・FF14漆黒のヴィランズネタバレあり/空想考察成分過多
・エメトセルク☓あの人♀とヒュトロダエウスの幼少期~終末に至るまで+α長編
・本話R-18展開あり
・某ぴくしぶ公開分(Augustwal名義)の再掲
昼下がりのアーモロートの街中を流れ始めたその合唱は、時には高く、時には低く、力強くも妙なる和音を響かせていった。
採集から紡ぎ、織り上げまで全て手作業で行われた生成り布の長布を纏った上に、何色もの草木の染料で染めた糸にて眼にも鮮やかな刺繍が施された短衣を羽織るというスタイルの民族衣装を身にまとったその合唱団は、明らかにこの街の市民ではない。
様々な鉱物から磨き抜かれた色とりどりのビーズや、魔物の牙を綴った装身具を首や手首に幾重にも巻いている所からも、それが伺い知れる。
強き心にて友と支え合い、深き想いから男女の絆を紡ぎ、大きな慈愛より家族を慈しむ、そうして過酷な地で生きる事の苦難と悲しみを、日々の喜びを持って乗り越える事を、彼ら独自の言語で綴った命の讃歌。
合唱団の頭上に、即席のスクリーンのように設置された幻影魔法が、この民族が暮らす空と大地がうつろいゆく映像を流し、華を添えるのだ。
最初は奇異な目でおそるおそる遠巻きにしていた市民たちであったが、感じ入った者達がひとり、また一人と足を向け、観客が増えていく。
気づけば、声と映像の届く範囲に居た者達はすべて合唱団の前に立ち並び、やがてクライマックスの技巧的唱和を経て歌が終わると、波のような拍手がいつまでもいつまでも惜しみなく歌い手達に捧げられるのであった。
数日後、予定していた公演を全て終えた合唱団は、今回の立役者と空港で別れの時を迎えていた。
「本当に、本当に素晴らしかったです!この度はお越しいただいて…それどころか、秘歌とされたあれを披露してくださるなんて!皆様に心から感謝いたします、族長様!」
「空の友 我らは施し受けぬ誇り高き民 受けた恩を返しただけ 礼は不要である」
「はい、ではわたくし個人からとして。本当に、ありがとうございました!」
鮮やかな衣装とは対象的に、アーモロート市民の象徴ともいえる無彩色の外套を纏う女は、感極まった興奮を抑えきれぬ勢いで、合唱団を率いていた老女に深々と頭を下げた。頭を下げるという行為は、種族の別なく感謝の念を伝えるものであるゆえに。
二人の会話はもちろん、言語体系解読の末に使用が可能となった自動翻訳機が使われている。
「それで…もう一つのお話の方は」
「空の友 それは出来ぬ話 我らは我らの地で生きる それも誇りゆえ他は無い」
「しかし…今年も備蓄量がずいぶん厳しいと伺っております。厳寒期の間、せめて赤子と母親だけでも避難を…」
老女はきっぱりと首を左右に振った。そして日に焼け、幾重にも深く皺の刻まれた顔を哀しげに歪ませる。
「あなたはこの地を愛すが 我らの地はあなたの身を蝕む そしてこの地は温かいが 我らの魂を凍らせる ここで育つは死ぬも同じ」
「族長様…わかりました。では、採れなくなったという薬草の手配だけ、どうかこれまで通りに」
「うむ… だがそれすら 施しと忌む者ある 許せ」
「いえ、こんな事しかできなくて…こちらこそお許しください。どうかこの冬も無事乗り切れることを、願っております」
悔しげに顔を曇らせる女を見た老女は、少しだけ口の端を緩めて微笑を浮かべ、最大の賛辞を告げた。
「空の友 あなたは氷溶かす陽の光のよう 我らとして そして我としてあなたに 永久の幸あらんことを」
そして彼女達は、局地仕様の飛空艇に誰一人として欠けること無く乗船し、環境厳しい北の地へと帰郷したのであった。
「はーーーーーあああぁぁぁ…終わった、やっと全部、終わった……」
「お疲れ様、よく頑張ったね。本当に…素晴らしい公演でした。実物を見られなかった同僚がとても悔しがっていましたよ」
待ち合わせと言えばここ、と定着したカフェのテーブルにずるずる突っ伏した「妹」の前に、ヒュトロダエウスは運んできたマグカップをことんと置いた。
五年程前に新たに発見された知的生命体…北の小大陸地下を生活圏としていた原住民の生態と言語体系の調査のため、まだ少女であった時分の彼女がこの街を後にしたのが、彼にはつい昨日の事のように思える。
戻ってからの彼女は、庇護されるばかりの立場から抜け出してその能力を誰かの為に活かせるよう、ようやく前を向いた生き方をし始めた。
もともと創造魔法で様々な物を創り出すのが上手ではあったので、アナイダアカデミアの各院を研修生として巡りつつ、新たな植物や生物の創造に携わるようになると、その非凡な才能はすぐに認められ、彼女の名は徐々に内外に知られるようになっていった。
その内、共に派遣されていた調査団の知人から、かつて交流を持った原住民達が気候の変動で様々な困難に直面し、人口を減らしていることを知ると、すでに始められていた慈善活動に積極的に参加し、物資供給便に潜り込んで何度も現地に飛んでは、施しを良しとせぬ彼らを口説き落として、ようやく異種文化交流の先駆けたる今回の公演にこぎつけたのである。
「でも…子供たちの疎開までは無理だった。せめて乳幼児だけでもなんとかしたかったんだけど…」
テーブルに突っ伏したまま、彼女は行儀悪く首から上だけぐりっと「兄」の方を向け、力なくそう呟いた。
「定期的に摂取しないと免疫系統が弱ってしまう薬草でしたか。ハルマルト院から今後も引き続き栽培してもらえるよう協力を取り付けられたんですから、目的は十分に達成したと言える筈。彼らには彼らの生き方があるし、そして君は出来る限りの事をしたんですよ。胸を張りなさい」
「…うん、ありがとうヒュトロ。いただきます」
上半身をずるずると引き起こすと、「妹」はようやくカップの中の温くてほのかに甘い飲料を口に含んで味わった。いつも優しくて、気恥ずかしくなるくらい甘やかしてくれる「兄」のようだ、と彼女は心の内で呟く。
「すまん、待たせた」
「いらっしゃいハーデス。こっちこそごめんなさい、先に始めちゃってて」
「私達も来たばかりだよ、気にせずに」
改めてそれぞれの注文を取り終えると、いつもの三人の穏やかな会合が始まった。
「彼らは無事に帰ったのだよな?ようやく肩の荷が降りたな」
「そうなのよぉ…、全員無事乗船するまで、もうずっーーと、気が気じゃなかった。それでなくてもはじめに空港に着陸した途端、降りるのを物凄く怖がる子が何人かいてね、よく逃げずに歌ってくれたと思う。ほんとに…」
「おやそれは初耳です。飛空艇に乗った時、ではなく?」
ヒュトロダエウスの素朴な問いに、彼女ははた、と失言に気づく。
「……言っちゃってもいいかしら。その子達、こんなに暖かいのに「魂が凍る」って急に怯えだしちゃったの。それなのに、帰りの便への同乗は何故か頑なに拒否されちゃったし。ああ、相互理解って本当に難しい…」
「また哲学的な命題だね。何をもって彼の者の判断基準となり得るのか、自分の見てるものと、相手の見てるものは、同じでいて実はまったく違うのか…という所か。帰りの付添を断ったのは、きっと彼らなりの気遣いだったのでしょう」
「うん…相手をいたわり、思いやり、共に尊びあう精神は、私達とまったく同じ認識である筈なんだけどね。そうでなければ、無理やり受け取らせた物資への恩返しというだけで、あの歌はきっと歌ってくれなかったもの…」
まだ少女期を抜けきらない時分に訪れた北の地で、住み慣れた故郷を追われても厳寒の中で逞しく生き抜く一族の事を、彼女は思い返していた。
飛空艇に乗って降りてきた自分たちを、彼らは「空のヒト」と呼んで当初は大変恐れており、最初の数カ月は攻撃されかねない程に警戒されていたものだった。
そのうち、環境エーテルの乱れによって凶暴化した魔物の一群が集落を襲うという事件が起きたのだが、守備隊が必死に彼らを守ったことから関係は徐々に改善してゆき、やがて彼女の能力による意思の疎通が計られるようになって、調査を完遂することが出来たのである。
あの時の努力の成果が刻まれた翻訳機を耳穴にはめたままだった事に気づいた彼女は、それを外すと専用のケースに丁寧にしまい込んだ。
集落を救った事への最大の感謝の証として、彼らが調査隊の前で歌ってくれた唱和の響きが、初めての感動に打ち震えた余韻と共に、耳の奥に確かに残っている。
「ふむ。しかし…楽才無い俺だがあれは素直に響いた。記録媒体で再生しても何かが違うように思うし、ヒトの肉声というのはこうも違うものなのか。次の機会が無いのが残念だ」
彼女が思っている以上に、公演はこの街の人々に多大な感動と関心を広げていた。
野外の円形会場を借りて行われた最終日の公演に至っては、招かれていた名士達のみならず、会場に入れず外で耳を澄ましていた観客からも惜しみない拍手が届けられたのだ。収録された記録媒体は、その後からあっという間に街のあちこちに出回る事となる。
「まあまあまあ…。エメトセルク様にまでそのようにお褒めいただくなんてー、わたくし大変光栄ですわー」
「…内輪でその呼び方止めろ。体が痒くなる」
「ふふ、ごめん。でも元気が出たわ。ありがとう、ハーデス」
「はいはい君たち、惚気は私の居ない所でお願いします」
恋人同士のじゃれ合いを、ヒュトロダエウスは生暖かい視線と声音でそう評した。
友であり、今や義弟でもある男は、半年前にとうとうエメトセルクの『座』を継承した。
あらゆる分野に精通した知識は元より、現在のこの街の行政サービスや公的扶助について積極的な改善案を打ち出しては、可能不可能を洗い出して落とし所を見つけ、実現していく姿に、市民たちのみならず、実は便宜的に据えられていた当代がハーデスに目をつけて手放しで褒め殺した挙げ句、もっともらしい理由をつけてその座を禅譲…もとい、平たく言えば押し付けたのである。
禅譲自体に問題はなく、周囲からの称賛をもってつつがなく継承を済ませたのだが、なまじ行政官として有能すぎたハーデス…当代のエメトセルクとなった男は、現在まで行政府が手をこまねいていた案件を残務として全て引き継ぐ羽目に陥ってしまっていた。
今日の時点ですでに3日も帰宅していない。
翻ってヒュトロダエウスだが、彼は相変わらず司法府の一職員として淡々と職務をこなすに留まっている。表向きは。
あれからずっと元ラハブレア院長の手足となって「妹」を監視し、逐一の報告を余儀なくされていたものの、想定した結果を出さない彼女の能力の不安定さに徐々に焦れ始めた老人は、政治工作という別方面へ意識を向け始めたのである。
無論そうするよう仕向けたのはヒュトロダエウスであったが、『超える力』とやらの影響がそもそも未知数であるがゆえに、疑いの目を向けられることは無かった。
それどころか、合間に司法府の巨大書庫に収められている、とある記録を丹念に調べ上げ、ようやく反撃の糸口をも掴んでいたのである。
抑圧され続けていた彼の怒りは、確実に老人の喉元に刃を突き立てるべく、密やかにその深度を増していた。
「あら?」
一息入れ終わって久々の平穏な空気を満喫していた所、彼女の小型通信機がわずかに呼出音を奏でしつつ、無情にも静かに震えだした。
「何かしら、もう…。ごめんなさい、ちょっと出るわね」
渋々席を立った彼女は、少し離れた所で相手と通話を始めた。内容からして、どうやらアカデミアの同僚と思われる。
なかなか終わりそうにない会話を耳に流しながら、ハーデスはふと友人に問いかけた。
「そういえばヒュトロダエウス、お前最近家に来てるのか?」
「…呼ばれたら行きますよ勿論。呼ばれなくても、機会があれば外で楽しく兄妹の団欒をさせていただいてますが」
胸の内に一片の動揺も起こさず、ヒュトロダエウスはにこやかに言葉を返した。
「ああ、一度うっかり君の言葉を聞き流してしまった時でしたか。物凄く、心の底から、大変に後悔する光景に遭遇はしましたがね?」
「…………貴様…ッ」
「顔が怖すぎですよハーデス。余計な詮索をされたくないなら、今度から出張(抱き潰し)の予定を正確に報せてください。でないと今度は添い寝することになるかもしれませんよ」
「二・度・と・来・る・な」
「異議は却下いたします。エメトセルク様?」
にやりと笑って、年上の青年は友人を慇懃無礼に言い負かした。その顔と心に被った、透明な仮面をそよとも乱さぬまま。
憮然として黙るしか無いハーデスであったが、そのうち、通話中の恋人の口調が何やら焦りを含んだものになりつつあることに気づいた。
「は?あの子をですか??…構いませんが、何を食べるか先方はご存知なんですよね?…ええ、ええ…それ、理解してるとは思えませんが。え?創った本人の説明じゃないと納得してくれない?と、言われましても…それくらい何とかして…え、ちょっとお待ち下さい。…ちょっと、もしもし??あ……」
意に染まぬ通話の打ち切りを迎えた彼女は、しばし呆然とした後、がっくりと肩を落として二人の所に戻ってきた。
「どうした?あまり実りのある会話ではなかったようだが」
「…この前、ミトロン院と共同で創った動物をどうしてもほしいって言う人が現れたらしくて…。対応してくれた人が、色々説明したんだけど全然分かってもらえないから、主担当であるわたしにすぐ来て説得してほしい、と」
「んん?共同っていうと、あの茶色い毛皮の温血動物だったかな?確かに可愛らしいし、欲しがる人が現れても無理はないと思うけれど。問題でも?」
大人の腕の長さほどの細長い体、泳ぎに適した太い尻尾と、指の間に水掻きを持つ、つぶらな瞳の四足歩行獣の姿を思い出し、「兄」は他意無くそう問うた。
「あの子、"水辺における新たな生態系の構築"というテーマで創られたの。端的に言うと、肉食なのよ…。池になんて離したら他のお魚全部食べられちゃうわ。そこを分かって求めてるとは思えない」
「肉食…あんなに可愛いのに肉食?そ、そうなのか…それはまた。うん、きちんと説明するべきだと思うね。その方の後々の精神衛生の為にも」
「…あの院の連中はどうしていつも食物連鎖にこだわるんだ?念の為、今度飼育槽の強度検査を提案するか……」
キュウキュウと人の心をくすぐる愛らしい声で鳴くその動物が、生きたままの小魚をバリバリ咀嚼する姿をとっさに想像したヒュトロダエウスは、口の端をひきつらせて提案した。静止画映像を見たことがあるハーデスも同様だったらしく、生暖かい視線を向けてため息をつく。
「ああもういやだいやだこんな時に。せっかく久しぶりに三人揃ってくつろいでたのに酷すぎるわ…聞かなかった事にしようかしら」
「こら、一市民としてそういう不実な事をするんじゃありません」
「まったくだ。早く行って、そいつの目の前で実際に生き餌を食わせて諦めさせろ。今日は家に帰れるから、先に何か用意しておいてやる」
「うう…わかったわ。ごめんね二人共、じゃあお先に」
何度も振り返りながら泣く泣くその場を後にする彼女を見送った後、ハーデスとヒュトロダエウスは当たり障りのない近況報告を交わしつつ、すっかり温くなったカップを傾けた。
「ふう。今日は久々に、誰かとまともな会話をした気がします。市民の義務は果たすべきですが、忙しいのも考えものですね」
「よく言う。なあヒュトロダエウス、お前本当に、もう少し先に進む気はないのか?」
「…というと?」
「言わせるな。俺と同じ位置まで来る気は無いのか、ということだ」
「買い被りです、私は君ほど勤勉ではありません。今の仕事を何とかこなしつつ、時にこうして心穏やかな時間が持てれば、それで満足なんですよ」
表情の動きを読み取るかのように、ハーデスの薄い金色の双眸が、ヒュトロダエウスの茶色の瞳をじっと見つめた。
感情を読み取る能力のない彼に、残念ながら友たる男の真意を推し量ることは敵わない。
「…ラハブレアの先代との付き合いがまだあるのだろ?ここ最近の司法府は、いずれ魔導守備隊への供給を想定した、彼の研究を基とする様々な魔具の開発と、使用許可を得るための根回しにに余念がないと聞くが」
「耳が早いですね。というより、もう君の所まで届いていましたか」
「ああ、ついでに言うと、お前が見どころのありそうな司法府の職員を守備隊に送り込んで、戦闘訓練を詰ませていることも、な。ひょっとして、例の大陸の異常と何か関係があるのか?」
「困りましたね、そこまで知られていましたか。私にも一応、守秘義務があるのだけれど…」
「ヒュトロダエウス」
焦れたように答えを求める友に、ヒュトロダエウスはすっと表情を硬くし、声音を潜めた。
「今日はもうお開きにしましょう、エメトセルク様。詰問なさるなら正式に書面で願います。今の貴方なら可能なはずですしね。むしろ、そうすべきかも知れません」
「…危険なことに首を突っ込んではいないな?それだけでも教えてくれ。あいつも心配しているんだ。最近のお前は…何だか危ういと」
「何を危険とするかは…しょせん、認識の相違です。貴方には危険でも、私にはそうではないかもしれないし、あるいは逆もあり得る」
「はぐらかすんじゃない」
「ハーデス」
ヒュトロダエウスはこれ以上の追求をぴしゃりと遮った。
「お互い、やらねばならぬことが増える歳と…立場になった。ただそれだけの事です。では、失礼しますよ」
答えを聞くどころか、真意まで知りそびれたまま友人に立ち去られたハーデスは、苦々しい表情でやがてぼそりと呟く。
「お前はいつから、そんな距離を置いた話し方をするようになったんだ…?」
薄暮時のアーモロートの街で、彼の問いを聞くものは誰も居なかった。
「ただいま帰りましたーーーぁ……」
疲れ切った声でドアをくぐった彼女が、部屋着に着替えていた恋人の姿を認めると、ふらふらと歩み寄ってはひしっと抱きついた。
「だいぶ絞られたようだな。大丈夫か?」
「あなた成分が足りない……補充させて………」
自分の胸元に額をぐりぐり押し付けて、すはすはと呼吸する彼女を、生暖かい目で見つめていたハーデスだが、やり遂げた仕事の事を思うと無碍にすることも出来ず、少しばかり笑って抱きしめ返すに留めてやる。
「食事は?」
「……食べる、すっごくお腹すいた」
疲れてくると行動も口調もだんだん幼くなる様子が、また愛おしい。本当に幼かった時よりも、もっと。
半分うつらうつらしながらどうにか食事を終え、無理やり押し込まれた浴室でシャワーを済ませた彼女は、もそもそと夜着に着替え終えるなり寝台に倒れ伏した。
だが、今にも眠りに引きずられる寸前の恋人の姿を前にしたハーデスは、愛おしむ心の裏側に残酷なまでの身勝手さを押し隠しつつ、ゆっくりと容赦なくその体にのしかかる。
「え、ちょっと。わたし今日はすごく疲れて…」
流石に予想していなかった彼女はただ驚き、困った顔で彼を見上げる。
「明日からしばらく休みだったな?」
「そうだけど…どうしてもだめ?…したいの?」
「俺は次またいつ帰れるかわからないんだ。…1回でいい、俺にも補充とやらをさせてくれ」
「……大変ね、「エメトセルクサマ」をするのも」
彼女がしみじみと述懐するので、ハーデスもつい苦笑を浮かべる。
「まったくだ。…でもお前の為と思えば、何だってやってやる」
「もう、いつもそうやって断れなくするんだから…んむ…っ」
能力など使わなくとも、彼の言葉がいつも真実であることを理解している彼女は、少しばかり呆れつつも結局はハーデスを受け入れた。
許しを得た途端、彼の行動は性急なものへと変わっていく。いつものように何度も唇を貪り、服をたくし上げては上気していく肌に存分に触れ、撫で回し、的確に互いを高めていくのだ。
「ふぁ…、ああ、ハーデ、ハーデス…ぅ…んっ…はあっ…あっ、あん…っ」
愛撫に絆されて徐々に気持ちを押し上げられる彼女も、求められるまま熱に浮かされた声を漏らし、切なそうに体を擦り付けてくる。
「本当、に…いつも腰にくる声をたてるな、お前は。思ったより元気、なんじゃないの、か…?」
体を重ねることに酷く怯えていた当初を思い返すたび、素直に自分を求めるようになった今の姿は、例えようもなく男を高揚させた。
互いに服を脱ぎ捨て、溶け合えとばかりに体を密着させると、どうしようもなく先へ先へと進みたくなって、たまらなくなる。
念の為と、彼女の内側に潜り込ませた指先は、杞憂をあざ笑うくらいにそこが潤っていることを、彼に伝えてきた。
「っ…!あなたが…っ、出させてるんじゃないのっ……!んん…っ」
「は、違いない…。我慢は、よろしくないし、な……お互いに」
本人の抑止の及ばぬまま溢れた先走りで、僅かに湿った己の高ぶりを、彼女の秘所に数回軽く擦り付ける。
「あ…、はぅん…っ!」「っうぐ…。は……っ……!」
何度迎えても飽きない瞬間を迎えて、二人が同時にくぐもった声を上げた。
彼女の温かな中に、彼の熱いそれが、在る。その生々しい感触は、いつだって焦がれて止む事がない。
少し腰が引かれたかと思うと、ぐうっと押し付けられ、その度に息苦しくも震えんばかりの悦楽の波が押し寄せてくる。
「は…っ、はあ…ッッ!いつも…、ほんと、に…お前は…ッ。ふっ、あ……っ。いいのか…、ここ……ッ…!」
「あふ…、んっ…んっ…んあぅ…っ、うん…っ、うんっ…!」
縋り付く場所を探して彷徨う小さな手を片方、ハーデスはしっかりと握ってやった。きゅうっと握り返されるのが、また心を震わせる。
揺さぶられて、心地よい所を探し当てられると的確に擦られて続けて。体力に余裕の無い彼女は、それを受けて早々に降参してしまう。
「わたし…ああ……っ、も、ダメ……んぁ……ダメ、だから……っ!あう、あああ……ッッッ!!」
ひゅっ、と息を呑んで、彼女は達してしまった。
はっはっと浅く肩で息をしつつどうにか意識を引き戻すと、自分が女であることを教えてくれた男を、艶熱と涙の残る瞳で見つめる。
「すきよ…。わたしだって…あなたのこと、ほんとにすきなんだから…」
「ああ…知ってるとも」
ハーデスは彼女をぎゅっと抱きしめた。行為の後にそうされるのを、一番好きだと知っているから。
いくばくか経った後、自分の中で未だに存在を主張する男が、ややあってまた圧を増してきたことに気づいた彼女は、ひくっと息を飲んだ。
「…1回って、言わなかった?」
「俺はまだだ」
「詭弁って言うのよ、それ…っ、…ひゃうっ!?」
膝裏に手をいれられて片足を持ち上げられ、息を呑むほどに足を割り開かされたと思うと、先程とは比べ物にならない勢いでハーデスが体を叩きつけてくる。
「く、すまん…。もう、少し…っ、だけ……っ、があッ……ッッ!」
「待って…ッ!あっ、ああっ!!だめ、あっ…!だめだったら…っ!!」
悲鳴に近い喘ぎを喉から絞り出しながら、彼女は逃れられない激しさに、ただ振り回される。
「だ、め…っ……!ふうっ……ん、んーーー、んんーーーーッ……ッ!!!」
とうとう意味を成す言葉すら出なくなると、愛しい男の体に必死にすがりつき、その肩に、背にぎりぎりと爪を立てながら、再び達してしまうのだった。
「むり、も、無理、だから…、ぜったい……むう………」
「ああ、悪かった。ゆっくり休んでくれ」
半べそをかきながらぐすぐすと鼻を鳴らす彼女。その体の上に崩折れるようにして息を整えていたハーデスは、ばつの悪い表情をして体を起こすと、己の暴走を謝罪するかのように手を伸ばし、愛しい女の頬を、額を、髪を何度も撫でていく。
自分の頭を優しくなでてくる彼の手を感じた彼女は、ややあってようやく表情を緩め、ゆるりと体の緊張をほどいていった。
「……おやすみ。また明日、な…」
「んー…、おやすみ……なさ……」
今度こそ限界まで体力を削られた彼女は、呼吸が落ち着くのに引っ張られるようにして、すうっと意識を飛ばしていった。
欲情にまみれていたはずの恋人の瞳が、自分が深い眠りに落ちるのを確認すると、徐々に冷静さを取り戻したことなど知る由もなく。
ハーデスはそっと寝台から抜け出すと、サイドテーブルの隠し棚から無機質な材質で出来たひとつの小箱を取り出した。
箱の中に滅菌状態で詰められていた小さな器具類、袋を破きつつそれらをシーツの上に並べると、苦悩で顔を歪ませながらも、起こさぬよう慎重に彼女ににじり寄る。
器具の先が彼女の体に触れ、小さく身動ぎされる度、心に言いようのない激痛を覚えながらも彼は止めようとはしなかったのだが。
「勝手なことばかりしてすまん。でも俺は、諦めきれない……」
入手した検体を全て小箱にしまい込んだハーデスは、彼女の手を取って己の頬に当てると、裏切り行為と罵られてもまだ足りぬほどの己の愚行をただ懺悔するしかなかった。