どうなってるの!気がつくと私は、未だに空中から自分を見下ろしていた。
横たわる私の周りには、新堂先生とサンジェルマンさん、それにナポレオンがいて、とても心配そうにしている。
(私はここよ!誰か、気づいてよ!ねえ新堂先生ってば!)
どんなに呼びかけても、誰も視線を上に向けようとはしない。
何度も自分に向かってダイブ(言葉のとおり!)したけれど、気づくとここにいて自分を見下ろしている。戻り方が分からない!
ずっとこのまま?ウソでしょ……。この場から動く事もできず、ただただ呆然。
「おい!お前、寝すぎて脳ミソ、腐っちまうぞ!」
枕元にしゃがみ込んだナポレオンが、何度も声をかけてくれている。
(起きてます!ねえってば、私はここにいるの!)
眠り込んだ自分は当然微動だにしない。……でもちょっと待って、もしこれで下の自分が目覚めたら私はどうなるの?
一瞬、恐ろしい事を考えてしまった。取り残されて、地縛霊とかになる?!
「……なあ、ユイの手、少し温かいぞ」
「心臓がまだ動いているんだ、体温があってもおかしくない」
ナポレオンが握っていた私の手を離すと、新堂先生がそこに触れてくる。
そんな感触も、もちろんない。
「これだと、まるで君みたいだね、ナポレオン」
「あ?ああ、そう…………だな」
「どういう事だ?」
「彼はつい最近まで、人間とヴァンパイアの狭間にいたんだ。ハーフって感じかな」
新堂先生が驚いている。やっぱりハーフなんて滅多にない事なのだ。
出会った頃、ナポレオンの手は温かかった。ちゃんと体温があったし、心臓の音も聞こえた。一緒に食事したり……楽しかった日々を思い起こす。
サンジェルマンさんの読みは当たりなの?もう、ハーフでも何でもいいから私を戻して!
「君はどうやって目覚めたんだ?」先生がナポレオンに聞いている。
「悪いんだが、その辺の記憶、まるでないんだ。クソッ!俺が何か覚えてれば良かったな」
「いいんだ。君を巻き込んでこちらこそ申し訳ない。気にしないでくれ」
新堂先生は案外冷静だ。
先生はいつだってそうだった。取り乱した姿なんて見た事がない。大人で、頼りになる人。時々融通が利かなくて困るけど!
実体のない意識の分際で、体操座りしてみる。できるのよ、これが。浮いているだけなのに疲れちゃった、声を張り上げすぎて。誰にも聞こえていないのに!
これからどうしたらいいんだろう……。
「アーサーにでも、知恵を貸してもらおうかな」サンジェルマンさんが思いついた。
「ムダに推理好きだからな。いいんじゃねえか?」
「それは誰だ?」
「私の邸の住人でね。推理小説を描いているよ。ほら、君も知っているだろう、シャーロック・ホームズは」
「アーサー、コナン・ドイルか?ヴァンパイアになっていたとは……!」
ね!やっぱりそう来るでしょ?先生が私と同じ反応で何だか嬉しい。感覚が同じ事って今まであんまりなかったから。
「ここへ……連れて来てもいいかな」伯爵がどこか控え目に許可を求めている。
「ユイと面識はあるんだろ?」
「ああ。彼もきっとユイを心配している一人だよ」
そして先生は当然オーケーを出した。「構わないよ。是非ともお知恵を拝借したい」
ああ、アーサー!あなただけが頼りよ、私に気づいてね……。
しばらくして、心待ちにしていたアーサーが伯爵に連れられて入って来た。
「ユイ~!ますます美しくなっちゃって!何なに、目、覚めないって?」
私を一目見るなりこう言うと、あちこち観察し始めた。
相変わらず軽いノリだなぁ。こっちは結構、切羽詰ってるんですけど?
「新堂、こちらがアーサーだ」サンジェルマンさんが紹介する。
「ドクター新堂、ようやくお目にかかれましたね。お噂は兼ね兼ね!」
「どうも……。彼女が世話になったようで礼を言う」
どこか警戒した様子で挨拶を交わしている。
「お世話されたのはこっち!彼女は天使みたいないい子だね。何度横取りしたいと思った事か!」
「アーサー!その辺にしておけ」透かさず伯爵の声が飛ぶ。
「お気遣いなく。彼女がそれだけ魅力的だという証ですから」
大人だわ、新堂先生!心の底では怒り狂っていそうだけど……。彼の独占欲は半端ないから。
これ、嬉しい悲鳴よ?
「それで、どう思う?アーサー」サンジェルマンさんが尋ねる。
「う~ん、そうだねぇ……」
しばらく私を観察した後、部屋を見渡し始めた。
(そうよ、こっち見て、アーサー!)私はアーサーに懸命に手を振って呼びかける。
彼に霊感なるものがありますように……。
アーサーの視線が、私の方に向いてピタリと止まった。私は大きく頷いて見せた。
「伯爵の言うように、ユイはハーフとして目覚める可能性が高いね。ここまで転生が進んで四日目だろ?心音は安定してるし。だけど、苦痛を感じてなかったってとこが怪しいよねぇ」
「考えられる事は?」新堂先生が先を促す。
「意識だけが肉体から抜け出してるとか?」
「幽体離脱、みたいなものか」サンジェルマンさんが言う。
(さすがアーサー!その通り!ご明察!)
せっかく話が纏まりそうだったのに、新堂先生は納得が行かないらしい。
「バカな!」
(バカじゃないの、ホントなの!)
全然会話になってないけど、口を挟まずにはいられない。
残念ながら私の姿はアーサーにも見えてはいないようだ。でも、発想が柔軟で助かった。
さすがはシャーロック・ホームズの生みの親!
「この部屋のどこかで、ユイは我々を見ているのか……」伯爵が天井を見上げて言う。
「ユイの事だから、戻り方、分かんな~い!とか、一人で騒いでたりして?」
(アーサーったら大正解!そうそう、どうすればいいか教えて!)
「…………ついて行けん」
(んもう、頭の固い先生は黙ってて!)
「ユイ、聞こえるかい?きっと大丈夫だから、もう少し待っていてくれ」
サンジェルマンさんの見上げていた場所は的外れだったけれど、そんな事は関係ない。
そう言ってもらえるだけで、私の心は救われました……。
気を取り直したのか、先生がアーサーに言う。「……で、意識を戻す方法は?」
「そっち方面の専門家じゃないから、オレにはさっぱりだね~」
「誰か、その手の事に詳しい者がいなかったかな」
「伯爵の人脈なら一人くらいいそうだな」とナポレオン。
「あまり彼女を、人目に晒したくはないんだが」先生が呟く。
(私もそう思ってたとこ、さすが先生だ)ま、伯爵が呼ぶのはヴァンパイアだろうけど?
「まあ……この手の現象は、何かのきっかけで戻るって言うよね」アーサーが言う。
「きっかけとは?」とナポレオンが透かさず尋ねている。
(王子様のキス、でしょ!)ああ、だけど今の私、何をされても感じません……。
「ユイが喜ぶ事、もしくは嫌がる事をするとか?」
「なら、注射でも打ってみるか」
(ちょっと先生、何でそうなる訳?!)
真面目な顔で先生が鞄から注射器を取り出す。
(待った~っ!!痛くなくてもそれだけはイヤっ!)
先生はそれを容赦なく定位置へと持って行く。
ところが針は、私の皮膚を突き刺す事なく折れた。
「刺さらないね」後ろから覗き込んで、サンジェルマンさんが呟く。
「そうだ……ヴァンパイアの皮膚に傷を付けられるのは、我々の牙と、一部の限られた鉱物だけだった」
「これでユイは確実に転生してるって分かったね。じゃあさ!手っ取り早く、新堂がユイに咬み付いてみるってのはどう?」
「アーサー。それはどうだろう」
(伯爵!ここはちゃんと止めてください!)
「全くお前ら!嫌がる事ばかり考えやがって。喜ぶ事でもいいんだろ?」
(ナイス!さすがナポレオン。皆、私を痛めつける事しか考えてないんだから……)
「あ~分かった!じゃ、セックスしたら?新堂!」
「アーサー!いい加減にしないか!」ついに伯爵の雷が落ちた。
あら、いいじゃない?それ、賛成!アーサーと気が合ったのは初めてだ。
そして先生の反応は微妙。「……少し、二人にしてくれないか」彼はポツリと呟いた。
それって先生、エッチする気になったの?
新堂先生は人払いをして、眠ったままの私と二人きりになった。
「さて。ユイが望む事くらいは、ちゃんと分かってる。だが。今それをするのは賢明じゃない」
(賢明じゃない?どういう意味?)
彼が自分の腕を見つめて、しばらくして手首に咬み付いた。
(ちょっと!何してるの?先生…………?)
「考えたら分かる。何日も食事を摂ってないんだ。力だって出ないよ。さあ、遠慮なく飲め」
(えっ?先生の、血を?)
彼は私の唇をこじ開け、手首から滴る銀色の雫を流し込む。
そのおかしな味が舌に広がった。甘いけど苦い、でもとてもいい香り。この間と違って、熱くない……って、私、感覚がある?
それを味わっているうちに、ぼんやりして何も考えられなくなって行った。
とても長い時間が経った気がする。私はようやく長い長い眠りから(悪夢から!)目覚めた。
部屋には先生の他に、サンジェルマンさんとナポレオンもいる。
「ねえ……?みんなに私の声、聞こえてる?」
「聞こえるよ。目覚めてくれて良かった。待っていたよ、ユイ」先生が代表して答えた。
私を静かに見下ろす面々を順に見て行く。
「おまえの体を傷つける行為は、二度としないと誓ったんだが……乗り越えてくれて本当に良かったよ」
苦しげな表情でこう呟いた先生は、私を強く抱きしめた。ひんやりした体が、私の意識を徐々にはっきりさせて行く。
「体は何ともないね?」体を離した先生が私に聞いてくる。
「ええ……。どこも痛くない。私、ヴァンパイアになったの?」全然そんな気がしない。相変わらず先生の体は冷たく感じるし。
「それがな…………」
「え、何よ……?」
答えてくれない先生から、サンジェルマンさんに視線を持って行く。
「どうかしたの?もしかして、ダメだったとか!」
「そうではないんだ。なあ新堂?」サンジェルマンさんはこれだけしか言わない。
何なの?この空気は。私、何かやらかした?
「お前は、昔の俺と同じって事。やっぱ似た者同士なのかもな!」
「ナポレオンと同じ?」
「ああ、彼がヴァンパイアのハーフだったって事は知っていたかな」サンジェルマンさんに穏やかに問いかけられる。
「はい。前に聞いてましたし、今までの話、全部聞こえてましたから」
私の答えに一同が目を丸くする。とっても不自然だ。ちっとも人間らしく見えないよって、教えてあげた方がいいかも?
「先生ったら、私の事咬むんじゃなくて、自分を咬むんだもの。ビックリして起きちゃったじゃない?」
「ユイは優しいね。自分が傷つくよりも、愛する者が傷ついた事を気にするんだから!」
サンジェルマンさんがこんなにステキな事を言ってくれたのに、私はそれに反応する間もなく質問する。「ところで、ヴァンパイアの血って毒でしょ?」
「人間にはね。それを飲めたって事は、君が人間じゃない証拠だ」と伯爵。
「だが完全なヴァンパイアでもない。ユイの心臓はまだ動いているし、体温もある」先生が続けた。
「本当に、ナポレオンと同じ状態なのね……」
私は改めてナポレオンを見た。何の感情も読めない彼の顔を。何を考えているの?
「なら、ナポレオンは私のお兄ちゃんだね」
無表情のナポレオンに何か言わせたくて言ってみた言葉だった。
「あぁ?」
読み通り乗ってきたみたいね。しめしめ。「あ、やっぱ先輩にしよっかなぁ。ナポセンパ~イ!」
「おい!やめろって……何が先輩だよ。思ってもないくせに!」
「兄役は私のだって思い出したんだもん」
「だから、それは却下だって言ったろうが!」
私達の言い合いを、不思議そうに先生達が聞いている。
あの晩餐会の時に私達がこんな話で盛り上がった事を、伯爵は離れた場所でレオナルドさんと喋っていたから、知らなくて当然だ。
仕舞いに私はベッドから起き上がって、言い合いが始まる。
「彼女、元気になって良かったね、新堂」
「……ある意味、手始めはハーフで良かったかもしれない」
「先生?何か言った?」
凄い。私の耳、かなり良くなってる!どんな些細な呟きでも聞き取れそうだ。
「何でもない。おまえはまだ半分は人間だ、くれぐれも無茶はするなよ?」
「なら、どの辺りからが無茶なのか、教えてくれる?」
先生が頭を抱えた。これは人間っぽいわ。
一転してサンジェルマンさんは、穏やかに笑っている。この態度の差が、生きてきた歳月から来るものか、性格によるものなのかは、まだ判断がつかないけれど。
「冗談よ。それより喉が渇いて仕方がないの」
「ルージュかブランを持って来よう。ユイ、どっちがいい?……それとも普通の食事にするかい」
「ルージュで頼む」
なぜか先生が答えた。私は何でもいいけど。
「ブランはお嫌いかな?」どこか面白そうに尋ねるサンジェルマンさん。
その真意は私には分からない。
「ずっと気になってたの。何で二種類あるの?それってどっちも血液でしょ?」
「ブランは代替品なんだよ」
「それ以上の説明は不要だ。ユイにはルージュで」話を遮って、先生が断言した。
「何でもいいから、早くお願いします!」
ナポレオンがセバスさんの所に行く役を買って出てくれた。
私が自分で行っても良かったのに、と思った矢先に伯爵が言う。
「ああそうだ、ユイ、ここは十九世紀じゃないからね。この邸はそっくり同じだけど、ここには誰もいないんだ」
「え?そうなの!それじゃ……新堂先生がいるって事は二十一世紀?」
「いいや。十八世紀だ。訳あって今、二十一世紀には行かない方がいいんでね」
その後、新堂先生が状況を話してくれた。
先生を狙っていた女ヴァンパイアの事で、レオナルドさんまでが力を貸してくれているらしい。
「レオナルドさんは……大丈夫なの?」
「ああ。あいつなら心配ないよ」
サンジェルマンさんは事も無げにそう言うけれど、私は不安になって先生を見る。
「本当に、何から何まで申し訳ない」
新堂先生は伯爵に向かって深く頭を下げて言う。それを見て私も慌てて頭を下げる。
「おいおい、やめてくれないか、二人とも!別に大した事は何もしていないよ?」
「それは逆に嫌味に聞こえるぜ?伯爵!」
いつの間に戻ったのか、こんなナポレオンの突っ込みが聞こえた。
「随分と早かったね。…………」
部屋に姿を見せたナポレオンに、サンジェルマンさんが声をかけた後、何か腑に落ちない様子で眉根を寄せている。
「さあユイ、飲め!」
ナポレオンが勢い良くルージュのビンを差し出して来た。
恐る恐るビンを受け取るけれど、あからさまな血の匂いに思わず顔を背ける。
「血を前にしてその様子じゃ、やっぱりまだ完全なヴァンパイアではないな」
こんなナポレオンの言葉が、逆に私に火を点ける。何よ、自分だって少し前までそうだったじゃない!飲んでやろうじゃない?
「お味はどうだい?」
「美味しいとは、言えないかな……」さすがにここで嘘はつけなかった。
新堂先生に急かされて、顔を歪めながらも一気に飲み干した。
まさかこれを自分が飲むとは思っていなかった。中身は大体検討ついてたけど。
ナポレオンが私のこんな様子を見て笑っている。でもこの笑顔を見るに、バカにされてる訳ではなさそう。
私の今の気持ちを一番理解できるのは、ナポレオンなのだ。
「やっぱり普通の食事にすれば良かったかな」サンジェルマンさんが心配そうだ。
「いいや。ここは無理にでも摂取してもらう。早くハーフなどという不安定な状態から、脱却させなければ……」対する先生は容赦ない。
「不安定、ね!」
ナポレオンが不服そうに呟いた。
ごめんね、ナポレオン。先生もあなたを否定したつもりは、きっとないと思うから……どうか許してあげてね。