横浜赤レンガ倉庫は、横浜にある赤いレンガで出来た倉庫である。真顔でそう説明すると、卯月ちゃんは真剣な瞳で頷いた。
「倉庫だったんですね」
絶妙なタイミングだったので思わず噴きそうになったが、なんとか堪えた。今は主にショッピングセンターになっていて、まだ営業開始前だが観光地だけあってなかなか賑わっている。
港には巨大なクルーズ船が停泊していて、圧倒的な存在感を放っている。船には乗ったことがあるか聞くと、卯月ちゃんは当たり前のように頷いた。
「ありますね。ああいうのはないですけど」
「どこ行ったの?」
「どこかの島です。小さい時なのでよく覚えてません」
「そっか。島村だもんな」
そう言えばそうだったと呟くと、卯月ちゃんは困惑気味に首を傾げた。恥ずかしいのでさらっと流してほしい。
とりあえず撮ってみようと、多少人の少ない場所に移動して荷物を置いた。卯月ちゃんが鏡で身だしなみをチェックしてから、荷物の上に鏡を置いた。
「じゃあ、歩きますね。適当に撮ってください」
そう言って、その辺りをブラブラと歩き始める。その隣に並んだり、立ち止まってスマホだけで追いかけたりしながら、俺は内心で歓喜の声を上げると同時に、いささか緊張に震えた。
歩き方、身のこなし、視線の送り方、ちょっとした仕草が、いつもの隣にいる卯月ちゃんではなく、ディスプレイの中でしか見たことのない、アイドル島村卯月のそれだった。自然体の柔らかな表情だが、明らかにカメラを意識して、作品を作るモードになっている。
つまり、プロだ。それに対して、俺はアマチュアですらなく、そもそも動画すら撮ったことがほとんどない。普通のカップルのノリで手を挙げてしまったが、本当に俺で良かったのだろうか。
5分ほど撮ると、一度荷物を置いた場所に戻って映像を確認した。それを見ながら、卯月ちゃんが距離や角度のアドバイスをくれる。
「なんだか懐かしいですね。あの日を思い出します」
そう言って、卯月ちゃんが可愛らしく微笑んだ。そう言えば、街で偶然会ってワンピースを買ってあげた後、公園でたくさん写真を撮った。あの時も俺は人などほとんど撮ったことがなく、卯月ちゃんに色々教えてもらった。
その後、大体30分くらい撮影してから、次の場所に移動することにした。素材は十分過ぎるくらい集まり、むしろ後から編集するのが大変だと悲鳴を上げると、卯月ちゃんがいたずらっぽく笑った。
「撮影のお仕事なんて、1枚のために何百枚も撮りますから。○○さんも1分半のために何時間も撮ってください」
「まあ、卯月ちゃんの動画がたくさん撮れるのは嬉しいけど」
それは本心だが、ずっと同じ場所を歩いている似たような動画で、声も入っておらず、表情差分の様相だ。一応バリエーションとして、カメラに向かって微笑むとか、目線は入れてみた。採用するかはわからない。
一度大きなモールに移動して、トイレで2着目に着替えてもらった。次はショートパンツにカットソー、上に何やら丈の長い薄いものを着ている。カーディガンに分類されるアイテムだろうか。
そう聞くと、卯月ちゃんは可愛らしく腕を開いた。
「分類されるものじゃなくて、そのものです」
「それがあると、年相応に大人びて見える。ないとまるで高校生だ」
「日本語がおかしいですよ?」
卯月ちゃんが余裕の返しをして再び荷物を渡してきた。それを抱えて山下公園に移動する。こちらはみなとみらいと比べると若干人が少ない。
山下公園から港の見える丘公園に向かって、撮影しながら歩く。今度は荷物を持ちながらなので大変だ。
「やっぱりカメラ目線の方がいいですかねぇ。どう思います?」
すぐ隣で映像を確認しながら卯月ちゃんが言った。画面の中で、カメラに向かって元気に手を振っている。ファンとしては、こうして見ているこちら側を意識した構成も嬉しいが、推しは尊いので、木や石のように存在を意識されずに見守りたい気持ちもある。
そう伝えると、卯月ちゃんが周囲の木々を見回しながら表情をやわらげた。
「あの木一本一本がファンなんですね」
そんなことは一言も言っていない。蒸し暑いし、頭がやられてしまったのだろうか。
「少し休む?」
「いえ、大丈夫です。若いですから。このコーデの撮影が終わったらご飯にしましょう」
定番の俺より若いアピールをしてから、再び歩き始めた。
結局ショートパンツコーデも1時間ほど撮影して、適当なイタリアンレストランに入った。この辺りはデートで入る店には事欠かない。ちょっと荷物は多いが、4人席に案内されたので窮屈はしなかった。
無難にパスタランチを2つ注文すると、卯月ちゃんがスマホで地図を開いた。
「この後どこかで着替えて、西洋館の方ですね。デートコースとしてもなかなかいいです」
「結構歩くけどね」
「撮影のために同じところをグルグルしてますしね。それがなかったら、それほどでもないですよ」
もしデートでショッピングも組み込むなら、南から始めてみなとみらいに戻る行程の方がいいかもしれない。そうしたら、ショッピングとディナーの後に夜景も楽しめる。
「丸一日遊べるといいんですけどね」
卯月ちゃんがそっとため息をついた。そもそもアイドルは普通の人が休みの日にこそ働いていて、なかなかゆっくり出来ない。今日も夕方から打ち合わせがあるとのことで、おやつの時間には東京に戻ることになっている。
デザートのアイスクリームを食べ終えると、会計をして外に出た。夏を感じる暑さだ。
着替えるのにいい場所がなかったので一度駅に戻って着替え、撮影の終わった服はロッカーに突っ込んだ。3着目は落ち着いた色の膝下まであるスカートで、大人びたコーデだ。荷物的に一番かさばっていたので、ここでロッカーを使うのなら最初に履くべきだったが、結果論の上、西洋館の雰囲気に合わせたコーデなので、プランごと変える必要があった。
横浜山手西洋館は、公式サイトによると主に7つの歴史的建造物で構成されている。それぞれ入ることが出来て、一部の建物ではカフェも併設している。デートなら入りたかったが今日はそういう目的ではないので、周辺をブラブラしながら撮影した。
これもなかなか良く撮れたのだが、卯月ちゃんが動画を確認しながら苦笑いを浮かべた。
「私が悪いんですけど、場所と格好が違うだけで、内容が全部同じですね。あまりそれが目立たないように編集してください」
確かに、歩き方やアピールの仕方が、大体同じになっている。もちろん、カメラを見ていないシーンや後ろから撮っているシーン、笑っているシーンや手を振っているシーンなど、上手く選択すればそれを感じないようには出来る。
どの服も1時間以上撮っていたので、そんなに色々やるのは無理だろうと励ましたが、卯月ちゃんは「まあこれも勉強ですね」と笑った。こんな遊びからでも学びがあるのなら何よりだ。
そろそろ時間になったので、駅に戻って荷物を回収した。卯月ちゃんから、せっかく横浜まで出て来たから、ここで解散してもいいと言われたが、それは有り得ない選択だ。少しでも卯月ちゃんと長くいる以上の喜びがあろうはずがない。
電車の中で今日はどうだったかと聞かれたので、楽しかったが難しかったと答えた。
「卯月ちゃん、アイドルって感じで緊張した」
「歩いてただけですけどね」
「アイドルの歩き方だった」
「アイドルの歩き方……」
わざとらしく唸ってから、可笑しそうに肩を震わせた。どうやら本人的には、そこまで仕事モードでもなかったようだ。
乗り換えの駅で荷物を抱えた卯月ちゃんと別れる。あれを持って仕事場には行けないから、またどこかのロッカーに突っ込んでいくそうだ。
そう言えば、結局今日は卯月ちゃんに指一本触れなかった。次は普通にデートしたいものだが、なかなかこういうまとまった時間は取れない。卯月ちゃんが高校生の内は致し方ない。
今日はコーデごとに写真も撮ったので、スマホを開いて眺める。どの卯月ちゃんも可愛い。個人的には、大人びて上品な卯月ちゃんより、年相応に元気で明るい卯月ちゃんの方が好きだ。
この後膨大な編集作業が待っているが、ひたすら卯月ちゃんを見続けられるのは役得というもの。少しでも頼ってもらえるよう、頑張りたく思う。