絵の女性と生身の女性、どちらがいいか? 〜現代のピカソが三次元に恋をするまで〜 作:チャンドラ=グプタ
12月27日。コミックマーケットの会場である東京ビッグサイトではものすごい数の人で溢れており、冬とは思えないほどの熱気で満ちていた。
「相変わらずものすごい人の数だな」
俺の隣にいる陽毬が人混みを見つめ、懐かしむような口調で呟いた。
一度はゲーム作りを止めると言い出した陽毬であったが、桃子をモデルに描いた絵を見せたところ、考えを改めてくれた。
「そうですね。これは完売期待出来そうです!」
由衣夏はとてもワクワクした様子を見せる。俺たちはサークル専用の通り道から会場へと入る。
俺たちのサークルは東ホールという会場で販売を行うことになる。
俺たちが使うサークルスペースは有名どころが使う壁側ではなく、狭い通り道のようにテーブルが並べられており、そのテーブルの中の一つに作品を置いて販売を行う形式となる。
コミケが始まる前に急いで準備を行った。俺たちのサークル名は『現代のピカソ』である。
テーブルには俺たちが必死になって完成させたゲーム、『トライアングル・ラブ』を並べる。
三人の妹と恋愛を楽しむゲームであるが、隠しエンドとして主人公のクラスメートと結ばれるエンドがある。
「いやぁ、楽しみになってきた!」
澪はテンション高めに準備を行った。意気揚々と自身が描いたポスターをポスタースタンドに飾る。
「これも売れるといいなぁ」
桃子はゲームとは別に自身で作成したボカロの曲が入っているCDをテーブルに並べた。CDの中には四曲ほど曲が入っているが、どれもかなり良い曲であった。
さらに俺と澪はゲームに登場するキャラのイラスト集も描いているため、それも販売する予定だ。
「みんな、準備中に済まないがちょっといいだろうか?」
俺たちは作業をしていたが、陽毬に呼び止められると作業を止め、彼女の方を見つめた。
「何ですか?」
俺が訊くと陽毬は「ごほん」と咳払いをした。
「みんな、改めて謝りたい。私からゲーム作りを始めたいと言ったのに一度無責任な形で止めるだなんて言い出して本当に済まなかった」
陽毬は深々と頭を下げた。以前にも陽毬はこうして俺たちに謝ったことがある。
もう誰も気にしていないと思うのだが。そもそもの原因は俺にあると言っても過言ではないのだ。
「もういいですよ。こうして無事ゲームが完成したんですし。陽毬さん、頭を上げてください」
「ありがとう、澪くん。みんなも私のワガママに付き合ってくれて本当にありがとう!」
「それじゃ、ゲーム作りに便乗してちゃっかり彼女を作った湊さんから一言お願いします!」
桃子から唐突なキラーパスが飛んできた。
一応説明しておくが俺は由衣夏と付き合うことになったのである。告白してから一週間後にOKの返事を貰った。
「えぇ!? ひ、一言って言われても……」
何を言おうか考えていると澪が俺の肩にポンと手を置いた。
「それじゃ……愛すべき彼女へのメッセージとかどう?」
澪は微笑んでいるが全く目が笑ってない。怖い。
一方、由衣夏はとても照れている。可愛い。
「止めてくれ……えっと、そうだな。みんな、今日まで作業お疲れ様。今日は完売できるように頑張ろう」
俺が一言述べた後、準備作業を再開した。そして、ぞろぞろと人が会場内に流れてきた。
やはり、多くの人は人気サークルに集中する。売り子は二人一組で交代交代で行う。
ちなみに今は俺と澪が売り子を担当している。
俺と澪はお客さんが来るのを待っていたが、中々俺たちのところに来てくれない。
「うーん、中々売れないなぁ……」
澪がぼやいた。まぁ、気持ちは分かるが。
「まだ始まったばかりだろ」
「そうだけどさ……あんなに頑張って作ったからさ」
確かにゲームを一本作り上げるまで多大なる苦労が生じた。何十枚ものイラストを澪と協力して描いた。
桃子も血眼にして、曲作りに励んだ。
陽毬と桃子もまるで機械のように淡々とプログラミングとデバック作業をひたすら繰り返していた。
「あの、ちょっと見てもいいですか?」
二十歳前後の女性二人組が尋ねてきた。金髪の女性と銀髪の女性で、どちらもかなりの美人である。
「はい、どうぞ」
俺が答えると、二人の女性はゲームの説明書を読み始める。
「へー! 隠しエンドだって。面白そうだね!」
「うん、お姉ちゃん。私、ちょっとやってみたいかも! 一つ貰えますか?」
「はい、三千円になります」
銀髪の女性が三千円を俺に差し出した。お金を受け取ると、銀髪の女性にゲームを渡した。
「ありがとうございました!」
俺と澪は深々と頭を下げた。嬉しくなった俺は澪と顔を見合わせ、『パン』とお互いの手を叩く。
「やったね、湊くん!」
「ああ、この調子でバンバン売っていこう!」
すると、今度はやや背の高い黒髪の男と青い髪をした少女が立ち止まった。
「お兄さん、妹モノのゲームだって!」
「そうだな……あの、ちょっと見てもいいですか?」
兄と思われる男性が訊いてきた。いや、本当に兄妹なのだろうか。全く二人とも似ていないが。まぁ、俺と明梨も似てるかと言われればそうでもないのだが。
「はい、どうぞ!」
二人は説明書を手に取る。パラパラとページを捲り、面白そうに見つめていた。
「お兄さん、なんか面白そうだね」
「ああ、確かにな」
「理想の妹達か……でも花苗には勝てないよねきっと」
花苗? なんだ、どこかで訊いたことがある気がする。
「あいつと比べるな。すみません、一つ貰えますか?」
「はい、三千円になります」
俺はゲームを兄と思われる男性に渡した。
「私はこのイラスト集買います! すっごい綺麗な絵ですね」
「あ、ありがとうございます! こちら八百円になります!」
澪は絵を褒められてとても嬉しそうであった。イラスト集とゲームを購入した兄妹はサークルスペースから離れた。
俺はそんな二人の背中を何となくじっと眺めていた。
「いやぁ、いいもの買えたね!」
「そうだな。『覗いた先にあるもの、それは妹』もようやく書き終わったし、これやって次の作品の参考にさせてもらうかな」
「うん。次もエッロい妹小説を楽しみにしてるよ!」
二人の会話が耳に入り、思わずハッとした。
そうだ。前に陽毬に読ませてもらったことがあったのだ。『覗いた先にあるもの、それは妹』を。
その小説に出てくるメインヒロインの名前が花苗だった。
そうか、彼が『シンヤ』か。
「どうしたの? 湊くん」
「いや、何でもない」
追いかけようと思ったが止めた。彼とはまたどこかで会えそうな気がする。
その後、予想に反してゾクゾクと人がやってきては対応に追われた。二人では少々厳しいくらいである。
「なぁ、澪」
ようやく売り子の対応が落ち着いてきた頃、俺は澪にいずれ話しておこうと思っていたことを話そうと思った。
「何、湊くん」
「俺……卒業後、イギリスに留学しようと思うんだ」
以前、父親が家に戻ってきたときに留学したいと相談した。最初は国内の大学に進学した方がいいと反対されたものの、熱意を持って説得し、何とか承諾してもらえた。
「そう……なんだ」
「ああ、本格的に絵の勉強しようと思ってな。澪は卒業後どうするんだ?」
「私は東京芸術大学に進学しようと思ってるよ」
東京芸術大学か。東京大学より入学するのが難しいと言われる日本最高峰の美大である。
「そうか。澪もきちんと進路のこと決めてたんだな」
「まぁね。湊くんが遠くに行っちゃうのは少し寂しいけど頑張ってね。由衣夏ちゃんにはもう伝えてるの?」
「いや……まだだ」
「早めに話しておいた方がいいよ。あんまり重大なこと言うの先延ばしにすると、愛想つかされちゃうからね」
「さ、参考にさせていただきます」
途中で売り子を交代し、他のサークルのグッズや同人誌を見て回った。休憩時間が終わり、持ち場に戻ると、すでにゲームは完売していた。CDとイラスト集はまだ売れ残っていたが、その二つも一時間もしないうちに完売することができた。
「みんなお疲れ様! それじゃ、各自で打ち上げ会場である私の家に来るように。打ち上げの開始時間は六時だから遅れないように気をつけてな」
こうして俺たちのコミケが幕を下りた。俺は由衣夏と共に帰り道を歩く。
「湊さん、どうでした。コミケ?」
「すっごく、楽しかったよ。けど……何か切ないな」
ゲーム作りをしているときも、早く完成させたいと思う反面、ずっと完成しなきゃいいのにと思っていた。
「分かりますよ、その気持ち。でも、その気持ちを埋めるにはそれは次の作品を作るしかないんです」
「次の作品か……」
きっと、由衣夏は今後もゲーム作りをするのだろう。俺はこのゲーム作りを通じて、自分の気持ちに気づいた。
俺はもっと自分の絵の技術を磨きたい。もっと絵のことを知りたい。もっと絵にのめり込みたい。
「なぁ、由衣夏。俺……」
「私は賛成ですよ。留学」
留学する――そう言おうとしたら、由衣夏が先に答えた。
「由衣夏……お前、知ってたのか。陽毬さんから訊いたのか?」
何を隠そう留学制度は陽毬から提案されたのだ。
進路のことについて、相談すると「だったら留学するといい」と海外留学を勧められた。トーイックの点数など、一定の条件を満たすことで低額で留学することができる。
「はい。湊さんが外国に行っちゃうのは寂しいですけど……私は応援します!」
「ゆ、由衣夏……」
「あと、そういえば陽毬さん。湊さんをモデルにした小説を描きたいって言ってましたよ。タイトルは『現代のピカソが三次元に恋をするまで』にするって言ってました」
「ちょ……それは止めてくれ」
すると、由衣夏は俺の手首を掴み、人気のない場所に誘導した。
「ちょっと、どうした?」
由衣夏は俺にぐっと顔を近づけてきた。距離が近くてとてもドギマギする。
「湊さん。絵の私と生身の私、どっちが好きですか?」
「それはもちろん……生身の由衣夏だよ」
俺は自分の唇を由衣夏の唇に重ね合わせる。
こうして、『現代のピカソ』と呼ばれた俺は三次元に恋をしたのだった。
ご拝読ありがとうございました。次回作も読んでいただければ幸いです。