田舎のしおいちゃんと深夜の廃校舎でセックスして別れる話 作:大河原大河
料理の音が聞こえる。それは包丁が野菜を刻む音であったり、フライパンで肉を炒める音であったり、もしくは沸騰するお湯の音。騒がしくて心地よい。しおいちゃんの存在を感じ取れる音。あるいは声。
「ねえ、ちょっと手伝って」
僕を呼ぶ声。配膳の手伝い。皿や箸や完成した料理を運ぶ。
小鉢に盛られた料理の数々は、僕が最初に振舞ったときのことを思い出させる。とても美味しそうに見える。実際美味しいのだろうと思う。頑張った結果なのか、普段通りの実力なのかについては触れるべき部分ではない。
いい匂いがする。
「よし」
満足そうに座り込むしおいちゃん。ずらりと並んだ料理は、気合の表れか。僕と彼女はいただきますと声を合わせて箸を進めていく。
少し濃いめの味付け。しかし甘すぎでもなく辛すぎもせず、素材と調味料のバランスが適切で舌に馴染む。見た目通り、予想通り、美味しいという素直な感想が飛び出した。
いい匂いがする。
「そっか、良かった!」
食事を頬に詰め込みながら、しおいちゃんが答える。落ち着いて食べればいいものを、自宅でも変わらず凄まじい勢いだった。二人分がそれぞれ別の器に盛りつけてあるから問題はないが、まとめて一皿だったら僕の分は残らないだろう。
飲み物が欲しいと言うと、麦茶が出てきた。まだ暑さが残っているから、氷で冷えたそれは大変に好ましかった。
大量にあった食事も、しおいちゃんにかかればすぐさまなくなってしまう。僕より先に食べ終えた彼女は、食器を片付けながら「ちょっと疲れたよ。お部屋の整理もしたもんね」と笑う。
しおいちゃんの家にはあまり生活感がなかった。片付けた故だとは思うが、本当にここで暮らしているのかと疑ってしまうほどに荷物が少ない。不定期にここで暮らしていると言っていたけれど、最低限の物だけ持って訪れる、が正確なところか。何もかもから隔絶された地で休養を取っている、だけ。
ならば彼女はいつか、ここからいなくなってしまう。いつか僕の前からいなくなってしまう。もしかしたら明日にでも。
「疲れたのでお風呂入ってきます!」
元気に宣言、一礼してお風呂場と思しき方に走り去っていく。しおいちゃんの音が遠ざかる。
僕は一人取り残される。
静かになってしまった部屋で、一人で、僕は僕と彼女の関係について考える。
僕はしおいちゃんと仲良くなりたいと思った。仲良くなれると彼女は言った。きっと僕と彼女は、友達になれているのだと思う。二人で食事をして、二人で遊びに出かけて、二人でだらだらと時間を過ごして。互いに料理を作ったりもして。
仲良しな二人だ。仲の良い友達だ。
仲良くなりたいと思った切欠はなんだったか。僕が仲良くなれるかと聞いた。それは心の声のようなもので、本当は届かせるつもりもなかった声で、けれどその言葉にしおいちゃんは仲良くなれると答えてくれた。
だからきっと仲良くなれた。
仲良くなれたのか。
僕としおいちゃんは仲が良い。
仲が良いってなんだろう。
親しくなるということは何を意味しているのだろう。
僕の心は満たされているのか?
しおいちゃんの家で彼女の手料理を食べれば満足。
本当に?
僕は親しくなりたいのだ。
さっきからいい匂いがしていた。今は少し薄れてしまったけれど、家に属する空気が美味しそうな匂いを漂わせている。
僕は食べきれなかった料理を片付けた。
いい匂いが近づいてくる。
「ふー! いいお湯だったよ」
お風呂上がりのしおいちゃんが、部屋に戻ってきた。まだ湯気が立っていて、髪も湿り気を帯びている。緩めのパジャマを着ている。
僕は唾を飲んだ。本能による動作だった。
しおいちゃんはテーブルを挟んで向かいに座り、僕に尋ねた。
「どうする? ごはん終わっちゃったけど」
何をするかという問いに、僕は麦茶のおかわりを貰いたいと伝えた。立ち上がろうとする彼女を制して、台所へ。グラスに注いで部屋に戻る。
しおいちゃんの隣に座る。
「……狭くない?」
特に気にならない、と返す。「ならいいけど」
しばし無言。けれど音は聞こえる。しおいちゃんが隣で奏でる生存音。息をする。息を吐く。腕を動かす。首を傾ける。しおいちゃんの存在を音で感じる。そして嗅覚でも。ああ、いい匂いがしている。
手を伸ばす。最初は自分の膝、行き場を求めるように畳の床へ。それから同じように手をついていたしおいちゃんの掌。
彼女の指に、自らの指を触れさせる。
息を呑む音。しおいちゃんの喉から発せられた声ではない声。
撫でるように指を動かすと、少し間をおいて、彼女の指が応える。僕の人差し指を、しおいちゃんの指が挟んで掴む。逃がす。また掴む。遊ぶように、からかうように。
腕を撫でる。掴む。身体を寄せて、逆側の腕も伸ばす。
抱きしめるような体勢。抱きしめようとする体勢。
しおいちゃんは僕を見ていた。
僕はしおいちゃんを見ている。
髪を撫でる。彼女は目を細める。頭を撫でる。彼女は微笑んでいる。
彼女の肩に手を乗せて、押すように体重をかけた。しおいちゃんが倒れる。僕が覆いかぶさる。
「…………」
彼女は何も言わない。僕は顔を近づける。何も言わない。だが音は聞こえる。鼓動の音だ。しおいちゃんは目を閉じる。
唇を重ねた。
優しく触れるだけの、啄むような。
離してから、もう一度。次は少しだけ長めに。もう少しだけ押しつけるように。
離す。息をする。呼吸が荒くなっている。
どちらが?
どちらも。
僕は彼女の耳に触れる。
くすぐったそうに表情を緩める。
しおいちゃんと親しくなりたい。もっと。もっと。
僕は彼女と親しくなりたかった。単なる仲間、お友達、そういった関係になるだけで満たされると思っていたのは思考だけで、感情は、本能は、より上位の欲望を求めていた。
しおいちゃんを愛しく思っている。
しおいちゃんの愛を求めている。
しおいちゃんの身体を欲している。
────、
不意に、あの女の姿が重なった。
同じ顔をした女。違う表情を見せる女。僕が欲情した女。欲望をぶつけたかった女。
ノイズ。
雑音がやけに耳に障る。
目の前にいるのはしおいちゃんだろう。
僕はしおいちゃんを求めている。
本当に?
本当に。
本当に?
僕はしおいちゃんの全身を撫で回す。抵抗はない。
美しい四肢。美しい肉体。ちょっぴり筋肉質で、あの女とは違っているのにそっくりで。
あのときの映像と、目の前の光景が重なって。
焼き付いて離れない。
瓜二つだ、何もかも。顔も身体も唇も、耳も腰も尻も腿も肩も首も。ありとあらゆる感触があのときを再現しているようにそっくりで、僕が抱こうとしているのはしおいちゃんなのかあの女なのか分からなくなって、僕は僕自身が信じられなくなって。
僕は本当にしおいちゃんを愛しているのだろうか。
僕が求めているのは、しおいちゃんなのだろうか。
すべてが疑わしくなって。
そうだ、そうだ、行方不明の少女がいた。あの女がいたはずの町で、少女が行方不明になったと聞いた。あまりに似通った女が僕の眼前にいる。
分からない。
分からなくなる。
僕の前にいるのは────誰だ?
僕の好意は、誰に向けたものなのか?
「……どうしたの?」
しおいちゃんが不安そうに僕を見つめていた。すっかり手が止まっていたようだ。身体を起こして、不調を訴える。悪いものを食べさせてしまったのではないか、との発言を否定する。
そうじゃない。そうじゃないのだ。
悪いくせに、最低なくせに、性根が腐っていることを理解しているくせに。中途半端で覚悟もない僕が、悪いのだ。欲望に流されて、相手に悟られないと思える限界近くで、勝手に一人で盛るだけの僕が。
気持ち悪いだろう。
気持ち悪いはずだ。
思い出す。思い出したくない。一人で家に籠りたい。
「大丈夫?」
心配しないでほしい。僕に人から心配される価値はない。
僕はしおいちゃんの家を出た。それから走って帰って、トイレに駆け込んだ。
何も分からない。
どうすればいいかも、何をしたいのかも、自分の感情さえも。
答えを教えてくれ。
僕は、
僕は……。