呼吸をするように
……だから、無謀だと止めたのに……。私は溜息をわかりやすく吐き出す。
手柄を立てたかったのか、誰かにいい所を見せたかったのか、それとも他に何か理由があったのかは知らないけれど……。上官は私の言葉を無視して四皇の、しかも白髭に、訓練生たる海兵と、それの指導員たる私を巻き込み挑み掛かった。
結果死者なしでの惨敗。当然の結果であり、有り得ない奇跡。
そもそも白髭相手に訓練生ってどんな無謀よと、心から思う。無謀なんて言葉では、言い表せない様な恐ろしい状況だわ。
死者がいないのは、白髭の温情としか言いようがない現実。それなのに喚く上官を呆れた眼差しで見て、私は訓練生に向き直る。
せめて彼等だけでも守りたい。どうしたら守れるのかなんて明確な答えはないけど、今は私だけが唯一彼らを守れるのだろう。
「上が無能である事は分かっていたのに、それを止める事が出来なくてすまなかった。私の落ち度だ。怨んでくれていい」
海軍の上官としての私は、キリッと凛々しくを旗印に少し気取った口調で話している。とは言え、昔のおつるさんと似てると言われるのが嬉しいからなんて理由でもあるのだけど。
「……最後の命令だ。何があっても、生きる事を諦めず、マリンフォードへ帰還せよ!」
「大佐!」
何人かの呼び止める声が聞こえて、けれども言い終えた私の中では既に決意は固まっている。だから、予知したように騒ぐ訓練生に微笑みかけた。
いくら温情掛けられた事で全員無事とはいえ、帰して貰うには時間を稼ぐか何か条件を飲むしかないだろうというのは分かりきってる。だから私は、交渉に向かう。
「もし……叶うならば、あの馬鹿も連れ帰って欲しい。そして、おつるさんにごめんと、伝えてくれ」
背中を訓練生に向けて発した言葉に、私の動きに、白髭の船員が僅かに緊張感を漂わせた。白髭の船員に怪我を負わせたのは、ほぼ私1人と言っても過言では無い。
胴体と腕を縛られていても、それで動けなくなるような鍛え方はして無いわ。だから、私は立ち上がると騒ぐ上官の元へ歩み寄り、黙れの言葉の代わりにその頭を踏み付けた。
甲板にめり込む勢いで抑え付ければ、カエルが潰れたような音と声が聞こえた気がするけど、そんなのは無視だ。歳若い未来ある海兵予備群達を、道連れにしようとした罪は重い。
「温情に、感謝致します。白髭海賊団の皆様方。突如襲い掛かった上に、このような事を言うのは厚顔無恥である事重々承知の上で、そこにいる訓練生達はこのまま見逃して頂きたく存じます」
真っ直ぐに大き過ぎる男を見上げれば、彼は試すように私へと覇気を向けて来る。それは、何処か懐かしくも感じられた。
加減してくれてるのだろうな。訓練生の八割は意識を失い、上官も例にもれない。
そんな状態でも、伝わる優しさ。その優しさが、やはり何処かシャンクスと似ている気がする。
そこで漸く足を上官の頭から退けると、私は真っ直ぐに白髭を見つめてから、頭を下げた。この場で唯一の危険人物は私だろうと言うのを理解しているからこそ、これしか言えない。
「……必要とあらば、私の首を差し出します。どうか、私の部下とこの愚かな上官は見逃してください。今、他に差し出せるものは御座いませんが、どうか!」
正直に言うならば、この上官はどうでもいい。名前だって記憶して無いし、隙あらば私に襲い掛かって来ようとする最低な男だった……としか記憶してない。
でも、それなりに鍛えてるからこの男が私を殺すつもりで来ない限りは、当然肌を許す訳もなく、返り討ちにして来た。だから問題は何も無い相手と言えるだろう。
そんな事を思い出している間に、訓練生の中で意識を保っていた子が、後ろで私を呼ぶ。少し無鉄砲な所が、弟達に似ていてつい気にかけて来た子だ。
「……んで、ですか……?ナミ大佐!貴女には責任なんて無い!全てその馬鹿が!」
「黙れ!」
私の名を呼ぶだけで留めれば良かったのに、上官を罵倒するから、咄嗟に言葉を遮る。そんな事をすればそれだけで左遷や降格も有り得ると言うのに……。
この訓練生は真っ直ぐ過ぎる。生きにくいだろうなと、少し心配になる若さ。
「……それを諌められ無かった私の落ち度だ。君達には迷惑を掛けた」
私はそう言ってから、白髭に視線を向ける。抵抗の意思は無いと伝える為に、真っ直ぐに。
「部下を抑えきれず、お見苦しい所をお見せしました。平に、御容赦を」
「お前ェ1人で、こいつら全員の命とは……笑わせてくれるな。1人の命で賄えるとしたら、1人分の命だけだろうが」
「本当にそうでしょうか?」
「何?」
怪訝そうな表情で私を見るその姿に、笑いたくなるのはどうしてだろう。この人の手で殺されるなら、それは仕方の無い事だと思えるのは、どうしてなんだろう。
でも今は、守るべき相手がいるから、そんな甘い誘惑に負けられない。それに乗るのは、もう少し後。
「例えば、白髭様が死ねば、何人もの犠牲者が出ます。それの代わりに誰かとなった時、何十人もの身代わりが必要になるとは思いませんか?」
空気がビリビリと震える。でも、そう……白髭が、何処か楽しそうに感じるのは気のせいだろうか。
「他に、差し出せるものがあれば良かったのですが……。生憎命の他はこの身1つ。なれど、この身は差し出せませんので、命で御容赦頂きたい」
「身は、差し出せねェだと?」
意外そうに眉を上げる白髭に、私は笑う。ああ、やっぱり好きだなと心が言う。
「はい、私は……恐らくソレを強いられれば、自害致します。屍で宜しければ、好きになさって頂きたい所ですが、白髭海賊団の方々がそれを望むとは思えません」
「サンドバッグにされるとは、思わねェのか」
「この身が男ならば有り得ても、女のこの身を白髭海賊団が、とは考えにくい。更に……私は防御でのみ無意識に覇気を纏いますので、サンドバッグには向かないかと」
「……それで、覇気を感じるのか。何故隊長達を相手にする時、覇気を使わなかった」
「攻撃は、苦手なのです。元々私は海軍でも事務方。此度はコレのサポートと、部下の訓練対応が役割でした」
「……難儀だな、お前」
哀れむように言われれば、笑うしかない。つい本音で、そうね、ホントに……なんて零してしまう位には、面倒だと思う。
「上官を見逃す事が無理でしたら、上官も好きにしてくださって構いません……と、言いたいのですが、そうなると上官を見捨てて逃げたと、部下達が責任を問われますので、コレは帰して頂きたいのです」
「……良いだろう。お前ら、軍艦までそいつら帰してやれ!」
「感謝致します」
膝をついて頭を下げれば、白髭からの覇気が収まる。軍艦に投げ込まれる訓練生の声や音を聞きながら、最後に投げ込まれた上官に、帰って責任を背負って貰いたいわねと、心から思う。
さて、この後どうしたものか。私は既に、生殺与奪も含めて全てを託してしまった。
「親父、どうするんだよぃ?」
見なくても口調で誰か分かる。言葉にしなくても私の扱いに困ってるのは伝わって来るから、私も無言で白髭の言葉を待つ。
白髭は暫く私を見ていたようだけど、それからも暫くは無言で……そして、とんでもない事を口にした。
「……殺すには惜しいな。だが、帰せば厄介。残しても禍根なら……どうだ小娘、海軍裏切ってこの船に乗るか?」
思わず見上げた白髭は、妙に楽しそうだ。でも、白髭は戦闘員の女は乗せないと聞いていた。
混乱の中で、私は白髭に笑いかける。
「ご随意に」
その時軍艦から声が聞こえる。それに私だけでは無く何人もが視線を向ける。
「大佐ー!」
振り向けば泣きながら私を呼んでいるのが見えて、呆れてしまう。あの子達は全く。
「私の事は心配いらない!それと、進路は9時の方角へ変えろ!……皆、生きて帰還せよ!」
「「「はい!ナミ大佐!」」」
声が重なった。これで彼らがサイクロンとぶつかる事はないだろうし、私の指示で泣いてる余裕等無いとして気を引き締めた彼等は、既に泣いてはいない。
良かったとその様子に少し笑ってから、私は判決を言い渡される被告人のように白髭の前で眼を伏せる。
「……立派な〝上官〟殿だな。それに、その若さで大佐と来たもんだ」
「白髭さんにそう言って頂けるとは、光栄です」
答えた瞬間に持ち上げられた私は、何故かそのまま白髭さんの膝に落とされた。そして、白髭さんは弱った様子で私の顔を見る。
そして、私は海賊の中で有名だったらしいと初めて知る。それによれば、どうやら私はおつるさんの孫で、いつも海軍本部の奥に隠され守られている宝石なのだそうだ。
その宝石をと七武海が求めても、ひらりと躱して逃げる姿は正に猫。けれどもその囀りは美しく、風を読んで飛び回る渡り鳥と似ている。
けれどもその容姿は人魚のように美しい。だからこそ海軍の宝石と呼ばれている。
……正直、そんな人間いたらお目にかかりたい。私はそんな伝説的な存在では無い。
それにしても、宝石とは上手い。宝玉に対する揶揄だろうか?
そう思って否定の言葉を声に出そうとしたら、白髭さんが言った。妙に優しい声で。
「噂に違わぬ女だと、驚かされた」
「お戯れを」
困ってしまって誤魔化すように笑う私に、白髭さんは優しく笑う。だから私は、その笑顔に惹かれるようにして先程の誘いに答える。
「白髭海賊団の本船には、女の戦闘員は居ないと伺っています。私は白髭さんの命令に従いますが、どうなさるおつもりですか?」
「……なら、命じてみるか」
そう言って白髭さんは私に、瞳を閉ざして大人しくしていろと言った。私はそれに笑うしかない。
死の瞬間を恐れないようにと言う、配慮なのは嫌という程分かるから。そして、白髭さんの手が私を支えるように動き……気付いた時には唇が重なっていた。
「んぅ!?」
慌てて瞳を開いた私に、そういう事かよぃと苦笑する声が聞こえたと思った直後、私はそのまま深くなる口付けに翻弄される。逃げる事を考える事も出来ないのは、憧れの人だからか、それともその口付けが巧みだからか。
呼吸の為に吐き出す吐息に、声が混ざる。体が震えて、自力ではもうどうにも出来そうにない。
「……そんな顔で見つめられて、手を出さずに居られる程、俺ァ枯れちゃいねェつもりなんだ。……つべこべ言わず、俺の女として船に乗れ」
「そんな、顔って……」
「……ナミだったな、お前ェ気付いてねェのか。俺をどんな顔で見てるか」
慈しむように、懐かしむような顔で、けれどもその瞳は熱を持って見ていたと囁かれては、否定のしようがない。それくらいには、憧れの感情を自覚している。
小さく、憧れてましたからと呟けば、白髭さんはこれからは愛してくれれば良いと言う。それに私が何も返せずにいると、白髭さんは大切にしてやるから怯えなくていいと笑った。
拒む事さえ許されない程に魅了されて、その熱に浮かされて、私は無意識で頷いていた。それが何を意味するかも考えられないままに。
呼吸をするように自然に、そうである事が当然と言わんばかりに、私は白髭さんの元でその熱に溺れる。その時聞き覚えのある声が響いて、白髭さんの背後に斧を持ったエースが見えた。
それを1瞬の早業で打ち倒した白髭さんは、吹っ飛ぶエースに呆れたような眼差しを向けつつも優しく笑っている。その様子を見て私は思わず呟く。
「エース……」
「知ってるのか?」
「幼馴染です。子供の頃は私の方が強かったのですが、今はもう勝てないと思いますよ」
笑う私に白髭さんは納得した様子を見せる。白髭さんは後に語る……噂を聞いたら気になって、姿を見たら欲しくなり、顔を見たら……自分のモノだと確信した。
だからあの時は年齢を知らなかったが、もしナミが16歳だと知っていても、間違いなく手を出していただろうと。私はそれを聞いて、微笑みながらその胸に体を預けた。