「ユイ、これから買い出しに行きますが、一緒に来ますか」
「行く行く!お供しま~す!」
ちょうど退屈していたところだった。セバスさんたら、私の気持ち分かってる!
ここへ来てもう一週間になる。夕方にナポレオンとガブ達のところに行くのが習慣になっている以外、私はこのお邸の敷地内で過ごしている。
一人での外出禁止を、サンジェルマン伯爵直々に言い渡されているのだから仕方がない。
喜んで後について馬車に乗り込む。
「あっ、ナポレオンにも言ってかないと……」一応あの人、私の護衛担当だし?
「私がお伝えしておきました。許可はいただいております」
「そ!なら良かった」
こうして市場へ行って食材を入手して行く。どこもかしこも、日本とは全く雰囲気が違う。時代の違いはあまり分からないけど、やっぱり現実味がない。
「セバスさんは、この時代の人?」
「いいえ。私は二十世紀の人間です」
「ええっ!そうなの?ビックリなんだけど……!じゃ、あなたもあの扉から?」
「まあ。でも私はあなたと違って、伯爵に連れて来ていただいたんです」
あの方のお眼鏡に
「細かい事情はさて置き、時代も含めて同郷同士という事になりますね」
どうりで料理に唐揚げが出てくる訳だ。セバスさんにグッと親近感が湧いたのは言うまでもない。
「セバスさんて、あっちでは何をしてたの?」
「私は歴史が好きで、歴史学者をしていました」
「へえ~、好きな事を仕事にできたのね。羨ましいなぁ」
「ユイはなりたい職業などはあるんでしょう?」あなたはまだ若いからこれからです、とセバスさんが続ける。
「私は……別にないかな。でも強いて言うなら、イケメン王子との幸せな結婚、とか?」
セバスさんがコメントに困って苦笑した。
前にも、こんな将来の話を誰かとしたような……。
こんな会話をして親睦を深めながら、楽しい買い出しを進めた帰り道の事だ。石畳の街路を走っていると、悲鳴が聞こえてきた。何やら一角がザワザワと騒がしい。
「何かあったのでしょうか……」セバスさんが身を乗り出して外を覗く。
私はすぐにピンときた。ジャック・ザ・リッパーだと。
「セバスさん、先に帰ってて。私、ちょっと様子見てくる。この先に仲良くなった子の家があって、心配だから!」
「あ!いけません、お戻りください、ユイ!」
セバスさんの制止を振り切り、馬車から飛び降りて駆け出す。確かガブ達の家がこの近所だ。
何もないといいんだけど……。
・・・
「困った人ですね……。伯爵は明日の夕方にならないと戻られない。取りあえず、ナポレオンさんに急ぎ伝えなければ!」
この時セバスは思った。携帯電話があればどんなに良かったかと。
だがこうも思った。自分さえ早急に報告する事ができれば、ナポレオンが現場に駆けつけるのは容易い。なぜならヴァンパイアは、人間から見れば瞬間移動でもしたかのような早さで動く事ができるのだから。
邸の執事セバスチャンは、こんな事も全て把握しているのだった。
・・・
人だかりができている所まで辿り着き、掻き分けて中心まで進むと男性が一人倒れていた。首筋を切られている。その状況を見て違和感を覚えた。
見事な切り口だ。見事すぎる。とても深く、それが致命傷となり男性は絶命している。
「どういう事?流れている血が少なすぎる……」
「うわあああ……!!!父ちゃん!父ちゃん……っ!」
動揺していたせいで、下に蹲る男の子がガブだと気づくのに、少し時間がかかってしまった。
「ガブの、お父さんなの……?ウソでしょ」私は慌てて寄り添って、彼の背に手を当てる。
「ユイ?……ああユイっ!俺、守れなかったよ、父ちゃんをっ……。ナポリオーネに剣術習ってる意味ねえよ!情け、ねえよっ!!」嗚咽を漏らしながら、途切れがちに声を振り絞るガブ。
「ガブ、お父さんが切られたとこ、見てたの?犯人は見た?」
泣きじゃくる彼を宥めるのに手古摺った。何とか聞き出して、近くにはいたけれど犯人は見ていない事が分かる。
私はすぐさま人だかりに向かって叫んだ。警察もまだ到着していない。事が起こってまだそんなに時間は経っていない。まだ犯人は近くにいる!
「誰か、犯人を見た人はいませんか!どんな事でも結構です、何か手がかりを!」
人混みから一人の住民が答えてくれた。犯人は背の高いスラリとした男で、黒いマントを羽織った修道士風だったと。
「ユイ、俺も行く。カタキを取るっ!」泣きながら立ち上がって私に訴えて来る。
ダメだ。それはできない。この子を危険に晒す事になる。
「ガブ。あなたのやる事は
敵が現場に戻って来る話は良くある、と続けると、ようやくガブは納得してくれた。
私は大きく頷くと、踵を返して近くの教会に向かって駆け出した。
「許さない。絶っ対に、許さないんだから!」
久しぶりの全力疾走で息が上がる。教会はすぐに見つかった。
目の前の古びた教会の扉を勢い良く開いてみる。
ビンゴ!まるで待ち構えていたと言わんばかりに、こっちを向いて男が立っている。
「あなたが切り裂きジャックね」
「芳しい香りがすると思ったら……。こんな上モノが、自ら餌食になりにやって来るとは!今日はなかなかラッキーな日だ」
「はぁ?私、香水なんて付けてないけど。何がラッキーよ!」
「生憎、今は喉が渇いていなくてね。でも、せっかくだからストックしておこうか」
「訳の分からない事を……。ふざけないで!」
薄暗い教会内に、ろうそくが点々と点っている。
目を凝らして犯人を目で追っていたけれど、ふと姿が見えなくなる。
消えた?そんなバカな事はあるはずがない。「かくれんぼしに来たんじゃないんだけど!」
「隠れてないさ。ちゃんとここにいるじゃないか」声は背後で聞こえた。
私はいつの間にかバックを取られていて、思わず短い悲鳴を上げる。
「それにしても、何て魅惑的な香り……!ああ、やっぱり今すぐ戴こうかな?」
男の手が私の肩に乗る。吐息が顔にかかりそうなくらい接近して来る。
即座に距離を取って、男の手を振り払った。「殺しの次は婦女暴行まで働こうって?この極悪人!私はそう簡単にはやられないんだから」
「おやおや、これは威勢のいいお嬢さんだ!」
愉快そうに両手を上げる男に、私は身構えた。ナイフを持っている事を知っていたからだけど、男はなぜか武器を出す気配はない。私ごときに武器なんて不要って事?
「なぜガブの父親を殺したの!今まで人殺しはしてなかったって聞いたけど?」
「ああ。今日は
「さっきから意味の分からない事を……。ノド渇いてたら何で人殺しするのよ!」
「決まっているだろう?」
男の目は暗いグレーなのに異様に煌いている。
「確か日本語であったな、百聞は一見にしかず、だったか?」そう言って私に接近する。
瞬時にしゃがみ込み、男の股の間からすり抜けた。
「……おかしいな。なぜお前は動けるんだ?」
また妙な事を言っている。きっと頭がイカれてるんだ。精神異常者相手にまともな話なんて期待できないか。
「殺したりはしない。よその国でそんな悪事は!」ああ、時代も違うんだっけ。
自分の父親がヤクザのボスだった事を思い出した。
これで私がこんな性格なのも頷けるというもの。もちろん私はヤクザじゃないし、元ヤンでもありませんが!
「誰に言っている?状況を考えろ!」男の表情が変わった。
振り返りざま、私の首を左手一本で絞め始める。徐々に力が入れられて行き、ついに私の体は宙に浮いた。「……あっ、くっ!うう……!」
「殺しはしない。そっくりそのまま返すよ」
私は男の腕に両手を掛けて、逃れる術を必死で考える。
「おや。人間のくせに珍しい物を持っているね。ついでにもらってやろう」
私の左手を見下ろして指輪に触れようとする。
「んんっ!いやっ、離し……て!」
生暖かい男の指先が指輪に触れた瞬間、勢い良く左手を振り上げた。
「っ!痛いじゃないか。人間の分際でよくも!」
指輪の金属か石の部分が当たって切れたらしい。男が仕切りに指を気にしている。
人間人間って、何言ってるの?何でもいいから離してよ、この馬鹿力男!私は渾身の力で右足を振って男の足に蹴りを入れた。
でも、足に当たったのは石柱だったのかも。そう思うくらい固くてビクともしない。
これまでか……。
視界がぼやけ始めたその時、咆哮がこだましたかと思うと、誰かに抱きかかえられていた。
「ユイ、大丈夫か!この阿呆が……!何で一人でこんな事してんだよ!」
遠くの方でこんな事を言われた気がする。
この声は、ナポレオン?助けに来てくれたの?
次の瞬間、肺の中に空気が流れ込んできて、思わず咳き込んで目を開けた。
「ゴホゴホ……っ!」
「良かった、生きてたな」
至近距離にあったナポレオンの顔が、ゆっくり離れて行くところだった。
もしかして、人工呼吸された?「っ!ナ、ナポレオン、今私に……!」
「話は後だ。あいつを片付けてくる、待ってろ」
私を床にそっと寝かせると、奥の祭壇に投げ飛ばした男の方に向かって行く。
「絶対に許さねえ。塵にしてやるよ」
「さあ、君にそれができるかな?」
「俺に簡単に吹っ飛ばされといて、良く言うぜ!」
男はすっと立ち上がると、ナポレオンを強く見つめた。それはさっき私にしたような行為。
そしてその後で、私が動いた事に驚いていた。それってつまり……?
「ナポレオン!気をつけて、そいつ、何かする気よ!」
けれど私の忠告は意味がなかった。ナポレオンはすでに体を硬直させて、ピタリと止まっていたから。手に掛けた剣を抜けないでいるらしい。
「ど、どういう事だ?動けねえ……!」
「ははは!だから言ったろう。形勢逆転だな!」
男がナポレオンを足で蹴り倒した。まだ彼は動けないでいる。悔しさに彼の顔が歪む。
「何なのよ、一体!ナポレオン、あなたが使わないなら、その剣借りるわよ」
「お、おい、それは……」
私は立ち上がって彼に近づき、硬直したナポレオンの手を退けて剣を引き抜いた。
「何でだ?何でお前がそれを抜けるんだ!」
「剣くらい誰だって抜けるでしょ!バカじゃない?」そこまでバカにしなくても?
「やはりお前には、この術が掛からないらしい。忌々しい小娘め……」
「何だか知らないけど、あんた、超ムカつくわ。容赦しないからね!」
剣を両手で握り締め、切っ先を男の首元に向けて構える。
「面白い構え方だな。日本流か?」
「若干バカにされた?火に油、注いだみたいよ!」
私は間合いを詰めて剣先が届く距離に移動し、素早く真横に剣を走らせた。けれどその剣先は、男の首に薄く線を描いただけ。
「……驚いたね。掠めたみたいだ」
その真横に走った線から、銀色の何かが滴っている。それは私の持つ剣にも付いていて、目を疑う。「赤くない。血じゃ、ない?何これ……」
「くっ!ユイ!ボケっとすんな!」
男が私に気を取られていたからか、ナポレオンに自由が戻ったようだ。
呆然とする私から剣を奪い、私を背に庇うと、一瞬で男の首を切り落とした。
「!!!凄い……」その華麗な剣捌きに、私はたちまち魅了されてしまった。
目の前の男は、本物のナポレオン皇帝なのかもしれないと今思った。
ゴトリ、と音を立てて頭部が転がる。その瞳をキラキラさせたまま。残された胴体の切り口からは、大量の銀色の液体が噴き出している。
「何なの、あれは……!」
「お前は見るな」
転がった首を足で蹴って胴体に近づけると、ナポレオンはポケットからマッチを取り出して火を点ける。男に火が移ると、炎はおかしな緑色となって激しく燃え上がった。
教会内に、甘ったるい吐き気をもよおすような匂いが充満する。
「何て不気味な色!しかも、ううっ……気持ち悪いニオイ!」
「……おいユイ、あの炎が見えるのか?この剣を扱える事といい……。バカな!」
「え?……待って、この光景……どこかで見たような気が……ううっ!」
何かを思い出しかけた時、ふいに左腕に激痛が走って燃えるように熱くなる。
堪らず腕を掴んで蹲る。
「おい、どうした?どこかケガしたのか?とにかくここから逃げるぞ」
私は答える事もできずに、ナポレオンに抱えられて外に出た。
痛みを堪えつつ見た炎は、いつの間にか普通の色に戻って教会全体を焼き尽くそうとしている。
「……痛い、熱い!何とかしてっ!ううっ……」
「全部終わった。すぐに邸に帰ろう」
乗って来たらしい馬に私を抱えて跨ると、すぐにその場から離れた。
私はナポレオンの懐のぬくもりの中で、息をするのも妨げられるほどの痛みと必死に戦った。
・・・
ナポレオンがユイを部屋に運び寝かせていると、セバスチャンが青い顔で現れた。
「ナポレオンさん、本当に申し訳ありませんでした、私がついていながらこんな事に!ユイはケガをしたのですか?」
「セバスのせいじゃねえよ。お前にこいつを止めるのは無理だしな。大丈夫だ、ケガはしてないはずなんだが……」
心配そうに彼女を見下ろすナポレオンを見て、セバスチャンも表情を険しくする。
「また、例の傷跡ですか」
「ああ。全く余計な事に首突っ込みやがって!」
「本当に切り裂きジャック、だったのですか?」
「ああ。こいつ、俺が行った時すでに一人きりで対峙してやがった。しかも、あろうことか相手はヴァンパイアだった」
セバスが息をのむのがナポレオンにも分かった。誰がこんな展開を予想しただろうか。
「無謀もいいとこだろ!それに妙な事がいくつか……。伯爵は、いつ帰るんだ?」
「明日の夕方の予定ですが、連絡を入れてみます」
「こいつの安眠を取り戻すには、サンジェルマン伯爵が必要だからな!」
あの晩の事を、未だに根に持っている様子のナポレオン。セバスは返す言葉もない。
「それでは私は失礼致します。何かご用があればお申し付けください」
「ああ。あ、氷水、持ってきてくれ。俺の手じゃ冷やせねえからな」
苦しげに呻くユイを見つめながら要求する。
「はい、ただいま。それとナポレオンさん、今晩の夕食はいかがなさいますか」
「こいつが食わねえなら、ルージュでいい」
「かしこまりました」
ナポレオンはいつからか、ユイと共に摂る食事を楽しんでいたのだった。
その晩、ナポレオンはずっとユイの側にいた。
何度も躊躇ってついに彼女の手を握ったその時、ユイが目を開けた。
「あ、悪い……、起こしちまったか?」
「……ナポレオン、私……」
「安心しろ、ここはお前の部屋だ。切り裂きジャック、お前のお陰で退治できたよ」
「退治したのは、あなたでしょ」
自分だけの力じゃない、との意味を込めて首を左右に振って見せる。
握ったままの手を解こうとすると、彼女が力を込めた。
「もう少し、こうしてて。温かくて、落ち着くの」
「……そうか。分かったよ。腕、大丈夫か?また痛くなったんだろ?」
「まだ少し痛いけど、でももう大丈夫。ありがとう、冷やしててくれてたのね」
ベッドサイドの桶とタオルを見つけてユイが言う。
「伯爵が不在でね。上手く冷やせなかったが、落ち着いたなら良かった」
「サンジェルマンさんが不在だと、なんで上手く冷やせないの?」
問いかけられてハッとするも、言ってしまったものは仕方がない。
「つまりだ!あのお方は何にでも精通してて、医者も顔負けって事だよ」
なるほど、と納得した様子のユイを見て息を吐き出すナポレオン。
「……ねえ。あれ、何だったの?」
この問いかけに、ナポレオンは沈黙する。打ち明けて良いのか判断が付かないのだ。
ユイはまだ、ここの住人を含めてヴァンパイアの存在を知らされていない。
「まあ何だ!この世の中には、得体の知れねぇモンが存在するって事さ」
「……ま、ここは十九世紀だしね」こう呟くユイは、どうやら納得したらしい。
「お前が強いのは分かった。だが、ああいうモンスター相手なら話は別だ。それは俺の担当。二度と一人でこんな行動は取るな。分かったな?」
「差し詰め、ナポレオンはゴーストバスター、ってワケね」
「何だ?そんな職業あんのか?」
ユイは笑いながら、今度セバスチャンに聞いてみてと答えた。
何はともあれ、今回はユイに手を振り払われずに済み、ほんの少し気分を良くしたのだった。
ようやく眠りについたユイの枕元に、ナポレオンは居続ける。
ヴァンパイアは眠らないが彼はハーフのため眠気をもよおす。
ウトウトしかけた時、ドアが開いた。