それは、ほんの偶然に過ぎなかったのだ。私があの娘に出会ったのは。
私はサンジェルマン。僭越ながら、伯爵の地位を与えられている。
これまで様々な事に手を出してきたが、今はタイムトラベルがマイブームだ。旅行が趣味の私にはまさに打って付けだよ。
なぜそのような事ができるのかは、秘密という事にしておいていただきたい。
「やれやれ。やはりこの時代がしっくり来るよ。あの人の多さは何だ?未来の人口は一体、どうなって行くんだろうな。いささか心配だ」
重々しい扉のノブから手を離した時、邸の部屋から男が一人出て来た。
「伯爵、また行ってたの?好きだね~。で?どうだった、いいコいた?あっちの世界に」
彼はアーサー・コナン・ドイル。推理作家のあの人物だ。このコメントから分かる通り、軽い性格で少々女癖が悪い。彼の頭の中には女のコ、しかいないのかもしれない。でもまあ、いざという時は頼りになる男だよ。彼の頭脳はダントツだからね。
「人間観察に行っていた訳じゃないからね」
「なぁんだ。でも今度行く時は、オレも連れてってよね!」
軽くあしらってアーサーと別れ、書斎へ向かう。
この邸には、私の呼び寄せた様々な時代の世界各国の天才達が暮らしている。私の興味を引いた人物かつ、ある条件を受け入れた者だけがここにいる。
彼等は皆、一度人間としての生を終えている。亡くなる直前に私が甦らせ(この段階で若返る)、ここへ連れて来た。
何人か例外もあるが、人間ではないという事は共通している。
この辺で種明かしをしよう。私はヴァンパイアだ。この身と成り果ててから、かれこれ三世紀は経つだろうか。
お察しの通り、条件というのはヴァンパイアになる事。
それはつまり、不死身の肉体と永遠の生を手にする事になる訳だが、決して良い事ばかりではない。だから条件を受けてくれなかった者もいるし、成功しなかった者も(申し訳ない事に)いる。
ヴァンパイアになるに当たって最も重要なのは、精神力の強さだ。それが足りない者は転生する前に力尽きるし、上手く転生したとしても長くは続かない。心がね。
それはなぜか?永遠を生きるという事は、それだけ根気がいるという事だよ。
因みにここは十九世紀パリ。ここが私の一番落ち着く世界だったので、ここに邸を構えている。
本当は時空のハザマにでも住みたいところだが(時空管理人とかいう職業があるならば!)、そうも行かないのでね。
なので私の手によって生まれ変わった者達には、有無を言わさずここに住んでもらっている。
その住人達については、追々紹介して行く事としよう。
私が二十一世紀のパリに行った日の夜の事だ。何やら廊下が騒がしく、しばらくして執事のセバスチャンが部屋に駆け込んで来た。
因みにこのセバスチャン、この邸で彼だけは唯一人間だ。我々の正体も全て知っている。知って尚、この邸で働く事を望んでくれたのだ。
もちろんここの住人の誰一人として、セバスチャンを餌食にしようと考える者はいない。
人間の世界で共存するには、住人がヴァンパイアだけの邸は何かと不都合があるからね。
彼には本当に感謝しているよ。
「伯爵!少々よろしいでしょうか」
「何だい騒がしい。君らしくもない慌てようだね」
「申し訳ございません。あの、例の扉の前で女性が、倒れております……」
「扉の前だって?おいおい!そこから入って来たとでもいうのかい?悪い冗談だね」
あの扉は私しか使えない。ましてや、向こうから誰かがやって来る事はあり得ないのだが?
「見ていた者はおりません。ですが、状況から考えてそうかと」
おもむろに席を立つと、廊下に出て角を曲がり、例の扉に向かう。何とも甘い香りが先から漂ってくる。この香りは確かあの時の……。
セバスの言う通り、そこには女性がうつ伏せに倒れている。顔は見えないが、髪は濃いブラウンでウェーブのかかったロングヘアだ。
すでにアーサーと、もう一人の住人がしゃがみ込んで観察していた。
このもう一人はナポレオン・ボナパルド。あの誰もが知るナポレオン皇帝だ。ここにいるナポレオンはアーサーと同年代。確か二人は二十代半ばかな。
彼については、少々他の住人達と違いがあるのだが、追々話そう。
軍人の彼は困っている者を放って置けない性質なのだ。この邸では最も責任感が強いだろう。
「ホントにお前の連れ込んだ女じゃねぇのか?」
「酷いな~ナポ君ったら!オレってばマジで信用ないね。あ~、だけど何ていい香り!堪んないや。どうせもう疑われてるんだし……戴いちゃおっ!」
「この節操なしめ!」
倒れている女性からは、芳醇で、えも言われぬ香りが立ち昇っている。日に二度もこんな魅惑的な香りに出会うとは!……と、感動している場合ではない。
早急に手を打たねば彼女が餌食になる。
「はいはい、そこまでだ。二人とも、ちょっとどいてくれるかい?」
立ち上がった二人に代わってその女性に近づくと、やはり見覚えがある。耳についた金色のピアスでピンときた。
「おや。彼女には今日、タイムトラベル先で会ったな」
「なぁ~んだ!やっぱり伯爵が連れて来たんじゃない。ね!オレじゃないって言ったでしょ?」
「珍しいな、伯爵がお持ち帰りとは!」
「…………いや。持ち帰った覚えはないよ?」
私はしきりに首を傾げた。
一人でこの扉を通って、この時代に来たというのか?いやいや、あり得ない!
「伯爵、いかがいたしましょう」
「困ったね……。この邸に人間の若い女性を入れるのは気が引けるが、この状況では仕方がないだろう」放り出す訳にも行かないからね。
しかも、こんな香りを振りまかれては……!この私まで我を忘れそうだよ。
心で嘆いた瞬間にセバスと目が合う。
「ゴ、ゴホン!セバスチャン。彼女をゲストルームへ運んで」
念のため、あまり彼女の香りを嗅がないようにするとしよう。
それよりも、アーサーの事が気になる。彼の目が獲物を見る目に変わっているようだ。
「アーサー。絶対に、手を出すんじゃないよ。いいね?」
威厳を込めて警告すると、彼は我に返ったように私を見た。
「伯爵の持ち物と分かったら、手なんて出しませんよ~だ!」
別に私の持ち物ではないが、そういう事にしておこうか。
私は頷いて見せた。
彼女に感じた違和感。それは服装だ。昼に会った時と同じものだが、不自然に汚れている。まるで何日も着替えず、嵐の中を彷徨ったような。
さては、ここへ来るまでに寄り道をしたようだ。それにしても、一人で良くここに辿り着けたものだ。
何かある、と、ヴァンパイアの直感が言っている。
「さて。どうしたものかな……」
ベッドに寝かせて、セバスとしばし固まる。
「取りあえず~。その泥だらけの服、脱がせたら?」
部屋を覗き込みながら提案するアーサーの顔は、どこまでも興味津々だ。
「お前が言うと、ヤらし~事しか想像できねぇな!」
結局ナポレオンもついて来た。
でも彼はアーサーと違って、純粋に彼女を心配しているのだろうね。
「伯爵、確かにお泊めになるのでしたら、もう少し身綺麗にして差し上げた方がよろしいかと」
「そうだね。じゃあセバス、悪いんだが、温かい湯とタオルを何枚か。それと小さめのガウンか何か、彼女が羽織れる物を用意してくれるかい」
「かしこまりました」
セバスがきびきびと準備をする間、彼女を観察する。引き続き、二人が横から覗き見ている。
「だけど、何でこんなに汚れちゃってるの?誰かに乱暴されてたりして!それって、ここの住人の誰かに、とか~?」こんなご馳走を前にお預けなんて殺生だもんね~!と続ける。
気持ちは分からないでもない。セバスとナポレオン以外にとっては、と断っておく。
「アーサー、滅多な事は言うものじゃないよ?ここの者達は皆、節操のある大人だよ。ねえナポレオン?」
「ああ、そうとも!こいつを除いたらな」
「落ち込むね~、そのコメント!」
しばしの沈黙の後、ナポレオンが彼女の首元に手を伸ばしたので、一瞬ドキリとした。彼女から放たれる芳しいフレッシュな血の香りが、ハーフの彼すらも魅了したのかと。
ハーフと言ったのは、彼が完全なヴァンパイアではないからだ。これにはかなり複雑な事情があるようだが、実は私にも詳細は分からないんだ。
それにしても、こんなに美味しそうな香りはいつ以来だろう?……ああ、これは失礼。
「この傷………人間の付けた傷じゃないぜ」ナポレオンが眉根を寄せて言う。
「どれ?……ああ……そのようだね」
左右の首筋には似たような傷痕があった。咬み痕ではない。どちらも傷自体は治っているが、我々の目にはその疼きがはっきり見て取れる。
その時、彼女が左上腕を強く掴んで呻いた。
「ちょっとごめんね」
彼女の右手をそっと持ち上げて、シャツのボタンを外して肌蹴させる。その部分を直に確認すると、そこにも似たような引っ掻いた傷があった。
首筋のよりも深く、酷く熱を持っているのがすぐに分かった。
「どういう事だ?伯爵、今日この女に会ったって言ってたよな。その時、連れはいたのか?」
「いや、一人だと言っていた。周囲にヴァンパイアの気配はなかったが……」
「何だか厄介な事になりそうだね!さ、オレは退散しよっと。じゃ~、また明日!」
「珍しいな、お前が女のハダカ見ずに帰るとは」
「ナポレオン、そういう言い方はどうかな」
ナポレオンは肩を竦めて、本当の事だろ?と目で訴えてきた。その通りだけどね。
少しして、セバスが湯とタオルと着替えを持って戻ってきた。
「お嬢さん、できたら起きてもらいたいんだが。もし、聞こえるかい?」
日本語で声をかけてみたが、反応はなかった。
仕方なく男三人でああでもないこうでもない、ここは俺がいや私がと言い合いながら、服を脱がせて体を拭き、着替えさせる。
「セバス、随分手慣れてる感じだな。案外、女の扱いに聡いのか~。隅に置けないヤツ!」
彼には濡れタオルで体を拭いてもらっているのだが、確かに淡々と隅々まで拭き上げる姿は手慣れて見える。
「そうなの?セバスチャン」
「伯爵まで!お戯れはおやめください。私はただ、邸内のオブジェや彫像などを拭く手順で磨いているだけです」
「何だっ、掃除かよ!」
後ろから彼女の体を支えるナポレオンが毒づく。
ナポレオンに体に触れる役目を与えたのは、彼が温かい肌を持っているからだ。ハーフはこういう時に役立つ。私の冷たい手で触れては申し訳ないだろう?
ヴァンパイアには温かい血は通っていないからね。
だから私は、なるべく触れないように彼女の衣服を脱がせて行く。
「それじゃ、この調子で下も済ませようか」
私もナポレオンも、女性の裸体に慌てふためく時期はとうに過ぎている。人間のセバスチャンと違い、私は特にすでに複数回分の人生をやり遂げているのだから。
「お嬢さん、ごめんね。すぐに済むからね」
「おい伯爵!今、目ぇ覚まされちゃ困るぞ、黙ってやれよ!」
「そうは行かないよ。本来ならば本人の許可が必要な行為だ。訴訟問題は困るよ?」
「言い合いは後でお願いします、お二方」
どこまでも仕事堅気のセバスが一番冷静だったようだ。
こんな作業をしながら全身を確認した。
どうやら乱暴された形跡などは見当たらず、一先ず安心する。目立ったものは例の古傷のみだ。
「足にも傷がある。過去にヴァンパイアに襲われたって事は間違いないな。それに……」
「ああ。このリング。君も見た事があるんだね」
私の問いにナポレオンは頷いた。
それは彼女の左手中指に光っている。小振りだが、青緑色の透き通った石が何とも優しい光を放っている。
妙だな……、この石はもっと怪しげな輝きをしているはず。こんな光り方は初めて見た。
何より、このリングの材質は…………。
「これをしてるって事は、こいつは人間じゃないって事になるはずだろ?」
「ああ。だが、どう見ても人間だね」
その宝石はヴァンパイアの象徴で、通常は永遠の愛の証としてパートナーに贈るもの。
永遠の証。限りある命の人間には身に着ける資格すらない。
「何にせよ。きっとこの子は、酷い目に遭ってきたんだよ。可哀想に……」
何か事情があるようだ。
腕を掴んだまま呻き続ける彼女が不憫で、今度はセバスに氷水を持ってくるよう指示する。
「アーサーの言う事は一理あるかもな。関わらない方が良さそうだ。俺もイチ抜けた!じゃあな伯爵。お休み!」
「ああ、お休み。手伝ってくれてありがとう」
しっかり裸だけは見て行ったね、君は!
それにしても、どうしたものか……。
「伯爵。いずれにしろ、本人から事情を聞くのが一番かと。もうお休みください、あとは私が」
「いや。君には早朝から仕事があるだろう。邸の事をしてもらわないと困るからね。君こそ休みなさい」
「しかし、このような事を伯爵自らが!」
「いいんだよ。私は眠る必要もないしね。それに、うら若いお嬢さんをここで一人にはしておけないよ」
我々ヴァンパイアが本気で襲いかかれば、人間のセバスには対応しきれない。あえて口には出さないが。賢い彼ならば分かってくれるだろう。
「仰せの通りに。それではお先に休ませていただきます」
「ああ。ご苦労様」
さすが私が目をつけただけの事はあるだろう?セバスチャンはとても有能な執事なんだ。
そうそう、ここだけの話、彼は実は日本人。セバスチャンは私の付けたニックネームなんだ。
「うう……ん。ああ……熱い。いっ、痛い……!助けて、っ……先生……」
「大丈夫かい?痛むんだね。冷やしてあげよう」
傷の部分に冷やしたタオルを当ててやる。するとその私の手を彼女が掴んだ。傷口を押さえていたせいか、燃えるように熱い。
痛みに耐えているからだろうが、心拍が酷く乱れている気がする。
我々ヴァンパイアは、集中するだけで良く見えるし、良く聞こえるんだ。
「あれ先生……来て、くれたのね!……嬉し、い」
「……先生?残念だが、私は君の先生ではないよ」
彼女が呼んでいるのは、リングを贈ったお相手のヴァンパイアなのだろうか?先生、というと、確か日本語では幾つかの職業が当てはまるが。
「新堂、先生…………」
彼女が私の冷えた手を掴んで、安心したように名前を呟いた。
その名に、聞き覚えはなかった。