抜剣者アティは、ある日単身、異世界へと転移してしまった。
異世界で、勇者に憧れる少年・ダイと出会った彼女は成り行きから家庭教師をすることになり。
ダイと、そして新たな仲間たちと共に、その世界を脅かす大魔王バーンに挑んだ。
──戦いは、敗北に終わり。
地上を破壊しない見返りとして、アティは、大魔王の后となることを承諾した。
過剰なまでの寵愛を受けること、数知れず。
数十年の時が流れる間に、この世界での友人はすべて世を去り、そして、できないと思っていた子供も生まれた。
孤独となったアティに残されたのは、もはや、憎き夫と、その血を半分受け継ぐ娘だけで。
◇ ◇ ◇
「大魔王様におかれましてはご機嫌麗しゅう──」
魔界に位置する大魔王の居城。
鍛え抜かれた肉体と莫大な魔力を持つ三眼の美丈夫──三界に名の知れた大魔王バーンが、大きな玉座に悠然と座している。
神秘的な形の瞳、獣を思わせる形の耳、極上の糸もかくやと謳われる長い白髪を誇る美女──大魔王の后・アティは、侍るようにして夫の傍らに座し、腰を抱かれていた。
その身には白を基調とした豪奢なドレスを纏い、極上の装飾品を多数身に着けているものの、彼女の目には喜びの色も誇らしさもない。
思うのはただ、「いつ見ても悪趣味な光景だ」ということだけ。
絨毯の引かれた階段状の段差の下、跪いたまま口上を述べているのは人間の『王』だ。
彼の後ろには薄いドレスのみを纏った美女が数名、顔を伏せて膝をついている。
大魔王は后の懇願に免じて地上の破壊を取りやめたが、代わりに人類へ服従を求めた。
恭順の証として彼が要求したものの一つが、定期的に『女』を献上すること。
つまり、彼女たちは国内から選りすぐられた献上品──大魔王のご機嫌を取るために差し出された『生け贄』である。
差し出された女をどう扱うかはバーン次第。
ただ、少なくともアティの知る限り、この城に来てから家に帰れた女は一人もいない。
はあ、と、ため息を漏らすと。
一国を統べるはずの王が、まるでドラゴンでも目にしたようにびくりと身を震わせ。
大魔王は面白そうに笑みを浮かべた。
「心配せずとも良い。そなた以上の女などこの世におらぬ。戯れに抱くにせよ、一時の慰みに過ぎぬわ」
「后を交代してくださって、私は一向に構いませんが」
告げた言葉に反応を見せたのは──意外にも、目を伏せていた女たちだった。
彼女らが熱の籠もった視線を向けるのは、アティを抱く大魔王。
地上から平和を奪ったこの男のどこがいいのか。
あらかさまに寵愛を乞おうとする態度に、アティは眉をひそめる。
と、大魔王は「二度も言わせるな」と囁き。
「この程度の女に、この大魔王バーンが溺れるはずなかろう」
◇ ◇ ◇
深夜、玉座の間に、複数の嬌声が響き渡る。
深く座したバーンの上に跨り、横に侍って腰を振り、身体を押し付けるようにしているのは、献上されてきた女たちだ。
天下無双を誇る大魔王の剛直は女の股間に深く突き刺さり、その形を強制的に覚えさせながら子宮を攻める。
名工の会心作を軽く曲げる指先が別の女の秘所に潜り、愛液と潮をとめどなく吹きださせる。
艶やかな唇からは恍惚の吐息が漏れ、バーンの名が繰り返し囁かれる。
──アティはそれを、離れた場所からそっと見つめていた。
嫉妬、などという感情はない。
力こそ全ての魔界において、大魔王バーンの意思は全てに優先する。
これまでも、バーンは戯れに無数の女を嬲ってきた。
そして、あの男に一度でも抱かれた女は、他の男では満足できなくなる。
さらに言えば、バーンは、複数名を同時に相手にしながら「全く本気を出していない」。
真に戯れ。
滾る戦いの後、アティを強引に押し倒して竿をねじ込んでくるあの熱量は、今のバーンのどこにもない。
だから、考えているのは別のことだ。
どうして、女たちがこれほど積極的にバーンに媚びるのか。
数日かけて調べさせた結果──地上の変化が原因であることがわかった。
反大魔王派の筆頭であった、パプニカの先々代女王も亡くなり。
かつて大魔王を追い詰めた勇者パーティは全員がこの世を去った。
勇者たちの中には子孫を残した者もいるものの、親、あるいは祖父母ほどの才を持つ者はおらず。
なにより、大魔王の君臨によって『世界は平和になった』。
逆説的な話である。
人間界が魔界に屈したことにより、魔王軍による侵攻は必要なくなった。
大魔王は人間同士での戦争を「余の財産を無駄に浪費する行為」と禁じたため、人々は、人間同士でいがみ合うことをしなくなった。
魔王ハドラー、大魔王バーンと続いた魔王軍の侵攻を直接覚えている世代が消えたことで、人は、「反抗よりも恭順こそが自分たちの生きる道だ」と考えるようになった。
つまり、今の人間たちにとって、大魔王バーンは憎き敵ではなく「三界を統べんとする偉大な王」なのだ。
女たちは、最高の男をなんとしてでも射止めんと必死になり。
王は、少しでも大魔王の機嫌を良くしようと「献上品」の収集、育成に心血を注ぐ。
「……ひどい、話」
あれだけ、アティたちが──いや、ダイたちアバンの使徒が頑張ったというのに。
敗北の先にあったのが、歪んでいるとはいえ、絶対的な平和だなんて。
もう、必要ないのか。
大魔王バーンは倒さなくても良い。
むしろ、倒してしまえば人間界と魔界に混乱をもたらすだけ。
ほう、とため息をつけば。
「お母さま?」
頭を撫でていた手が意識せず止まっていたらしい──抜剣状態の自分に似た、愛らしい娘が不思議そうに顔を上げた。
アティは微笑むと「なんでもないの」と娘を抱きしめた。
この子にはなんの罪もない。
幸い、彼女は純真で優しく育ってくれている。バーンも実子をことのほか可愛がっており、くまのぬいぐるみを手ずからプレゼントしに来ることさえある。
これではまるで、ただの仲の良い親子だ。
やがて、娘は自分のベッドで寝息を立て始め。
アティは立ち上がると「果てしなき蒼」を手の中に召喚した。
色の濁ったその刃をじっと見つめていると、力強く、規則正しい足音が聞こえて。
「どうなさいましたか、陛下?」
「なに。娘の寝顔を見に来ただけの事よ」
バーンは笑みを浮かべて娘の顔を覗き込み、その髪をそっと撫でた。
それから、振り返ることもなく。
「後ろから余を刺しても構わんぞ」
「……この子の前で、そのようなことをするつもりはありません」
「はははっ、そなたも『母親』になったものだな」
娘を起こしてしまわないよう、揃って娘の寝室を後にする。
「今宵もお楽しみかと思っておりましたが」
「飽いた。寵愛を乞おうとする意欲だけは認めるが、器量が伴っておらぬ。あれらは既に下げ渡し済みよ」
「……どちらの部下に?」
「さあて。一人は、ベロゴンロードの群れに放り込ませる予定と言っていたが」
長い舌で全身を拘束されながらくまなく愛撫される女を想像して、身震いした。
大魔王の性技と剛直は天下無双だが、魔物による凌辱にはまた異なる激しさがある。加減を知らぬ行為を受けた女たちは例外なく「狂う」。
「何故、命を使い捨てるような真似をするのです」
「すべては余興よ。……その上で、あ奴らの失態を探すのであれば、そなたを口汚く罵った事か」
「私を?」
「『人かどうかもわからぬ女狐より、人の女を娶ってくださるほうが、魔界と人間界を支配した証となりましょう』だったか」
アティは、静かに「そうですか」と答えた。
常時抜剣状態を維持している今の彼女は確かに、人間でも魔族でもない異質な存在。
言われること自体に大した感慨はないが──それでも、ちくりと胸が痛んだ。
痛みを吐き出すようにため息を漏らすと、アティは決然と告げた。
「陛下。手合わせを願えますでしょうか」
「ほう。また余に抱かれたくなったか」
からかうように告げる口調は軽い。今まで数えきれないほどの勝利を重ねてきたのだから当然ではあるが。
「これで最後です」
アティにとっては一つ一つの敗北がとても重かった。
あまりにも強大な大魔王に挑むほどの熱量は、きっともう二度と生み出せない。
「全身全霊をもって、あなたを──倒します」
バーンは、その言葉に、あまりにも凄絶で魅力的な笑みを浮かべた。
「よかろう、受けて立ってやる。最後の、人間の勇者よ」
◇ ◇ ◇
「は、ああああああああ──────っ!!」
夜の訓練場が、あまりにもまばゆい蒼の輝きが満たされる。
増幅された魔力からなる特大の斬撃が、
「フェニックスウイング」
ただの掌底によって空へと跳ね上げられ、消えていく。
あらゆる攻撃を防ぎ、返すその技で斬撃をそのままアティへ向けなかったのは、そこまで甘い一撃ではないと知っているからだ。
「カラミティエンド」
返せるのは、波のごとく押し寄せる力の奔流の一部のみ。
後から迫る残りの波はむしろ、最強の手刀で叩き落とすほうが早く。
「「──カイザーフェニックス!」」
夜空を赤く染める不死鳥の炎が『二つ』生まれた。
「ふっ……はははっ!! はーっはっはっは!!」
ぶつかり合う不死鳥を眺めながら、バーンは哄笑した。
形を真似るだけならできる者はいる。が、熱量、密度、サイズを兼ね備えるには絶大な魔法力が不可欠。
さすがに大魔王の不死鳥が徐々に押しはじめ、勝敗は見えるものの。
「やはり、我が后はそなたをおいて他にはおらぬわ!」
弱体化しつつも健在な、大魔王の不死鳥。
それを、自らの纏う治癒の闘気で実質無力化しながら突っ切ってくるアティ。
ギガストラッシュ──竜の騎士と、人間の勇者の必殺技の合成技に限りなく近い剣を、バーンは自らの手刀で迎撃。
激突の衝撃が周囲にまで広がり、ぴりぴりと空気が震える。
弾かれるように飛びのきながら、アティは空いた手に爆裂呪文(イオラ)を生み出し立て続けに放つ。イオナズン級の威力を持ったそれをバーンも同じ呪文で迎え撃ち──。
いつしか、訓練場には多くの魔族、魔物が見物に訪れていた。
流れ弾が飛んできて吹き飛ばされる者もいるが、それでも、圧倒的強者同士のぶつかり合いを見届けようとする者は減らない。
力こそが正義のこの魔界において、人間出身の女賢者は『自分たちよりも強い』というただ一点において住人達から一目置かれていた。
いっそ、このまま一生見続けていたい。
そう願う者までいるほどの戦いも、しかし、永遠に続くわけではない。
大魔王といえど、己に限りなく近い力量の者とやりあえば闘気も、魔法力も消耗していく。
当然それはアティも同じであり、二人は次第に魔法のランクを落とし、必殺技のぶつかり合いではなく技術の勝負、そして意地の勝負へと移行していく。
そしてそれさえも、迂闊に割って入れば死が確定の激闘。
アティの『果てしなき蒼』はもちろん、その拳にも、アバン流『大地の技』に相当する威力が乗っている。抜剣によって強度の上がった肉体と治癒の闘気をもってすれば武神流・猛虎破砕拳を再現することも可能。
当然、拳同士をぶつけ合った拍子に『もうひとつの武神流奥義』を繰り出すことも。
大魔王であろうとも過剰回復呪文(マホイミ)を受けてなにも対処しなければ死ぬ。
今のアティを倒すことは、たとえ大魔王バーンであっても容易ではない。
それでも。
「どうだ、気は済んだか?」
余力を残したまま戦いを制したのは、男のほうだった。
アティの服はぼろぼろ。身体に大きな傷はないものの、治癒の闘気もほぼ底を尽きた今、治っていく様子はない。
魔法力の不足により『果てしなき蒼』の輝きも鈍く。
剣を持っているだけ、立っているだけという有様になってなお、アティは、戦意を消してはいなかった。
「……間違って、ない」
絞り出すように、悲痛な声が、紡がれる。
「私はっ、私たちは、間違ってなんかいなかった!」
振り下ろされた刃を、大魔王は防がなかった。
十分な威力を持たない斬撃ではバーンの肉体を傷つけるには足りず。
逆に、太く逞しい腕でアティの身体を拘束する。
「ベホマ」
輝きが王妃の身体を包み込むと、その身からは傷が消えて。
「わかっておる。ダイや、そなた、かの勇者たちとの戦いは、余にとっても心躍る、血湧き滾るものであった」
「っ」
憎き相手に、かつての仲間たちを肯定されたアティは、きっ、と夫を睨みつけ。
「あっ、あああああああああぁぁぁぁっっ!!」
その胸に縋りつくと、わんわんと、子供のように泣いた。
大魔王はそれを煩わしいと憤ることもなく、優しく抱きしめたまま、己の寝室へと運んでいった。
◇ ◇ ◇
「落ち着いたか?」
「……はい。申し訳ありません、見苦しいところをお見せしました」
「良い。人間の風習では、助け合うのが夫婦というものなのであろう?」
──本心からの言葉でなくとも、そう言われるのは悪い気分ではなかった。
数十年。
思えば、リィンバウムで過ごした時間よりも、バーンの后として過ごした時間のほうが長くなってしまった。
残っていた着衣を剥ぎ取られたアティは、豪奢な寝台に寝そべりぼんやりと思う。
隅から隅まで知っている、三界一の肉体。
好みのタイプではないとはいえ、絶世の美形でもあるバーンから惜しみなく愛を注がれるのは、正直、女としては悪い気分ではなかった。
ああ。
素直にそう思えるほどには、自分は、この男に心を許してしまったのだ。
すとん、と、胸にその感覚が嵌まった時、自然と、抜剣が解除された。
獣のような耳が、白く美しい髪が、アティ本来の人の耳、そして赤毛へと戻る。
それこそ、数十年ぶりだろうか。
バーンはそれを、少々の驚きと共に見つめて。
「これは、どういう心境の変化だ?」
覆い被さるようにしながら、尋ねてきた。
「維持する力がなくなりましたので。ただ、それだけのことです」
「そうか? ……しかし、こちらの姿も悪くないな。これからはたまに見せよ」
「陛下がお望みとあらば」
首筋に吸い付かれ、いくつも痕を残されたうえ、激しいキス。
意識することもなく艶めいた声が漏れ、身体が、完全に閨に備えた状態へと整えられていく。
「陛下。今の私は人間と変わりませんので、少々加減をお願いいたします」
「最後と言ったな。もう、余の命を狙う気はないのか?」
「まさか」
くすりと笑って、バーンの頬を両手で包み込んだ。
「あなた様が、約束を違えて人間界に手を出したその時は、遠慮なく殺させていただきます」
「ほう。ならば、地上を滅ぼせばそなたとまた『戯れ』られるのだな」
「どうぞご自由に。ただし、負けた後、私はきっと自害することでしょう」
人々を守るためにアティはバーンの后になった。
圧制からの解放が正義だと信じたから、その後もバーンに挑み続けた。
しかし、この状態が人々にとって快いものならば、アティはそれを維持するだけで良い。
「力こそが正義。ならば、陛下にはすべてを自由にする権利がございます」
ふっと笑ったバーンは、アティの裸身を撫で回しながら答えた。
「そうだな。……そして、そなたには余の自由に釘を刺せるだけの『力』がある」
肉体の経験は、抜剣を解除しても引き継がれるらしい。
アティがバーンの身体を知り尽くしているように、アティの身体を知り尽くしたバーンの指に、いいように弄ばれて。
突き入れられた大魔王の肉棒は、不思議と、いつもよりも太く長く感じられた。
「きつい、な。姿が違うせいか?」
身体の耐久力、柔軟性が元に戻っているために具合いが変わってくるのだろう。
常日頃から荒々しく求めてくる男だが、アティから見ても、今日はその存在感が、大きい。
「面白い。やはり、時々『こちら』でも相手をしてもらわなくてはな」
心も。身体も。すべてを蹂躙され、支配されるような感覚。
それもそのはず。
この赤髪は今まで夫であるこの男にも預けていなかったのだ。
ある意味、今宵ようやく、アティは本当の意味でバーンに純潔を捧げた。
「この身体で孕むと、赤毛の子が産まれてくるのか?」
「陛下の、髪色に似ることも、あるのではないかと……っ」
なんとか受け答えは続けたものの、頭は夫の与える快楽で満たされており、自分がなにを話しているのかろくに把握できなかった。
「ほう。では、それも含めて確かめるとするか」
人を人とも思わないような、言動。
しかし、彼の言動には筋が通っている。おそらく、大魔王バーンは自分より強い者が現れれば、その者の主張を認めるだろう。
その上で死を選ぶことはあるかもしれないが、彼の生き様に矛盾はない。
そして──バーンの圧制に抗おうとした者たちもまた、結局は、力をもって自分たちの正しさを証明しようとした。
そう。
大魔王バーンは、いつでも、正しい。
彼が、その正しさを曲げない限り。
アティが考える「正しさ」から逸脱しない限り。
「はい。私は、陛下の妻です……っ。どうぞ、お好きなように、孕ませてくださいませ……っ」
その夜、寝室からアティの嬌声が途絶えることはなく。
明け方ようやく解放されたアティは、それから半日眠ってもなお、気怠い疲労感から解放されなかった。
それでもバーンが手加減してくれたことは疑いようもなく。
一週間後。
魔法の道具を用いた定期検査の結果、アティの二度目の妊娠が発覚した。
◇ ◇ ◇
「お母さま、生まれてくるのは弟と妹、どちらなのですか?」
アティのお腹に手を当てながら、娘が目を輝かせる。
無邪気な様子に微笑み、アティは答えた。
「詳しく調べてもらったら、おそらく男の子だろうって。まだ確かではないけれど、だからきっと弟ね」
「わたしに弟……! 早く生まれてこないかなあ」
気の早い話である。さすがにそんなに簡単には出産できない。
苦笑してしまうアティだったが、部屋に入ってきた夫はあろうことか娘の味方をして、
「余も、早く二人目の顔が見たいものだ」
「お父さま!」
そっと床に降りた娘が小走りに駆けていく。
バーンは娘をひょい、と抱き上げると頭をやや乱暴に撫でる。
傍仕えの整えた髪が乱れ、娘はくすぐったそうにするも、その顔はどこか嬉しそうだ。
「弟は、お父さまのように強く格好良くなるのでしょうか?」
「さあて。男の子は母親に似ると言うからな」
寝台に腰かけたアティの隣、バーンが腰を下ろし、娘を二人の膝へ半分ずつ座らせた。
「お母さまに似たら、きっと綺麗で格好いい子になりますね!」
「もう、この子ったら」
父と母の傍で、まだ幼い半魔の少女はご満悦だ。
まあ、幼いとは言っても大魔王と抜剣者の子。
親の庇護を必要とする期間がきわめて短い魔族の血を引いていることもあり、娘はすでに一定の実力を備えている。
らくらくとメラミを唱え、呪文を的に当てるのが難しいと悩んだり、炎を鳥さんにしたいと口にする彼女が成熟したらいったいどれほど強くなるのか。
「陛下は、世継ぎが欲しいとお考えですか?」
尋ねれば、バーンはふっと笑った。
「余が引退を考えるのは千年先か、二千年先か……肉体の衰えを感じ、強者に打ち倒されたその時であろう」
「『凍れる時の秘法』は使われないのですか?」
「……どうだろうな。老人の身体ではそなたを満足させられず、愛想をつかされてしまうかもしれぬ」
身体を二つに分け、若さを有する一方の肉体を時の流れから解き放ち封印する──そうして、バーン自身は魔力を備えた老人の身体で長い時を過ごす。
長寿を誇る魔族でありながら、さらに長く生き続けるための策。
もしまたあの状態に戻るとすれば、老人のバーンと、見慣れた美丈夫の姿の肉体が残されることになる。
分けた肉体のほうは側近であるミストが動かすのだろうが──アティも、子供たちも少々混乱しそうである。
「不貞を働くつもりはございませんが……寝首をかくにはもってこいの状況かもしれませんね」
「確かに。さすがの余も、あの姿では殺されてしまうであろうな」
二人にとってはほんの冗談、戯れのような話であったものの、それを聞いていた娘は頬を膨らませて。
「お父さま、お母さま、仲良くしてくれなければ嫌です!」
ああ、たとえなにがあろうと、この子と、お腹の子だけは守り通さなくては。
そのためならば、自分は。
◇ ◇ ◇
ギルドメイン大陸の中央付近に位置する国──ベンガーナの王城前は、ベンガーナの民はもちろん、他国からの旅人も含む、無数の人で埋め尽くされていた。
通常であれば怒号や罵声の響きかねない状況でありながら、どこか整然と立ち並ぶ人の群れ。
その原因は、要所に立ち、人々を威圧する魔物や魔族の姿だ。
今日は、地上の支配者である大魔王バーンから重大な発表が行われる日。
ベンガーナ国王にして、バーンの忠実な犬である男はバルコニーに立ちこう宣言した。
「偉大なる大魔王バーン様、そしてその后アティ様のお言葉をしかと聞き届けよ! そして、それを大陸中、地上の端にまで届けるのだ!」
人類がバーンに屈してから数十年。
各国首脳もすでに代替わりし、魔王軍の侵攻を直接覚えている者ももはやいない。
人々は、自分たちの支配者の姿を目に焼き付けようとじっと注視し。
そして、見た。
圧倒的な存在感を有する三眼の美丈夫と、その隣に並び立つ美女の姿を。
バーンは、戦装束も兼ねた正装。
アティは、まるで婚礼衣装を思わせる純白の装い。
ベンガーナ国王をまるで手下のように従えながらバルコニーに立てば、その姿は、まるでそのまま絵画にできそうなほどに映えた。
「聞くがいい、人間どもよ。余はバーン。魔界の神にして、この人間界の支配者である」
后の腰を抱きながら告げるバーン。
張り上げている雰囲気はないにもかかわらず、その声は全ての者に届いた。
「余はこの地上に平和を齎した。うぬらが恭順を選び続ける限り、余はうぬらにとって都合の良い支配者であり続けてやろう」
大魔王がその姿を晒す、滅多にない機会を狙って殺害を目論む愚か者も僅かにいたものの。
今は、とある女魔族の身体を使っている最側近──ミストが刺客の全てを、目的を遂げる前に発見、血祭りに上げていく。
それでも、バーンは何事もなかったように。
「余が、このような寛大さを見せるのはこの女──アティの献身によるものである」
見つめられたアティはほんのりと頬を染め、夫を真っすぐに見つめ返す。
その姿に、誰もが、夫婦の間に本物の愛情があることを確信した。
「余は、この度、我が后アティを『地上総督』に任命する事とした。これは王を含む、地上のあらゆる権力者の上に立つ役職である」
総督となったアティには、国王を含む各国主要メンバーの任命・罷免、税率の決定、軍の解散権、その他さまざまな権利が与えられる。
まともにその権利が行使されれば、王でさえも逆らえず──人々はあらゆる自由を奪われる。
逆に、アティが慈悲を見せれば生活は潤い、世界は平和を維持される。
戦争の動きを見せただけで王も司令官も処分され、各国の特産品が盛んに交易される、そんな状態さえ作り出せる。
大魔王はにやりと笑むと、いきなり后の唇を奪った。
一瞬驚きの表情を見せたものの、すぐに目を閉じ身を任せるアティ。
いや、単に委ねただけではなく、彼女もまた舌を伸ばして男を求めていたことがわかったのは、そのすぐあとである。
激しいキスを示す唾液の橋までも見て取れた者は、さすがにベンガーナ王を含む一部の者だけだったものの。
アティは口づけの余韻を残さぬまま、聖女とも魔女とも思える笑みを浮かべて。
「大魔王陛下の慈悲のもと、永き平和と安寧を」
宣言と共に、彼女の髪がほどけるようにして色を変えていく。
白から、赤へ。
バーンと似た色合いを持ち、人ならざる耳を備えていた王妃は、美しくはあるものの人であることには違いない、本来の姿を衆目に晒した。
その赤髪もまた、白いドレスともコントラストを強く印象付け。
──蒼い輝きが、さらに、その場にいる者たちの注意を惹く。
神秘的かつ美麗な長剣が、真っすぐに前へと向けられ、その刀身から鮮やかで力強い光が放たれる。
人々は、はっきりと理解した。
彼女、アティもまた、大魔王バーンと同じく、人の身で敵うことのない絶対的強者であり。
同時に、人類すべての代表としてあの場に立っているのだということを。
大魔王に直接的恨みを持たぬ今の人類にとって、人でありながらバーンの后となり、そして『人を超えた』アティはまさに理想。
──この日、割れんばかりの拍手と共に『総督』就任は歓迎され。
アティは総督としてその手腕を振るい始める。
不正を許さず、争いの種は武力を行使してでも止める苛烈さを持ちながらも、人々の暮らしを考えたその政策は結果でもって正しさを証明され。
彼女の元には次第に多くの才ある若者が集うようになる。
アティの元でめきめきとその才能を伸ばしていく彼らだったが──多くの者は気づいていなかった。
反乱が起こった際、その中心となる可能性のある者たちがあらかじめ集められていることに。
大魔王への忠誠とアティへの信頼を植え付けられた彼らが、魔王軍とは別軸の、大魔王妃直属の兵として訓練されていることに。
──そして『総督』宣言の日、多くの者たちは気づかなかったものの。
大魔王妃アティの腹は、確かに、新しい命を示す膨らみを見せていた。