その晩、私は妙な夢を見た。
それは例のシェイクスピアさんの企みが引き起こした事件の二日後の事だ。
(ヤツはヴァンパイアだ)
(なん……ですって?ナポレオンが……?)
心臓が嫌な音を立て始める。鼓動が激しく鳴っている。
(ヤツだけじゃない。お前の周りには大勢いるみたいだな!飼い慣らされて、お前は非常食ってところか?良くもまあ、そんな奴等と平然と暮らしてられるよ!)
(何を言ってるの?そんな事ある訳……)
ふいに、彼らの冷たい肌を思い出す。気配のないところや、あまり食事を摂らないところ。私の事をよく人間だから、とか言ったりして。
思い返せば多々ある疑惑の数々が、この言葉でパチンと嵌まった気がした。
(ヴァン、パイア……)
けれど私は、その言葉にどこか懐かしさを感じてもいた。恐れなくてはいけないその存在に、私はどこか惹かれるものさえ感じる。
(それで、お宅達は何なのよ)
(俺達か?そうだなぁ。まあ、お前にとっては正義の味方、かもな!)
ヴァンパイアの餌食になる前に連れ出してやったのだから、と男達が高笑いを始めたところで、私は目を覚ました。
「……何?今の夢は」
自分が酷く汗ばんでいるのに気づいて、額の汗を拭って窓を開けに行く。これから季節は春だというのに、外はまだひんやりしている。外の冷たい空気が気持ちいい。
現在、午前四時を回ったところだ。
「ナポレオンがヴァンパイア?私の思考回路、どうかしてるんじゃない?こんな夢見るなんて!」
風に当たって頭を冷やしていると、庭を誰かが横切るのがチラリと見えた。動きがあまりに早くて、それが誰かは分からなかった。
窓から飛び降りて追跡しても良かったけどやめよう。起きたばかりだというのに、私はどうしようもなく疲れているから。かといって、もう眠れそうもない。
「はあ~……。寝覚め悪いなぁ」
ドクン、と心臓が跳ねた。最近良くこうなる。
「また検査させられちゃうかな。注射だけはイヤ!」
着替えて一足先に厨房へ向かう。まだセバスさんは来ていないようだ。
あの事件の後から、サンジェルマンさんの姿が見えない。シェイクスピアさんは元々別に住んでいるし、ナポレオンはいるみたいだけど、相変わらずあまり私と接してくれない。
だから、あの時の会話の謎を聞く事ができないでいる。
「だからあんな変な夢見ちゃうのよ!ちゃんと説明してよね?全く……」
だいたい、ヴァンパイアなんている訳ないんだから。例え十九世紀でも!吸血鬼とか魔女とか騒いで不安を煽って。昔の人は人騒がせだ。
ところで魔女狩りって、流行ったの何世紀だっけ?セバスさんが来たら聞いてみよう。
・・・
ユイが厨房で朝食の下ごしらえを始めた頃、セバスは自室から出た。廊下にはスープか何かの匂いが漂っている。
「?……早いですね。ユイでしょうか」
もうナポレオンは食事を摂らない。作っているのはユイしかいないとセバスは思う。
厨房に入ると、案の定ユイの姿があった。
「あ、セバスさん。おはようございます」
「ユイ。今日は随分と早起きですね。もう大方出来上がってるじゃありませんか。怪我をしているんですから、無理しないでくださいよ?」
「怪我してたって、このくらいなら平気よ。早くに目が覚めちゃって、時間があったし。変な夢を見たの。……気分悪いったらないわ!」
鍋の中の料理を掻き混ぜながら、ご機嫌斜めの様子で彼女が言う。
「無理をしていないならいいですが……。それで、変な夢とは?」
「それがさ~。参っちゃうわよ。ねえ、魔女狩りが流行ったのって何世紀だっけ?」
「魔女狩り、ですか?魔女になった夢でも見たんですか」
「違うの。ほら、中世って架空の存在を信じてたりしたでしょ。だから……」
セバスは黙り込んだ。彼女はもしやヴァンパイアについて話そうとしているのでは、と思ったからだ。
「魔術を使ったと疑われて、制裁を加えられる事象は、古代からありました」
彼女の疑惑はさておき、セバスは歴史学者として事実を淡々と説明する事にする。
「十五世紀の魔女の概念は主に、悪魔と契約してキリスト教の破壊を企む背教者を指します」
「悪魔、ね……」
「そして十六世紀後半から十七世紀に最盛期を迎えます。ジャンヌさんの時代ですね」
「結局それって、集団ヒステリーみたいなものだったんでしょ?」
「良くご存知ですね。そうです。教会側や権力者が狩り立てたと思われがちですが、実は民衆が起こしたものがほとんどで、それが社会不安に発展したようです」
「要は、そんなもの存在しなかった、って事よね」
ここで何とか話を終わらせたい、とセバスは願う。自分が真実を語る事は許されないからだ。
かといって、意外に鋭い彼女に誤魔化し通す自信もなかった。
「ありがとう、セバスさんの説明聞いてたら冷静になれたわ。食事にはまだ早いから、門の前、掃き掃除してきますね」
「はい、ではお願いします」
笑顔で出て行った彼女を見送り、一安心する。
「どうして伯爵の不在中にそんな夢を見るのですか?……あなたという人は!」
一人残されたセバスは小言を漏らすのだった。
今、サンジェルマン伯爵は二十一世紀にいる。ついにユイのお相手探しの旅に出たのだ。
・・・
六時前の門前に、お洒落な服装の男性が立っていた。あれは……アーサー?
「アーサーじゃない。そんなところで何してるの。中、入らないの?」
「やあユイ!早いね。それがさぁ、女の子と一緒にいる時に、シャツ汚しちゃったんだよね」
着ているシャツの襟元を気にしている様子。
爪先立ちで覗いてみると、赤いシミができていた。
「それ、血じゃないの?!アーサー、ケガしたの?すぐ手当しなきゃ……」
「あ~!タンマ!オレはケガなんてしてないよ。優しいよね、ユイって!……伯爵の留守中に、横取りしちゃうってのもイイかも?」
アーサーが私に迫る。
箒でガードしつつ、シミの真相を暴きにかかる。推理作家相手にこんな行為は無謀かも。
「こんな時間まで女の子といたの?朝帰りなんて。その上彼女にケガさせたんだったら、それこそ伯爵に言いつけちゃうんだから!」
もしかして、四時頃庭を横切ったのもこの人かも。何やってるんだか!
「ケガさせたかって言えば~……させた事になるかなぁ」
「いけない人ね!全くイメージ違ったわ」
「イメージって?オレの事、どういうふうにイメージしてたワケ?気になるな、教えてよ」
アーサーがさらに一歩私に迫る。
朝っぱらから門の前で、イチャついてるカップルみたいに見られたら最悪!だってこの人、軽すぎるんだもの。見られるとしてもここの住人の誰かだけど。近所に民家はないから。
彼の体を押し返して距離を取る。
「いいからそのシャツ、早く脱いで。すぐに水に浸せば落ちるかも」この時代に漂白剤なんて便利な物があれば別だけど!
「ここで脱ごっか!」
「バカ!」
私はアーサーを邸の中に引っ張って行った。
彼の体は温かい。やっぱりヴァンパイアなんて作り話だ。
血のシミを付けて帰ったアーサーを見てさえ、私は信じようとしなかった。血を飲んだばかりだから体が温かかったなんて事も、考えなかった。……ううん、考えないようにしていただけかも。
厨房に戻って、先にセバスさんと二人で食事を済ませてから食堂にビンを並べに行く。
この中身だって、私には知らされていない。ただの滋養強壮剤としか。
「ちょっとくらい味見しても、いいよね?」
食堂にはまだ誰もいない。
私は思い切って赤の液体が入ったビンの蓋を外そうと手を掛けた。
「おい」
「うわっ!!……ビックリさせないでよ。ナポレオン、おはよう。早いじゃない」
「蓋は外すなって言われただろ?」
「え?何の事?」
「しらばっくれるな。今外そうとしてただろうが」
私は憎々しげにナポレオンを睨む。
「いつまでもそんな顔してると、ブスになるぞ」
私に近づいて来ると、私の顎に手の平を当てて両の頬を長い指で摘まんだ。
「ひょっと!……やめへよ、こっひの方がもっとブフになう!」
「ん?何だって?」
ナポレオンはアハハ!と豪快に笑いながら、私からビンを奪って席に着いた。
「……ねえ、それ美味しいの?」
「どうかな。俺的にはあまり好きじゃない」
「ふうん。なら、白いのにする?」
「いや。こっちでいい。白はもっと好きじゃない」
「そう。サンジェルマンさんとかレオナルドさんは、白の方が好きみたいよ」
「んなっ!何でお前がそんな事知ってんだ!」
「ここの皆さんの趣味、嗜好はセバスさんに余さず聞いてますので!」
「……全く、どんな教育してやがるんだ?」
ナポレオンは落ち着かない様子で私を見つめていた。
「とにかく、これはお前には毒だから、絶対に飲むんじゃないぞ?舐めるのもダメだ。いいな!」
「ナポレオンに飲めて、何で私に毒なのよ?」子供扱いされた気がして反論する。
「腹、壊したくないなら、やめとけって事だよ」
「お腹壊すのはイヤです!」
私はこう言い放って、勢い良く食堂から出た。
「私は忙しいの!これからアーサーのシャツのシミ取りしなきゃならないんだから!」
廊下で独り言として言ったこのセリフは、なぜか邸の住人全員に聞こえていたらしい。
どういうカラクリ?盗聴器でもあるとか!
その後アーサーが皆から散々叩かれて(朝帰りの事と思われる)、ちょっぴり落ち込んでいるようだった。
慰めになるか分からないけれど、コーヒーを淹れて部屋に運んであげた。
「アーサー、そんなに落ち込まないでよ。ほら、コーヒーでも飲んで」
「ユイって、ホンット優しいよね……。心に沁みるよ」
「朝帰りは、やめようね。あと、女の子に手を出すのもよ?暴力は絶対にダメ」
「暴力って?」
「手、上げたんでしょ?」
「コトの最中に、咬み跡をつけただけだよ」
私はその意味に今ひとつピンと来ておらず……。
「あ~もう、ユイったらウ・ブ!その辺のとこ、オレが手取り足取り、教えてあげよっか……?」
「ちょっ、やめて!遠慮しとく!」
「残~念。その気になったらいつでも言ってね」
私は急いで部屋を出た。「ホンットにこの人は油断も隙も……」そう呟きながら、閉じたドアにもたれて荒い息を吐いてるところを、何と住人の大半に見られていた。
「ヤ、ヤダ!……皆さんっ、こんな所で一体どうされたんですか!」
驚いた私を見つめる面々は、順にここにいる理由を説明し始めた。
始めに口を開いたのはレオナルドさん。「小娘の一大事じゃ、参上せずにいられないだろ?」
「大袈裟です!っていうか、何で分かったの?」
「うるさくて集中できないんだよ!静かにしてくれと言いに来ただけだ」モーツァルトが心から迷惑そうな顔で訴える。
そんなに大声を出したつもりはないけど?
「いやぁね、何か始まるのかと思ってね」興味津々な様子で言う太宰さん。
「伯爵不在の今、アーサーの魔の手から守るくらいは……俺でもできると思うよ」
いつもよりも強気で宣言するアイザック。
「俺も一応軍人だ。平穏を乱す者は許さん」ジャンヌさんは淡々と。
そして最後に、怖い顔を私に向けてナポレオンが言う。「お前には、警戒心というものがないのか?」
「コーヒーを部屋に運んだだけで、何を警戒しろっていうのよ」
「どこまで鈍感なんだ、お前!」あんな事まであったのに、信じられねぇ!と呟く。
「ナポレオン。そんな言い方は可哀想だろ?小娘は何も知らないんだぞ」
レオナルドさんの言葉を受けて、私は口を挟んだ。
「ちょっと何なの?皆して。私が何を知らないっていうの?」言っときますけど、襲われた時の対処法くらい知ってるんだから。
「悪いな、伯爵からお許しが出てないんで、打ち明ける訳には行かないんだ。だが一つだけ」
レオナルドさんが、腰を屈めて私の耳元に近づいた。「俺達は男で、あんたは女って事だ」
「何よ!そんな事知ってますから!」
私が声を荒げた時、部屋からアーサーが出て来た。
「あ~あ~!オレってばそんなに信用ないワケ?手なんか出さないってば。一応オレにだってね、節操くらいあるんだよ?」
「信用が持てないから、皆こうして集まってるって事だろ?」
あっさり答えるレオナルドさん。見たところ、ゴッホ兄弟以外は全員いる。あの人達はまた遠出して絵を売りに行っているのか。
「ああ、そうですか!全く。オレの事悪いオオカミみたいに言っちゃってさ。ごめんねユイ。せっかくのコーヒーが冷めちゃったよ」
この時ばかりはアーサーに同情した。今さっき襲われそうになったのに?だってあれ、ジョークでしょ?
「コーヒー、淹れ直すよ。アーサー」
私の反応に、一同の目が集まる。「な?何ですか?」
「ユ~イ~!君ってば、本っ当に優しい!泣けてきちゃうよぉ~」
アーサーは私に抱きつこうとしたところで、ナポレオンに阻止される。
「ま~たまた。ナポ君、邪魔しないでよ。ただのハグでしょ。それもダメなワケ?」
「ああ。ダメだな」
これって、ナポレオンがヤキモチ妬いてる?だったら嬉しいんだけど!何だかんだ言って、やっぱり私はナポレオンが好きなのかも。
こんなオレ様オトコなのに?私ってば案外、マゾだったのかなぁ……。