青いザ・ビートル・カブリオレは、快晴の中央道を西に向かって飛ばしている。
薫の事で、気持ちの整理はまだ出来ていなかったが、そういう時こそ何かしていないと心が押しつぶされてしまう。
崇継の超霊感を受けて、翔はすぐさま崇継と紗織を連れて<服部茶房>を飛び出し、立川に向かった。
崇継のお爺さんは末期がんを患い、立川にある南光院記念病院の終末ケアセンターに入院しているのだ。
咲山が『
崇継と紗織もその事は覚悟しているようだ。
知佐が以前、二人とも
(辛いだろうな。)
だが、残される者は、見送る責任を放棄する事は出来ない。
幼いながらもその事を分かっているのだろう、二人とも小さい手を組んで握りしめている。
それとは別にもう一つ問題があった。
南光院記念病院は、
もちろん医者やナースが戦闘員である可能性は低いが、影の今上天皇陛下の容体は逐一報告されているだろうし、そこに崇継たちが見舞いに来たとなればすぐに連絡が行くだろう。
今となっては、南光院が崇継や紗織にそれほど関心を持ってない事は分かっていたが、それでも何時間も病室に長居はできない。
翔は病院の駐車場に車を回すと、崇継と紗織は案内するように先を急ぐ。
きっと何回も見舞いに来た事があるのだろう、エントランスを抜け、エレベーターに乗り込むと、7階の緩和ケアフロアのボタンを押す。
電気仕掛けの鉄のカゴが、7階に着いて翔たちを吐き出すと、紗織が先頭に立ち東端の701病室に向かう。
軽くノックして病室に入ると、一人の老人が柔和な目に虚ろな光を灯して、少し苦しそうにこちらを見ている。
鼻には酸素チューブが差し込まれ、点滴のチューブが太ももの付け根に繋がっているその姿は、終末を予感させるに十分だったが、その周りを覆う高貴なオーラに、翔は思わず身を正した。
老人は崇継と紗織を見ると、笑顔で手招きし、耳を近づけないと聞き取れない位のか細い声で問いかけた。
「どこの坊ちゃんとお嬢ちゃんかな?」
認知症なのかせん妄なのか分からないが、彼はおそらくもう崇継や紗織が知っている彼ではない。
自分が大好きだった人が、姿かたちは同じまま別の人になってしまったような、悲しいとも寂しいとも違う感覚を抑えながら、崇継と紗織は老人に話を合わせている。
(強い子たちだ。)
生命に対する根源的な敬意というものを生まれながらに持っているのだろう。
紗織などは泣きそうになるのを堪えて必死で笑顔を作っている。
「おじいちゃんはもう寝る時間だよ。」
そう言うと影の今上天皇は眠ってしまった。
三人はそっと病室を離れると、家族控室に場所を移した。
自動販売機でオレンジジュースとコーラを買うと紗織と崇継に手渡す。
「何か話せたか?」
「いえ、特には、…でも。」
「でも?」
「痩せてました…。」
もう嚥下機能も弱っているのだろう、水すらも口にしていないのかもしれない。
その事は病室に充満していた匂いからも想像できる。
末期がん患者は、痛みや苦しさには波があるので、それが酷くなると、鎮静剤で眠りに入る。
しばらく眠った後、また起きて、痛みや苦しさが出てくると、また鎮静剤で眠るというサイクルを繰り返す。
これが短くなってくると、段々夢と現実の区別が付かなくなり、起きていながら夢の続きを見ているような状態、いわゆるせん妄と呼ばれる状態だ。
そして、更に症状が進行すると、痛みや苦しみは限界を超え、起きた瞬間から苦しさを抱えるようになる。
その時に本人と周囲の人間は決断を下すことになる、永遠の眠りに着く決断を。
三人は一時間ほど控室で時間を潰して、再び病室に戻る。
「タカ、紗織ちゃん、残念だけど、あまりここには長居できないんだ。」
「はい、分かってます。」
「もしかしたら、つらい決断をして帰らなきゃいけないかもしれない。」
崇継は一瞬立ち止まったが、またすぐに歩き出した。
「はい、それも分かってます。」
ノックして病室に入ると、老人は電動ベッドの上半身を少し起こしてこちらを見ていた。
その目は先ほどと変わらず柔和だったが、力強い光が灯っている。
「崇継、紗織。」
弱々しい声で二人を呼ぶ。
二人はベッドに駆け寄り、老人の手を擦っている。
「お父さんは…どうした?」
息をするのも苦しいのだろう、途切れがちな言葉であったが、厳しい質問に沈黙が流れる。
「死ん…だのか?」
「はい。」
「…典明か?」
「はい。」
老人は二人の孫に慈愛の目を向ける。
「お前たちには…つらい目に…あわせてしまった。」
紗織が目に涙をためて首を横に振る。
「そこの…青年。」
老人は翔を呼び寄せる。
「よくぞ…二人を…守って…くれた。」
翔は、気恥ずかしくて立っているのがやっとだった。
守るどころか危ない目に合わせてばかりで、紗織などはまんまと攫われて、やっと救出したばかりだ。
それに…
「いえ、(降天菊花)は守れませんでした。」
翔が絞り出すように答えた。
「ごめんなさい、お爺さん、
崇継が悔しそうに謝る。
「なぜ…悔しがる?」
「え?」
「
「でも、あれは!」
「過ぎたる…力は…人を不幸…にする。」
「だからこそ、それを間違った使い方をさせないように!」
「取り戻し…たいのか?」
老人の問いに崇継は黙り込んだ。
「強大な…力だ…自らの身を…焼くかも…しらん。」
崇継はこれまでの事を想い起こす。
(降天菊花)を見つけるためだけでも、沢山の争いが起き、父は死に、知佐は死にかけ、敵も沢山死んだ。
何のためにだ?
人が死ぬ理由が間違ったものの為であってはならない!
崇継は老人の目を強く見据えると、力強く言った。
「はい、それが南朝の宿命ですから。」
老人は震える右手を弱々しく上げると崇継の頭を撫でる。
「強い…子に…育ってくれた。」
満足そうな笑みを浮かべると、紗織の頭に手を置く。
「兄を…助けて…くれるか?」
「はい、お爺さん。」
紗織が涙を堪えて精いっぱいの笑顔で頷く。
「優しい…子だ。」
老人は紗織の頭から手を離すと、自分の胸の前で祈るように手を組合せた。
その手の上に崇継と紗織が手を重ねる。
「
「太宰府…。」
「心せよ…そう簡単には…見つからん。」
そう言うと苦悶の表情を浮かべる。
「お爺さん?」
老人は崇継の手を握ると、懇願するように続けた。
「頼む…崇継…
崇継と紗織が振り返って翔を見る。
翔は無言で頷くと、二人の肩に手を置いた。
崇継はナースコールを押して、担当のナースを呼ぶと静かに告げた。
「眠らせてあげて下さい。」
「よろしいんですね?」
担当のナースが念を押すように確認する。
「はい。」
「では、準備してきます。」
崇継と紗織は、点滴の途中に睡眠薬のポンプが取り付けられるのを自分の体で隠すようにしたまま、老人が眠るまで笑顔で手を擦っている。
「お休み、お爺さん。」
老人は安らかな表情で眠りについた。
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「よく頑張ったな、もういいんだぞ。」
ナースたちが出て行った病室で、尚も手を擦り続けている二人の頭をそっと撫でる。
二人は惜別の嗚咽を漏らして泣き出した。
(本当に強い子たちだ。)
老人の最後の記憶に、笑顔を残した二人を誇りさえに感じる。
しばらく二人は泣いていたが、やがて、崇継が立ち上がり、すっきりとした表情で翔を見据えた。
「行きましょう、太宰府へ。」
紗織も立ち上がると強い決意の眼差しを翔に向ける。
「私も行く!」
翔は二人の肩に手を置くととびきりの笑顔で答えた。
「あぁ、行こう、太宰府は俺の庭だ。」
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その三日後。
平成31年4月23日 午後8時17分
この日、影の今上天皇陛下は、南光院記念病院にてご崩御あらせられ、同時にその御孫・崇継殿下が影の天皇にご即位なされた。
もちろん、それは表の歴史には残らない。