※この作品はR-18です。

トキヨジセツ~第二部・偉人達と恋の誘惑~   作:氷ユリ

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21 飢えた狼の説得法

 

 ロシア北西部、フィンランドとの国境近くの奥深い森に、ジャンヌと共に足を踏み入れる。

 

 未来のシンドウから聞いたその場所に、木造の建物があった。

 周囲に民家はなく、寂しくポツンと建っている。

「あれか」

「そのようだ。行こう」

 なるべく警戒されないよう、わざと音を立てながら進む。

 

 本人曰く、この頃は異常に敏感で、全てに壁を作っているらしい。

 

 転生してまずやる事は、吸血行為だ。一頻りそれを堪能すると、慈悲深い性格の者ならば自分を責め始める。罪なき人間を、数多く死に至らしめた訳だからね。

 人間世界と距離を取るか、自らを滅ぼすか。つまり彼は今、その狭間にいるという事。

 

「相当厄介だよ……。人間のユイに近づけるのは」思わず口に出してしまった。

「所詮、無理なんじゃないか?」不安そうにジャンヌが応じる。

「だが、彼に頼るしかない。幸い彼は我々の心が読める。悪意がない事はすぐに伝わるはずだ」

「っ!心を丸裸にされるのは、困るぞ……?」

 

「おや?君には何か、後ろめたい事でもあるのかな?」

 ボソリと呟いたジャンヌに突っ込みを入れる。

「そ!そんな事は断じてない!伯爵だって嫌だろう?誰だって!」

 

 彼は一体、何を興奮しているんだろうね。

「その辺は自分でコントロールしなさい」

「俺は一切しゃべらないぞ。そのコントロールに集中するんでな!」

「ああ、分かったよ。ついて来てくれてありがとう、ジャンヌ」

 

 済まないね、嫌な思いをさせる事になったなら、心から申し訳なく思うよ……。

 

「彼が来たようだ」

 私の声にジャンヌが前方を見て固まった。

「君はここにいてくれ」

 そう言いつけると、ドアの前に現れた男に向かって、両手を広げつつロシア語で声をかけた。

 

「初めまして。ドクター、シンドウだね?私はサンジェルマンという者だ」

「何の用だ」

「そんなに警戒しないでくれ。私はこの通り丸腰だよ」

 彼の目が、後方に控えるジャンヌの剣を捉えたのを見て、すぐに付け加える。

「彼は私の護衛だ。戦うつもりはない。君が変な気を起こさない限りね」

「変な気、とは?」

 シンドウの漆黒の瞳が森の緑を映して怪しく煌いた。

 

 人間の血を断っているなら当然渇いているはず。気が立っている者相手に穏やかな交渉を、とは行かないか。

 

「時間がないんだ。単刀直入に言おう。君にはきっと信じてもらえると思う」

「時間がない?ハハ!何を言う。永遠の命を手にしていながら!」

「我々の事ではない。君にとっても大切な存在となる、一人の人間の女性を助けてほしい」

「人間の女をだと?俺にそんな相手などいない。人違いだ、帰ってくれ」

「待て!私が言っているのは……」

 

 シンドウは背を向けると建物に入ってしまった。

 何度声をかけても、閉ざされたドアはこの日、再び開く事はなかった。

 

「今日のところは引き上げよう。しばらく泊り込みを覚悟してくれ、ジャンヌ」

「仰せのままに!」

 

 

 翌日も朝から押しかけ、玄関の前で声をかけ続けた。

 

 やがてドアが開いた。シンドウが出かけるようだ。

 

「帰ってくれと言ったはずだ。俺は出かける」

「話だけでも聞いてくれないか」

「忙しいんでね」

 この言葉を残し、シンドウは薄暗い森に消えた。

 

「参ったね……」

「後を追うか?」行く気満々でジャンヌが身を乗り出す。

「いいや。ここで待とう」

「俺達が張ってるのは分かってるはず。もうここには戻って来ないかもな」

 

 だからといって、あまり付きまとうのはねぇ……。彼にも彼の生活がある訳だし?

「ユイ、君のお相手は、なかなか頑固だね!」空に向かって呟いた。

 

 ジャンヌの予想は的中して、この日シンドウは帰って来なかった。

 

 

「別の手段を考えた方がいいんじゃないか?」

「こういう場合……日本人相手という意味だが、粘り強さが勝敗を決めるんだ、経験上」

「テオを連れて来なくて正解だな!」

 全くだ。気の短いテオやナポレオンには無理な作戦だ。

「急がば回れ、急いては事を仕損じるってね」

 

 我々が森にいるせいで、ここ一帯からは小動物はおろか、鳥さえも姿を消した。

 もともとここはシンドウのねぐらだから、生き物達は近づかないだろうが。

 

 そう、ヴァンパイアの周りには生物は寄り付かない。人間だけでなく、動物達もね。移動手段に使っている馬達も、本当は我々の側にはいたくないはずだ。いつも申し訳なく思っている。

 命の危険を本能的に感じ取るんだろう。こちらとしては、餌食にしようなどというつもりは毛頭ないのだが。悲しい事だ。

 

 静まり返った森で私達は時を過ごす。聞こえるのは、冷たい風が木々を揺らす音だけ。

 

「済まないね、こんな時間を過ごさせてしまって」

「いいや。構わないさ。イメージトレーニングはどこでもできるからな」

「それは何よりだ」

 ヴァンパイアは何かに飽きるという事がない。こうして何もせずに何日、いや何年でもいられるんだ。そんな事を、好きでするヤツはいないけれどね。

 

「伯爵の方こそ、忙しい身なのに災難だったな」

「災難なんかじゃない。ユイの一大事とあれば、私は何だって投げ出す覚悟だよ」

 

 

 それから二日が経ち、三日目の早朝。朝靄の中についにヴァンパイアの姿を見つける。どうやら彼が戻って来たようだ。

 

「冗談だろ?あんた達まだいたのか!……しつこい連中だ」

「やあ。話を聞いてもらうまでいるつもりだ。覚悟してくれ」

「呆れたね!」

 

 玄関に向かう彼に訴えかける。

 

「君の力が必要なんだ!誰よりも、君でなければダメなんだよ、ドクター・シンドウ」

「なぜドクターだなどと?転生してから医療行為はしていない。人間に近づいたら最後、助けるどころか殺してしまうからな!」

「そうとは限らないよ。やってみた事はないんだろう?」

「どうでもいいだろ?放っておけ!そもそもなぜ俺なんだ?医者なら他にもいるだろう。ヴァンパイアの医者もな!」どこか自虐的に答えるシンドウ。

 

「シンドウでなければダメなんだ。なぜなら、彼女の運命の相手が君だからだ」

「またそれか!知らないって言ってるだろう!」

「知らなくて当然だ、今の君はまだ出会っていない。これは未来の話なんだ」

 

 彼が立ち止まる。背中を向けたままだが、どうやら話を聞く気にはなったらしい。

 それとも、私の心を読んだのか。

「幸運にも君は外科医をしていると聞いた。場合によっては、外科的処置が必要になる」

 

 シンドウが私を強く睨みつけて言った。「誰から聞いた?今の俺に、人間のオペをしろと?気でも狂ってるのか!」

「君本人から聞いたんだ。二十一世紀のね」

 

 確かに、気が狂ったのかもしれない。実際本人も言っていた。人間の血に慣れていないあの頃の自分には、人間に触れる事すら無理だと。

 だが、相手が運命の人なら?きっと乗り越えられるとは思わないか?

「今の、聞こえたかな?」

「……なぜそれを!」

 

 口にするのは面倒だ。私は声を発せずに心で語った。これで本人に会って来た事は認めざるを得ないだろう。ついでに彼の必死な様子も伝わるといいのだが。

 

「バカな!お前は、一体何者なんだ?」

「ただのヴァンパイアだよ?まあ、私にはちょっと変わった趣味があるけれどね」

 誰にも真似できない、タイムスリップという趣味がね!

「あんた達が嘘をついてない事は分かった。が、それとこれとは別問題だ。断る」

「君の大事な人が死んでもいいのかい?」

「そう言われてもピンと来なくてね。別に知った事じゃない。今人間に会えば、確実に餌食にするだけだ」

「我々がサポートする!そうならないように。だから……」

 

「なぜそこまで人間の女に肩入れする?そいつはお前達の何なんだ?」

「彼女は……大事な家族だよ」

「人間だろう?家族だって?理解不能だ」

 鼻で笑う彼に向かって、真摯な態度で説明する。

「私だけじゃない。後ろの彼も含め、私の邸には多くのヴァンパイアが住んでいるが、皆彼女の事をそう思っているよ」

 

「だとしたら、気の触れた集団だな!」

「そうかもしれない。だが、君だって彼女に会えば分かるはずだ。一目会うだけでもいい。どうか、共に来てはもらえまいか?」

 

 彼はしばらく考えているようだった。どんな葛藤が巻き起こっているのか。

 拒絶している相手に無理にそれをさせようと言うのだから、当然、交換条件を出すよ。

 

「もし共に来てくれたなら、当面の食料を提供しよう。危惧する殺しをせずに食事ができる。見たところとても渇いているようだ。その分じゃ、長らくまともな食事を摂っていないのだろう?」

「本当にもう……俺の事は放っておいてくれ!」

「そのままでは持たないよ?医者ならばそのくらいは分かっているだろうがね。悪い話じゃないはずだ」人間の小娘に一目会うだけで、血が手に入るのだから!

 

「邸の皆も、君に興味津々でね。是非会ってみたいと言っている。歓迎するよ」

「場所は?」

「フランス、パリだ」

「パリだと?見た目に違(たが)わず華やかな場所にお住まいで!そんな人間が大勢いる所になど行けるか。どうしてもなら、そうだな……あと半世紀くらいは待ってくれ」

「ダメだ!もう数日だって待てない。今すぐに来てもらいたいというのに!」

 もう四日もムダに使ってしまったんだよ?

「なら、力づくで連れて行くんだな」

 

 やれるものならやってみろ、とばかりに言って来た。そうかい、ならばそうしようじゃないか。

 さすがの私もいい加減、こんな状況には蹴りをつけたかった事だしね。

 

「ジャンヌ、いいかい、極力丁重にね」

「了解した」

 私達は同時に動いた。前後から挟み撃ちして逃げ場をなくし、素早く拘束する。

「ゴッドハンドに怪我をさせるなよ?」ジャンヌに命じる。

「そういう伯爵こそ、気をつけてくれよ!」

 

 壮絶な闘いを想定していたものの、シンドウはほとんど抵抗せずあっさり私達の手に収まった。

 本当はただ、自分から行くと言い出せなかっただけなんじゃないか?日本人は控え目な性格が多いと聞くが、彼もそうなのか。

 

 全く手間のかかる男だよ!

 

 

・・・

 

 

「この薬、全然効いてねえみてぇじゃねえか!」

 ユイの部屋で、ナポレオンが痺れを切らしたように叫ぶ。

「そのようですね……。もう五日目ですよ?」横で見守るセバスが答える。

 

 伯爵が持ち込んだ点滴薬は、すでに三分の二は使い切った。

 室内に響く彼女の苦しげな息遣いが、さらに二人の焦りを助長する。

 

「伯爵はまだ戻らないのか!」

「ああ、困りました……ユイ、何とか頑張ってください」

「もう少し待ってろよ、きっと、シンドウが来てくれる。……クソ!そんな訳の分からねえヤツに頼るしかないなんて!なあセバス?」

「そんな言い方はいけません。ユイの、お相手なんですから。どんな方かは存じ上げませんが」

 

 最後のセリフにはやや棘があった。セバスも不本意だと感じているのだ。

 

 憎々しげに唇を歪めたナポレオンが、ふいに顔を上げた。

 この敷地内に三人のヴァンパイアの気配を感じ取った。

「来たか!」

 

「ナポレオンさん?」

 人間の感覚では何も感じられない。

 ポカンとするセバスにナポレオンが伝える。「帰って来たみたいだぜ」

 

 この言葉を残して、ナポレオンは音も立てずに部屋からいなくなっていた。

「あ!待ってください、ナポレオンさん!」

 

 セバスが玄関に辿り着いた時、タイミング良く扉が開いて伯爵が入って来た。

 

「おや二人とも、出迎えご苦労だね。戻ったよ」伯爵が笑顔で労う。

「遅かったじゃねえか!ユイの容態、全然良くならないぞ!もう薬も残り僅かだ。どうするんだよ!」

「ナポレオン、落ち着け。ドクター・シンドウを連れて来た。さあ、入ってくれ」

 

 伯爵に促されて邸内に足を踏み入れる一人の男に、ナポレオンとセバスの視線が集中する。

 

「っ!……なぜ人間が?!」

 セバスの姿に当然の反応を示す新堂。

「彼は執事をやってもらっているセバスチャンだ。人間だがとても優秀だよ?君とも同郷だね」

「挨拶なんかいい!早く診てやってくれ」

「ナポレオン、そう焦るな。こっちにもいろいろ事情がだね……」

 

 新堂を気遣う伯爵だが、彼は手を上げて答えた。「……とにかく、患者を診てみよう」

「大丈夫かい?食事を摂ってからの方が、いいんじゃないかな」

「緊急の事態だと困る。先に患者の所へ案内してくれ」

 

 この発言で、彼の責任感の強さを見て取った伯爵は笑顔で頷いた。

 

 

・・・

 

 

 気を利かせているのか、住人達が新堂に群がる事はなかった。

 彼は控え目な性格のようだから、大勢で出迎えられるのは苦手なのではと思っていたので、ちょうど良かったが。真っ先にセバスに会ってしまったのには、少々焦ったけれどね。

 

 ユイの部屋の前で立ち止まる。ナポレオンがドアノブを回して開くと、中から強烈な人間の血の香りが溢れ出した。

 我々は慣れているが、彼には相当堪えるだろう。

 

「大丈夫かい?シンドウ」

「くっ!ああ……すでに、理性が飛びそうだ!」

「とにかく診てくれ、早く!」

 

 ナポレオンに半ば強引に部屋の中へ引き込まれ、枕元に連れて行かれる新堂。

 私はそれを後ろで見守る。毎度思うが、ユイの苦しげな顔を見るのは辛い。

 

「……おい、この薬剤が例の特効薬か?」

「そうだ。それを大量投与しろと指示を受けた」

 血の匂いと戦っているのだろう。顔をしかめながら尋ねる新堂に、指示したのは未来の君だよと心の中で付け加える。

 

「これだけではダメだ。正常に機能していない心臓では、全身に薬剤が回っていない。これでは意味がない!」

「どういう事だ……?」ナポレオンが新堂に強い視線を向けた。

「駆けつけて正解だな。並行して、心機能を補助する薬も必要って事だ。今から言う物をすぐに手配してくれ」

 新堂の指示を受けて、早速セバスに頼む。「セバスチャン、頼むよ」

「かしこまりました」

 

 

 こうして薬剤を入手して、ユイへの処置を済ませる。

 

 点滴針を抜き刺しする時に滴った血液に何度も手を止めはしたが、新堂はきちんとやり遂げてくれた。

「こんな過酷な事をさせて、本当に申し訳ない。私が君の立場なら、逃げ出しているかもしれない。君はとても勇敢だよ」

 

 食堂にて、ルージュとブラン両方を並べて彼をもてなす。

 

「……いや。そうでもないさ。食欲に負けてついて来ただけだしな」

「構わないよ。腹が減っては戦はできぬ、だったかな?」場を和ませるために日本語で言ってみた。

「サンジェルマン伯爵、でしたね。多言語を習得されているとは素晴らしい」

「ユイもだよ。彼女はなかなか優秀なんだ」

 

 新堂が難しい顔で何かを考えているようだ。

 

「どうかしたかな?」

「それが……彼女の心が、全く読めなかった」

「それは眠っていたからじゃないのかい」

「どうだろう。これまでそういうシチュエーションがなかったので、何とも言えない」

「きっとそうだよ」

 

 こんな会話をしつつ、私も一緒にブランを戴く。

「お味はいかがかな?白い方も案外いけるだろ」

「まさかこんな物を、血液の代替物としているとは驚いたね」

「君の所では食さないのかい?」

「ないね!」

 どこか軽蔑の笑いを交えながら返された。

 

 そうなのか。万国共通と思っていたんだが。

 

 

 それから数日が過ぎ、ついに特効薬も使い果たした。

 ユイ、お願いだから、目を覚ましてくれ!

 

 

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