※この作品はR-18です。

トキヨジセツ~第二部・偉人達と恋の誘惑~   作:氷ユリ

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11 病の影

 

 夕方、私の書斎にナポレオンが現れた。

 

「伯爵、いるか?」

「ナポレオン。どうしたんだい?」 

 どこか不安そうな様子のナポレオンを安心させるべく、笑顔で招き入れる。

 

「ユイとどこかに出かけていたんだってね。セバスチャンから聞いたよ」

「ああ。先日父親を切り裂きジャックに殺された、子供の所にな」

「そうか……。その子は大丈夫なのか」

「ユイの心に沁みる言葉が功を奏して、すっかり吹っ切れたみたいだ」

「ユイの言葉って?」

 

 ナポレオンは何かを思い返しているのか、一点を見つめてしばし動きを止めた後に言った。

「不思議なヤツだな、ユイって女は!伯爵もそう思ってんだろ?」

 

 彼女の言葉がどんなものだったのか気になるが、きっと女性らしからぬ叱咤激励でも飛び出したんだろうね。

「ふふ……そうだね。この私でさえ、振り回されている状況だよ」

 苦笑しながら答える私を、ナポレオンが不思議そうに見ている事に気づく。

 おっと。余計な事を言ってしまったな。

「……いや、こちらの話だ。それで、何か話したい事があるんだろう?」

 

 しばし目を瞬いていたナポレオンだが、本題を思い出してくれたようだ。

 

「左胸を気にしてたのが気になってな。痛みはないらしいが、違和感があるんだとか」

「それは心臓だね。彼女の心拍は少々乱れがちなので、私も気になっていたんだ」

「そうなのか?!」

 おいおい、驚きすぎだろう?全く気づいていなかったのかい?

 

 私は深いため息をついてから、小さく頷いた。やっぱり私の予感は的中か。

「一度、きちんとした検査を受けさせよう」

「ああ。そうしてやってくれ」

「その後、彼女は左腕は痛がっているか?」こっちの件も気になるところだ。

「いや。俺の知るところでは、ないな」

「そうか」

 

 リングを外した事と関係があるのだろうか?どうやら同じ事を考えたようだね。

 ナポレオンが難しい顔で再び動きを止めている。

 

「時に。君の方は大丈夫なのかな?」

「俺か?何でそんな事聞く」

 そんなに面倒そうな顔をしないでくれ。私は君の事だって心配しているんだよ?

 私は淡々と言葉を繋げる。「ここのところ、食事の量が減っているそうだね」

 

「セバスのヤツ、余計な事しゃべりやがって!」

「本当なんだね」

「っつ~か、アイツ!ユイが大食らいだから、そう見えるだけじゃねぇの?」

 細いクセに良く食うんだ!と続ける姿は、都合の悪い真実を隠そうとしているようにしか見えない。

 私は静かにナポレオンを見つめる。

 

「……ユイとの食事は気に入ってる。食事が楽しいと思った事など、今までなかったんだがな」

「いい事だよ」それだけ言って、再び彼を観察し続ける。

「私に隠し事をしてもムダだよ。ナポレオン」

 

 ナポレオンは黙り込んだまま口を開こうとしない。

 

「その様子じゃ、変化が、現れ始めたんだね」

「なあ……どうにかして、これを止める事はできないのか?」

「できる事ならば、協力してあげたいんだが。手立てはなさそうだよ」

 

 以前にも話したが、ナポレオンはヴァンパイアと人間の狭間にいる、言わばハーフ。転生の段階で、どういう訳かそうなったと思われる。

 その彼の体に残っている人間の部分が、徐々に失われてきているのだ。時期に完全なヴァンパイアとなるだろう。

 

「俺の人間の部分がなくなったら、どうなる?」

「今よりも強靭な肉体になる。食物を口にする必要はなくなり、睡眠も必要ない。特に悪い事はないと思うんだがね」

「体温が、なくなるんだろ?あんた等みてぇに冷たくなる。そうなれば、アイツに容易に触れられなくなるじゃないか!」

 

 気にしていたのがユイに関する事と知り、戸惑いを隠せない。

「逆にそれが、いい刺激になるかもしれないよ。彼女の記憶を取り戻すのにね」

「それがいい事とは限らないだろ!……もういい、とにかくユイの検査、頼んだぞ」

 ボソリとこう呟くと、ナポレオンは部屋を出て行った。

 

 やれやれ。彼はどうやら、ユイに記憶を戻してほしくはないようだ。予想通り、彼女に熱を上げているようだね……。

 護衛を任せたのは誤算だったかもしれない。

 

 

・・・

 

 

 お夕飯の後、サンジェルマンさんに呼ばれて伯爵の部屋を訪れている。

 

「大袈裟ですってば。こんなに食欲もあるし至って元気ですよ?そう見えませんか」

 精密検査を受けろと言われて、必死に抵抗している最中だ。

「見た目では分からない事が、世の中にはたくさんあるんだよ」

「もし病気だったら、屋根に登って雨どいの掃除なんて、できないと思いますけど?」

「ん?……何だって?」

 

 ああしまった!また墓穴を掘った……。節目がちにサンジェルマンさんを見て、どう言い訳しようか考える。

 いつもなら笑って聞き流してくれるのに、今日は違った。

 

「ユイ。何度も言うようだが、危ない事はしないでほしい。君は、未来からの大切な預かりものなんだ。何かあると困るんだよ」

「預かりものって……誰かに頼まれたの?勝手にそう思われているだけでしょう?」

 だって私は、勝手にここへ来たんだから。

 

「どういう経緯で来たのであれ、君が誰かのものである事に違いはない。私には責任があるんだ」

「私は誰のものでもありません!」つい声を荒げてしまった。

 それって、あの指輪をくれた人って事でしょうけど。誰かも分からないっていうのに?

 異様に頭に血が上って、まるで顔から熱が噴き出しそうだ。

 

「ああユイ……怒らないでくれ。申し訳ない、気分を害するような言い方をしてしまったみたいだ。済まなかった、許してほしい」

 サンジェルマンさんは心から謝罪してくれて、とても悲しそうな目をした。

 こんな打ちひしがれた色男を前に、強硬姿勢を取れる女がいる?

 当然熱は一気に冷めて、戦闘意欲は呆気なく消失。むしろこんなに怒り狂う必要、あった?

 

 自分の気性の荒さに、久しぶりにうんざりした。

 

「もう……いいです、分かりました。検査に行きます。それでサンジェルマンさんの気が休まるのでしたら」

「ありがとう、ユイ」一転してその表情は神々しい微笑に変わった。

 さっきまでの怒りはどこへやらで、すっかり見惚れてしまう。変わり身が早すぎない?

「私が付き添うからね。心配しなくていいよ」

 サンジェルマンさんが私の肩に手を置いた。

「……あぁ、はい。んん……っ!」触れられた途端、自分の口から変な喘ぎ声が漏れた。

 

 あの部分が疼いて仕方がない。ヤダ、私ったらこの人に抱かれたいとか思ってる?!何でよ!

 

 下半身に力が入らなくなって、その場にくず折れそうになったところを支えられる。

「大丈夫かい?疲れているようだね。部屋まで送ろう、連れて行ってあげるよ」

「……もっと、一緒にいたい。あなたと……」

 こんな懇願にサンジェルマンさんは何も言ってくれない。

 

 私は一体、何を言ってるんだろう?心と体が相反する事をしている。それが分かっているのに止められず、私は彼に強く抱きついた。ひんやりと冷たい、その体に。

 

「どうしたの?またお酒でも飲んだのかな」

 お酒なんて飲んでない。そう答えようとしたけれど、今思い出しかけている大事な事を中断したくなくて黙り込む。

 このひんやりした感触。ムスクのような良い香り。そして何よりこの安心感……。

 私は前にも、こんな状況を何度も経験していたような気がする。

 

「ユイ?大丈夫かい?」

 

 しばらく様子を見てくれていたサンジェルマンさんだけど、私が動くつもりがないのを見て取ったのか、軽々と横抱きにされた。

 抵抗なんてできない。されるがままとなり、密着できた事にこの上ない喜びを感じる。

 

「本当に困った子だね、君は……」

「子供扱い、しないで……。私はもう大人よ?」彼の首に腕を回してさらに密着する。

「そうだね。これはまた失敬した」

 こんな言い合いもまた、どこか懐かしく感じる。

 

「ううっ……!」

 次の瞬間、サンジェルマンさんの腕の中で呻き声を上げる。強烈な何かを思い出しかけて、強い頭痛を感じたからだ。

「ユイ?どうした、どこか痛むのかい?」

 

 サンジェルマンさんは急いで私の部屋に向かってくれたようで、気づくといつの間にかベッドに寝かされていた。

 離れて行こうとする彼の腕を、とっさに掴む。

「……イヤっ!もう少し一緒にいたい」

「ユイ。もう休んだ方がいい。私はここにいない方がいいと思う」

「どうして?お願い、あと少しでいいから!何か思い出せそうなの……。あなたのその感触の全てが、なぜか懐かしくて……その理由、を」

 

 彼は何も言わずそっと私の手を解くと、シーツの中に入れた。

「明日、病院に行こうね。それじゃ、お休み」

「ああ……!待っ、て……」

 

 その夜は、頭痛といつまでも消えない疼きのせいでなかなか寝付けなかった。

 こんな事は、今まで一度だってなかった。

 

 

・・・

 

 

 私が触れた時のユイの反応を思い返す。

 

 あれは間違いなく求められていた。安易にあの行為は不味かったな……。夜会の日の終盤に自分が取った行動には、今も後悔しきりだ。

 彼女の体が本人の意思とは裏腹に、私に反応してしまうのは仕方のない事だ。何せ例の行為の(吸血も然り)快楽といったら、人間の性行為の何倍もの恍惚を伴うのだから。

 念のため断っておくが、私が彼女に入れたのは指と舌だけだよ?

 

「済まないね、ユイ。私はもう君を手に掛ける気はない。あれは間違いだったんだ」

 

 

 翌朝を迎え程なくして、サヴリー医師が邸にやって来た。

 

「今日はよろしく頼むよ」

「お任せください。私の病院は検査機器が揃っております。詳細にお調べします」

 

 サヴリーを客間に待たせ、ユイの部屋に向かう。

 彼女の部屋にはナポレオンがいた。

 

「ユイ。準備はできているかな?そろそろ行くよ」

「サンジェルマンさん、あの、お願いがあるんですけど……」

「何だい?」

「付き添い、ナポレオンにお願いしたいの」

「…………。どうしてかな?」

 

 おやおや。何を言い出すかと思えば。なぜ私でなくナポレオンなんだ?少々ムッとしたが、ここは大人の余裕で応対しなければ。

 

「伯爵は忙しいだろ。俺なら別にする事もねえし。それにだ。護衛の俺が行かずにどうする?」

 ナポレオンの横でユイが大きく頷いている。

 

 そう来たか……。まあ、却下する理由もないし、また彼女を疼かせても悪いから、今回のお役目は譲るとしよう。

「そうだね。それじゃ任せるよ。よろしく頼むよ、ナポレオン」

 余裕の笑みで部屋を後にすると、中からユイの安堵のため息が聞こえてきた。

 ……何とも複雑な気分だ。

 

 

・・・

 

 

 要望が叶って良かった。私はナポレオンに手を引かれて馬車に乗り込む。

 

「だけど、何で伯爵の付き添い断ったんだ?」

「だって……あの方といると本音も言えないし、緊張するじゃない?」

「つまり、俺となら無礼講って訳か!」

「いい意味でよ?いい意味で!」

 体を仰け反らせてハハッ!とナポレオンが笑う。

 

 だって、またおかしな気分にでもなって、変な声でも出したらどうするのよ……。病院ってだけでも緊張するのに!ああでも、あの瞳の催眠術で麻痺させてくれたかもしれないか。

 

「緊張なさらなくても大丈夫ですよ。私が責任を持って、滞りなく進めますので」

 伯爵の大事なお客様ですから!と続ける。……だ、か、ら~、私はお客じゃないってば!

 

 

 病院に到着して、先に降りたナポレオンが再び私の手を取ってくれる。今日の彼の手は、何だか冷たい。どんよりの天気ではあるけれど、手がかじかむ程寒くはないはず。

 

「ねえナポレオン。手、冷たくない?寒いの?」

 ナポレオンは何も言わない。無表情で固まっている。

「ナポレオン?」

「あ?そうか?別に寒くないけどな。俺も緊張してるのかもな~!」

「何でよ!ムダに緊張するくらいなら代わってよ」

「俺を調べたってしょうがねえだろ。さ、とっとと行くぞ。早いとこ終わらせて、スッキリしろ」

「スッキリね。言えてる」

 今の私の心はこの空模様のように、ど~んより!

 

 腹を括(くく)って中に入る。どの時代もどの国も、病院てどこも同じなのね。この消毒のニオイ!

 一旦個室に通されて、検査着に着替える。

 ここでまた、ふと何かを思い出しかける。こういう時に、いつも誰かがいてくれたような……?

 

「終わったか~?」

「あ……うん。入っていいよ」またも考え事は中断されてしまった。

 廊下で待っていてくれたナポレオンを部屋に入れる。

「ごめんね、つき合わせて。一日かかるみたいだし、何だったら途中で帰ってもいいからね」

「阿呆が。護衛の対象を置いてどこも行かねえよ。ちゃんと守ってやるから、安心しろ」

「ここ、病院だよ?そうそう襲われないと思うけど!」

 

 平然と言い返したけれど……本当は泣きそうになっちゃった。乱暴な言い方だけど、彼の優しさがひしひしと伝わってきたから。

 

「何て顔してんだ?だいたい、何が怖いんだ?子供じゃあるまいし!」

 ナポレオンが私の頭をくしゃくしゃと撫でる。

「ちょっと……やめてよ!泣いてないもんっ」

「ああ、まだな。泣く一歩手前ってとこだろ?」

「バカ!」

 

 こんな言い合いだってありがたい。きっとサンジェルマンさんとじゃ、できなかったから。終始いい子(!)になってなきゃならないでしょ?

 

 

 検査室に入って、様々な検査を受けた。

 私の時代のよりもゴツくてデカくて、やっぱりここは十九世紀なんだと実感させられる感じの機械で、心臓を中心に調べて行く。

 

「痛くないですか?」

「……少し」

 来た時よりも私の心臓はバクバクしていて、緊張と恐怖はピークに達していた。

「写真に良く写るように、お薬を入れますね」

「それって……注射?」注射器が目に入ってさらに青ざめる。

 体を固定されているにも関わらず逃げ腰になる。だって昔の注射針ってば太いのなんのって!

 

「すぐに済みますので」

「イヤ……それだけはちょっと!」

「動かないで下さい?」

 

 助けて!ナポレオン!心で叫んだつもりが、どうやら声に出していたみたい。

 廊下で待っていたナポレオンが、ナースの制止を振り切って中に飛び込んで来た。

 

「ユイ!大丈夫か?」

「ナポレオ~ン……。ええ~ん……!」本気で泣きに入る私。

「ちょっと君、困るよ?付き添いは入らないで!」ナポレオンに向かって医者が訴える。

「先生、彼に付いててもらいたいの、ダメ?」透かさず私は医者に懇願した。

 手を握っていてもらいたい。それだけでいいから!

 やっぱり私は子供だ。分かっているけど、不安で押し潰されそうなんだもの。

 

 しばし考えた末、医者がオーケーを出した。

 

「頑張れよ。すぐに終わるって、な?」

 ナポレオンはベッド横にひざまづいて、私の手を握っていてくれた。

 その手はやっぱり冷たかった。

 

 

 その後の記憶はない。気がついたら、最初に通された個室に寝かされていた。

 

「起きたか?」

「……ナポレオン。今何時?」

「三時過ぎだ」

「外、酷い雨ね……」

 窓の外から激しく打つ雨音が聞こえていた。

 

「もうすぐ帰れる。今、検査結果を待ってるとこだ」

「そう」

「体、大丈夫か?」

「うん。さっきは、本当に死ぬかと思った」

 

 そのくらい心臓が脈打っていた。打ちすぎて止まるんじゃないかってくらいに。緊張と恐怖だけであんなになるのかな……。本当に病気だったらどうしよう?不安がどんどん募って行く。

 

「顔色、悪いな……。本当に大丈夫か?」ナポレオンが心配そうに私の顔を覗き込む。

「……分かんない。私、どうしちゃったんだろう」

「ユイ?」

「こういう時、側にいてくれてた人がいるはずなの。……誰なの?どうしていないの!」

 

 ふいに心臓に痛みが走って、左手でその部分の着衣をきつく掴んだ。

 

 

・・・

 

 

「あっ……!く、……何、なんなのっ……ホントに!」

「ユイ!しっかりしろ、すぐにサヴリーを呼ぶからな!」

 

 立ち上がったナポレオンが再度ユイを振り返る。意識はすでに朦朧としている様子。そして何かを言いかけた。

 

「どうした?」

「しん、どう、先生を……呼んで……」彼女は再びこの名を口にした。

 

 記憶が戻ったのだろうか?ナポレオンは一瞬ドキリとする。全てを思い出せば、彼女は自分の元からいなくなる。

 その不安が、ナポレオンの心を埋め尽くした。

 

 彼はユイを愛し始めていた。

 

 

 

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