ある事実が発覚した。
時空の扉を使えるのは私だけだと思っていたが、実はナポレオンもなのだと!
彼がここへ来た経緯は不明だ。私が転生させたのではない。ここへ連れて来た訳でも。
あの扉が使えるとなると、ナポレオンは自らあそこを通ってここにやって来た事になる。目撃した者も本人も覚えていないので確証はないが。
今回、ユイのためにルージュを取りに戻った時、ナポレオンは(無意識にだろうが)一人で扉を通り抜けていた。
ここだけの話、これは単に私が連れて行くのを忘れたんだよ。目覚めたユイに夢中のあまりね。
そして彼女もあの日、一人であの扉をくぐってここへ来た。
ユイがハーフとなった今、二人には多くの共通点がありそうだ。時に度肝を抜く言動をするという点でも良く似ている。もしかするとこの二人、本当に兄妹なんじゃないかな?
ルージュの摂取に苦戦しているユイを見守る眼差しは、どこか兄を感じさせた。
「ねえナポレオン、ハーフの時って、辛かった?」
「別に……辛いと思った事はない。むしろ今が辛いね。第一に眠れない!」
言うと思ったよ……。君は睡眠をとても大事にしていたからね。生前、十分な睡眠を取れなかった代償に!
「あ、そうだ!私、試してみたい事があるの。ナポレオン、付き合って!」
「おい。言った側からこれか?目覚めたばかりなんだ、大人しくしろ」
新堂が引き留めるも、彼女は従う気はなさそうだ。
「飲んだら元気になった!先生はきっと付き合ってくれないから。ナポレオン、来て!」
「どこ行くんだ?おい、待てよ!」
二人は連れ立って外へ飛び出した。文字通り、窓から(断っておくが、ここは二階だ)飛び出したんだ。彼女が人間の頃からこれをしていたのは、すでに知っている。何しろ本人が(酔った勢いで!)打ち明けてきたからね。
「……今の、聞こえてしまったよね」チラリと新堂を見て確認する。
「しかと聞こえた。どこに行っても相変わらずのようだな!」
「あまり叱らないでやってくれ。まあ、女性の行動としては、どうかと思うけれどね」
申し訳ない、ユイ!口が、いや……心が(?)滑ってしまった。
「それでユイは何をする気だろう」
「決まっている。恐らくナポレオンと勝負する気でしょう」
「勝負?」
窓から外を覗く。二人が庭で対峙している。
「手加減無用よ。ナポレオン、いざ、勝負!」
「勝負ってお前、ついさっきまで寝たきりだったんだぞ?新堂の言うとおり、大人しくだな……」
「来ないならこっちから行くよ?」
ユイが言うと同時に姿を消した。
「驚いたね……。今の動き、君は見えたかい?」
「……いや。だから言ったんだ!ハーフですらこれとは。恐れ入ったよ、朝霧ユイ!」
「彼女はとても運動神経が良かったからね」
「それもご存知とは!さぞご迷惑をおかけしたんでしょうね。重ね重ね申し訳ない」
新堂が頭を下げてくる。
確かに彼女はお転婆で目が離せないところがあるけれど、それも可愛いじゃないか?
時にはお灸を据えた事もあるがね。
「大いに据えてくれて結構でしたのに!」
「ん……?また読んだね?」
「あ……ついクセで。申し訳ない」
「別に構わないよ」口にする手間が省けるというものさ。
階下では姿を現したユイが、ナポレオンを追いつめていた。
「おいっ、タンマ!……くそっ!」
「気にせず全力で来てよ?」
仮にも女性相手に、ましてや愛する者相手に全力で挑める訳がない。ユイも残酷だね。
私が心で嘆いた時、横にいた新堂が消えた。
気づくと彼はユイの動きを背後から封じている。
「ああん!邪魔しないで……先生!」
「いい加減にしろ」
「ならあなたが相手になって」
「俺が容赦しないって事、知ってて言ってるのか?」
「もち、ろん!」
ユイは新堂の羽交い絞めを容易に解くと、彼の襟元を掴んで投げ飛ばそうとした。
「大人しくしろと、言ったはずだが?」
新堂はそんな彼女の動きを見切っていたらしく、腕を払って自由を取り戻すと、あっさりユイを横抱きにした。
「きゃあ!……何でっ!?」
「おまえとどれだけ一緒にいたと思ってる?おまえの動きは全てお見通しだ」
新堂とユイがいた時間は、我々ヴァンパイアからすればごく僅かだ。だが新堂はきっと、その全ての時間を彼女に
……ああ!妬けるね、全く。
「深い愛を感じるよ、羨ましい限りだ」
「……ったくだぜ。あ~あ、やってらんねえや!」
どうやら、ナポレオンも同じ事を考えていたようだ。
新堂がユイを降ろした。
彼女は尻餅を付いていたナポレオンに手を差し伸べる。
「ナポレオン、付き合ってくれてありがとね」
「ん……別に。あんまり役に立てなかったな」
「十分よ。ごめんね、変なお願いして。ナポレオンが優しい男だって知ってたのに」
おやおや、ナポレオンが照れているよ!これは珍しい光景だね。これを高みの見物っていうのか。なかなかいいものだ。
本当にユイが来てからというもの、波乱万丈な日々を過ごしている。ウィルが浮き足立ってしまうのも、分からないでもない。
「さあ、そろそろいいかい?今後の事を話し合おうじゃないか」
私は一声かけて三人を部屋に呼び戻した。
「これ以上、サンジェルマン伯爵のご好意に甘えるのは……」
「ったって、行くとこないんだろ?」ナポレオンが事実を突き付ける。
「一番望ましいのは、元の時代に帰る事だ。それができないのならば、別の手を考えるしかない」
ユイを元の時代に帰して、危険に晒す事だけは避けたい。
「私は今までどおり、皆で一緒に暮らしたい。もちろん新堂先生も!」
新堂の腕に絡みつきながら答えるユイ。本当に彼の事が好きなんだね……。
「だとすると、十九世紀には戻れないね」
「いっそ、丸ごとこっちに移るか!」
「私は別に構わないけれど、他の住人達の同意は必要だよ?」
「もちろん、希望者だけでいいわ」
「しかし、そんな事が許されるのか?」
一人慎重派の新堂は、当然心配するだろうと思ったよ。
「もともと彼等は私が呼び寄せたんだ。どの時代に住もうと、本人達が望めば問題はない」
「そろそろ、レオナルドの事も迎えに行かないとな」
「ねえサンジェルマンさん?二十一世紀に行くなら、私も連れてって」
「何を言っている?それができないから、今こうして話し合ってるんじゃないか」透かさず新堂が口を挟んだ。
「どうしても、蹴りをつけたい事があって」
またビックリ発言が飛び出したね。
ここはなるべく、さり気なく聞いてみよう。部外者の私がこんなに興味を示したら、困り顔の新堂に悪いからね。
「それは何の事かな?」
「ジェーンって人に……人じゃないか、ヴァンパイアに、話つけてくるの」
「ユイ!自分の状況分かってるのか?おまえはそいつに命を狙われてるんだぞ!」
「でも、もう半分転生してるし。狙う理由ないでしょ。それに今の見たでしょ?私はそう簡単にはやられない」
「おお!なら俺、見物に行こっかなぁ!」どこか楽しそうなナポレオン。
「ナポレオン……君まで!」味方が減ったとでも言うように新堂が嘆く。
「私、どうしても許せないの。新堂先生を苦しめたその女!一言言ってやらないと気が済まない」
「言うだけで終わらないだろ」
ユイが可愛い舌をチロリと出した。隙間から生まれたての牙が光っている。すっかりヴァンパイアだね、君は……。全然違和感がないところが凄いよ。
ある意味、これも運命だったのかもしれないね。
「いずれにしても、今日のところは休もう。ユイの目覚めたおめでたい日だ。久しぶりに晩餐会と行こうじゃないか!」
その晩、皆を十八世紀に呼んで、ここで新堂を迎えて晩餐会を開いた。
「新堂!来~たよ!」
「これはコナン・ドイルさん。先程はどうも」
「アーサーでいいって。で?ユイ、どう調子は」
「お陰様で、ご覧の通り」
アーサーが先手を切って新堂に声をかけているのが見えた。彼等は医者という共通点があるから、話が合うのかな。
アーサーは医師免許を持っているんだ。医者の仕事はしていないみたいだがね。ここだけの話、あまり使えない医者だったらしい。本人には内緒だよ?かなり気にしているから。
……おや。ユイは新堂と一緒にいないんだね。
新堂の示した先を見ると、ゴッホ兄弟とアイザックに囲まれた彼女が楽しげに会話している。
少しして、ジャンヌが私の隣りに現れた。
「伯爵。報告だ。十九世紀の新堂は国に帰った」
「そうか、それは良かった。で、様子は?」
彼の事は気になっていたんだ。ユイを治せない事を気に病んでいたからね。
「特に。ユイの安否を気にしてはいたが、転生の件は指示通り伏せておいた」
「助かったよ。これ以上、未来を予想させるような事を言いたくはないからね」
だがもうすでに、未来は多少変わってしまっただろう。今の新堂の中に、今回の記憶が追加されてしまったはずだから。
「時に、ナポレオンは落ち込んでいるかい」
「さあ、どうだろうな」
ホールを見渡すと、ピアノを弾いているモーツアルト、湯豆腐を前に満面の笑みを浮かべる太宰、その横に唐揚を頬張るナポレオンの姿が見えた。
「あれがヤケ食いならば、相当落ち込んでいると言えるだろう」
ジャンヌが珍しく笑っている。「どれ。確認してこよう」
「ああ。頼むよ」
私はこういう住人達の楽しげな光景を見るのが好きだ。いいね、実に愉快だ。ただ一つは、レオナルドがいない事が残念だな。
それとウィル。彼は辞退したんだ。反省してくれているのは嬉しいが。前回は少し、脅しすぎたかな?
ジャンヌと同じ事を思ったのか、ユイ達もいつの間にかナポレオンの方へ集っていた。
「ねえっ、ナポレオン!それヤケ食いってヤツ?」
「んぐっ!……阿呆、急に声かけんな!」
「そんな油の塊みたいなモン、よくガツガツ食えるな!見てるだけで吐き気するぜ」
テオドルスが相変わらずの毒舌を展開する。
「なら、こっちのをどうだい?」太宰が柔和な笑みを浮かべて湯豆腐を勧める。
「それこそ、な~んの面白みもねえだろうが」
これにユイが反応した。「それって湯豆腐?懐かしい~!」
「ゆき子さんも食べるかい?」
こちらも相変わらず太宰節炸裂だね。でも彼は、本当はちゃんとユイの名前を覚えているはずだよ。わざとだね、あれは。道化に徹して笑いを誘っているんだろう。実は悲しい男なんだよ。
ユイがそれに気づいているといいんだが……。
「ところで、食べても胃の中で消えちゃうんでしょ?意味ないって先生言ってた。皆、何で普通に食べてるの?」
唐揚を頬張るナポレオンに向かって聞いている。
「香りは分かる。雰囲気を楽しんでるんだよ」
「ふう~ん」
「お前はまだ腹に溜まるはずだ。食ってみるか?」
「うん!」
ユイがナポレオンから唐揚をもらった。口に入れてモゴモゴしている。
可愛いらしいね、本当に!見ていて全然飽きないよ。
大切な私の家族の動向を楽しく眺めていたところに、新堂がやって来た。
「伯爵。お隣、いいですか?」
「ああ新堂、もちろんだ。掛けてくれ。食べているかい?セバスの料理はなかなかだよ」
「いいえ、私は食べる習慣がないので」
そうか。残念だ。美味しいワインも揃っているんだがね。
「ならばこちらを」ルージュとブランを新堂に勧める。
「ありがとうございます」新堂は赤のビンを取った。
「ブランも是非試してみて欲しいな。案外いけるよ?」
頑なにブランを避ける彼に言ってみると、新堂は降参とばかりに打ち明けてくれた。
「ユイとの性交渉の折に口にして、あまりに美味で驚きました。たまたまだったんですがね」
そんな事があってさえ、これが血液の代替品になるとは思っていなかったとの事。
十九世紀の新堂にはあからさまに嫌悪感を示されたが、彼はまだ知らなかったんだね。ブランの素晴らしさを!
「確かに彼女のは極上だった……ああ、これは済まん」つい口に出てしまった。
一瞬、新堂の視線が突き刺さったが(当然だね)、彼は再びユイの方に目を向けた。
「彼女以外のものは、口にしたくないんです」
「そうか。君の気持ち、分かるよ。もう勧めないよ」
まだ彼女はハーフだから、もしかするとブランの方は味わえるかもしれないね。
今度試してみるといい。
「ユイは、ここの方々に本当に良くしていただいてるんですね。ようやくあなたと、ゆっくり話せます。彼女はなぜこのお邸に?あなたが連れて来てくださったんですか」
「いいや。ユイには美術館で会いはしたが、すぐに別れたんだ。彼女に会ったのはほんの偶然だよ。私が引き寄せたという認識もない」
彼女の本能が、私と出会った事で何かを感じ取り、ここへ向かわせたのかもしれない。
「ともあれ……本当に幸運でした。自分があんな状況では、彼女を守る事は不可能だった。まさかこんな事になるとは思いもよらず……」
「君も災難だったね。でも、これで万事解決だ」
「もう一つ難題が残ってますがね」
ユイがジェーンに会いに行くと言う話かい?まあ、それ程心配する事じゃないよ。私は笑いながら新堂に目を向けた。心を読んでもらえるのは楽チンだね。
「あなたの友人の、何と言ったか……」
「レオナルドかい?」
「そうそう!彼は本当にレオナルド・ダ・ヴィンチなんですか?」
「そうだよ。とても魅力的だろう?古くからの友人だ。大好きだよ」
おっと……。誤解を与える発言をしたかな?くれぐれも言っておくが、私にはそっちの気はないからね。
「彼には十分に礼をしなくては」
「あれは、レオナルドにしかできない事だったからね」
「牢の前に連れ立って現れた時は驚きました」
「ヴォルトゥーリの中に入ったのか?彼は」あんなに中に行くのを嫌がっていたのにね!
「ええ。外に出されたお陰で、頭の中が全て読めましてね。謎はすぐに解けましたよ」
「便利なものだね!」
「彼の中にユイの姿が見えた時は、本当に驚きました」
あそこに閉じ込められていたお陰で能力が使えず、ユイの気配がこの世から消えた事を知らずにいられた。通常、人間の気配が消える事は死を意味する。
そしてユイは新堂に関する記憶を失っていた。どちらも苦しみを軽減できたという訳だ。
「……そう、なりますね」
「不思議なご縁だね、私達は!」
「あなたには本当に感謝しています。ユイを救ってくださった事も、そして私も。ヴァンパイアとして生きて行く事に絶望していた自分に、希望を与えてくれたのは、あなただったんですね」
「私は何もしていないよ。君が自分で見つけたんだ。新堂は、立派な医者だったから」
彼と話をするのは、とても心地がいい。時間を忘れて語り合えそうだ。
「ああそうだ。……これは君に返そう」
「何です?」
「ユイから預かっていたんだ」ずっと持っていた例のリングを新堂に手渡す。
ユイに返すよりも、こっちの方がいいだろ?
なかなか踏ん切りが付かなかったが……観念するよ。どうぞ余さず読んでくれ、私の心の内を!
私は例の晩餐会の夜の行為やら、自分の彼女への思いの丈を心の中で全て打ち明けた。
けれど新堂は、それについて何も聞かず、ただ礼を述べてきた。
「……いろいろと、ありがとうございました」感情を乱した様子も見られない。
私がユイを手に掛けた事には気づいたはず。なぜだ?
「新堂……責めないのか?私を」
「なぜです?私達の命の恩人をですか!そんな事はあり得ない」
「……しかしだね」
「彼女が嫌がる事をしたのならともかく……そうでは、ないのでしょう?」
どうだろう。あの時ユイは酷く酔っていたから。答えようがないよ。
「その件については、何も言わないでください。私も何も聞きません。ちょっと失礼」
新堂の視線がユイに向いた。
分かっているよ、ユイが誰のものかなど、君に会う前からね。
それに私では、彼女は手に負えそうにない!
彼女の元に向かった新堂が、俯いているユイの背中に手を当てた。
「おい、さっきから見ていれば。食べすぎだぞ?」
「……先生ぇ~、気持ちワルい……」
「みろ、言わない事じゃない。大体、何でこの時代に唐揚があるんだ?」
「悪いかよ。俺の好物でね!」
無言でナポレオンを見つめる新堂が妙におかしかった。
「だから言ったろ、そんなシロモノ食うヤツの気が知れねえって。バカが!」
「テオ、そんな言い方はないよ?新堂先生ごめんね、弟は口が悪くて有名だから許してね」
いつの間にか兄弟が揃っている。
「お気になさらず。本当の事ですから!」
「あぁ~ん、先生!見捨てないでぇ……」
「おまえはこっち!さあ飲め」
ルージュのビンを目の前にドカリと置かれて、ユイは顔を歪めた。
「益々気持ち悪くなりそ……っ!」
「完全なヴァンパイアになる近道は、確かにそれだな。ユイ、人間じゃなくなれば、好きなだけ食えるぞ!」経験者のナポレオンが頷く。
「だからってぇ~……」
一同からドッと笑いが起こったのは、言うまでもない。