田舎のしおいちゃんと深夜の廃校舎でセックスして別れる話 作:大河原大河
背後から衣擦れの音がする。どうにも脱ぎづらそうな様子で、僕は手伝おうかと声をかけた。「大丈夫、一人でできるから」
やがて衣服が床に落ちる音。いいよ、との言葉に振り返ると、そこには包帯だけを身にまとったしおいちゃんがいた。机に腰かけて、僕を見つめている。
顔の半分と両腕、左は指先まで。胴体や腿にも、隙間は空いているが広範に。小麦色に焼けた肌と白く穏やかな包帯が織りなす縞模様。かろうじて生きている。数歩先では死んでいる。どっちに振れてもおかしくない、生者と死者の狭間にいるみたい。
生者と死者。
人間と兵器。
どっちつかずの存在。
月明かりの差し込む校舎は祭壇みたいで、なぜだかとても神聖な領域に見えた。ここは生と死の境目、彼女はどちらにも属しているしどちらにも属していない。両方が溶けあってしまって何もかも超越したような不可思議な場所にいる。
僕は生と死の狭間に自ら踏み込んだ。しおいちゃんの腕に手を伸ばす。包帯を避けて、中指から人差し指と彼女の肌に触れさせていく。腕を掴む。細い腕だ、適度に筋肉のついた細身の腕だと思ったのに、今は容易く折れてしまいそうに感じられた。掴んだ腕は想像よりかなり冷たい。自身を指して兵器と語った彼女の言葉を思う、鋼鉄を撫でているような錯覚を抱く。改修を受けたと言った。怪我が半分、もう半分は兵器としての調整。もしかしたら体温を保つことさえやめて、あとは死地に赴くだけなのかもしれない。
この冷たさが、兵器としての証、だとしたら。
「……どうしたの?」
僕は何も答えず、空いたもう一方の手をしおいちゃんの頬に伸ばした。頬、耳から顎のラインをなぞるように。柔らかな肌、やはり冷えた身体。彼女に自覚はないのか、あるけれど目を逸らしているのか。
目を見る。彼女の瞳が僕を見つめ返す。
僕はしおいちゃんの腕から手を離し、肩を抱いた。頬に手を添えて、顔を寄せる。しおいちゃんが目を閉じた。唇を近づける。
触れ合う寸前、気付いた。震えている。三度目の口づけだというのに、前二度は震えなんてなかったはずなのに。違いがあるとすれば、しおいちゃんが自身の状況を伝えてしまっていることだろうか。
何も互いのことを知らず、互いの好意らしきものに基づいた一回目。別の女と錯覚させ、無理やりに犯されようとした二回目。どちらとも異なる。自分の状況をすべて理解してもらったわけじゃなくとも、相手に事情を伝えようとして、伝わったかもしれなくて、独りよがりな理由と立場と自らの存在について相手に暴露した状態で。
身体を重ねることが正しいのか。
これから臨む行為に正当性はあるのか。
自分の一方的な懇願に付き合ってもらっているだけではないのか。
そういった震え。そういった恐怖。ことここに至ってさえも、相手を思いやる感情の発露。
僕はそっと、触れるだけのキスをした。
兵器なわけがないじゃないか。誰が兵器だというのか。兵器であるわけがない。彼女は間違いなく人間だ。誰よりも人間らしい人間だ。相手のために恐怖することができる。相手の為を想うことができる。肌の冷たさではない、心の温かさ故に。
心の美しさが故に。
いい子だ。素敵な人だ。しおいちゃん。僕は、しおいちゃんの為に何でもしてあげたいと思った。しおいちゃんが恐怖しているのなら、恐れを取り払ってあげたいと考えた。僕はしおいちゃんに語った。何も残らないことが怖いというのなら、僕はしおいちゃんのことをずっと覚えて、しおいちゃんという存在を記憶して、しおいちゃんが生きた痕跡を残すための記録になる。
そう誓う。耳元で囁く。
「ありがと」
短い言葉だ。でも充分だった。
僕の手はしおいちゃんの太ももにかかっていた。筋肉質な、けれど女性的な柔らかさを保った股。撫でていると「くすぐったいよ……」と声。僕は手を止めて、しおいちゃんの表情を確かめる。まるでじゃれ合う子供みたいな、無邪気な笑みを零していた。恐怖とは異なる感情に僕はいい気になって、少し激しく彼女の素肌を撫で回した。
太もも、腹、それから上方へ。胸に指が届きそうになったところで一種躊躇したけれど、そのまま手を動かした。しおいちゃんは少しだけさっきまでと違った声を漏らした。色が違う。あからさまに艶っぽい声色だ。
手のひら全体で触れていたものを、人差し指だけに変える。円を描くように、繰り返し、繰り返し、執拗なほどに撫でている。擦れるたびに声はいっそう艶やかに、抑えが効かないみたいに大きくなる。興奮する。胸がどきどきしている。全身に血が通っている。しおいちゃんの発する音に、身体中が反応してしまっている。
熱い。熱い、呼気が熱を帯びている。
本来、彼女の姿は痛々しいと表現されるべきものなのだろう、おそらくは。包帯を巻いた傷だらけの少女は、きっと痛ましいものなのだろう。だけど僕はそれを美しいと感じた。愛しいと思った。
抱きたいと。しおいちゃんを強く欲していた。
僕はしおいちゃんを愛していた。
僕はしおいちゃんを愛している。
切欠はあの女とそっくりだったから。欲情したのは、あの女と似ていたから。そうだ、それは事実だろう。間違いない事実だ、否定しようのない現実だ。あらゆる関係を断たれてこの村で暮らしていた僕が、本当は誰かと繋がっていたかった僕が、唯一手に入れた相手がしおいちゃんだった。そう、これもまた事実。でも、だとしても、しおいちゃんのために何かをしてあげたいという気持ちは彼女でなければ湧いてこなかった感情だ。しおいちゃんと過ごす時間のふとした一幕ごとに好意を積み重ねた。ちょっとした気遣いや、仕草や、考え方に惚れていた。何かをしてあげたいという感情は、きっとしおいちゃんでなければ発生しなかった。
だから、僕はしおいちゃんを愛しているのだ。
温もりが救いになる。僕の感情が、彼女の救いとなることを願う。優しさが心を癒す。僕の愛情が、彼女の恐怖を和らげることを信じる。
彼女の為に、愛を紡ぐ。
僕はそっと手をしおいちゃんの下半身に伸ばした。彼女は拒否しなかった。指を触れさせると、今までとは異なり熱を感じた。兵器ではない、人間である証拠。生命の熱。感情の高まりを。
息が荒い。僕も、しおいちゃんもだ。抑えようとはしているけれど、時折あふれ出てしまうその声は僕の感情を昂らせてしまう。次第に呼吸音に混ざって水音が聞こえるようになる。粘性のある独特な音。透明な色。触れると滑りが良くなって、そうしているうちに指の動かし方にも慣れてきて、どこに触れればしおいちゃんが反応するのか分かるようになってくる。
愛しい。
僕はしおいちゃんの顔が見たくなって、いつの間にか顔を背けていた彼女にこちらを見てほしいと言った。でも彼女は顔を逸らした状態で、何も言わずに荒い呼吸を続けていた。
そんな彼女が愛おしい。
僕は指を離して、横を向いたままのしおいちゃんを抱き寄せた。彼女の首元に顔を押しつけながら、したいと伝えた。頼むような言葉ではあったが、たとえ拒絶されていたとしても我慢はできなかった。抑えが効かないのは僕も同じだった。
「…………。うん」
しおいちゃん。しおいちゃん。僕はしおいちゃんに捧げるための愛を取り出す。僕のものはすっかり張ってしまっていて、もしかしたらしおいちゃんの中に入り切らないのではないかと思えるくらいに大きくなってしまっていて、しおいちゃんはそれでも脚を開いて、僕の身体を待った。僕は緊張してしまっていたけれど、しおいちゃんは僕の身体を誘導して、支えてくれた。
最初さえ分かれば、あとはすぐだった。
しおいちゃんは僕を受け容れた。
少し苦しそうな声、そこまで抵抗はなかったと思ったけれど、それだけじゃないのだろう。彼女の感覚は僕には分からない。僕が分かるのは、締め付けられるような感覚と、処理しきれないほどの快楽だけ。気持ちいい、と、愛しい、が混ぜこぜになって脳内を満たしている。つらい、つらい、僕は動いていないのに気持ちよすぎてつらい、動いてしまったらすぐにこの快楽が終了してしまうという確信がある、だけど動いたらもっと気持ちいいという確信もある。終わりたくない。まだ続けたい。
息をする。息を止める。快楽の波を押し止めるように。
しおいちゃんはやっぱり少し辛そうな顔をしていた。経験したことのない苦しさなのだろう。動きたい。しおいちゃんに負担をかけてしまいそうだけれど、でも、いや、しばらくは止まっているべきなのだろうけれど、でも、僕は抑えが効かない。
動いていいか、ではなく、動くよと言った。
快感が増す。しおいちゃんの呼吸が激しくなる。さらに熱が高まる。このままだとすぐに終わりが訪れてしまうと分かるのに、止められない。しおいちゃん、僕はしおいちゃんを愛している。しおいちゃんを決して忘れない。ずっと覚えている。しおいちゃん。しおいちゃん、しおいちゃんに僕の愛を受け取ってほしい。しおいちゃん。僕はしおいちゃんを抱いている。包帯姿のしおいちゃんを抱いている。傷だらけのしおいちゃんを抱いている。僕はしおいちゃんを愛している。しおいちゃんとずっと生きていたい。しおいちゃんと離れたくない。別れたくない。しおいちゃんと一緒に生きたい。一緒に生きて、一緒に死にたい。いつまでも一緒にいたい。しおいちゃん。
どうしてこれが最後なのだろう。どうして彼女が兵器として扱われているのだろう。どうして彼女は戦っているのだろう。どうして彼女が死んでしまうのだろう。どうして。ようやくしおいちゃんのことを愛していると気付けたのに。死ぬまで一緒にいたいと思えたのに。
僕はしおいちゃんに口づけをした。
僕はしおいちゃんと抱擁した。
手放したくないと、どこにも行かないでほしいと、ずっと二人でいたいと思う僕の気持ちを多分彼女は分かっていたのだ。しおいちゃんの事情なんて放り出して二人でどこかに逃げたい。そういう生き方だってあると知ったのだから、しおいちゃんはこんなにも人間なのだから、と語る僕を、しおいちゃんは肯定しなかった。
彼女は僕を抱きしめ返すことなく、まるで夕飯を作ってあげたいつもの日みたいににっこり笑って、
「ありがとね」
と言った。
短い言葉だ。全然足りなかった。
それでも身体は素直に欲望を吐き出した。全身を気怠さが覆った。
提案があるんだけど、聞いてくれないか。家の玄関で帰り支度をしながら、しおいちゃんは「何?」とこちらを振り返る。
今日の話は忘れて、なかったことにしよう。「どうして?」
好きな人がいなくなったら僕は死んでしまうと思うから。「約束したのに?」
約束を守るために。
「……最低だね」
知っている。
とうの昔に気付いている。
性根が腐りきった人間だから、僕は、こんな最低なことを提案できる。
「またね」
しおいちゃんは言った。また会おうね、と僕は返した。
彼女はもう振り返らなかった。