セバスからの連絡を受け、夜のうちに急遽邸へと戻った。
ノックもせずに、ユイの部屋のドアを音もなく開ける。彼女が眠りに就いている事と、ここにナポレオンがいる事が分かったからだ。
「ナポレオン。ユイに付いていてくれたんだね」
「……伯爵か。早かったな」
「どうにも心配でね。予定をキャンセルして戻ったんだ」
私の返答に、何か不満めいた感情を持った様子のナポレオン。おかしいね、戻ってくれと願ったのは君じゃないのか?
ナポレオンは表情を硬くして立ち上がった。「少しいいか?こいつの事で話がある」
「私も事情を聞きたい。私の書斎へ行こう」
ユイが落ち着いている事を確認してから、私達は部屋を出た。
月明かりの差し込む書斎にて、ナポレオンをソファに座るよう促す。照明は点けず、差し込む月光の元で目を合わせた。彼のエメラルドブルーの瞳が真っ直ぐ私に向けられる。
「彼女に何があった?」私が最初に口火を切った。
「切り裂きジャックを捕まえたんだ」ナポレオンは素っ気なく返した。
「ユイが?」
肩を竦めながら大きく頷くナポレオンに、しばし瞬きする事も忘れて固まる。
私ほど人間の振る舞いに慣れているヴァンパイアにしては珍しい事だ。それくらい驚いてしまったんだよ。
「おまけに犯人はヴァンパイアだった」
「ああ、何という事だ……。それで、ユイは大丈夫だったんだろうね?」お転婆娘もここまで来れば考えものだ。片手で頭を支えながら、チラリとナポレオンを見る。
「セバスの素早い報告のお陰で間に合った」
「そうか……」
そしてユイが、ヴァンパイアの妙な術をシールドした事や、例のリングと同様の特殊な鉱物で作られた自分の剣を手に闘った事、男を焼いた炎が見えた事を聞かされた。
「あの石の功能か、それともあの傷跡……まだ彼女の中に、ヴァンパイアの毒が残っているのかもしれないね」
「それは一理あるな……。だけどそれは、人間のユイには負担になるんじゃ?」
「彼女の体にどんな影響が出るかは分からない」
二人で神妙な顔になって黙り込む。
「もうこれ以上、俺達の正体を隠すのは難しいかもしれない。どうする?」
「記憶が戻ったならまだしも、今のユイにあまり刺激は与えたくない。何とか隠し通すんだ」
例え彼女が、向こうの世界でヴァンパイアと何らかの関係を持っているのだとしても、当の本人にはその記憶がない。そんな状況であえて、我々の正体を晒す必要はない。
お互いにリスクを増やすだけだからね。
だから私は、ユイがこの邸に来たあの日に、住人達にこんな指示を出していた。
極力彼女とは関わるな、と。私やレオナルドはともかくとして、人間らしく振る舞う事に慣れていない者もいる。危険はできるだけ避けたい。
どうしても接触する場合は、極力食後一時間以内に……。食事の直後であれば肌の血色も良くなり、ある程度の体温は確保できる。
「分かったよ。だが、あの傷は何とかならないのか?毎回あんなに苦しんで……見てられねぇよ」
「そうだね。何か考えよう」
会話を終える頃には、空はすでに白み始めていた。
「おや。もう朝か。徹夜してしまったね。寝なくて平気かい?ナポレオン」
「今から寝るに決まってんだろ。起こすなよな?」
ユイの事は、あと宜しく!と言い残してナポレオンは出て行った。
やれやれ。お疲れ様……ありがとう、愛する息子よ。ああ、正確に言うなら養子の息子か。彼だけは、私がヴァンパイアに転生させた訳ではないから。
ナポレオンが出て行って少しして、セバスチャンが私の部屋を訪れた。時間としてはいつもよりもかなり早い。
「おはようございます、伯爵。お帰りを早めていただいて助かりました」
「今日は早いね、セバスチャン。ちゃんと寝たかい?」
「はい。私は先に休ませてもらいましたので。それより伯爵、キャンセルされた予定というのは……大丈夫なのですか?」
「ああ。大した用事じゃないよ。ほら、前から花嫁候補にと騒がれていた隣国の娘がいたろう?」
「はい、伯爵に熱を上げられているあの方ですね」
「今日、彼女のピアノのリサイタルがあってね。是非にと誘われていたんだ」
私の元にはしょっちゅう、花嫁候補の女性達が父親同伴で大勢面会に来る。その中の一人だ。父親達とは公私共にそれなりに交流があるので、無下には断りにくい。もちろん彼等は皆人間。そうそう受け入れる訳には行かない。大きな悩み事の一つなんだ。
だがそんなものはどうでもいい。ユイの一大事とあれば、最優先事項はこちらだ。
「そうでしたか。向こうの親御さんが、気を悪くされていなければ良いのですか……」
「問題ないよ。ちょうど断る理由ができて助かった。いくら永遠の時間があるとはいえ、ムダに過ごしたくはないからね」
こんなセリフに、セバスは無言で恭しく頭を下げた。
そんな様子を眺めた後に言う。「ユイの様子を見に行きたいんだが……」
「私も彼女に朝食の件で伺いたい事がありましたので、ご一緒します」
そんな訳で二人でユイの部屋へ出向くと、彼女はまだ寝ていた。
私が朝食の話を請け負い、セバスを仕事に戻した。執事の朝はやる事がたくさんあるからね。
穏やかな寝顔だ。どうやらナポレオンが上手く熱を治めたらしい。これで二人のわだかまりも消えたかな?実は少々気になっていたんだ。私のせいでナポレオンとユイの関係が、悪くなってしまっては困るからね。
隅に置かれていた椅子をベッドの横に持ってきて座り、しばしユイの寝顔を見守る。
彼女はとても美しい。年は聞いていないが二十歳そこそこだろう。ナポレオンにぴったりじゃないか。……私には若すぎる。残念だ。あと五、六年もすれば釣り合うんだがね!
いい加減、花嫁候補の女性達にもウンザリだ。私に相手さえ見つかれば、問題は解決するのだが。
我々ヴァンパイアの相手は永遠の命が必須。つまりパートナーにするには、人間の場合仲間にする必要があるが、そこまで惚れ込む相手にはなかなか出会えなくてね。
ユイのお相手が羨ましい。恐らく彼は、ユイを仲間にするつもりなのだろう。
まだこんなに若い彼女を……。
渋い顔でこんな事を考えていると、ユイが目を覚ました。
「おはよう、ユイ。具合はどうだい?」
「サンジェルマンさん?ご不在にしてたんじゃ……」
「用事が早く済んでね。夜のうちに戻って来たんだ。聞いたよ。君が切り裂きジャックを捕まえたって。凄いじゃないか。お手柄だ」
「そんな……実際に手を下したのはナポレオンです。私は……余計な事をしただけです。ご迷惑をおかけして済みませんでした」
「いいんだよ。だけど、私の忠告は少しでも聞いてくれたのかな?」
聞いてくれてないよね?ついこんな嫌味紛いのセリフを口にしてしまった。
ユイは唇を噛んだまま何も言わない。
少々言い過ぎたか。表情を緩めて言い直す。「今度外出する際は、ナポレオンか私を連れて行く事。もう一度、約束してくれるかい?」
「……分かりました。本当にごめんなさい」
「分かってくれればいいんだよ。さて。お腹は空いてないかな?昨夜は何も食べていないって聞いたよ。すぐにセバスチャンに食事を用意させよう」
ユイが申し訳なさそうに頷いた時、彼女のお腹が音を鳴らした。
恥かしそうに顔を赤らめて謝るユイが、どんなに可愛らしかった事か!思わず抱きしめたい衝動に駆られたが、グッと我慢する。
「待っていなさい」
それだけ言って部屋を出た。
・・・
ああっ、恥かしい!お腹鳴っちゃったじゃない!もうっ、私のバカバカ!
それにしても自己嫌悪もいいところ。サンジェルマンさん、きっと予定をドタキャンして戻って来たんだ。私のせいで……。
程なくして、セバスさんがワゴンを押して部屋にやって来た。
「失礼します」
「おはようございます!済みません、運んでいただいて。片付けは自分でするので!」
いつもと何ら変わりなく、セバスさんはテキパキとテーブルに料理を並べている。
起き出して椅子に腰かける。
「お体はもう、よろしいのですか?」
「はい、全快です!今度こそお手伝いしますね」
「途中で投げ出さないと約束してくださるのでしたら、お願いしますよ」
念を押され、苦い顔で頷く。「本当に、スミマセンでした……」
「……ですが。あなたのお陰で、パリの街は平和になりました。それに関しては、私からもお礼を申し上げます」
セバスさんが今朝の朝刊を差し出した。受け取って見出しを読むと、一面で報じていたのは切り裂きジャックの記事。犯人が使用していたものと思われる凶器が、全焼した教会から見つかった、とあった。
「遺体は発見されず。警察は全容解明を急ぐ……。犯人は間違いなくあの時焼け死んだわ。なぜ遺体がないの?」
「燃えて燃えて、灰にでもなったのでは?」
「あり得ない!あの程度の火力で、人間の骨は灰にはならな……」
思わず反論に力が入ってしまった。だってセバスさんたら、常識ハズレな事言うんだもの。
「あ、あのねっ!私、刑事もののドラマとか大好きで、そういうの詳しいからっ」
「そうでしたか。失礼しました。それでしたら、そういった議論はアーサーさんか……そうですね、レオナルドさんとなさってはいかがですか?」
「レオナルドさん?」
「はい。何にでもお詳しく、知識豊富で好奇心旺盛な方です。きっと白熱した議論が楽しめる事でしょう」
やっぱり特技とか職業でニックネームが付けられたみたい。推理オタク(?)のアーサーに、何でも屋のレオナルド、とか?
「じゃ、次からはそうする」話、合わせてあげようじゃない。
「では、ごゆっくり。お手伝いいただけるのでしたらお言葉に甘えます。お食事が済んだら、厨房までお戻しくださいますか」
「もちろんです!」
セバスさんは無表情で出て行った。
前から思っていたけど、あの人って何だかロボットみたい。未来にはきっと、ああいう有能なお手伝いロボ(!)が現われるに違いない。
食事を終えて着替えてから、食器を厨房へ持って行く。
廊下はいつも薄暗くて静まり返っている。そして突然ドアが開いて誰かが出て来たりする。物音もせず、気配がまるでないのに!だからかなり驚いてしまう。
幸い今回はどのドアも開く事なく、無事に厨房へと辿り着く事ができた。
「ご馳走様でした。凄く美味しかったです」
「お粗末様でした」
「ねえ?ナポレオンは?」
「昨夜徹夜されたそうで、現在熟睡中です」
そうだ、ナポレオン、昨夜ずっと私の側にいてくれたんだ。あの人にも悪い事したな。
「どうかされましたか?」
「何か、皆に迷惑かけたなって、自己嫌悪中です……」
落ち込む私の肩に、セバスさんの温かい手が乗る。
「あなたらしくありませんよ?元気に笑顔で、皆様に接してあげてください。それが何よりの挽回の方法ではないですか?」
「……はい!」
セバスさんがロボットっていう発言撤回!こんな気遣いはロボットにはできないもの。
そんな訳で、本格的にセバスさんのお手伝いをする事になった。まずは各部屋を回り、ベッドからリネンを剥がして洗濯する仕事から。
「何だか、全然ベッド使ってないみたい。皆、外泊多いのかな?」
綺麗にベッドメイクされたままの状態だったけれど、取りあえず全部外して回収した。
ナポレオンの部屋は飛ばす。彼は今熟睡中のようなので。自分のとセバスさんのも入れて十枚。シーツ十枚は洗い応えがある。
「集めたものはこちらに置いておいてください」
「洗濯しないの?」
「これを全部手で洗えるとでも?やっていただいても結構ですが、この仕事だけで一日が終わってしまいますよ」
私はここで気づいた。洗濯機なんていう便利な機械はこの時代にはない!あれは二十世紀にようやく表舞台に現れたシロモノだと。
「……そうだった。じゃ、次の仕事を……」
「私も最初は戸惑いました。しかも、以前はもっと不便でしたから」
私のカルチャーショックを見て、セバスさんが笑う。
そして教えてくれた。前は水道もなくて、業者が馬車に樽を載せて水を売りに来ていたと。パリの水事情は世界的に見ても良い状況とは言えず、ナポレオン三世?とかが改善してきたそうだ。
今も、伯爵のような豪邸のお金持には水道を引く権利が与えられているけれど、一般庶民は許可されていないらしい。
ちょっと待って、ナポレオン三世って、あの部屋で今寝てる人の孫(!)とか?
やっぱり本物な訳ないか。
「それでは次は、中庭の植物に水をやってください」
「は~い。貴重なお水をね!」
改めて、私のいた時代がいかに恵まれていたかを実感した。
庭に出て水を汲んでいると、後ろから穏やかな声が降って来た。
「おや。見た事のない女性だね。新しいお手伝いさんでも雇ったのかな?」
腰を上げて振り返ると、袴をいい感じに着崩した純和風の男性が立っている。
「あ、初めまして。私、少し前からここに住まわせていただいてる、ユイと言います」
「僕は太宰治だ。よろしく。君、可愛いねぇ……。日本人かい?」
「だ、だざい、おさむ?!」そう来る?開いた口が塞がらないとはこの事だ。
確かに袴姿がとても似合っているこの人、見るからに明治時代の文豪って感じだ。
でも太宰治って、何度も自殺を繰り返した女好きの人じゃなかった?ニックネームには不向きなんじゃないだろうか。
「こんな所で同郷の女性に会えるなんて嬉しいね。君、そんな仕事はやめて、僕とイイコトしないかい?」
「あの、えっと……っ」
やっぱりそうだ。この醤油顔で世の女性達を口説き落とすのが趣味ってところ!
けれど、この人にはどこか違和感を覚えた。それは黄色みの強い琥珀色に輝く瞳だ。どう見ても日本人の色じゃない。
太陽の光を受けてか、このお邸の住人達同様に宝石みたいに煌いている。
彼の独特の雰囲気に酔わされて、さらにその瞳に吸い込まれそうになり後ずさる。
するとまたも、私を呼ぶ声が後方から聞こえてきた。
「ユイ。水遣りは終わりましたか?」
「セバス、さん……!」助かった……。やっぱりあなたは私の気持ちを良くご存知で。
「ごめんなさい、まだです」
「太宰さん、ユイの邪魔をしないでください。それと、彼女はお手伝いさんではありません。伯爵のお客様です。くれぐれも、ご無礼のないようにお願いしますね」
「おや、そうでしたか。それは失礼しました。ではよし子さん、また今度」
「ん?よしこさん?」今さっき名乗ったのに!ちょっと悲しい。
セバスさんに目で促され、残りの木々達に水を与えに向かった。
・・・
ユイと太宰が別々の方向に歩き出したのを見て、セバスチャンはため息を漏らす。
「全く、ここの方達は油断も隙もない!ナポレオンさんがお休みになられている間は、私がしっかり見張っていなければ……」
ユイがこの邸の誰かの餌食になっては困る。それだけは絶対に阻止しなければと、セバスチャンは思う。邸の主の大切な持ち物は、執事の自分にとっても大事なものなのだから。
水遣りを終えたユイに部屋で休憩するように言った後、セバスチャンは一人、厨房に戻ってあるものの在庫チェックを始める。
「これは、ユイに見られては困る代物ですからね……」
目前に並べた、赤と白の液体の入った瓶を眺めて呟く。
これはヴァンパイアにとって欠かせない食料だ。赤の液体ルージュはもちろん人間の血液。そして白の液体ブランは、特別な花から抽出した蜜という事になっているが、実際は人間の体液。
この邸で扱っているのは、どちらも若い女性のものらしい。
「このお邸での最も重要なお仕事なのですが。まさか彼女には、とてもお任せできませんからね」
人間である彼女は、赤白いずれも自らの肉体から提供可能だ。ヴァンパイア達にとっては若く美しいユイは格好の獲物なのだ。
だがしかし、ここにサンジェルマン伯爵がいる限り、そんな事態にはなり得ない。穏やかなあの風貌からは想像もつかない程に、彼にはあらゆる意味で絶大な力があるのだ。
何があっても、自分のミスでユイに秘密を知られる事だけは避けなければ、そう心するセバスチャンなのだった。
「さてと。ユイの様子を見に行かねば……」
在庫チェックを終えて不足分の手配を済ませた後、厨房を出て廊下を進み、階段を上がる。ユイの部屋は二階だ。
「……ん?」
廊下から身を乗り出すユイが目に映ったが、次の瞬間に視界から消えた。落ちたのかと慌てて下を覗くも、彼女の姿はない。
見間違いだろうと、深く考えずに部屋のドアを叩く。
「ユイ?いますか」声をかけるが返事はない。
断って中に入るも、そこにユイの姿はなかった。
「まさか誰かに……?」
焦ったセバスは、踵を返してユイの捜索に当たる。
本人は焦っているのだが、傍からは全くそんなふうには見えない。至っていつもの冷静沈着な理想の執事だ。
各部屋を回るも姿は見当たらず、庭に出る。裏に回ると、ようやくそこにユイの姿があった。
暖炉にくべる薪を割っているようだ。
「ユイ!休憩を命じたはずですよ?そんな事は業者がやります」
「そう。やってたわ。けどオジサン、しんどそうだったから、私が代わりに!はっ!これ、案外、楽しい!よっ!」
リズミカルに斧を振り下ろす彼女は、確かに楽しんでいるように見える。
それにしても何と軽々と割るのだろう。
「最後の一本よ!」
仕舞いに彼女は薪を空中に投げると、斧を日本刀のように振り切って真っ二つにした。
「何と!……目を疑いますね」
「あ~あ。終わっちゃった」
「それで、そのオジサン、は、どちらへ?」
「帰ったんじゃない?私のやってるとこしばらく見てたけど、安心したのよ、きっと!」
「そういう事ならば、あの者に支払う賃金は差し引かねば……」
全くその通りだが、今指摘すべきはそこではない。どこか観点がずれているセバス。
「本当にあなたという方は、じっとしていられない
「下を覗いたら見つけたの。私もやってみたくなって。いいじゃない?誰がやっても」
「それはそうですが、あなたにケガでもされたら、伯爵に何と説明を?」
「しないしない!こんなんでケガなんて!その辺のヤワな小娘ではないので?」
腕っ節を叩いて言い放つ彼女はとても溌剌としていて、苦しげな表情で横たわるあの女とは別人のようだとセバスは思う。
「だから、力仕事、もっと命じてくれていいのよ?」
ドン、と背中を叩かれ、セバスは前のめりになる。
案外、ヴァンパイアとも互角に渡り合えるかも、と思ってしまうのだった。