ウィルのヤツ、またおかしな事を企んでいるようだ。
ユイが巻き込まれているからには、私がここを不在にする訳には行かなくなったじゃないか?
「伯爵、どうかされましたか?先程から珍しくため息などつかれて」
「なかなか、心配事が消えなくてね。セバス、引き続きユイの事、頼んだよ?」
食事を運んで来たセバスに言いつける。
「かしこまりました」
これで私は足止めをくった。ならば今のうちに、対策を練るとしよう。
手にしたルージュのビンを持ち、デスクに向かう。闇雲に二十一世紀で人探しをするのはリスクが高い。手っ取り早く探さねばならないからだ。
その一方で、その男を探すなと命令する自分がいる。ユイを我がものにせよ!と……。
再び自分の口からため息が漏れた事に気づき、先程のセバスの言葉を思い出す。
「珍しく、か!フフ、そうみたいだ」
苦笑してビンを傾け、赤い液体を一気に体内へと流し込んだ。
・・・
早朝、門の前を掃き掃除していたら、おかしな物を見つけた。
「ん?何これ」
リンゴには違いないけれど何だか感じ悪い!だってこの真っ赤なリンゴには、短剣が突き刺さっているんだもの。
子供の悪戯かと思ったけれど、こんな森の奥に子供がやって来るはずがない。
そこでふと、シェイクスピアさんの演劇の事を思い出す。あの発表から三週間が過ぎた。もしかして、劇ってすでに始まっていたりして?
何かのヒントかもしれないと、邸に持ち帰る事にした。
厨房に持って行くと、セバスさんがすぐに興味を示した。
「何かの暗示でしょうか」
「にしては、悪ふざけが過ぎてない?」
「このお邸には、謎解きを得意とする方がいらっしゃるではないですか」
「アーサー?……あの人、口軽そうだし!大ごとにしたくないわ」
マジマジとこのブツを観察する。短剣の柄には紋章のような模様が刻まれている。
「短剣の事なら、ナポレオンだったら何か分かるかしら」
「かもしれませんね」
この時間じゃまだ寝ているだろうと諦めかけた時、入り口から彼の声がした。
「おい。リンゴはそうやって突き刺して食うもんじゃないぜ?」
「ナポレオン!もう起きたの?早くない?まだ七時前よ!」
ナポレオンが超ロングスリーパーだって事はすでに把握済み。その彼が起きているのだから驚く。
「驚きすぎだ、阿呆。俺だって早起きくらいするっつ~の!」
どういう訳かセバスさんはちっとも驚いていない。
「あっそ!」私もあっさり話題を収めた。
「このリンゴは朝食用に用意したものではありません」改めてセバスさんが言う。
ナポレオンが私の手から短剣付きのリンゴを奪った。「この紋章、どこかで……」
「知ってるの?!誰の!」
「ちょっと静かにしろ!それを今考えてるんだ」
「ゴメンなさい……」
謝りつつも、ナポレオンの真剣な眼差しに見惚れていると、彼の瞳がキラリと光ったように見えた。何?今のは。強い光でも反射したみたいだったけど、何もなかったよね?
思わず室内をキョロキョロと見渡したけれど、やっぱり何もない。
「なぁに首振り人形やってんだ、お前?思い出したぞ」
「え?あっ!そう、それで誰?」
「ウェリントン」
「あのイギリス軍の最高権力者、ウェリントン公爵ですね!」
セバスさんの言葉にナポレオンが頷く。
「さすが歴史学者のセバスさん。良くご存知で」残念ながら、私にはそれが誰か分からなかった。
「私の専門ですから」
「イギリス軍って事は、ナポレオン皇帝の敵って事?」
「彼がワーテルローでナポレオンさんを破ったんですよ……これは失礼しました」
興奮気味に捲くし立てたセバスさんが、なぜかナポレオンに謝った。
「構わねぇよ。それが事実だ。そして俺は島流し」ナポレオンもまるで自分の事のように答える。
ついて行けないんですけどっ!
「ホントにあなたが島流しにされたの?」
反応してくれない。嫌な空気が流れる始末!
こうなったら仕方がない、ここはあなたを本物のナポレオン皇帝って事で話そうじゃない。これもお芝居の一環かもしれないし?
「でも変じゃない?あなたがその人を恨むなら別だけど。向こうは勝者でしょ?」
すると彼は大真面目な顔で答えた。やっぱり自分の事のように!
「ああその通り。それも腑に落ちないが……」
考え込むナポレオンの憂い顔に見惚れながら思う。これ、すでに撮影されてたりして!どこかでカメラでも回っているとか?
「そもそもヤツはこの時代には存在しない人物だ」
「その人もタイムスリップして来たとか?」当然そう思うでしょ。
「伯爵以外に、そのような事ができる者はおりません」
「それってつまり……」
ここまで話した時、入り口から、また別の声が聞こえて全員が振り返る。
「私じゃないよ?」
そこに立っていたのはサンジェルマンさんだった。
「伯爵。それは本当だよな?シェイクスピアに頼まれてやったんじゃないと誓えるか?」
「私は今回のウィルのお遊びには一切、手を貸していない。私が反対していたの、君も知っているだろう?」
「こいつを巻き込むなって意味で反対してただけだろ。俺の事は差し置いて!」
「君が巻き込まれるという事は、ユイにも少なからず影響があるという事だ。君も立派に対象だよ」
伯爵、それってフォローになってませんけど!だってナポレオンの心配、全然してないみたいに聞こえるよ……?
ヒヤヒヤしながらナポレオンを盗み見ると、案外平然としていてホッとした。
「この短剣を使ったのが本人とは限りませんよ」
「そうよ!子孫とか、遺志を継いだ人とか?」
「……ただ、ウェリントン公爵はワーテルローの戦いでの功績が認められ、政界入りを果たし、その後あの家系は代々閣僚を勤めているはずです」
そんな人達が、敗者のナポレオンをいつまでも恨む理由って?
「何にせよ、物騒な事をしてくれる。気に食わねえな!」
ナポレオンはリンゴから短剣を抜き取ると、憎らしげに見下ろした。
「ちょっと出て来る。ユイ、絶対に外に出るなよ。いいな?」
「うん、分かった。……ナポレオン」
彼の様子がどこかおかしかった。短剣を見つめていた彼からは殺気は全く感じられなかったから、誰かを殺しに行った訳ではないだろうけど。
「ねえセバスさん。ナポレオンは本当に、ウェリントンを憎んでないのかな」
「どうでしょうか。普通ならば、打ち負かされた相手を憎むでしょうけどね」
そう、普通ならば。でも彼は違う?その気持ちがどうしても分からない。
「ナポレオン、何だか雰囲気変わった。やっぱ私、嫌われたんだね……」
「ユイ。それは違うと思います。彼には別の変化が訪れた、ただそれだけの事です。決してあなたのせいではありませんよ」
「別の変化って?」
「それは、私の口からは申し上げられません」
何よ、肝心のとこじゃない?意味なし!
「私も出かけよっかなぁ~」
「ユイ!先程ナポレオンさんがおっしゃっていた事を、もうお忘れですか?」
「忘れてないけど!誰か一緒ならいいんでしょ」
「ダメですよ」
私はセバスさんに背を押されて自室へ戻らされた。
「ユイさんを閉じ込めるなんてムダムダ!」
部屋に戻りはしたけれど、すぐに窓辺に走り寄って全開して下を覗き込む。ここからだって飛び降りる事は可能なのだ!
「廊下なんて歩いてたら、たちまち誰かに見つかっちゃうじゃない?」
窓枠に足を掛けたところで、廊下から声がした。
「ユイ。いる?」
「は~い!いま~す!んもう、早速誰かを監視に寄越したっていうの?やけに手際いいじゃない」
ドアを開けると、そこにいたのはゴッホ兄弟の兄、フィンセントだった。
コバルトブルーの吸い込まれそうな煌く瞳で、相変わらず天使のような笑みを称えている。
「あの、私に何か?」
「もし時間があったら、あなたに付き合ってもらいたいんだ」
「何に?」
まさか、絵のモデルになれとか?ヌードだけは困る!変な想像をして顔が火照って行く。
「どうしたの?ユイ……何だか顔、赤いよ?」
「え?そう?気のせいです!それで、何に付き合えば?」笑って誤魔化して話を進める。
「絵の具を買いに行くんだけど、今回は女性の目で色を選んでもらえたらなって」
「お買い物大歓迎!付き合います、是非!」
やった、これで外に出られる!まさに天使?良かった、と微笑むふわふわ金髪のフィンセントさんは、やっぱり天使にしか見えない。
けど、いつも一緒の目つきの悪い弟はどうしたんだろう?「あの、弟さんは?」
「ああ、テオは画商さん達の会合に行ってるんだ」
「別行動する事もあるんですね」
私達は廊下を歩きながら会話を続ける。
幸い誰にも会わずに玄関を出て、待機していた馬車に乗り込んだ。
「出て来たはいいけど……何から調べればいいやら」
私の呟きが聞こえたのか、フィンセントが聞いてくる。「何からって?」
「いいえ!こっちの話。それで、今度はどんな絵を描くんですか?」
全くここの人達ってば、揃いも揃って耳がいいのね!
「ねえユイ」
「はい?」
「その……敬語だけど、やめてくれないかな」
「え?」
「何かさ、壁、感じて。寂しくなるんだよね……」
哀愁を漂わせて弱々しく微笑む彼に、何も言えなくなる。
「わっ、分かりました!……じゃなくて、分かったっ!だから、そんな顔しないで……」
「どんな顔?」
「凄く悲しそうな顔、してたから」
「そう?」
無自覚?!もしかして天然?計算じゃない分、厄介かも……。
こんなフィンセントの意外な一面を垣間見ながら、目的の店に到着。
「ねえ!ユイは何色が好き?」
絵の具を目にした途端、フィンセントの目が輝きを増したように見えた。
「私?そうねぇ~……私は」
並んだ絵の具から、好きな色を選び出して手を伸ばした時、同じ物を掴もうとしていたフィンセントと手が当たった。この人も凄く冷たい。
すると私の考えた事が分かったように、フィンセントが言った。
「……あ、ごめん。冷たくなかった?」
「フィンセントも冷え性?あそこの人達は皆冷え性ね!室内に籠もり過ぎなのよ、きっと」
「……そうかもね。それで、ユイの好きな色はそれ?」
私が手にしていたパープルの絵の具を見つめて聞いてくる。
「そう。いろいろ好きだけど、これが一番かなぁ」本気で悩んだ。
あの指輪は好きになれないけれど、宝石と同じナポレオンの瞳の色はとても好きだ。
最初はそのエメラルドブルーにしようと思ったけれど、突っ込まれるのもイヤだし。
「パープルは奥が深いよね。青系と赤系では、印象が全然違う」
「そう言えばそうね」
「ユイには、赤系のパープルの方が似合うみたい」
また別の絵の具を手にして、フィンセントが微笑む。
私が選んだのは青系のパープルだった。
「好きな色と似合う色って、一致しない時あるよね。そんな事、前にも思った事あるわ」
「そう!それなんだよ。自分で選ぶと、どうしても系統が似通ってしまうんだ。だから、今回は別の目線で選んでみようって思った訳さ」
「なるほど。お役に立てるよう頑張りますね!」
「フフ!頼んだよ、ユイ」
こんな感じで楽しく色選びを進めて行った。
絵の具の選定を終えて、フィンセントが会計をしている間に外に出る。
「結構時間かかっちゃったな。さあ、これからどうするか……」
辺りを見回していると、待たせていた馬車の御者が私に気づいて降りて来ようとしたので、手で制する。
「会計は、もう少しかかりそうよ!」口の動きだけで読み取ってくれるといいんだけど。
周囲は結構ザワついていて、私の声は聞き取れなかったはずだから。
「……ん?何か落ちてる」
腰を屈めて、足元でキラリと光る何かに手を伸ばす。私、ピアスでも落とした?と思ったけれど、今日は急いで出て来たから着けて来ていない。
その時、バサリと音がして私の頭上を影が覆った。
「騒ぐな」
「っ!…………誰?!」
どうやら黒っぽいマントのような物で覆われた模様。私の視界は闇となる。
男が耳元で言葉を続ける。聞いた事のない声だ。
「ナポレオンの秘密を、知りたくはないか?大人しくついて来れば教えてやる。危害は加えない」
「あなた、もしかしてウェリントンの仲間?」
「…………」
続く沈黙にイエスの意と取る。「探す手間が省けたわ。行きましょう」
そっちから来てくれるとは、ラッキー!くらいにしか、この時は考えていなかった。
私が腰を上げると、フィンセントが会計を終えて店先まで来ていた。
「ユイ?その人誰?」
私はフィンセントに向かってウインクした後、口だけを動かして、ナポレオンに伝えてとメッセージを送る。
「待って!ユイをどうする気?ちょっと!」
拘束された私はその後、薬品を嗅がされたらしく、記憶は途切れた。
・・・
「どうしよう……ユイが攫われた。僕がついてたのに!ナポレオンに伝えないと……」
ユイのウインクと、ナポレオンと発音した口の形が甦る。
彼女には何か考えがあるのか?フィンセントは薄っすらそんな事を思う。
「申し訳ありません!私も見ていたんですが……」御者がフィンセントに駆け寄る。
「突然すぎた。仕方ないよ。それより、すぐに邸に戻って」
こうしてフィンセントは大急ぎで戻り、ナポレオンを探した。
「セバス!ナポレオンを知らない?」
「フィンセントさん。どうされましたか、そんなに血相を変えて。珍しいですね」
「ユイが変な男達に攫われたんだ!」
「何ですって!?あれ程外出をしないよう、きつく言いつけておいたのに」
「そうなの?ごめんよ、知らなかったんだ」
「あなたが誘ったのですか」
フィンセントは申し訳なさそうに頷く。
何も知らない彼に怒りをぶつけても仕方がない、セバスは気持ちを切り替え策を練る。
「ナポレオンさんは今、外出中なのです。ああ!こんな時に携帯電話があれば!」
「ケイタイ、って何?」
「……いいえ。何でもありません。ナポレオンさんがどちらへ行かれたかだけでも分かれば……」
廊下で右往左往していると、伯爵が現れた。
「伯爵!ユイが……」
「ああ。状況は把握している。とにかく君はここで待機していてくれ。私が行って来る」
「しかし行き先は……」
「おおよその事は分かっている。心配しなくていい。……ウィル、私にも我慢の限界があるよ?」
セバスは息をのんだ。ここへ来て以来、伯爵がこんなに怒りを露わにした姿を見た事がなかったからだ。口調は穏やかだが、その表情はどこまでも冷ややかで、いつもの親しみやすさはどこにもなかった。
その顔つきは、紛れもなくヴァンパイアだった。
・・・
怒り覚めやらぬまま、急ぎウィリアム・シェイクスピアの屋敷へと向かった。
私の邸を出て、別に居を構えている彼を訪問する事は、今はもうあまりない。
「これは伯爵。わざわざご足労いただかなくとも、呼んでくださればこちらから伺いましたのに」
「今しがた、ユイが連れ去られた。ウィル。君の仕業だね?どういうつもりだい」
「おや、展開がとても早いですね!これはうかうかしてはいられませんよ」
「ウィル!」
思いのほか鋭い私の声は、心躍らせているウィルの動きを容易に止めた。
「これ以上失望させないでくれ。君が私の家族でなくなるのは、とても寂しい事だからね」
「……恐れ多いお言葉です。ですが伯爵、動き出してしまった人の心は、そう簡単には止められません。ここは見守ってみてはいかがですか」
事件を起こした張本人が、何という言い草だ?
「彼女に何かあったらどうする!」私は思わず声を張り上げていた。
「伯爵は、最大の悲劇を迎える事を恐れているのですか?」
「いろいろだよ!彼女はいろいろと問題を抱えていてね。こんな事に巻き込んでいる場合じゃないんだよ!」
首を振り続ける私を見て、ウィルは目を瞬く。
「あの娘に、そこまで心を奪われましたか……」
「何だって?」
「今のあなたは、常に沈着冷静なあのサンジェルマン伯爵には見えない。あなたの冷酷さはその昔、それは有名なものでしたよ。そんな伯爵ともあろうお方が?……笑止!」
「この年で色恋沙汰に惑わされていると笑うのかい?」
「とんでもない!男というもの、いくつになっても恋心を忘れてはいけません」
「恋心かどうかは、自分でも良く分からない。ただユイの事となると、力が入ってしまってね」
「これは驚いた、否定なさらないんですね。いいのですか?こんな私に本音を漏らしても」
「君は今のところ、まだ私の家族なんでね」
ウィルが恭しく頭を下げる様子を見つめる。全く、腹の内を見せない男だ!
「いいかいウィル。ユイとナポレオンに危害が及ぶような事があれば、私は君を許さないよ。その意味は分かっているね?」
彼の表情からは怖れも反発も見られない。それどころか、ほのかな笑みが零れた。
私はそれを横目に踵を返すと、屋敷を出た。
「これまでも散々してやられたが。これで本当に君とは終わりかな。寂しい限りだ」
この呟きは小さかったが、ヴァンパイアの耳には容易に入っているはず。
わざと彼に聞こえるように口に出した。まあ、効果はないだろうが。
あの男の舞台に懸ける情熱は半端じゃない。そのストーリーは主に悲劇だ。今回も間違いなくそんな展開となるのだろう。
怒り冷めやらぬ今の私が行なう解決策では、皆を不幸にしてしまいそうだ。
ここはナポレオンに頑張ってもらおう。かの英雄ナポレオンならば、きっと皆を救える良い案を思いついてくれるに違いない。
どうかユイを救ってくれ!