが好きで、その気持ちを信じることができない俺のことを少し怒っていて。

 きっと、不安がらなければ大したことは起こらなくて、二人で相談すればどんなことでも乗り超えられる。

 心からそう信じているのだろう。単純に、真っ直ぐに。

 みくちゃんに言われたことは、この先どこかで大きな壁として立ちはだかるかも知れない。それでも、少なくとも今日は、卯月ちゃんの笑顔を信じて考えないことにしよう。せっかくの二人の初デートなのだ。

 人目を盗んでそっとキスすると、卯月ちゃんは驚いたように眉を上げてから、えへっと嬉しそうに笑った。

 俺ももう少し欲張りに楽しもう。

 

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