田舎のしおいちゃんと深夜の廃校舎でセックスして別れる話 作:大河原大河
彼女は自らをしおいと名乗った。正しくは、しおいちゃんと呼んでね、と言われただけなので、名乗りとは少し違うのかもしれないけれど、それで彼女の呼び名は定まった。
僕の方はしっかりと名前を伝えた。
しおいちゃんは「変わった名前だね」と言った。
聞けば、しおいちゃんは不定期にここで暮らしているらしい。小さな集落であるがゆえに情報は筒抜けになっている、久々に戻ってきた彼女は僕の噂を小耳に挟み、お土産持参でやってきたとのことだった。
お土産は一目瞭然、両腕で抱えたスイカ。丸々と肥えている。
「うちで冷やしてたやつらしいから、多分おいしいよ」
らしい、多分、確証のない言葉ばかりだったが、受け取ってすぐに分かった。少なくともすっかり冷えているのは事実。そして、冷えているスイカは、およそ間違いなく美味しいものなのだ。
ありがとう、と受け取る。想像より重かったのですぐその場に下ろした。
「おいしいよ?」
にっこり。
笑顔が素敵な彼女は、素敵な、というよりは何か含みのある笑顔を僕に向けていた。挨拶と土産を置くだけで帰るつもりはないらしい。
玄関で直立不動、まったく動く気配がない。
とすれば、まず間違いなく、家にあげろということか。
どうせ夕食を作るところだったから、ちょうどいいと思い込むことにした。僕だって、彼女と話してみたいとは考えていたのだし。
ご飯でも食べていくかと尋ねると、彼女は「君、いい人だね」なんて言ってサンダルを脱ぎ捨てた。一足は逆さまにひっくり返って、もう一足は傘立てにナイスイン。まるで自宅に帰ってきたかのような自由さだった。しおいちゃんには遠慮や躊躇というものがないのだろうか、あるいは、こういった田舎育ちだとそういう性格に育ってしまうのか。確かに彼女の行動を止めたり、叱りつけたりするような役割はいなさそうではあるが、にしても勝手気まますぎると思う。
それでも僕は、別に構いやしないけれど。
料理するから待っていてほしいと伝えると、元気な返事が飛んできた。冷蔵庫を確認しながらメニューを決めていく。二人分となると何を使うべきか。基本的に食材は一人分しか用意していないから、同じものを二つというわけにもいかない。やはり品数で対応するしかなさそうだ。
いつもより時間はかかるが、特別問題はないだろう。
唯一不安要素があるとすれば、しおいちゃんが「暇は適当に潰すから大丈夫」と言っていたことだけだ。既に座敷の方から何度か本棚を漁っているかのような不穏な音が届いていたが、僕は聞こえないふりをして調理に取り掛かった。
しおいちゃんは居間で畳の匂いを堪能していた。
「もうできたの?」という言葉から察するに、もっと時間がかかるものと想定していたらしい。男とはいえ、料理はもとから仕込まれていたし、一人気楽な田舎暮らしによって腕は上達している。
小鉢に盛りつけられた十品を超える量のおかずを並べていくと、彼女はだらしなく涎を垂らす。どうやら美味しそうに見えたようで、まずは安心した。スイカの礼にしては少々やりすぎだったかもしれないが、足りないよりは良いだろう。
二人、いただきますと声を合わせる。
食前の挨拶も早々に、しおいちゃんが近くの皿から箸をつけた。「うっ!」と唸ってから、代わる代わるおかずに手を伸ばしていく。
「じょ、女子力……」
口をいっぱいにしながら睨まれた。
女子は料理が上手いもの、という固定観念が僕には備わっていないけれど、彼女には根付いていたようだった。女子力の化物か、などと言われても、そんな自覚はまるでないので反応に困る。
「くそぅ……料理上手め……」
悔しそうにしつつも身体は正直で、美味しいものには勝てないと料理が口へ運ばれていく。さながら川のように澱みのない流れ作業、小鉢があっという間に空になっていった。
二十分も過ぎた頃には、食卓の上はすっかり片付いていた。
もしやあれだけ作っても少なかったのかと心配したが、腹を押さえて幸せそうに寝転がっている様を見るに、頑張って食べ切ってくれたようだ。残り物は後日の食事になるだけだから、余らせてもまったく問題ないのだけれど、それだけ美味しく思ってくれたということだろう。作った立場としては非常に喜ばしい。
「ねえ」
しおいちゃんは横になった体勢で、首だけ捻って僕を見た。
「食後のおやつ、食べようよ」
まだ食べるのか、と思ったので、思ったままを伝えた。スイカは後日でいいじゃないか。その提案は、彼女の胃を慮ってのことではあったが、しかし、それだけだったかと問われれば否である。僕は、スイカをまだ取っておきたかった。
むう、と口を尖らせるしおいちゃんだったが、満腹なのは事実、スイカは後日、と何度も自分に言い聞かせていた。何度も言い聞かせなければ、食欲は収まらないのだろうか。すさまじい身体だ。
麦茶を運んでくると、しおいちゃんは、ありがと、と呟いて受け取った。
僕は意識的にこの家から時計を排除している。だから明確な時刻は分からないけれど、だいぶ遅くなっているようには思われた。夜の闇も深まっている、いつまで彼女が我が家にいるつもりか分からなくとも、その時間が少ないことはたやすく理解できる。
だから、尋ねた。
いや、僕自身、尋ねるつもりもなかったのだけれど、本当に、ただの独り言でしかない呟きだったのだけれど、食後の穏やかな、静かな空間の中では、そんな音すら言葉になって、相手に届いてしまうのだった。
そんなことにすら気づかなかった、それは僕の落ち度だ。
しおいちゃんからしてみれば、ずいぶんと不可解な問いかけだったろう。会って何時間も経っていないような人に訊くことではないし、そも、時間の程度によって可不可が変わる問いでもない。常識的に、訊いてはいけない事柄である。だから、あるいは、僕に尋ねる意図がなかったことも、見抜いていたかもしれない。それくらい分かりやすく、思わず漏れた心の声だったはずだから。
───僕たちは、仲良くなれるかな。
通常ならば。
はい、とも、いいえ、とも答え難い、そんな僕の質問に。
「仲良くなれるよ」
彼女は────僕が欲情した女と同じ顔をした女は────僕が欲情した女が浮かべたことのない、太陽のようなまばゆい笑顔で、そう答えた。
「だって君、優しい目をしてるから」
優しい目をしている。
気持ち悪い目線ではなく。
優しい目をしていると、彼女は言った。
仲良くなれると、彼女は言ってくれたのか。
胸、が、苦しい。
玄関での会話と、料理と、時間が経って、やっとのことで落ち着いたはずの心臓が、再度早鐘を打つ。まるであの女に認められているかのような錯覚が、僕の心を動揺させる。あの女に、身体が魅惑的なあの女に、心は要らない、身体だけが欲しかったのだと暴力を振るった女に、この女は容姿だけは似通っていて、双子かと思うほどにそっくりで、この女が優しい目をしていると、仲良くなれると言ったなら、親しくなれるというのなら、まるであの女に抱いた感情を許された気分になって、身体を好き放題にしてしまいそうで、あの日の続きをできるのではないかと、今度は誰にも中断されることなく最後までできるのではないかと思ってしまって、思ってしまいそうになって。
僕は必死に自分の肩を抱きながら、ありがとう、と言った。
身体と声は震えている。
自制しろ。
自制しろ。
誰かと仲良くなりたいのなら。
しおいちゃんと仲良くなりたいなら。
あの女に対して欲した親しさと、今回のそれを同一視してはいけない。
友達を欲するならば、ひたすらに耐えろ。
僕の様子がおかしいと思ったのか、しおいちゃんは眼前まで寄ってきて「大丈夫?」と僕の額に手を当てた。「……熱はなさそうだけど。震えてない?」
大丈夫、大丈夫だと彼女を引き離す。
なおも僕のことを心配しようとするしおいちゃんを、料理を張り切りすぎたのだと適当な理由で玄関までつれていく。門限なんてものがあるのなら、どれだけ遅く設定されていてもきっととうに過ぎている、感覚的にはそれほどに真夜中だった。
真逆の方向にすっ飛んでいたサンダルをかき集め、帰宅を促す。しおいちゃんは一瞬だけ立ち止まったが、それ以上抗うことはせず玄関の戸を出た。
「今日はごちそうさま。……それじゃ、お大事に」
やっぱりちょっと心配げに、彼女は去っていった。
しおいちゃんが見えなくなったことを確認してから、僕はその場に座り込んだ。移動なんてできなかった。
襲うつもりはない。
でも襲いかかりそうになった。
彼女はあの女じゃないと、分かっているのに。
僕は────しおいちゃんと、仲良くなりたいのだ。
仲良くなりたいだけだ。
仲良くなりたいだけ。
仲良く。
仲良く。
身体の震えは、なかなか収まらなかった。