光が顔に当たっていたのか、それが気になって目が覚めた。
最初に高い天井が目に入る。とても凝っていて、西洋風の建物みたい。
「ここは、どこだろう……?」
体を起こしてみるけれど、何だか頭が重くて辛い。自分がなぜここに寝ているのか分からない。
その前に、私、何してたんだっけ?
考え込んでいると、ドアが開いて男性が入って来た。
その身なりはドラマなどで見る執事そのもの。その男性のあまりのイケメンっぷりに、まるで執事カフェにでもいるような錯覚に陥る。
「お目覚めですか。おはようございます」
「あの……っ、ここは……?私、どうして」
「ここはサンジェルマン伯爵のお邸です。今伯爵を呼んで参りますので、少しお待ちください」
「サン、何て?外人?!あのっ、ちょっと待って……っ」
ハクシャク?もしかして明治時代?何かのイベントで、お芝居でもしてる?
疑問符だらけで待つ事一分弱。すぐに別の男性が現れた。やっぱり外国人だ。どこの国の人か分からないけど、どこかで会ったような気が……。
「やあ。どうだい、少しは元気になったかな?」
驚いた事に、この人は日本語を話した。
やっぱりお芝居かも。だとしてもこの俳優は完璧だ。だってこの、柔らかそうな濃いブロンドの髪やゴールドの瞳、滑らかな白い肌なんてマネキンみたい。
あまりに現実離れした超絶イケメンなんだもの!
「あっ、あの!……私、いつこのお邸に?」
「昨夜遅くだよ。扉の前に倒れていたんだ」
「扉?玄関ですか。何だろう?済みません、なんか迷惑かけてしまって……」
「いいや。玄関じゃなくて、扉を抜けて廊下で倒れていたんだよ」
「はい?」待って。それって不法侵入ってヤツじゃ……。
しばし沈黙が続いて、超絶イケメン伯爵は自己紹介を始めた。
「名乗るのが遅れて申し訳ない。君に会うのは二度目だね。私はサンジェルマンだ、よろしく。それと、彼は執事のセバスチャン」
日本人にセバスチャン?と思いつつ、後ろからの朝日を浴びた、まるで後光を放つ神様みたいなサンジェルマンさんに、つい見惚れてぼんやりしてしまう。
「君の名前を、聞いてもいいかな?」
「あ!そうだ……ごめんなさい、私は……あれ?私の名前、何だっけ……」
「どうしたのかな」
「スミマセン、…………分かりません」
何度考えても思い出せない。自分が誰でどこから来て、何をしていたのか。
[以下カッコ内仏語]
「(伯爵、もしかして記憶喪失では?)」
「(記憶喪失か……)」
私が考え込んでいる間、二人がフランス語で、きっと相当ショックな事があったに違いない、などと話しているのが聞き取れた。
私はなぜかフランス語も分かるようだ。試しに会話に混じってみよう。
「(済みません、そうだとしても、これ以上迷惑はかけられませんし。すぐに失礼しますので……)」
「(君はフランス語もできるんだね。最初に会った時、英語で話したよね。その事は覚えているかな?)」
「(いいえ……。何となく、あなたにお会いしたのは覚えてるんですが……。いつ、どこでなのかまでは……)」
「これは困ったね」
「はい。困りました」
シーツから手を出した時、左手の中指に何かが光った。それに注目が集まったのが分かる。
「それを贈ってくれた人の事はどうかな。何か覚えていないかい?」
「な、何?この指輪。……どうして私がこんな物を?」
「……ダメか。そうそう、君、昨夜何度も誰かの名前を呼んでいたよ。確か、シンドウ先生、って。その人の事はどうだろう」
サンジェルマンさんが期待を込めて聞いてくるけれど、全く覚えなし。
「しんどう?……さあ、これといって覚えは……」一体、何がどうなってるの!
「(お医者様に診てもらった方がよろしいかと)」
「(そうだね。麓のサヴリー先生に来てもらおう)」
「待って!そこまでしていただかなくても大丈夫ですから!」
医者だけは勘弁して……。それが大嫌いなのだけは覚えてる!
「ん?大丈夫かどうか、なぜ君が分かるの」不思議そうにするサンジェルマンさん。
「それは……。どこも痛くないですし……」
さすがにこのタイミングで、医者が嫌いだから、なんて言えない。
「昨夜、左腕をとても痛がっていたが、そこは大丈夫かな?それと、心拍が少し早いようだ」
「!!!っ……そんな、医者みたいな事言わないで!」
今、何か思い出しかけた。誰かの姿とサンジェルマンさんが重なる。……誰?
「……何か気に障ったかな?どうしたんだい?」
とても気遣わしげな視線を浴びて申し訳なくなる。こんなに親切にしてくれているのに、私ったら何て態度を?「……ごめんなさいっ」
頭の中の誰かが、ユイ、と私に話しかけている。ユイ。それ私の事?あなたは誰?
「ゆ、い。そう、私、ユイって呼ばれてました。たぶん……そんな気が……」
「ユイか。思い出したんだね。良かった、ユイだね。よろしく」
「お名前をお呼びできないのは、いささか不都合がありましたので。良かったです、ユイさん」
「あの、私!すぐに失礼させていただきますので」
「急がなくてもいいよ。体調が良くなってからでも」
「もう大丈夫ですから……」
ベッドから起き上がろうとするも、めまいを感じて体が傾く。
二人が同時に手を差し伸べてきた。
「ほら。無理しないで。君は大事なお客さんなんだから。この邸の主の、私の指示に従ってもらいたいな」
「お客だなんて!勝手に迷い込んだだけですから」
「でも少なからず、私とユイにはご縁があったという事じゃないかな?」
ああ……、何て神々しい笑顔なの?眩しすぎて直視できない。それなのに、こんな笑顔に懐かしさを覚えるのはなぜ?
「(こちらに朝食をお持ちしましょう)」
「(そうだね……今誰か、食堂にいるんだね?)」
「(はい。三名程、食事をしておられます)」
執事さんの回答を聞くと、サンジェルマンさんは頷いて言った。
「(ここへ持ってきてあげて。あまり彼等の目に晒したくはない。……まあ最も、すでに君の存在は、知れ渡っているだろうがね!)」
「あの……彼等って?ここに住んでる方、たくさんいらっしゃるんですか?」
「ああ。滅多に全員集まる事はないが。住んでいるよ、今は何人だったかな」
「私達を除いて、あと八名ほどです」
「そうか。部屋はまだまだ余っているから大丈夫だね」
「サンジェルマンさんは、ご自分のお邸を宿として提供されてるんですね」
「私が呼んだ者達なんだ。ここで暮らしたければ暮らせばいい。嫌なら出て行けばいい。全ては自由だよ。ユイ、君もね。ただし元気になるまでは出て行くのは禁止だ。ああ、だが……」
ふいに口を噤んだサンジェルマンさんに、なぜだか嫌な予感がした。
何かありそうな素振りは気になるけれど、ここは素直に受けよう。
「それではお言葉に甘えて、落ち着くまでいさせてもらいます。もし本当に、ご迷惑でなければですが」念押しのためにもう一度確認する。
「私としては大歓迎なんだよ。しかし、困った事があってね……」
「……はい」
顔を見合わせる二人。一体何があるの?「何ですか?」
「今はやめておこう。これ以上混乱させるのは良くない。ナポレオンにでも護衛させるとしよう」
「仰せのままに」
執事さんは深く頭を下げて出て行った。
「ご、え、い?」
「おや、この日本語、間違っていたかな。ガードだよ。守ってもらうんだ」
「そんな!いいですよ。あとさっき、ナポレオンって言いました?ナポレオンって……」
まさかあの、フランス皇帝のナポレオンじゃないよね。ニックネームかな。
「ご想像通りの人物だよ?」
何かおかしいかな?とサンジェルマンさんが美しい笑みで続ける。
「はい?」それはおかしいでしょ!
……ああ、でも待って。私がおかしくなったのかもしれない。記憶もないし。
「あの……、やっぱり私、出て行った方が……」
「いいや。逆に、ここにいた方が安全かもしれない。外の世界は案外、物騒だからね」
サンジェルマンさんの視線が私の左腕に移る。……ここに何か?
でもすぐに私の顔に戻され、例の笑みが向けられた。
「腕の痛みは治まったみたいだね。良かった」
「腕?ケガをした覚えはありませんけど」
私のこの答えに、彼はなぜか驚いたような顔をした。
「あの、ここはどこなんですか?」
「パリだよ」
ああ。そういえば私、旅行中だった?
シーツを捲ってベッドから立ち上がる。私はなぜかガウンを着ている。
「そうそう、君の服だけど、とても汚れていたからクリーニングしているんだ。勝手な事をして申し訳なかったね」
「あ、いいえ。済みません!そんな事までしていただいて」
意識のない間に服を脱がされたというのに、クリーニングしてもらっている事に申し訳なさを感じている私。
それくらい、目の前の人は誠実に見えた。
窓辺に近づいてカーテンをそっと寄せてみるけど、綺麗に手入れされている庭以外、何も見えなかった。
「まあ、ゆっくりしてくれればいい。何かあったら言ってね。それでは」
「あ!ありがとうございます」
出て行くサンジェルマンさんの後ろ姿に向かって、慌ててお礼を言った。
入れ替わりに、執事さんが朝食を乗せたトレイを運んで来た。
お腹はペコペコだったので、早速いただいた。
「とても美味しかったです。ご馳走様でした」
「ユイさんのお口に合って良かったです」
「あの、何かお手伝いします。私の服はまだ……」
「夕方にならないと業者が来ないので。気にせず今日は、お部屋でゆっくりされてください」
有無を言わさずといった感じで、執事さんは食器のトレイを持って行ってしまった。
「ふう……。これからどうしよう」
自分の格好を見下ろす。さすがに、この姿で邸をうろつく訳には行かない。
「誰かいないかな……。女の人がいたら、服を貸してもらえるかも」
廊下をこっそり覗いていると、奥のドアが開いて誰かが出て来た。
急いでドアを閉める。見られたかな……。
ドアにもたれかかってドキドキしていると、そのドアがノックされた。
「(おい、入ってもいいか)」
「えっ!えっと、どうしよう……。誰、ですかっ?」
「(ナポレオンだが)」
「ナポレオン?!皇帝……」
私が開ける前に、ドアは無理やり開かれた。その勢いで体が前に押される。
「きゃ…………っ!」
「(おっと。大丈夫か?)」
倒れ込みそうなところを、入って来た男性に腕を掴まれて踏み止まる。
「スミマセン……」
「(起きて大丈夫なのか)」
「え……、はい、まあ……っていうか、勝手に入らないで!」
自分の格好を思い出して、肌蹴かけていた前合わせを両手で掴む。
男性は全く気に留める様子もない。
「(伯爵から聞いてないのか?一応、挨拶に来たんだが)」
ナポレオンに護衛をさせるってヤツか。本気だったの?それでこの人は本当にナポレオン皇帝?目の前の男性はとても若く、イメージするナポレオンとは程遠い雰囲気。
艶のある黒系の髪に、瞳は私の指輪に付いている宝石の色に良く似ていて、とてもキレイ……。そして何よりも、この人も相当のイケメン!
ドキドキしちゃうじゃない?私ったらこんな格好だっていうのに。
「(おい。聞いてるのか?って、言葉、通じてないのか……)」
自分がさっきから日本語を話しているのに気づく。焦りすぎた。居ずまいを正して向き直る。
「(言葉は分かります!それであなたは、本物のナポレオン皇帝なんですか?)」
「(あ?ケンカ売ってんのか?)」
「(ご、ごめんなさいっ!だって……その)」
しばし沈黙が続き、ナポレオンと名乗る男性が豪快に笑った。
「(お前の時代の俺がどんなふうに伝わってるのか知らねえが、目の前の俺がそうなんだ。それでいいだろ)」
並べられた言葉の一部分だけに疑問が生まれる。「(お前の、時代?どういう意味ですか?)」
「(何だ、聞いてないのか?今は一八八〇年だ)」
笑いながら言うから、なおの事信用できない。格好は完全に中世の軍人って感じだけど。
そんな黒系の軍服を前に緊張するものの、このナポレオンさんは陽気な人のようだ。
「(冗談ですよね?記憶がなくても、そのくらいは分かります。ふざけないでください!)」
「(ふざけてない。信じないならそれで構わない。別に俺は困らないしな。とにかく、頼まれた仕事はきっちりやる。それを言いに来ただけだ。じゃあな)」
どこかムッとした様子で背を向ける彼に、慌てて声をかけた。
「(あの!ごめんなさい、からかわれてるのかと思ってしまって。)イマイチ信用できないけど!(ごめんなさい……)」途中、本音を日本語に切り替えて口にする。
すると、立ち止まったナポレオンが勢い良く振り返った。
いつの間にか距離を縮められていて慌てる。動いたところ、全然見えなかったけど?どうなってるの!
ああ……っそれより!顔、半端なく近いんですけど!
甘くて熱の籠もった吐息が、私の顔にかかる。
「(からかわれてるのは、こっちかも。お前は何者だ?そのうち、そのリングの贈り主が、お前を取り返しに乗り込んで来るんだろ。少しは腕の立つヤツだとありがたいな!たまには、本気でやり合いたいからな)」
「(何を、言っているの?)」
「(ああ……悪い。記憶、ないんだったな。忘れてくれ。それと、恥らうなんて今さらだぜ?もうすでに、お前のハダカは見ちまったからな)」
「なんっ!なんですってっ?!」
笑い声を上げながら、ナポレオンは出て行った。
どういう事?裸を見たって!まさか着替えさせてくれたのって、あの人なの?ウソでしょ!どうせならあのサンジェルマンって人か、執事の人が良かったと、なぜか思う。
みんな男なのに?
・・・
[以降の会話は全て仏語]
「セバスチャン。念のため、サヴリー先生に連絡して来てもらって」
「ですが伯爵、本人は必要ないとおっしゃっていましたが」
書斎にて、窓辺からどんよりと曇る空を見上げなら、指示を出す。
「だから、念のためね」
「彼女の心拍が早いと、なぜお分かりに?」
「とても良く聞こえるんだよ。君の心音だって聞こえるよ?君のは常に安定しているね」
「恐れ入ります。ドクターとしてもやって行けそうですね。何でもお出来になられて、益々尊敬いたします」
「よしてくれ!ドクターだけは性に合わないよ。私の研究対象は、生き物以外なんでね」
「それは失礼致しました」
「別に構わないよ。彼女の事は、私の知人の娘とでも言ってくれ。余計な事は口外せぬように」
これだけ言えば、セバスなら分かってくれるだろう。
恭しく頭を下げて出て行く後ろ姿を見送る。
昨夜、彼女は若干発熱していた感があった。今朝はそれも落ち着いているようだ。なのに心拍は早いまま。緊張していたのだろうか?
記憶喪失の事も気になる。大事な未来からの預かりものに何かあると困る。
私は昔から心配性でね。どうやら、その性分が出てしまったようだ。