平穏な毎日の中、彼女が私のカンフル剤となっている事は間違いない。
二十一世紀からやって来た日本人女性ユイ。とても不思議な(あらゆる面において!)彼女には、どうやらヴァンパイアの恋人がいるらしいのだが……。
本人が記憶を失っているため、確認の術はない。
趣味の一つであるヴァイオリンを奏でていると、渦中の人物が近づく気配を感じた。
「ユイ。そんな所にいないで、入っておいで」
私が声をかけると、半開きのドアの前にいた彼女はとても驚いていた。
「ごめんなさいっ!立ち聞きするつもりはなくって……」
「構わないよ。体調はどうだい?」
「はい。ご心配をおかけしました。もう大丈夫です」
彼女のこの言葉を信じる訳には行かないようだ。この耳には、まだ安定しない彼女の心音が聞こえてくるから。
けれど私は話題を変えた。
「楽器に興味があるのかな?」
「ええと……どうだろう。でも、音楽は好きです。心が落ち着きますよね。サンジェルマンさん、ヴァイオリン凄くお上手!ステキです」
頬を赤らめて感想を述べてくれる姿はとても微笑ましく、自然と笑みを返していた。
気を良くした私はこう提案した。
「ありがとう。お褒めに預かり光栄だ。では今度は、ユイの好きな曲を弾いてあげようか」
「いいえ。私の好きな曲より、サンジェルマンさんのお気に入りの曲が聞きたいです。どんな曲がお好きなのか知りたいので」
こんな事を言うんだよ!堪らないじゃないか。
「そうかい?それじゃぁ……」
その後私が、上機嫌で演奏を披露したのは言うまでもない。
一頻りヴァイオリンを披露し終え、彼女とのトークタイムの場を設ける。
「ミントティーはお好きかな?」
「はい!ありがとうございます」
紅茶とクッキーを用意して、腰を降ろす。
ユイがティーカップを手に取り、美味しそうに飲み始めた。
「とっても美味しいです!」
「それは良かった」
彼女の喜ぶ姿は見ていて飽きない。どこまでも喜ばせたくなる。
「ヴァイオリンはいつから?」
「子供の頃に始めたんだ。独学でね」
「え!習った事ないんですか?そんなに上手なのに?」信じられない、とユイは目を丸くしている。
その後の君の小さな呟きも、私の耳には届いているよ?自分は独学でフルートを始めたけれど、続かなかった、とね。
「ユイはフルートができるのかい?」
こんなに小さな呟きが聞かれていたとあって、彼女はとても驚いた。
「……申し訳ない、耳はいい方でね。触れない方が、良かったかな」
「いいえ!別に大丈夫です。私、飽きっぽいから続かなくて……。よく母にも言われてました」
ユイが恥かしそうに打ち明ける。
「そうだ、いい事を思いついた。ここには幸いな事に、優秀な音楽家が一人いる。彼も交えて、ミニコンサートを開くというのはどうだろう」
来週の晩餐会がいいな。我ながら、いい考えだと思うんだがね?
「音楽家って……もしかしてモーツァルトさんの事?時々、ピアノの演奏が聞こえますよね」
笑顔で頷いて再度尋ねる。「どうかな、ユイ」
「無理です!私なんて子供の真似事だもの……。まともに曲が演奏できるとは思えません。第一、もう全然やってないし」
「そういえば、モーツァルトに会った事は?」
「廊下で見かけた事はあるんですが……声をかけずらくて、結局……」
「それならちょうどいい機会だ。これを期に親睦を深めてほしいな。今度の晩餐会で、まだ会っていない者達に、改めて君を紹介させてもらうよ」
この企画ならば、次の晩餐会は出席率が良さそうじゃないか。
きっと皆、興味津々で集ってくれる事だろう。
「……で、でも……っ」
「ね?」私はユイの俯いた顔を覗き込んだ。
視線を感じた彼女が顔を上げて私を見つめる。彼女の大きな瞳に、自分が映っているのが良く見えた。
「……はい。是非」
「良かった。それじゃ、今度一緒に練習しようね」
夢うつつの表情でユイが微笑んだ。
そうと決まれば、モーツァルトにも了承をもらわなくては。彼を説得する方が、厄介かもしれないけれど……。
・・・
バカバカ!私のバカっ、どうして断らないの?出来っこないでしょ、相手はモーツァルトを名乗るくらいの音楽家と、伯爵のプロ並みのヴァイオリンよ?
私なんて高校時代以来一度も手にしていないフルート。ドレミの音くらいは何とか出ると思うけど、演奏だなんて?
次の晩餐会って事は、あと一週間しかないじゃない!ああ、どうしよう……。
「えらい事になった!」
その後私は、サンジェルマンさんから借りたフルートで猛練習を始めたのだけれど……。
「キャ~!やっぱり……むっ、無理っ!」
自室で一人声を上げていると、ドアがノックされた。
「はいっ!どうぞっ!」パニック状態を隠す事もなくドアを開ける。
「何一人で騒いでるの?騒々しいんだけど」
入って来たのは、話題の人物モーツァルトさんだった。
銀髪で濃いスミレ色の瞳をしたその人は、無表情で私を見下ろしている。
「伯爵から聞いた。あの方の頼みなら……しょうがないから引き受けるけど、本当に大丈夫なの?」
「……さあ」苦笑いで答える。
まるで怒ってでもいるような表情のまま、モーツァルトさんは私を見つめている。
こっ、怖い……っ!さすが一流(って事にしておく)。音楽家とか芸術家って、変人……もとい、自他共に厳しいストイックな人が多いらしいじゃない?
「ああぁぁ!んもう、イライラする。俺が教えるから貸しなよ」唐突にモーツァルトさんが叫ぶ。
「……え?教えて、くれるんですか」
「だからそう言ってるでしょ。耳悪いの?」
厳し~……。
私の手から楽器がもぎ取られる。
彼に触れた指先が、冷たさでビクッとなった。この人もかなりの冷え性みたい。顔色も悪いし、(人の事は言えないけれど!)ちゃんと食べてるのかなぁ。
「何」
「っ!いえ、何でもっ!」
じっと見ていたらジロリと見返されて怒られた。
その後二時間くらいだろうか、彼は私の初心者並みの演奏に付き合ってくれた。
「今日はここまで。自主練、ちゃんとしといてよね?」
「はい!ありがとうございました!」
結局彼は、ここへ来て一度も笑ってくれなかった。……ああ緊張した。
あんなに穏やかなサンジェルマンさん相手に緊張していたなんて、まだまだ序の口だった。
こんな日が数日続いて、ナポレオンよりもモーツァルトさんと過ごす時間が増えた。
あの病院に付き添ってもらった日以来、ナポレオンとあまり顔を合わせていない。
・・・
ユイを呼んで演奏会のリハーサルをしている。
「上手じゃないか。謙遜する事ないよ」
「違うんです、モーツァルトさんが教えてくれて」嬉しそうにユイが答えた。
確かに彼にはユイをよろしくとは言ったが、教えてやってくれとは頼んでいない。あんな素っ気ない態度だったが、やはりユイに興味を持っていたと見えるね。
ならば話は早い。私達は連れ立ってモーツァルトの部屋を訪問した。
「三人で合わせてみようじゃないか?」
「まだその段階ではないように思いますが」
「まあまあ!固い事言わないで。ね?」不満そうなモーツァルトの肩を叩いて景気づけをする。
三人で連れ立ってピアノ室へと移ると、渋々モーツァルトがピアノに向かう。
そんなモーツァルトを目で追いながら、ユイがこんな事を呟いた。
「どんだけ弾けるか、お手並み拝見ね!」
「おや。ユイは、随分と余裕みたいだね」
「えっ!……そ、そんな事ないんですけど。やだっ、何で聞こえてるの?!」
我々の耳はとてもいいんだ。因みにモーツァルト本人にもバッチリ聞こえていると思うよ。
慌ててフルートを構えた彼女に、気づかれないように笑う。慌てる姿も可愛いね。
どうやら彼女は、目の前の彼を本物のモーツァルトだとは思っていないようだ。
……という事は、他の住人達の事もそうなのかな?
リハーサル第一回目にしては、なかなかの出来だった。
「伯爵。今度の晩餐会には誰が?」モーツァルトが聞いてきた。
「もちろん全員だよ。私としては、いつも全員に来てほしいと思っているんだがね」
「ドタキャンする人が出ないといいですね!」
それは前回ドタキャンした、ウィル……シェイクスピアの事かな?
「もちろん彼も来るよ。何でも、今回皆に伝えたい事があるらしい」
「また何か、悪だくみを考えているんでしょう!巻き込まれない事を祈りますよ」
ウィルは劇作家という職業柄、ネタになりそうな事には目聡く反応し、思いついた事は、例え突拍子もない事でも試そうとする。
そういう訳で住人達にはあまり好まれていない。皆一度は犠牲になっているから!
私かい?それについてはノーコメントで。
でもこれだけは言っておくが、ウィルも私の大事な家族だよ。
・・・
いよいよ晩餐会当日を迎えた。
モーツァルトさんのスパルタ特訓のお陰で、私のフルートも何とか聞けるものにはなったけれど……超ドキドキ!ナポレオンも、来てくれるよね?
「やあ!ようやく顔を出してくれたね。嬉しいよ」
続々と現れ始めた住人達に、伯爵が本当に嬉しそうに声をかけている。打って変わって隅の椅子に座って緊張し通しで俯く私。
レオナルドさんの後ろからナポレオンが入って来るのが見えた。良かった、来てくれた。
「先に紹介しようかな。ユイ、こちらへ」
突然名前を呼ばれてビクリとする。「っ!!はいっ!」
いつの間にか、テーブルには全員集合していた。その光景は何とも壮大だ。壮大の意味?イケメン揃いって事!
「皆に改めて紹介しよう、未来から来たお客さんだ。ユイ、自己紹介を頼めるかな?」
「はい!皆さん、突然お邪魔してしまって済みません、ユイです。訳あってお世話になっています」
「ゴッホ兄弟は初対面だよね?」サンジェルマンさんが、兄弟だという二人に視線を向ける。
抜けるようなコバルトブルーの瞳の色以外は、あまり似ていない。
「初めましてだね。僕はフィンセント・ゴッホ。画家をしているよ。よろしくね」
ふわふわとした淡い金髪が、さらに優しい印象を際立たせている。
「弟のテオドルス・ゴッホ。画商だ」
続けて口を開いたこの人は、兄よりも背が高くて髪の色はブラウン系。眼光が鋭すぎて、思わず目を反らしてしまった。だってどう見ても睨んでる、私の事!
それぞれに向かってペコリと頭を下げる。
もう一度恐る恐る弟の方に目を向けるけれど、やっぱりその目には敵意が感じられた。見た目も性格も兄とは正反対?だって、フィンセントさんはこんなに穏やかに微笑んでいるのに。
けれど、怒るのは当然なのかもしれない。私のような部外者が突然現れて、知らない間に同じ邸で暮らしていたなんて?
「それから、今はこの邸から出ているが、彼もここの元住人、ウィルだ」
「ウィリアム・シェイクスピアです。しがない劇作家です。どうぞよろしく」
この人はオッドアイ?褐色の瞳の色が微妙に左右違う。髪はブラウンで肩にかかるくらいまで伸びている。
その瞳と、彼の持つ独特の不思議な世界に、私はあっという間に惹き込まれた。
「あなたのお噂は兼々。お会いしたかったですよ、ユイ」
突然声を掛けられてビクリとしてしまった。
「うっ、噂って?!」私の事、そんなに広まっているの?思わず聞き返す。
「ご心配なく。悪い噂ではありません。可愛らしいお嬢さんが迷い込まれたと聞いていまして」
柔らかい笑みで穏やかに答えてくれたシェイクスピアさんに、私はさらに魅了されて行く。
そんな私をまじまじと見つめたまま、シェイクスピアさんが続けた。
「たった今、思いつきましたよ、伯爵!ユイでしたね。お会いするまでは考えてもいませんでしたが、あなたはなかなかのキャストかもしれません」
「おいおいウィル、ユイはダメだよ?」
サンジェルマンさんが彼を窘めている間も、私の目はシェイクスピアさんに釘付け。
「さあユイ、そろそろスタンバイを。皆がお待ちかねだ」
伯爵に手を引かれて、シェイクスピアさんの前から引き離されてしまった。
視界から彼が消えた途端、どうして自分があんなに惹かれていたのか分からなくなる。
だって、ああいう穏やかそうで物腰の柔らかい人、全然私のタイプじゃないもの?
「モーツァルトも、準備はいいかい?」
「いつでも」
「それじゃ、始めよう」
伯爵が私達に合図を送り、演奏が始まった。
最初は私のソロ。いきなり高音を出さなきゃならない。ここで躓いたら台無しだ。
私は大きく息を吸い込んで、出だしのメロディを奏でた。
……あら?なかなか調子いいみたい!
「やるじゃないか、小娘!」レオナルドさんが口笛を鳴らして言う。
でしょ~?私もそう思う!
チラリとナポレオンを覗き見た。彼も私を見つめている。その顔は無表情で、何を考えているのか全く読めない。
次の瞬間、まるで私が気を散らしている事が分かったように、モーツァルトさんの視線が突き刺さる。ゴメンなさいっ!集中します……。
こうして何とか、無事に最後まで演奏する事ができた。
「楽しかった!私、フルート吹いてて、こんなに楽しいと思った事なかったです。ありがとうございました!」
「こちらこそ。とても良かったよね」
「まあ、そこそこは行けたんじゃないですか」
拍手が続々と浴びせられる中、異様にはしゃいでしまった。最初はどうなるかと思ったけれど、やってみて良かった。
今や定位置となったナポレオンの隣りの席に着くと、ナポレオンが声をかけてくれた。
「お前にそんな特技があったなんて、驚いたぜ!」
いつもと変わらず、ざっくばらんな口調で安心した。例え嫌われたんだとしても、ここはいつも通り接する事にしよう。
「そうそう!大いに驚いてちょうだい?」
ちょっと偉そうに言い返したら、頭を小突かれた。舌を出してはにかんで見せる。
「一体お前は、剣術と楽器の演奏、どちらが本業なんだ?」
ナポレオンの反対側に座るジャンヌさんが、眉根を寄せてこんな事を聞いてくる。
本業って……別にどっちも仕事じゃないけど?
「そりゃ~決まってるでしょ!」それだけ言って、ご想像にお任せって事で誤魔化した。
「ユイ!スゴイね~。あの二人に合わせられるなんて、ツワモノだね、今度はさ、オレに合わせてみない?」
「アーサー。いい加減にしろ」
「ナポ君ったら、ダメだよ?独り占めは!ユイは皆のものでしょ」
「阿呆。こいつは誰のものでもねえよ!」
誰の物でもない。彼のこの言葉がとても嬉しかった。
でも本当は、ナポレオンに俺のものだって言ってほしかったかな、なんて……?
こんな事を考えていたせいで自然と顔がニヤついていたのか、太宰さんが冷かしてくる。
「まるで新婚夫婦だねぇ。ここは飢えた狼だらけだから、あまり見せ付けるのは良くないよ?よし江さん?」
この人また私の名前間違えてる!しかも一文字も合っていない。覚える気、ないのか……。
「夫婦っていうか……兄弟じゃないの?似た者同士!ねえ?ナポレオンさん」
「おいアイザック!ふざけるなよ?こいつと兄弟だと?ゴメンだぜ!」
「ちょっとぉ。そんなにイヤ?私と兄弟って!誰が見ても私の兄貴役は確定でしょ」
「ユイ、アンタは兄貴じゃなくて姉貴でしょ」アイザックが指摘する。
ん?アイザックとしばし見つめ合う。
ここは男同士の設定の方がいいと思うけど?私の性格的に!
「どっちも却下だ。だが、やるなら俺が兄貴に決まってんだろ」
ナポレオンが勝手に結論付けた時、この妙な話題にシェイクスピアさんが加わった。
「兄妹、ですか……。そういう配役もありですねぇ。しかしここは、恋人同士の設定の方が美しいでしょう」
「言ってろ!ってまさか、おかしな劇に俺達を巻き込む気じゃねえだろうな?」
「ふふふ……。そのまさかです。皆さん!これから重大発表をいたします」
手をパンパンと二度叩き、一同の視線を自分に集めるシェイクスピアさん。
「次の舞台の主役は、こちらのナポレオンさんと、新しいお仲間のユイさんです!」
「あ~あ~。勝手に仲間にしちゃってるよ、ユイの事!彼女は人間なのに?あ!それともまさか、この舞台でユイを……?!」
アーサーがブツブツ言っている声が耳に入ったけれど、そんな事より私、また何かさせられる?フルートの次はお芝居?幼稚園のお遊戯大会かって!
「なら、ロミオとジュリエット、とかですかね!」軽いノリで言ってみる。
だってあなたはシェイクスピアなんでしょ?
「おや。私の作品をご存知なのですか。嬉しいですね」
ちょっとちょっと。役になりきりすぎでしょ?あなたの、じゃないから!
私の疑惑の目に全く気づきもせず、シェイクスピアさんは朗らかに笑っている。
ついて行けない!
「ウィル。さっきも言ったが、彼女だけは外してくれないか。体調にも少々不安があってね」
サンジェルマンさんのこんな発言は、逆に私に火を点けた。先日の検査で証明したのにまだ言ってるんだもの。私は病気じゃありません!
「伯爵、ご心配なく!今日の演奏会同様、納得の行くショーにしてみせますから。どうぞお楽しみに!シェイクスピアさん、よろしくお願いしますね」
「おいっ、お前なぁ。ったく何も知らずに!変に意地張るなよな?シェイクスピア、俺はともかく、こいつは勘弁してやれ。…………分かってんだろ?」
ナポレオンの最後の言葉は、いつになくドスが効いていた。
何を分かってるって?
「現実というものは、時に想像を遥かに超えるのです。この世界に紛れ込んだ彼女が、どのような刺激材料となるのでしょう!ああ……今から楽しみでなりませんよ」
そっとサンジェルマンさんを見ると、いつも余裕の態度のあの方が珍しく頭を抱えていた。
この人のあまりのシェイクスピアっぷりには驚くばかりだけど、もしかして本当に厄介な人だったりして……。