田舎のしおいちゃんと深夜の廃校舎でセックスして別れる話 作:大河原大河
月の綺麗な夜だった。
しおいちゃんの提案で、僕たちは外を歩いている。しおいちゃんがすぐ隣にいる。月明かりが夜道を照らしている。
しおいちゃん。
しおいちゃんがいる。
「元気にしてた?」
しおいちゃんは僕に尋ねた。全身が包帯で巻かれている異常な姿から発せられたとは思えないほどに、それは聞き慣れたいつもの調子だった。
元気ではなかった、と僕は返す。しおいちゃんほどじゃないけれど、と付け足して。声を出すことができなかったくらいには人と喋っていなかった。立ち上がろうとして転倒してしまうくらいに身体を動かしていなかった。でも、包帯でぐるぐる巻きになるほどの大怪我をしたわけじゃない。怪我をするような事故や事件に巻き込まれたわけじゃない。どうせ引きこもりの運動不足。中身なんて何もない。
だから、本当は、僕がしおいちゃんに訊くべきなのだ。
どうしたのか。何があったのか。急にいなくなって、何をしてきたのか。
けれど、言葉が出てこない。さっきまでは喉が枯れていたからで、今は思考の整理がついていない。僕は僕のことで精いっぱいで、それ以上のことを飲み込む余裕はどこにもなくて、かろうじてしおいちゃんの問いかけに返事をするしかできることがない。
「私さ……見てきたよ」
何を見てきたというのか。
「君のいた町。君が親しくなりたかった女の子」
あの女。しおいちゃんと瓜二つの、あの女。しおいちゃんの口からあの女のことが出てくるとは思っていなかったから僕の思考は完全に停止した。直後に疑問があふれ出した。どうしてあの女の話が出てくるのだろう。僕が話したからか。僕の話を聞いてかつて僕がいた町にしおいちゃんが赴く理由がないだろう。何故。分からない。それとも偶然か。何かしおいちゃんが向かう別の要因があって、たまたま僕が寸前にその話をした。偶然にしてはできすぎている。分からない。
何も分からない。
「私も言いたいことがある、君の町にしばらく行くことになったーって伝えようと思ったのにさ。電話切っちゃうんだもん」
続けてしおいちゃんは語る、
「君は好きじゃないだろうけれど、素敵な町と学校だった。どの場所も広くて、ちゃんと整備されてる。君が親しくなりたかった子が、たくさんの人が生きている。しっかりと守られた町。
私たちが守っている町。
だからそこに奴らが侵入したなんてあってはいけない」
奴ら。奴らとは、ラジオで言っていた怪物のことだろうか。
分からない。
「戦ってきたよ。殺してきた。でも、陸上の戦闘はやりづらくて……潜航兵器の私を呼ばなきゃいけないほど戦力が足りないんだよね。うん」
殺してきた。怪物を。しおいちゃんが。
自身を指して、兵器だと。
「私ね。私……」
しおいちゃんは跳ねるように二歩進んで、振り返った。包帯で隠れていたけれど、彼女は笑っているように思った。自らの腕に、包帯に触れる。
「……この包帯、全部が怪我っていうわけじゃないの。半分が怪我で、もう半分は改装の証。特殊な武器を扱えるように。
今までみたいに泳げなくなる。
動けなくなる。
狙われたら、きっと死ぬ」
死ぬ────しおいちゃんが?
分からない。こうして会話をしているしおいちゃんが死ぬ。想像できない。分からないから、聞くしかできない。
「元にたどり着けるのってすごく珍しいんだって。そうだよね、普通なら私たちは町に立ち入れない。だから、うん、これは奇跡だと思う」
奇跡。奇跡。
元にたどり着く。町に立ち入れない。何を言っているのか分からない。分からないことだらけだ。
分からないけれど、しおいちゃんがいることだけは事実。
彼女は包帯の下で笑っている。
「行きたいところがあるの。付き合って」
満月の夜を歩いている。
道なき道、山に入ってしばらく経つ。木々の影が多い。あれほど明るかったはずの夜が暗くて恐ろしいものに見える。どこに向かっているのか、と僕は尋ねた。しおいちゃんは答えない。何も言わずに山道を歩いていく。
歩いて、上って、山道を進んで。
何か見えてきた。木造の建物だ、家ではない。横に長く伸びており、窓がたくさん設けてある。長い間使われていない様子で、腐敗しかけた窓枠やさび付いた扉が見て取れた。しおいちゃんに続いて近づいていく。建物の中には大量の机と椅子、壁には古びて汚れてしまった黒板。学校、だった場所のようだ。
嫌が応にも思い出す。あの町で通っていた学校を。
あの女を。
しおいちゃんは慣れた足取りで校舎の正門、ではなく校舎の端に向かった。ついていくと、用務員が使っていたのであろう小さな入り口があった。誰かが使っていた痕跡。しおいちゃんが通っていたのかもしれない。
入り口から中へ、正面にはまっすぐに廊下。廊下の右側には各教室に繋がる扉がいくつも見えた。近くの扉を開けて、教室に入っていく。後に続く。
教室の中は机が山積みになっていたけれど、外からの印象ほど汚れてはいなかった。案内する以上初めて訪れる場所ではないだろうから、しおいちゃんが定期的に掃除でもしているのだろうか。彼女は机の山からいくつかを抜き取って、椅子とまとめて隅の方に配置する。その一角だけならば、実際に使われている学校とそれほど遜色なく見えた。
しおいちゃんが席に着く。
ぼんやりと月を眺める。
何をしているのか、と考えたのは一瞬で、僕はすぐさま気付いた。
映像が重なる。記憶が重なる。
時刻も、場所も、相手も違うはずの景色。だけど確かにこの瞬間、僕はしおいちゃんをあの女だと錯覚した。
教室の中で当然のように孤立していて、
僕はそんな彼女のことをじっと見つめている。
混線。仮初めの教室にはしおいちゃんと僕を除いて誰もいないから、僕はしおいちゃんを見つめている。それとも、あるいは、関係性を構築できそうなクラスメイトが彼女しか見つからなかったから見つめていたのか。混同。僕は、僕と同じくらい普通からずれてしまった彼女と親しくなりたかった。親しく、なりたかった。
目立って整った顔立ちというわけではない。興味を引かれるような身体的特徴があるわけでもない。ただ、僕の視線を拒絶しなかった。僕の言葉を否定しなかった。あの女と同じ顔をしていた。
「何を見てるの?」
しおいちゃんの声、疑わしいほどに冷たい声。悪感情を存分に含んだ音。
僕は、僕の視線を自覚する。顔の歪みを意識する。太股、胸、首。薄く笑いながら。気持ち悪い。そういうところが気持ち悪いのだと。
「どこ見てるかなんて普通に分かるから。太股とか胸とか、やらしい顔で見てたの、自分で気付いてないよね。そういうところが気持ち悪い」
彼女の辛辣な言葉を聞いて────僕は、確信した。
視界と記憶が重なって、書き換わる。
目の前にはあの女がいる。
近付く。女は僕が歩み寄るごと、耐えきれない腐臭に顔を顰める。性根が腐った人間が近寄ってくる嫌悪をむき出しに表現する。
僕は彼女の腕を掴んだ。
陶器みたいに白くて、小麦色に焼けていて、すぐ壊れてしまいそうなほど適度に筋肉のついた細い腕。
「何するの……、っ!」
抵抗しようとした少女の身体を引き寄せて、唇を重ねた。
逃がさないよう、そのまま強く抱擁する。
すぐに唇を噛まれたはずだが少しも痛くない。口の中に温かな液体が流れ込んでくる。何の味もしない。熱い。とても痛まない。それでも口づけを続ける。
友達になるだけでは満たされない。
肥大化した僕の好意は、彼女の身体を求めている。
彼女を縛り付けていた手を、少しだけ緩めて、全身を撫で回す。彼女を縛り付けていた手が今まで何も握りしめていなかったことにこれっぽっちの違和感も抱かない。
腰。
尻。
腿。
肩。
首。
首に手をかけて、そのまま押し倒す。体育館裏、雑草の生い茂る汚れた床。床に彼女を押しつける。喉を押さえつける。気道を塞ぐ。
身動きの取れない彼女。
苦しげに僕の手をのけようともがく姿は────
苦しげで、辛そうで────
泣き出しそうだった。
自身の悲運を嘆く表情ではない。これから酷い目に遭うことを想像したのではない。この顔は見たことがある。鏡写しのよう。迷い迷って、何もかも分からなくなって、どうしようもない感情を胸に抱え込んだときに現れる。
…………、
僕の手が止まった。
「……何してんの」
あの女がいたはずの場所には、しおいちゃんがいた。ここは体育館裏ではないし、彼女の腕はすぐ壊れてしまいそうなほど脆くはない。あの女はどこにもいない。
あの女はここじゃない町にいる。しおいちゃんはあの女ではない。
しおいちゃんの、冷えた声が聞こえる。
「ねえ。身体が欲しいんでしょ。無理やりにでも犯すんでしょ」
首から手を離した。犯されたいのか、と僕は訊いた。
「そうでもしないと私は何も残らない」
しおいちゃんは答えた。
少し沈黙を挟んで、それから堰を切ったように喋り出す。
「…………。……海で戦って、海で死ぬのが普通のことだと思ってた。生まれてからそういう生き方しか見てこなかったから。周りもそうだし、それ以外の生き方を考えもしなかった。
君の話を聞いたとき、居場所から離れることができるのかって思った。私たちは定められた環境で、生きて、死ぬだけだから、別の場所に移ることが選択肢として思い浮かばない。まずそこに驚いた。でも、馬鹿らしいとも思った。適応できなきゃそこで死ねばいいだけなのにと。
けれど、そのうちに逆だって気付いた。だから死ぬ、じゃなくて、死から逃れたいと思うことができるんだって。死にたくない、死なせたくないから居場所を変えて、生きるための手を模索することができるんだって思った。それは私にはできないことだった」
穏やかだったしおいちゃんが吐き出す言葉
それは僕のあずかり知らない物語。彼女の言葉から、断片からしか読み取ることのできない感情の暴露。
「町に侵入した奴らを仕留めに行って、私の元になった人間を見た。戦闘音に怯えて、巻き込まれて死ぬんじゃないかと恐怖して、逃げる姿を見かけた。
逃げる“私”を見た。恐れる“私”を見てしまった」
僕と同じように、逃げ出すことになった人間を。
「恐怖して、逃げて、居場所を変えて、そうまでして生きることに何の意味があるのかと考えた。……うん、きっと、意味じゃないんだよ。そうまでして生きようとする意志そのものが、人間と兵器の差なんだと思う」
しおいちゃんとあの女の差。
同じ顔をしたふたつを、決定的に分かつものだと語る。
「でもさ、でも……私、ダメなんだ。生きようとする“私”を見てから、どうしてかな、死ぬことが普通と思えなくなっちゃった。逃げ出しちゃダメなのかなって考えるようになってしまった。
どっちつかずだよ、私。死ぬしかないのに。
あとは死ぬだけなのに」
ああ、今にも泣いてしまいそうだ。
僕は彼女を見つめる。
「死ぬしかない。死にたくない。逃げ出せもしない。ならせめて、私を誰かに覚えていてほしかった。でも……兵器なんだ。兵器なんだよ。結局、私は。
兵器であることを知れば、兵器としての結果しか求められない。兵器と隠すには、この身体は傷ついてしまっている。
だから重ねようとした。私と”私”を。
でも、ダメだった。
私、どうしたらいいのかな。何をすればいいのかな。何をしたいのかな。分からない。分からないよ……」
分からない、としおいちゃんは繰り返した。
身に覚えがある。相手の都合など考えず、一方的にすべてを告げる状況を。
僕とまったく同じと言えるほど、僕はしおいちゃんのことを理解してなどいないから、彼女がどういう意図でこの話をしたのかはそれこそ分からない。
でも、勝手な思い込みでもいいのならば。
誰かの温もりが救いになる。
優しさが心を癒す。
愛が慰めになる。
本当かどうかを確かめる術はない。必要もない。
彼女が兵器か人間かなんて些細なこと。
しおいちゃんの髪を撫でる。
「…………」
そうだ、僕は、ただ。
彼女を美しいと思ったのだから。