ナポレオンはセバスから頼まれた夜食を持って、ユイの部屋に向かった。
「ユイ。起きてるか?入るぞ」
返事はなかったが、ドアを開けて中に入る。ユイは静かに眠っている。
トレイをベッドサイドテーブルに置き、その横に座る。
「頭痛は治まったみたいだな。……良かった」
そっと額に手を置いてみると、また熱が出ているようだった。手をそのまま額に当て続ける。
食事の後なので、それ程冷えてはいないのだが。
「……気持ちいいい」熱っぽいユイには冷たく感じるようだ。
「悪い、起こしたか?」
「いいの。……もう夜?」
「ああ。皆食事を終えて、部屋に戻る頃だ」
今夜はもう邪魔者は入らないはず。邸の全員が、これからナポレオンがしようとしている事を知っているから。
「それは良かった」
「先に食え。薬を飲まないとな。また熱が出てきたみたいだ……」
ユイが上体を起こすのに手を貸す。
「お前、何でそんなに手、冷てぇんだ?」ユイの手を握ってナポレオンが言う。
「ナポレオンこそ、……今は、ちょっとあったかいね」
「ああ。メシ食った後は、皆そうだろ」
「皆、か。じゃ、私も食べたらあったかくなるよ」
ナポレオンは黙り込んだ。ユイが食事を始める。
「隠さなくてもいいよ。もう大体、分かってるから。でもね、どうしても分からないのは、あなたの事」
「俺か」
スープを
「最初の頃、ナポレオンはちゃんと食べてた……気がするのよ。あれは演技だったの?」
ユイは首を傾げたままスープを見つめる。
その手からスプーンを奪って、ナポレオンがスープを彼女の口元まで持って行く。
「ん~!零れたじゃない……っ。自分で食べるし!」
「見るに見兼ねて手が出ちまった。さっさと食え」
こんな軽口を叩きつつ、頭の中では話す内容を必死に纏めている。けれど、疑問点が自分の事で良かったとナポレオンは思う。自分自身の事ならば、幾らでも説明できる。
「食ってたさ。最初はな。お前がここに来る前から、ずっと」
「やっぱり」
「俺は元々人間だった。まあ他の連中だってそうだが。皆、転生したんだ。お察しの通り、ヴァンパイアにね」
「それじゃ……あなた達って本物なの?あの教科書に載ってる人達なの……?」
「だから、始めからそう言ってるじゃねえか」
「信じられる訳ないじゃない!」
「……まあな。だが、本当なんだよ。薄々、気づいてたんじゃないのか?」
無言だったが、ユイの顔はイエスと言っていた。
「その事はもういいの。私が今一番聞きたいのは……」
それが何かすぐに察して、ナポレオンは話し始めた。
「俺は、人間とヴァンパイアの狭間にいたんだ」覚醒するのに時間がかかった事を話して聞かせた。自分でも仕組みは良く分からないと。
「つまり今は、完全にヴァンパイアになったって事?」
「そういう事。だからお前と距離を取っていた」
「バレないように?」
ナポレオンが頷く。
「急に態度がよそよそしくなって……寂しかったんだからね?こっちは!」
「だから昼に謝ったろ?他にどうしろって言うんだ。俺のせいで秘密がバレて?お前を危険に晒す事になったとしたら!」
「危険って?まさかナポレオンが、私を餌食にするとでも?」
「誰でも、その可能性を持ってる。あの伯爵でさえな」
ここでユイはドキリとする。すでに餌食になっている事は、記憶にはないが体が覚えているのだ。
「どうした?また具合悪くなったのか。……やめるか?話すの」
「やめないで!大丈夫。ちょっと何か、体がゾワッとしただけだから……」
「覚えてないだろうが、ユイの恋人はヴァンパイアのようだ」
「うん」
驚かない彼女にナポレオンが驚く。「それってお前、思い出したのか?!」
「違う。そうなんだろうなって、思ってたから」
「なぜそう思った?」
「だって……サンジェルマンさんを見てると思うの。きっとどこか共通点があるのよ。あの人だけは、他の人には感じない何かがある」
「……伯爵だけに、か」
正式なヴァンパイアになっても伯爵には敵わないと思い知らされた気がして、ナポレオンは遣る瀬無い気持ちになる。
「ここの人達の冷たい手や甘い香り、瞳の煌きに、ずっと胸がざわついてた。ドキドキして、心臓が踊り出しそうになる」
「お前だけじゃなく、全ての人間にとって、俺達は悪い影響を与えてるんだ」
「そんな事ない!私の体はこんなになってるけど、心は……どこまでも穏やかよ。ナポレオンといる時は特にね」
この言葉は少なからずナポレオンを喜ばせた訳だが、彼女にお相手がいる以上、自分のものになる可能性は限りなくゼロに近い。彼は感情に封をした。
「伯爵は今、ユイの恋人を探しに二十一世紀に行ってる。どうやらそいつは医者みたいだからな」
「医者ですって!?……ウソでしょ」
「何だ、そこは予想してなかったのか」
「する訳ないでしょ!私がどれだけ病院嫌いか知ってるクセに……」
だよな、とナポレオンが笑った。予想通りの反応を楽しんでいる。
「俺にとってはそこが謎だよ。是非とも解明したいね」
「自分に恋人がいたってだけでも信じられないのに、相手は医者?あり得ないんですけど!」どうやって知り合うワケ?と嘆く。
「興奮しすぎ。また頭、痛くなるぞ?」
「益々怖くなって来た……」
「何が?」
「正直ね、怖い人なんじゃないか……って思ってて」
「なぜそう思う」
「分かんないけど!指輪で縛り付けたりとか?」
「リングをそういうふうに受け取るのはどうかねぇ。お前、ホントに男と付き合った事あんの?」
痛いところを突かれたといった様子でユイが固まる。実際、交際経験は彼のみだ。
「とにかく、そいつが来てくれれば、お前の体は治せるって事。もう少しの辛抱だ、頑張れよ」
お休み、とナポレオンは部屋を後にした。
一人残されたユイは、月明かりの中、自分の恋人について考えた。
「サンジェルマンさんに似てるなら、優しいのかもしれないけど……」
邸の住人が本物の偉人達で、かつヴァンパイアである事実よりも、自分の恋人の存在を信じる方が困難なのだった。
・・・
謎が明らかになって数日が過ぎた。
けれど今も私の不安は消えない。自分に恋人がいて、その人はヴァンパイアで医者?どういう事なのか全く分からない。
「ああん!もう……そんなの知らされたら、余計心臓に悪いじゃない」
騒がしい心臓はさらにパワーアップしたようで、私の呼吸までも乱し始めた。
「何だろう、何だか、息が苦しい……ううっ、誰か!来て……!」
自室で苦しんでいると、すぐにナポレオンが来てくれた。
「ユイ、どうした?どこが苦しいんだ」
「ナポレオン……、私の声、聞こえたの?」
「ああ。皆聞こえてるよ。きっと廊下に勢ぞろいさ」
「そ、そっか。ううっダメ、さっきから上手く息ができないの……ううっ!」
「おい、しっかりしろ!」
ナポレオンがドアを開けて叫んだ。「セバス!サヴリーを大至急呼んでくれ!」
そうか、セバスさんには聞こえないんだった。苦しさの中こんな事を冷静に思っていた。
気がつくと、私は病院のベッドに寝かされていて、口元を酸素マスクが覆っている。
「気がついたか?」
「ナポレオン……私……」
「嫌がるだろうが我慢しろ、もう限界だ。ここにいた方が安心だろ?」
「……怖いよ、ナポレオン!」
「大丈夫だ。ずっと付いててやるから」
涙が出て来た。子供じみた事はやめようと心に誓った矢先に!
「……泣くなよ」
「ごめん……っ」
「苦しくないか?」
「今は大丈夫」
鼻をすすって答えると、大きな冷たい手が額に乗った。「……熱いな」
「体中が熱いの。ねえ、私を抱きしめて」
「おい、ここでかよ!」
「熱くて堪らないの……お願い」
ナポレオンが私の枕元に近づいて、腕を背中に回した。そっと抱き上げられて、ひんやりした体が密着する。
「ああ……いい気持ち。……ありがと」
「冷えすぎると良くない。はい、終わりな」
「何で!もっと……してよ」
「お前なっ!言葉に気をつけろよ?アーサーじゃあるまいし……誤解するだろうが!」
急に慌て出して、どうしたの?ぼんやりした頭でいくら考えても分からない。
そこへサヴリー先生が入って来た。
「ユイさん。お加減はいかがですか?」
そういう事か。先生が来る事が分かって慌てたんだ。
「今、良くなってきました」今、ナポレオンが抱きしめてくれたから……。
先生は不思議そうな顔で私を見下ろしていた。
「ナポレオンさん、ちょっとお話が」
「何だ。ここで言えよ」
「しかし……」
言い出さない先生を面倒そうに見やり、ナポレオンは廊下に出て行った。
私に言えない事……。私、もうダメなのかな。自分の死を考え始めたのはこの時からだった。
・・・
ユイ、もう少しだけ待っていてくれ。
大急ぎで十九世紀に戻る。計画ではシンドウを連れて帰る予定だったが……二週間もかかって予定変更は少々キツい。
「レオナルド!いるか?頼みがある、どこだ!」
時空を繋ぐ扉を勢い良く閉めて声を上げる。
本当はこんな事をしなくても、全員に聞こえているんだがね……。つい焦りが出てしまった。
私の声を聞いて、自室からレオナルドが顔を出した。
「いてくれて良かった。お前にどうしても頼みたい事があるんだ」
「ようやく戻ったか。そんなに慌ててお前らしくないな。何だ?」
「私の部屋で話そう。……ん?ユイはどうした」彼女の気配も心音も聞こえない。不安が過ぎる。
「ユイなら病院にいるよ。一昨日だったか?入院したんだ」
「そんなに悪いのか?」
「俺も詳しくは知らない。ナポレオンが付き添ってるそうだ」
「そうか。ナポレオンがいてくれているなら安心だね」そう答えつつも心配でならない。
さらにもう一つ何かあるようだ。なぜ分かるのかって?付き合いの長い友の顔を見れば、そのくらいは分かるんだよ。
「こちらサイドからも報告がある」
ほらね。「いい知らせか、悪い知らせか先に知りたいね」
「お前にとったら悪い知らせかな」
「……そうか。で、何だい」
「そう不機嫌になるなよ。そこまで悪くはないと思うぜ」
「いいから早く言ってくれ!」あまり時間がないんだよ、と目で訴える。
レオナルドは両手を広げてため息をついた。
「ユイが俺達の正体に気づいた。ナポレオンに打ち明けさせたぞ。隠してもいい事はないだろ?」
「……そうか。彼女は賢いからね。こうなる事は予想していた」それで問題は……。
私が言い出す前にレオナルドがそれを口にした。やはりお互い、顔を見ただけで言いたい事が分かるようだ!
「リングの贈り主については、まだ何も思い出していない」
「しかし、彼女の状態が悪化したのは?」
「分からん。時間的経過によるのか、心因的負担からかなのか……。その両方かもな」
「私の留守中、何かあったのか?」
「いいや。特段何もない。相変わらずの毎日さ。ユイのやんちゃ振りが見られなくて、静かだったってくらいだな」
もう時間がない。この手に賭けるしかない。
「レオナルド。頼みというのは、女性を一人、口説き落としてほしいんだよ」
「ああ?」
「お前に打って付けの役目だと思うんだが」
「イイ女なのか?そいつは」
「会った事がないので何とも言えないが……まあ、悪くはないと思うよ」
ヴァンパイアは美形しか存在しないからね。……性格はともかく。
「俺もこう見えて忙しいんだ。自分でやればいいじゃないか。お前だって十分通用する」
「苦手なんだよ、そういうのは!俺の性格は……知っているだろう?」
「ハハン!どうだか。裏で散々女を泣かせてきた事も知ってるぜ?」
何を言う、女を泣かせる趣味はないぞ?
「そんな話はどうでもいい!引き受けてくれるのか、くれないのか答えてくれ」
「お前の頼みじゃ断れない。やってもいい。どうせ、一筋縄じゃ行かない相手なんだろ?」
ああその通りだ。だからお前に頼んでいるんじゃないか?またも目で訴える。
「そうと決まればすぐに向かおう」
「ちょっと待て、向かうってまさか……」
「そのまさかだ。一緒に二十一世紀へ行ってもらうよ」
私はレオナルドに全てを説明した。
シンドウを解放させるにはジェーンを説得するのが先決だ。
彼は掟に背く行為(人間のユイとの交際の件か)により拘束されているようだが、実際のところはジェーンの独断らしい。彼女さえ説き伏せる事ができれば、シンドウに接触できるはず。
「ヴォルトゥーリとはまた、面倒な連中に目を付けられたな、その男は!同情するぜ」
「ユイを助けられるのは彼だけだ。早急にここへ連れて来なければ……」
「どの道ユイはこっちの世界に来てなくても、そいつと離れ離れだったって事か」
「そうなるね」
ヴァンパイアに命を狙われている彼女を、私は無意識にここへ呼び寄せたのか。
ふふ!やるじゃないか、サンジェルマン?自画自賛、というのかな?こういうのは。
「さあ、急ごう」
「状況をナポレオンに報告してやった方がいい」レオナルドが指摘してくる。
「誰かに伝令役をしてもらおう」
こんな事を口にするや、一番近くにいたらしいテオドルスが聞きつけて顔を出してくれた。
「俺が行ってやってもいいぜ。兄さんは今、描いている絵が佳境に入ってて邪魔したくない。ちょうど手が空いてる」
「助かるよ。話は聞こえていたね?」
「ああ。上手くやれよ、レオナルド」
「誰に言ってる?アーサーと違って百発百中だよ、俺は!」
テオドルスは大袈裟に頷いた後に笑った。
私の可愛い息子達。(レオナルドは違うよ?)私が転生させた、この邸に住まわせている彼等の事だ。皆私の大事な家族だ。今やそこには、もちろんユイも入っている。
絶対に、助けてあげるからね。